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本当の意味で自分を愛するとは?
ある本を読んだんですけど、自分を愛せない人間は人を愛せる人間にはなれない。子供を虐待する親は自分を愛せてないからである。など。 で、質問文なんですけど、自分を本当に愛せてる人ってどんな人なんでしょう。そうでない人とどう違う点があるのでしょうか? 自分も自分を愛せる人間になりたいのですが、どうすればなれるのか、分りません。駄目な自分も受け入れ、そこからスタートするとその本にもありましたが。それだけではないような気がします。何かが欠けてるのだと思います。それを教えて頂けたらと思います。
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No6です。 そうですよね、普通は子供が出来る前にその父親である配偶者を本気で愛するのでしょうが(^^;)私は今再婚で、子供と血がつながった父親である前の夫とはあっさり離婚してしまい、その後連絡も取ったことがないというくらいあっさりしたものなんですよね。愛してなんかなかったんだと思います。「好き」くらいで。もともと出来ちゃった結婚でしたし…。 でも逆に今の夫は本当に愛してると思います(照れますが)。今までお付き合いした男性とは違う感情があるんです。元々好きで交際して結婚に至ったというわけではなく、いきなりプロポーズされて「大事な人だから結婚しようかな?」と思って結婚しました。 愛するって事と大事に思うって事はすごく近いのかもしれませんね。本当に心の底から失いたくない、何があっても大事って思う気持ちは変わらないと思えるということが愛すると言うことなのかも。 そう思うと、自分を愛する=自分を大事にすると言うことなのかもしれません。確かに昔の私は自分を大事にしてませんでした。 その違いはどこから来るかと考えてみたのですが、「親」と言う存在が凄く大きいんじゃないかと思いました。私が子供を無条件に愛せたように、普通は親を無条件に愛せるのだと思います。それは「親子」だから。 本来なら人間が最初に愛するべき存在は「親(もしくはそれに替わる存在)」で、そこで愛することを経験してるから自分を愛せる人に成長し、大人になって人を愛せる人になる…こういうことなのかもしれません。 私の周りを思い返してみても、親御さんのことを凄く大事にして育ってる人は、誰かを愛することが出来るし、自分を大事に出来る人が多いような気がします。親子関係が悪い人は自分を大事にしない人が多いですね、不思議と。 私も自分を大事に出来るようになってから親との関係が良くなった気もします。 質問者様が独身でも、私にとっての子供の存在のように、無条件に愛せて大事に思える「何か」に出会えたら、自分を愛せるようになるのかもしれませんね。
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- kikh
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自分を愛するというと難しく聞こえると思いますが、簡単に言えば、自分で自分のこと好き?ってことですよね。自己愛ばかりが強いのも問題ですが、自己愛が少ないのも確かに問題だと思います。 子供は自分の分身という思いが強いですから、その分身が自分に似ていたら、どう自分を思っているかが、子供に反映されます。子供を虐待するのは自分を虐待したくなる気持ちがあり、自分に似ているからこそ、見たくもないと思うようになる。子供虐待は自虐であると思うのです。 人は多かれ少なかれ、人間なので嫌な面を持っている。もちろん良い面も持っている。しかし、なかなか人は冷静に判断できないものです。自分に潔癖であればあるほど、自分自身を嫌いになる。良い面には目が向かず、悪いところばかりを探し出すようになる。ダメな部分も受け入れて、ではなく、ダメな部分にしか目がいかなくなる。他人を見れば、自分にない、良いところばかりが目に飛び込んでくる。ますます自分自身がダメ人間に思えてくる。 しかし、気の持ち方ひとつで大きく変わっていきます。 昔、8年間、つくばで芸術監督をしていたときに、市民相手のワークショップをしていました。ワークショップと言っても、1時間以上の作品を作り上げるのですから、大変です。そのワークショップに出ていた人の中には、始める前、「人生、辛くて辛くて・・」と言っていた方もいたのです。しかし、そういう人たちでも自分で自分を表現する意識を手に入れると、人が変わったように、「楽しくて楽しくて仕方なくなりました」と変わる人が出てきました。 表現する手段を手に入れると、人は変わります。自分をきちんと見つめなければならなくなるからです。