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「恋の蛍は燃えはてぬべし(夫木和歌抄)」の現代訳

 日本語を勉強中の中国人です。「恋の蛍は燃えはてぬべし(夫木和歌抄)」という和歌の現代訳を教えていただけないでしょうか。恋いこがれる思いを蛍火に喩えていう語だそうです。  また、質問文に不自然な日本語がありましたら、ご指摘いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

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回答No.1

 「燃え果てぬべし」の「はて」は「果てる」(古語では「果つ」)です。「力が尽き果てる」などといいますね。「すっかり~してしまう」というような意味になります。  「ぬべし」はやはり古語(文語)で、強意(意味を強調する)の助動詞の「ぬ」に、推量の助動詞の「べし」が付いたものです。ここでは「きっと~だろう」ぐらいの意味でしょう。(ご存じかと思いますが「べし」には様々な意味があります。)  蛍は普通は静かに光っているだけだが、恋をしている蛍は、言葉通り自分の身を焦(こ)がす(燃やしてしまう)ほどに激しく相手を思うので、単に光っているだけではなく、きっと(体が)燃え尽きてしまうだろう、ということを言っていると思います。  なるべく元の表現に忠実に現代語訳すると、「恋の(状態にある)蛍は、(恋焦がれて)きっと燃えてしまうだろう。」ぐらいでしょうか。 「焦がす」 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E7%84%A6%E3%81%8C%E3%81%99&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=06317700

awayuki_ch
質問者

お礼

 一つ一つご丁寧に教えていただき誠にありがとうございます。よく理解できました。すばらしい表現に心を打たれました。大変参考になりました。  心よりお礼を申し上げます。

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  • gekkamuka
  • ベストアンサー率44% (138/309)
回答No.6

 「あまひこよ-くものまかきに-ことつてむ-こひのほたるは-もえはてぬへし」   「天彦よ 雲の籬に 言伝む 恋の蛍は 燃え果てぬべし」天の彼方ほどに私からは近付きがたい処にいらっしゃるあなたへ、雲となってあなたを覆い隠しているその憎らしい垣根にでも、せめてお伝えしたいものです。私の袂(たもと)にいて包んでも隠れない、この「来い」と願う恋の蛍はもはや、焦がれ過ぎて燃え尽きてしまうばかりなのですよと。  「夫木抄」巻八夏は「染河蛍」「水上蛍」「蛍火乱風」など様々な蛍の歌を集めています。  「閑吟集」では「我が恋は、水に燃え立つ蛍、水に燃え立つ蛍、物言わで笑止の蛍」といった強烈な歌もありますね。  ところで上田秋成「諸道聴耳世間狙」出典の「畢竟追剥原へ螢狩にござる」は「おいはぎはら」でしょうね。http://dailysoy.blogspot.com/2004_12_01_dailysoy_archive.htmlの「12.16.2004」にローマ字と英語の説明がのっています。  

awayuki_ch
質問者

お礼

 月下無可さん、いつもお世話になります。ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。古文はぜんぜんだめですが、現代語訳を拝見して、とても切ない感じがしました。大変参考になりました。  いろいろな蛍の情報を届けていただき本当にありがとうございました。大変助かりました。

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回答No.5

上の句抜きで解釈しろというのも無茶な話ですが、まあ、和歌の常識について少々。 恋の歌というのは、多くが相聞歌です。男が女に、あるいは女が男に送りつけるものです。その多くは相手の薄情さを恨む、ことさらに恨んで見せるものです。 二人が仲良くなるまでは、男が女のつれなさをなじり、同衾から後は男が遠ざかろうとするのを女が引きとめようとする、というのが基本形です。 ご質問の歌はきっと男が贈ったものでしょう。蛍は雄しか光りませんしね。昔の人がそういう生物学的事実を遵守して作歌したかどうかは、ちょっと即断しかねますが。ともかく、これが読解の条件です。 で、この歌の修辞はまあ、陳套なもので、けっして上作ではありません。当たり前の在り来たりで作られています。 まず「恋」という語は歴史的仮名遣いなら「こひ」です。ここに「ひ」の字がありますね。これで「火」を連想する約束があるのです(たった一音節で馬鹿みたいですがほんとにそうなんです)。で更に、火が出たので、それと縁の近い蛍が呼び出されます。 野坂昭之の「火垂るの墓」はご存知ですか。火垂るでホタルと呼びます。火を意味する和語は古くは「ほ」でした。今も「ほのお(ほのほ、火の穂)」や「ほや(火屋)」などの形で痕跡は残っています。火が垂れるのは蛍は尻が光るからですね。 で、ひからほで「火」がありありと示されれば「燃ゆ(燃える)」という語がするりと出てくるわけです。このするりと出てくる感じが値打ちなんですな。いかにも自然に滔々と水が流れるように次々と言葉が後から後から溢れ出てくる感じ、これがここで使われた「掛詞」と「縁語」という修辞技法の狙うところです。 とまあ、マニュアル通りというか、ごく単純な歌です。あまり深く考えてもはじまりません。 「ぬべし」と連結されれば「ぬ」が完了の助動詞であることは明らかで、日本人にしてこれを打ち消しの助動詞「ず」の連体形と見誤ることは曲がりなりにも高校を卒業していればでもよくせぬところでしょうな。

