違う角度から、の意見です。ネタばれしてますので、深く
突っ込んでみます。
「妻を寝取られた武士の取らなければならない規範」と
も考えられますが、ちと違う観点からの。。。。以下省略。
映画ですから、恋愛映画にする意図もあったでしょう。
また、一定の観客層にとってはとても心地よいものだっ
たと思います、それはそれで大成功だったし、この脚本
で良かったと思っています。
しかし、あの「復讐」(仇討ち)はやはり、彼の「武士の一文」
(自分の決して譲れない名誉と卑劣な人間に対する怒り)
が基盤にあって、「加代」さんに対する深い愛情は自分の
奥深く仕舞い決して表には出しませんでしたね。一度離縁
した女性を「仇討ちが成功したから復縁する」なんて考えは
武士の威信にかけても全く有り得無いと勝手に解釈します。
その証拠に、徳平も近所の「飯炊き女」としてしか、それも、
遠慮しいしい、どうしても仕方なく、てな雰囲気で紹介し
ましたよね。新之丞は「その前に気がついていた」否「気がつ
居ていなかった」否「内心、加代を呼び戻したいが、自分から
は決して言い出せない、徳平がその辺りは気がつくだろう」
「これも自然の流れだ」見たいな、論争は観客(自分)の中で
ありました。徳平はその気持ち何もかも全部判っていました。
このすっきりしない残存感、この辺りが脚本のうまさ、恐れ
入りました。