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埼玉県について
埼玉県についてしらべているのですが、 埼玉は「ダサいたま」などとバカにされることが(テレビなどでも)よくありますが、何故なのでしょうか? 埼玉県に関する資料を見たり、実際に行ってみても、そのような要素が見当たりません。また、「ダ埼玉」という単語が作られたことによりダサいというイメージが広まったとも思えません。 ・全国的に有名な代表名所がない。 ・海に面していない。 ・「住みにくい県」の上位にランクされたことがある。 などのマイナスイメージ要因を考えてみたのですが、これらの条件は他県にも当てはまることがあり、埼玉特有のものではありません。 埼玉=ダサい のイメージは、 単にマスコミが勝手に作り出したイメージなのか、 歴史的な事件などが関係しているのか、 それとも他に何か理由があるのか、 何か知っている方がいたら教えてください。
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当時を思い出すと、確か、埼玉県民自ら名づけたのではないでしょうか。 埼玉県民の勤労者は東京に通うサラリーマンの方が多く、昼間は東京の街で過ごし、夜は寝に帰るという生活がほぼ毎日続く訳ですが、県民の嗜好が東京に向いていて、東京と比べれば埼玉はダサイタマだと語呂あわせがうまくいくので多少嘲笑的に言ったのではないではないでしょうか。 その裏の心理を計ると、住まいは埼玉だけど、心というか気持ちというか、自分は東京の文化に触れて生きているんだという強がりが見え隠れしているようですけど。 勿論、東京に通っている県民は近県では神奈川、千葉とありますが、神奈川がダサイと思っている人は余りいないのではないでしょうか。横浜、湘南ような流行の先端と箱根、鎌倉といったリゾート地等挙げればたくさんあります。一方、千葉の場合は、東京ディズニーランドのイメージが大きいのではないでしょうか。その他はこれっと言うものはありませんが。 結論から言いますと、埼玉がダサイという根拠はないないと思います。
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- IXTYS
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埼玉県が『ダサイ田舎者』というイメージは別にマスコミが造った者ではなく、日本の長い歴史の中で出来ていったものではありませんか。 地名というものは明治維新この方出来たものではなく、ずっと遡って平安時代に出来上がっています。 東国武蔵の国の多摩の更に向こう側にある『先多摩』(さきたま)がなまって『さいたま』となったという説が有力です。 平安の都からすれば、武蔵とて大変な辺境の地です。 そこより更に遠方といったニュアンスが感じられ、遠い田舎という感じがします。 私は山陰の出身です。 東京から見れば日本で一番の辺境の地という印象があるようです。 事実、日本人の多くは文化果つるところと思っています。 ところが私が生まれ育った田舎は昔、大伴家持が郡司となって赴任したところで百人一首にも出て来る有名な地名でした。 近くで奈良時代のお寺の遺跡が発見され、その規模は東大寺に匹敵し、強大な地方豪族が存在していたと考えられています。 そのような背景もあって大正時代には大変多くの小説家や詩人を輩出しています。 私は勝手に自分を田舎者と思っていましたが、日本の歴史の中では大変に評価の高いと地であるとわかりました。 1960年代のこんな逸話が残っています。 NHKの鳥取支局には誰も志願者がありません。 だれもが日本一の辺境の地と考えていたからです。 そこで、イベントを企画し、キャンペーンガールを応募しました。 キャンペーンが目的ではなく、美人を選び出し、NHK職員の結婚相手にしようというもの。 鳥取は昔から美人の産地で、初期の宝塚の大スターを多く輩出しています。 この作戦が成功し、今ではNHK新人の憧れの地になっているのです。 日本の地名は平安時代のイメージで理解すべきではないでしょうか。
補足