良いところも悪いところも見なければならなくなる。見なくて済むのではなく、否応なく発見しなければならなくなる。これは大きいです。自分が嫌い、と言って済んでいるうちはいい。自分が嫌いだろうがなんだろうが、そこを抜けないと自己表現できないとなったら、何かを見つけ出そうとします。もちろん良い面も悪い面も発見するでしょう。 僕は今、舞台のワークショップのことを言いましたが、それは何でもいいはずなのです。自分が真摯に向き合えるものがあれば、人は変わっていきます。変わらないと状況が好転しないと知ったら、変われるはずなのです。 よく私は「覚悟」じゃない?と言います。覚悟がどこまであるか?それがない限りはいつまで経っても甘いままです。常に人を許し、自分を許し、甘いままで置いておく。甘いままでは厳しさに向き合えないから、自分で自分を少しずつ嫌悪するようになっていく。少しずつだから原因ははっきりしない。だんだん無意識のうちに自分を遠ざけるようになる。これでは、自分で自分を愛せるはずなどありません。人は、壁を乗り越えていくから、自分で自分を認めるようになるのです。壁を乗り越えない限りは、自分の前に立ちはだかる、「自分という障壁」を取り払うことはできないと思うのです。 もし、自分を愛せるようになりたいならば、今、目の前にぶら下がっていることから逃げずに、立ち向かうことだろうと思います。 舞台を志す学生たちにもよく言うのは、今をやり切っていかないと、次はないだろうということです。「やり切ること」「中途半端にはやらないこと」そういう指向性がどんどん自分自身に自信を与えていきます。プロになれなくてもいいのです。人には才能があります。しかし、やり切る力があれば、必ず、他で開花する可能性が大きい。だから、目の前にぶら下がっていることから逃げてはいけない。 一所懸命に生きて、逃げずに生きていけば、生きるとは苦しくとも楽しいものだと思うようになると思います。そうしたら自分のことを少しは愛おしく思えるでしょう。
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回答ありがとうございます。やはりそれぐらいの精神がないと自分を変えられないんですね。
- ye11ow
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こんにちは。 自分のことが好きである人には、次のような傾向があります。 ・自信がある ・明るく前向きである ・一人でも満足していられ、精神的に他者に依存していない ・酒、買い物、ギャンブル、宗教、仕事等に溺れていない ・逆境に強い ・ストレスに強い ・他人からの悪口に深く傷つかない ・言い訳をしたり他人のせいにせず、素直である ・心の健康を維持できる ・短所よりも長所に目がいく (自分が好きでない人の場合は、これらが逆だということになります) 上記のような傾向を持つ、自分が好きな人になるためには、 日々、思考と行動の質を高めていき、理想の自分に一歩一歩近づいていくことです。
お礼
回答ありがとうございます。当てはまる項目が自分には一つも無いです・・・。つまり逆って事ですね、自分は。 理想の自分への道は遠いですね。
自分を愛しているというのは、一言で言うと「自分のすべてを受け入れている」ということなのでしょう。 今の自分に何も否定する因子がないということ。 ではすべてを受け入れている状態というのは、どういうことかというと・・・ それは「受け入れている」とか「自信を持っている」とか「自分を愛している」などという意識もないことだと思います。 ことさらに「自分を愛している」と言う人は、本当に自分を受け入れているのでしょうか。 私はかつて、自分に強い劣等感を持ち、子を虐待する親のように、他人にはとても厳しい性質を持っていました。 自分など消えて亡くなればいいと思う反面、劣等感の裏返しとして妙な優越感、プライドがあり、強く「自分のことを好きだ」と感じることもありました。 このような「好き」は本当の好きではないと思います。 そんな私は今では自分を自然に愛せていると思います。 それは自分のことを好きとも、嫌いとも感じなくなったからです。 強いていうなら「そんなに嫌いじゃないな、自分のこと」という程度です。 他人にも寛容になったし、他人のことも言葉にしていうほどわざとらしい「愛情」ではなく、自然に愛せていると思います。 なぜそう変われたかということを説明するのは難しいのですが、自分の限界を知った、「諦め」ということだと思います。 諦めというのはとてもネガティブな言葉に聞こえるかもしれませんが、心の悩みや病気を克服するのに、重要なポイントになるのが、諦めなのです。 自分にこうあってほしい、自分のここが受け入れられない、というような叶わない理想を追ってしまうのが、人間の悩みの根源です。 それは叶わないことなのだ、と悩みに対して絶望してしまうと、人間は現実の足元を見つめることができるのです。 悩みに対して頑張らないことです。 自分は変わらないものだということを知り、変えようとすることを諦めることです。 こう変わりたいという比較対照物があるから、本来の自分が劣っているように見えるのです。 本来の自分を認識した時、人間は無理をしなくなり、生きることが楽しくなる。 楽しくなれば自然に自分の存在を肯定して、大切にしようと思えるようになるのです。
