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『こころ』の「上六」2
日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の『こころ』を読んでいます。「上六」の中に理解できないところがありますので、お伺いしたいと思います。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html 1.私が始めてその曇りを先生の眉間(みけん)に認めたのは、雑司ヶ谷(ぞうしがや)の墓地で、不意に先生を呼び掛けた時であった。 (1)ここの「認める」は次の何番目の解釈にあたるのでしょうか。現代でも使われるのでしょうか。答えは「はい」だったら、口語の用例をいただけませんか。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C7%A7%A4%E1%A4%EB&kind=jn&mode=0&base=1&row=1 (2)「先生を呼び掛けた」は間違っていませんか。「先生に呼びかけた」が正しいような気がします。 2.ゆくりなくまたそれを思い出させられたのは、小春(こはる)の尽きるに間(ま)のない或(あ)る晩の事であった。 「尽きるに」の「に」はどういう役割でしょうか。 3.勘定してみると、先生が毎月例(まいげつれい)として墓参に行く日が、それからちょうど三日目に当っていた。 (1)「勘定」のこのような使い方は初めてです。現代でも使われるのでしょうか。使われるのならば、口語の用例をいただけませんか。 (2)「墓参(ぼさん)」という言い方は現代でも使われるのでしょうか。 (3)「それからちょうど三日目に当っていた」はどういう意味でしょうか。「それから」の「それ」は何を指すのでしょうか。「先生が毎月例(まいげつれい)として墓参に行く日」がよくわかりません。毎月の三日という日でしょうか。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、ご指摘いただければ嬉しく思います。よろしくお願いいたします。
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1.私が始めてその曇りを先生の眉間(みけん)に認めたのは、雑司ヶ谷(ぞうしがや)の墓地で、不意に先生を呼び掛けた時であった。 (1)#1さんおっしゃるように、「認める」は(1)で「そのものの存在を確認する」という意味です。 (ex) ・その会場で、彼女は彼を認めると急に顔を赤らめた。 ・被害者の首にはヒモで絞められたような跡が認められる。 (2)「先生を呼び掛けた」は間違っていませんか。「先生に呼びかけた」が正しいような気がします。 :書籍でも「を」となっていますから青空文庫の誤植でもないようです。 しかし、私もawayuki_chさんと同様の印象を受けます。 私の知識不足なのかもしれませんが、現代で通用する表現とは思われません。 「先生を呼び止めた」というニュアンスで使ったのだと思いますが、漱石が間違うとも思えませんし、当時は許容されていた表現なのか専門家の方の登場を期待したいところです。 2.{ゆくりなくまたそれを思い出させられたのは、小春(こはる)の尽きる【に】間(ま)のない或(あ)る晩の事であった。} :文法的には良くわかりませんが、【に】は、『ということに関して』という意味になるように思います。 (ex) ・海で泳ぐに学問は不要だ。 ・試験を受けるに睡眠不足は大敵だ。 いずれにしても、 {小春(こはる)の尽きるに間(ま)のない或る晩}は、 『「小春日和の時期が終わる(という状態になる)」までには、あまり日数(間=間隔)が無い或る晩』 『小春日和がそろそろ終わろうとしている頃の或る晩』という意味になると思います。 3.{勘定してみると、先生が毎月例(まいげつれい)として墓参に行く日が、それからちょうど三日目に当っていた。} (1)「勘定」は「数える」という意味で現在でも使われる表現です。 ただ、ざっくばらんな表現ですから改まった場面ではあまり使われません。 (2)「墓参(ぼさん)」という言い方は現代でも使われますが、機会は少ないでしょうね。 「墓参り(はかまいり)」と言う場合が殆んどでしょう。 (3) a.「それからちょうど三日目に当っていた」はどういう意味でしょうか。「それから」の「それ」は何を指すのでしょうか。 :その前の方の文に書かれていますが、【それ】は、 『「>小春(こはる)の尽きるに間(ま)のない或(あ)る晩」に 「>先生と話していた」時』 を指します。 「(その時に)計算してみたら、その時から数えてちょうど三日目になっていた」ということです。 自分の予定と照合するために(先生が墓参に行くのは何日後なのか)計算してみたら、(私にとっては)ちょうど都合の良い日だったわけです。 b.「先生が毎月例(まいげつれい)として墓参に行く日」がよくわかりません。 :たとえばその人が亡くなったのが1月15日だとすると、その後毎年、2月でも7月でも毎月15日を『月命日』などと呼んでお参りをする習慣があります。 お墓が近い人はお墓に行くでしょうし、遠い人は自宅の仏壇でお坊さんにお経を上げてもらったりする人が多いでしょう。 毎月例として墓参する日が決まっているということですが、「毎月の三日」という意味ではありません。