回答ありがとうございます! 「ダサい」イメージについてですが、埼玉県は首都圏一都七県の中でも中心部に近く、道路・鉄道を見ると都心へのアクセスもかなり良いことからも、質問者は「ダ埼玉」の言葉の中に「田舎」というニュアンスは含まれていないと考えているのですが、一般的には田舎というイメージなのでしょうか? また、確かに平安などからのイメージを持ち続ける都道府県もあり、古い歴史が関係しているかもしれませんので、これから調べてみようと思います。しかし、回答者さんの出身地のように昔は繁栄していたが現在では田舎というイメージ(あくまでもイメージとしてです。名所がたくさんあり、とても良い場所だと質問者は思っています。)になっているように、(埼玉=田舎のイメージが定着しているとした場合、)武蔵(東京・埼玉・神奈川の一部)は昔は田舎だったが東京が首都となったことにより埼玉も同じ地域として「田舎ではなくなった」というイメージが広まった。つまり、イメージが変化した。と捉えることもできると思うのですが、どのように考えればよいでしょうか? 長くなってしまいスミマセン。。
- buchi-dog
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埼玉に結構な年数住んでいた者です。 秩父の方は別として、埼玉県は非常に平べったい地形です。景勝地が皆無で、人口のものしかない(それも東京、神奈川、千葉に比べると少ない)地域です。景勝地というのは、基本的には「高いところから低いところを見下ろす場所」ですので。大宮あたりのビルに上って周囲を見ても面白くもなんともありません。 よって、埼玉に住んで他県に通ったり遊びに行く人はたくさんいても、その逆は普通ありません。せいぜい、東京の北区に住む人が荒川を越えた川口市の職場に通うくらいではないでしょうか。 埼玉に住んでいて感じたことですが、夏に都内より明らかに暑いのと、首都圏南部の汚れた空気が降りてきて透明な空を見るのが滅多にないのは気に入りませんでした。夏場に、千葉市の郊外(少し高台)に住んでいる親戚の家に行くと、「涼しい海風」と「澄んだ空」と「遠くが見える景色」に羨望を感じたものです。埼玉に住んでいたのは通勤の便が最大の理由で、それはそれで快適でしたが。
お礼
回答ありがとうございます! 特に観光地がないということだけなら他県にも当てはまることがあるが、位置的に東京と比べられやすい。するとそのようなイメージになる。ということかもしれませんね。 確かに埼玉は「住むための場所」といったイメージですね。 参考にさせていただきます。
- himara-hus
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この言葉が出だしたのは、歩行者天国やディスコなどがはやっている頃で、近郊の埼玉や栃木などから若者が東京に頻繁に遊びに来るようになった頃だと思います。 当時は、やはり埼玉や栃木などは近郊農家も多く、なまりもかなり有ったように思います。 そういう背景の中で、埼玉の方が近くて便利なため流入した人も多かったと思いますし、ダサイという言葉がはやった頃に語呂もいいので「ダサイタマ」と言う言葉もはやったのだと思います。
お礼
回答ありがとうございます! 確かに埼玉北部や栃木などの古い人は今でも多少なまりがあるようです。 文化的な面で東京と比べた場合のイメージということでしょうか。 参考させていただきます。
- ht218
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やはり、語呂合わせが良いので、では無いのでしょうか? 私は小学生の時、石川青年?冤罪事件と言う、あきらかに、部落差別で殺人犯にされてしまった人の話を担任の先生に教わり、その時はピンとこなかったのですが・・・ その事件の話を聞いてから、もう30年くらいたっているはず。 まだ、裁判中なのでは。 そんなことも、一因になっているのではと思います。
お礼
回答ありがとうございます! 歴史的な事件が原因の可能性もあるかも知れませんね・・・。 石川青年冤罪事件含め、事件についても調べて見たいと思います。
お礼
回答ありがとうございます! 質問者も埼玉県民自身が「埼玉はダサい」と表現しているように感じることがあります。 埼玉に「ダサい」要素があるのではなく、首都圏一都三県で比べたときに埼玉がダサく感じるのではないか、ということですね。確かにそれはあるかも知れません。 参考にさせていただきます。