お礼
回答ありがとうございます。すごく深いですね・・・。 好きでも嫌いでもない・・・適度って事でしょうか? 諦めですか・・・見極めるという取り方も出来ますね。良い意味で開き直れたという印象を持ちました。
凄く難しいと思いますが、私自身は人を愛せるようになって初めて自分を愛せるようになった(自分を愛せるようになろうと努力することができた)ような気がします。 愛する相手っていうのが私の場合子供なので「他人」とは違うのでしょうが…。何か本当に心から大事と思えるものが出来たとき(人でも目に見えない何かでも)、人って変われるのかな~と感じます。 あ、でもNo4の方が言われてるような感じは確かにありますね(笑)。外側ではかっこつけたことを言っていても、基本的に「ジブンスキー」です。
お礼
回答ありがとうございます。子供ですか。確かにそれは身に付くでしょうね。って独身ですけど(^^ゞ 失礼な事を聞くようですが、子供が出来る前に配偶者が居られる訳ですけど、その方にはそうゆう感情は湧かなかったんでしょうか?子供と違って、元は他人ですけど。
- hamakkotarou
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完全な自分、理想の自分を求めることは悪いことではないと思いますよね。 完全な自分にならなくては、理想の自分にならいといけないと思ってしまうと、自分を愛せなくなるのではないかと思います。 なぜなら、完全な自分や理想の自分になることは現実には不可能だと思うからです。 不可能なことを自分に要求することはどう考えても自分を愛しているとは思えませんよね。 そして、自分に完全や理想を求める人は他人にもそれを求めてしまうでしょう。 だから人を愛せないことになってしまうのだと思います。
お礼
回答ありがとうございます。別に完全を求めてるつもりはないのですが。そもそも完全な人間なんて存在しないのは理解してますしね。でも、無意識のうちに自分にも他人にも求めてるのかも知れません。
- goo2005goo
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言うなれば、「落ち込むこともあるけれど 俺様は元気です」的な状態を指すのでしょう。「自分ファンクラブ」「自分応援団」が脳内に常駐している感じです。イメージとしては、高橋がなり大先生を思い出してください。あの感じです。「駄目な自分も受け入れ、そこからスタートする」などという生やさしい状態ではないのです。彼らには「駄目な自分」という概念がありません。「自分最高。あ、駄目なことしちゃった。でも自分最高」これです。
お礼
回答ありがとうございます。 高橋がなり大先生って知らないです。初耳です。詳しく教えてください。
- Fiveleaves
- ベストアンサー率33% (247/748)
哲学で・・・「愛する」とは「そのモノ(あるいは人)のためを思う心」であると書かれています。 つまり。自分を愛するとは自分の為になにがいいか、真剣に考えるということです。 自分を生かすことがこの世に生れてきた以上、最良の使命ではないでしょうか? 自分は周りの人々に、環境に何ができるか、どんな貢献ができるか? これを追求し行動することが、世のため人のために成ると思うのです。 釈迦はこの世で徳を積む事によって、死後の世界で極楽浄土に行けると説いています。 キリストは裏切り者によって十字架を背負わされますが、相手を恨むことはせずに、右の頬を打たれれば、左の頬を差し出し・・・と言っています。 人を愛することができる人が真に自分を愛せるのではないでしょうか? 家族を愛し、隣人を愛し、友人知人を愛し、地域を愛し、祖国を愛する ・・・・ そこには自己の欲求や我が儘は存在しなくなっています。 常に世のため、人のために生きた人間こそ自分を愛せたといえるのではないでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 祖国、地域を愛せてないから、こうゆう悩みが生じるのかも知れませんね。 真の善人として生きるという事でしょうか?