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- hakobulu
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#3です。 提示URLが間違っていました。訂正します。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2748578.html 何回も本当に申し訳ありません。
お礼
たびたびご足労をかけてすみません^^。
- hakobulu
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#3です。 ×(イ)強い関心を持って「見つめる」 ○(イ)発見して強く印象付けられる というように訂正します。
お礼
はい、了解しました。ありがとうございました。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
#2です。ご返事ありがとうございました。 1、「目にする」という言い方を避けられましたね。それが疑問なんです。 a.「認める」の意味として、 「目に【する】」というのは、 「そのものの存在を確認する」よりも弱いような印象を受けます。 ただ、「そのものの存在を確認する」というのも、実はやや大げさな表現かな、という感覚はあります。 「目にとめる」という選択肢があれば一番適切だと思われるのですが。 いずれにしても、原文の場合は、「曇り」という目に見えないものを認めているわけですから、ある程度の注意力が必要でしょう。 『「目にする」という素直な意味でその注意力のニュアンスを表わすのは難しい』という感覚で、「そのものの存在を確認する」を選択したような気がします。 そういう意味で、 『>ここの「認める」を「見える」、「見かける」、「目に入る」に替えたら、ニュアンスは微妙に違うでしょうか。』 というご質問には、 「違うと思う」とお答えいたします。 つまり、「認める」は、 (ア)素直に「目にする」 (イ)強い関心を持って「見つめる」 というような2種類のニュアンスを持った言葉ということが言えるような印象も受けます。 ・私が始めてその曇りを先生の眉間(みけん)に認めたのは、雑司ヶ谷(ぞうしがや)の墓地で、不意に先生を呼び掛けた時であった。(イ) ・その会場で、彼女は彼を認めると急に顔を赤らめた。(ア) ・被害者の首にはヒモで絞められたような跡が認められる。(イ) ということになると思います。 b.「被害者の首にはヒモで絞められたような跡が認められた。」 は、【認める】という行為が「過去の時点であったこと」に注目した表現です。 「被害者の首にはヒモで絞められたような跡が認められる。」 は、『絞められたような跡が(現在も)首にある(見える)』というニュアンスを意図した表現です。 2、「先生を呼びかけた」という表現が現在認められているとは思えません。 (ア)当時は正式な表現として認められていた (イ)当時も正式に認められてはいなかったが、違和感無く通用する表現だった (ウ)弘法も筆の誤り のどれかという気がします。 興味があるので、僭越ですが別に質問を立てさせていただきました。 http://oshiete1.goo.ne.jp/oshiete_new.php3 3、「勘定してみると」と「から」とこの二つの部分は遠すぎます。 a.正常な感覚です。ネイティブでも同じように感じることはあるでしょう。 状況を把握する観点から考えると、「勘定してみると」は付け足しです。 「先生が毎月例(まいげつれい)として墓参に行く日が、それからちょうど三日目に当っていた。」 でも十分意味は通じるでしょう。 ただ、この場面では、 「私」に、「何とか先生と一緒に墓参りに行って先生の秘密を知りたい」という欲求がありました。 「【わざわざ】勘定してみると」という表現を付け足すことによって、その欲求を浮き彫りにしようとしたのだと思われます。 b.>「その日」が15日だとすれば、「その日から数えて三日目」は17日のことを指すでしょうか。 :その通りです。 4、最近は添削するところが殆んど無くて物足りなく思っています。(^^;) 私は色々なことに興味はありますが、この国語カテも含め全て中途半端で学問的裏づけというものは殆んど持っていません。 「ヘタの横好き」というやつです。(^^;)
お礼
再びありがとうございます。「認める」が持つニュアンスはなんとなくわかりました。「目にとめる」というフレーズをいただいてから、「見てとめる→みとめる」という変な発想もありました。このように考えたら覚えやすいかもしれません。「跡が認められる」の「認められる」を「認められた」にされなかった理由もよく理解できました。「先生を呼びかける」について質問までも立てていただきありがとうございます。興味深く拝見しております。「勘定してみると」に関連する文を詳しく分析していただき助かりました。よくわかりました。最近は読書の量を増やしましたが、文章はほとんど書いていません。手がちょっとかゆくなりました^^。本当にありがとうございました。相変わらず「謙謙君子」(謙虚な君子)の感じです。
- yuuki0701
- ベストアンサー率47% (10/21)