awayuki_ch
質問者

お礼

 いつもお世話になります。和歌の常識についてご親切に教えていただき誠にありがとうございます。蛍は雄しか光らないはまた驚かされました。生物学についてちゃんともう一度まじめに勉強しなければなりません。本当に恥ずかしいです。この歌の修辞の辿り着いた経緯を詳しく教えていただき感謝いたします。野坂昭之の「火垂るの墓」も知りませんでした。大変参考になりました。この和歌の内容そのものが、心の琴線に触れました。私にとっては、忘れられないすばらしい一首だと思います。  本当にありがとうございました。

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  • hakobulu
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回答No.4

#2ですが、もう少し過激な解釈をすべきなのかもしれません。 一部、微妙に変えてみました。 『最近の私は、どうも激しい恋に陥ってしまったようだ。 恋する感情は美しい蛍火に喩えることもできるだろうが、私が蛍であればその蛍火は強すぎて、自分自身が燃え尽えつきてしまうのも当然というぐらい強く燃え盛っている。』 何度もすみません。

awayuki_ch
質問者

お礼

 再びありがとうございます。とても迫力がある表現ですね。悲壮な美しさが感じられました。大変参考になりました。  本当にありがとうございました。

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回答No.3

awayuki_ch さん、こんにちは。 「恋の炎」などと同じで、「恋の蛍」という言葉は、「恋焦がれる思いを蛍火にたとえて言う言葉」なのです。 「恋焦がれる思いが燃え尽きることは無いであろう」 で良いのではないでしょうか。 (蛍は夏だけしか光りませんが、恋の蛍は一年中、恋する人の胸の中でいつでも光っているのですね)

awayuki_ch
質問者

お礼

 shigure136さん、こんばんは。ご回答ありがとうございます。何か急に幸せそうな感じのニュアンスに変身しました。大変参考になりました。  本当にありがとうございました。

awayuki_ch
質問者

補足

>「恋焦がれる思いが燃え尽きることは無いであろう」 で良いのではないでしょうか。 なぜ「無い」を入れられたのでしょうか。直訳ではないような気がします。「ぬべし」の「ぬ」は「ない」という意味ではないですよね。それとも余韻ということなのでしょうか。つまり、「恋の(状態にある)蛍は、(恋焦がれて)きっと燃えてしまうだろうが、恋焦がれる思いが燃え尽きることは無いであろう」ということなのでしょうか。

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  • hakobulu
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回答No.2

#1さんが丁寧な解説をされているので何も付け加えることはありませんが、私なりの「現代訳」として回答してみます。 『恋する感情は美しい蛍火に喩えることもできるだろうが、蛍火で蛍自身が燃え尽えつきてしまうかのように、 最近の私は、自分自身が燃え尽きてしまうほどの切なく激しい恋に陥ってしまったようだ。』 「恋の蛍=恋する私」ですね。 余談ですが、蛍火は「冷光」と言って、全く熱を出さないそうです。

awayuki_ch
質問者

お礼

 hakobuluさん、いつもお世話になります。ご回答をありがとうございます。現代語訳を拝見しました。何か切ない感じの言葉ですね。蛍自身が燃え尽きてしまうほどの火だったら、きっと想像できないほど高い温度だろうと思っていましたが、実際蛍火は「冷光」なのですね。大変参考になりました。  本当にありがとうございました。

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