- mikkyo330
- ベストアンサー率50% (1/2)
とても深い悩みだと思います。 顔や性格が違うように、愛もそれぞれかたちが違うと思います。虐待だと思える行為も愛情の裏返しだったり。そう言う方はその愛し方しか知らないんじゃないんでしょうか。 愛とは通過点であり、過ぎて初めてわかる事だと信じています。ゆえに、本当の愛は、自分では気がつかない。 ただ、「愛とは工夫である。」これだけは実感しています。 生意気な文面でごめんなさい。
お礼
回答ありがとうございます。決して生意気ではありません、謙虚に受け止めたいと思います。 確かに人それぞれ違うでしょうね。優しさだって違うし。非情な行為が時には本当の優しさだったりするし。 >ただ、「愛とは工夫である。」これだけは実感しています。 初めて聞く言葉です。哲学的な言葉かも。具体的に教えていただけるとありがたいです。
- ma_f
- ベストアンサー率53% (166/308)
>自分を本当に愛せてる人ってどんな人なんでしょう。そうでない人とどう違う点があるのでしょうか? 自分を愛せている人は自分のすべてを納得しているけれど、そうでない人は自分について何かと納得できない部分があるのではないでしょうか。納得するというのは結局「駄目な自分も受け入れ」る、ということなので、答えになってないかもしれませんね(汗)。 ダメな自分を受け入れる、というのは、本当はダメなまま「まぁいいか」と認めるということなのでしょうけど、価値観などがハッキリしてしまっている大人がそうそう簡単にダメなものを認めるというのは難しいんじゃないかと思います。 私はまず、自分が自分で嫌いな部分というものをノートに書き出すなどして明確にし、それを克服する、という地道な作業で乗り切ってます。たとえば「すぐ後回しにする」だったら、決めたことは即実行するとか。単純ですが、私にとってはそれしかないというかそれが王道です。もっといい方法があるのかもしれませんが……。頑張ってる自分というのは好きになれますし、人が認めてくれるようになるので相乗効果でまた好きになれます。でも、「頑張る自分」というものが醜く思えるという価値観の人もいると思うので、やっぱり人それぞれでしょうね。 要は社会規範から逸脱しない範囲で「自分の価値観の中で好きになれる自分」というものを演出していく、ということではないでしょうか。 ただ、個人的には「自分を愛せない人間は人を愛せる人間にはなれない」というのはそうかもしれませんが、「自分を愛している人間は人をも愛せる人間である」とは限らないと思っています。
お礼
回答ありがとうございます。 納得ですか・・・妥協とも取れますね・・・。 回答者様は努力されてますね。その克服する努力すらしてないのだから、自分が自分を変えるのは・・・・。やはり強い意志を持たないとって事になりますね。 価値観に関しては、自分はどうしても大衆とは違う価値観を抱きがちです。まあ、それはいいんでしょうけど、先日、友人らに注意されました(苦笑)。 メールでのやりとりだったので誤解もあったでしょうけど。 話戻しますけど、最後の文章はそうかも知れないですね。ナルシスト(健全な自己愛ではないけど)は人を愛せないだろうし、ってこれはまた違いますか。
お礼
回答ありがとうございます。プライベートな事まで述べてくださり恐縮です。 >私の周りを思い返してみても、親御さんのことを凄く大事にして育ってる人は、誰かを愛することが出来るし、自分を大事に出来る人が多いような気がします。親子関係が悪い人は自分を大事にしない人が多いですね、不思議と。 私も自分を大事に出来るようになってから親との関係が良くなった気もします。 それは確かみたいです。アダルトチルドレンといって、子供の頃、親にちゃんと愛されないと、健全な心を持たないまま、大人になったしまった人をアダルトチルドレンと言いますから。親子間が人間関係の基礎とも言われてますしね。自分は姉に「あんたは甘やかされすぎ」とか姉は「○○(私)には甘い」と親によく言いますけど。過保護はそれで正しい愛情ではないんですよね。バランスが大事なんでしょう。