こんばんわ、普通の大学生です。理系なのであまり自信はありませんが。。。 1(1)ここでの用法は1です。つまり、先生の眉間に曇りが存在しているところを確認したという意味です。 (2)「先生を呼びかけた」:何か声をだしたり、名前を言って相手をただ呼んだ場合はこういう表現をします。 「先生に呼びかけた」:こちらでは相手に何らかの言葉を伝えたことになってしまいます。使い方としては、「OOOOと先生に呼びかけた」という感じです。 2文法は忘れてしまいましたが、意味としては「小春が尽きてしまうのに間が無いある晩のこと」ということです。助動詞の"なり"の活用形の一つでしょう。 3(1)勘定するは普通に今でも使いますよ。おそらく理解しにくいのは主語が省略されているからではないでしょうか? 正しくは「(私が)勘定してみると・・・・」となります。 例としては「勘定してみると、彼女がこの地を旅立つ日が、ちょうど10日後に迫っていた。」 (2)ぼさんと言う読み方をする人もいるとは思いますが、あまり口語的ではありません。一般には現代では墓参り(はかまいり)と読む方が多いと思います。 (3)それからのそれはここでは話題になっているその日のことを指し、その日から数えて三日目が墓参りに行く日ということです。 先生が毎月ごとにお墓参りに行っている決まった日と言う意味です。(ここでは具体的に何日かは触れていません。)つまり月命日に毎月お参りしているのではないでしょうか? 以上長々と失礼しました。勉強頑張って下さい☆
お礼
今朝早くご親切に教えていただき誠にありがとうございます。1はわかりやすいと思いました。2はまだ難しいような気がします。「月命日」は知りませんでした。勉強になりました。本当にありがとうございました。大変参考になりました。
補足
>2文法は忘れてしまいましたが、意味としては「小春が尽きてしまうのに間が無いある晩のこと」ということです。助動詞の"なり"の活用形の一つでしょう。 文法でなくても結構です。私は「尽きるに」の意味がよくわかりません。「尽きるまでに」という意味でしょうか。 >それからのそれはここでは話題になっているその日のことを指し、その日から数えて三日目が墓参りに行く日ということです。 どうも「それ」はおっしゃるように順調に捕まえません。難しい文です。「それ」は何を指すのか、どのようにわかるのでしょうか。 また、たとえば、「その日」が15日だとすれば、「その日から数えて三日目」は17日のことを指すでしょうか。
お礼
いつもお世話になります。ご回答ありがとうございます。だいぶわかるようになりました。「月命日」の知識は初めて知りました。大変参考になりました。今日は『「海に近よる人は、世界に近よると言える」とある哲学者が言った』(原文は中国語)という文を読みました。その哲学者の名前は書かれていませんが、もしかして日本人だと頷きながら思われました^^。ちなみに、補足の中の「弘法」はhakobuluさんのことではなく、夏目漱石のことを指します。誤読されましたか^^。本当にありがとうございました。
補足
1. >(1)#1さんおっしゃるように、「認める」は(1)で「そのものの存在を確認する」という意味です。 No.1さんと同じように、「目にする」という言い方を避けられましたね。それが疑問なんです。「目にする」と「そのものの存在を確認する」は違う意味だと思うので、なぜ辞書は同一項目にするのか理解できませんでした。手元の日中辞典は「看見,看到」と説明しています。つまり、「目にする」という意味に近いと思います。「看見」という中国語の意味は「目に入る。見える」です。「看到」という中国語の意味は「見える。見かける。目に入る」です。私は日中辞典から確認するの意味は少しも伺えません。辞典の例文は「人影を認める」、「肺には何らの異常を認めません」となっています。 普通は、相手に「確認してください」と言われたら、あるいは、自分で安心できなかったら、確認するという行為をするでしょう。なぜここで確認する必要があるのでしょうか。 ここの「認める」を「見える」、「見かける」、「目に入る」に替えたら、ニュアンスは微妙に違うでしょうか。 ということで、次の三文は「目にする」だけならわかりますが、確認するという意味も含まれているのがよく理解できません。また、三番目の例文の語尾が「跡が認められた」とされなかった理由も教えてください。 ・私が始めてその曇りを先生の眉間(みけん)に認めたのは、雑司ヶ谷(ぞうしがや)の墓地で、不意に先生を呼び掛けた時であった。 ・その会場で、彼女は彼を認めると急に顔を赤らめた。 ・被害者の首にはヒモで絞められたような跡が認められる。 2. 私はNo.1さんの次のような解釈で納得できましたが、hakobuluさんはどう思われますか。 『「先生を呼びかけた」:何か声をだしたり、名前を言って相手をただ呼んだ場合はこういう表現をします。 「先生に呼びかけた」:こちらでは相手に何らかの言葉を伝えたことになってしまいます。使い方としては、「OOOOと先生に呼びかけた」という感じです。』 ちなみに、「弘法にも筆の誤り」の可能性はないのしょうか^^。 3. >勘定してみると、先生が毎月例(まいげつれい)として墓参に行く日が、それからちょうど三日目に当っていた。 「勘定」については「お勘定します」しか知りません。私はここの「勘定」の意味を「見積もり。予測」という意味だと間違えてしまいました。「それから」を「まず~それから~」の「それから」だと思ってしまいました。説明していただいてやっとわかったのですが、どうも難しい文です。たぶん、「勘定してみると」と「から」とこの二つの部分は遠すぎます。 また、たとえば、「その日」が15日だとすれば、「その日から数えて三日目」は17日のことを指すでしょうか。