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オート三輪

三丁目の夕日を見てるとオート三輪が出ておりました。 母親がこんなバランスの悪いぶつかればすぐに死ぬような乗り物はなくなって当然 と申しております。 確かに力学的に考えてもこけるのは丸分かりですが・・・・ オート三輪は当時は安かったんでしょうか? 軽トラと言う選択肢もあったような気がしますが・・・・ 見る限り軽自動車より小さそうですが安全性はどうだったんでしょうか? セルシオと衝突したらオート三輪側は即死しそうですが・・・・

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  • ベストアンサー
  • nekoppe
  • ベストアンサー率26% (380/1450)
回答No.9

三丁目の夕日は見ていないのですが、軽3輪のミゼットとすれば自動車というより3輪のバイクという物でエンジンも2サイクル単気筒でした。 >オート三輪は当時は安かったんでしょうか マツダの軽3輪(T360)が23万円で4サイクル2気筒、前面合わせガラスでしたから、安かったですね。4輪に比べ、操舵系が単純で車体捩れ対策も不要、という事で低価格が実現できていたと思います。 >軽トラと言う選択肢もあったような気がしますが ミゼットやT360が軽3輪トラックですが、軽トラの意味なら、軽トラが本格的に登場するのはもう少し後になります。 >見る限り軽自動車より小さそうですが安全性はどうだったんでしょうか? 3輪のバイクなのですから、操縦性も安定性も悪く、ブレーキも各段に劣り、衝突安全は無いも同然でした。 >セルシオと衝突したらオート三輪側は即死しそうですが 大きな車と衝突すればバイクよりは安全(シートベルトは無かった)という程度でした。今の車でもシートベルトを付けなければ安全は確保されません。

kishikaisei
質問者

お礼

ありがとうございます なるほどバイクの派生車種みたいなもんですね、ビクスクで普通に400CCがあるので 今となっては小さいですが。 シートベルトがないとは・・・単車もヘルメットが要らなかったですが・・

その他の回答 (14)

noname#60563
noname#60563
回答No.4

マツダのT2000は何度か乗ったことがあります、お客さんに仕事に使っている方が居ましたから・・・ でも、あの車も屋根の部分は幌に成っています、右ハンドルで右チェンジ3プラスバックですが、当然ハンドルチェンジ最初は少しばかりとまどいました。 慣れると一緒でした、また運転席は最近の軽トラなどよりも遙かに狭いです、でもバイパス的な道路でも普通に走れましたよ、カーブと交差点が怖かったですけど(すぐに転ぶと思い) もう二度と乗れないと思うと(整備関係から離れました)少し寂しいです。 私の子供の頃は色々と有りましたが・・・ もし興味が有れば全国に何カ所か自動車博物館が有るので展示しているところも有ると思います。 http://www.facm.net/

kishikaisei
質問者

お礼

ありがとうございます 右チェンジ3プラスバックと言うのは単車みたいなもんでしょうか? 軽トラよりせまい2トン車ってのは凄いですね・・・・・ 光岡自動車辺りが復刻で作ったりしないですかね? 一台1500万くらいしそうですが。

  • hiroki0527
  • ベストアンサー率22% (1101/4910)
回答No.3

安全性は今と違ってますから。 その前に道が悪すぎて速度出そうなら車壊れます。 東京=甲府=松本間(現R20)を雨期に走ったらいつ着くか不明だった時代です。 確実に自動車よりは安かったのでバイクから乗り換えた人が多かったそうです。 ドアがないのは「ミゼット」の初期車ですね。他にも合ったようです。 オート三輪車関係はGPセンター等から本が何冊か出ていますので図書館等で探してみてください。 なお、トラックとしての「マツダT2000」は日本国内に何台か現役で走っているのが居るそうです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E4%B8%89%E8%BC%AA

kishikaisei
質問者

お礼

ありがとうございます ほうほう、そんなに悪かったんですね・・・・ だから笹子トンネル開通が凄かったわけですね。 走破出来るとなるとジムニーくらいかな? ミゼットはミゼット2のイメージ有ったので4輪車と思ってました。 T2000は廃品回収業者が小学生の頃使ってたのを見た事があります。 最近は日野のデュトロの変わったみたいです・・・ 諸元表を比べたら2トンのロングボディーとあんまりかわらないみたいですね・・・

回答No.2

こんばんは 確かにオート3輪はバランスが悪くて速い速度で曲がろうとするとコケる事故が度々あったそうです。 それでは、なぜオート3輪かといいますと… 日本は戦争に負けてしまい、GHQ(占領軍)から一時期 「工業製品(自動車 等含む)を製造してはイカン!」 という命令を受けていたんですね。 でも、そこは日本人。良く考えました。 「自動車は4輪車のことを指すのだろう?だから3輪にすれば問題ないじゃないか!?」 ということで製造が始まったのがオート3輪でした。 占領軍から命令が解除されても、安価で小回りの利く3輪車は配達などの仕事に便利でした。 ですから、小さな商店などがよく使っていた様ですね。 でも、事故も起こりやすいのでどうしても4輪車にシフトしていきました。 また、近年軽自動車でも「三丁目の夕日」で登場する様な大きさの車がありましたが、これも事故の時に乗員が安全でない。ということで、一時期軽自動車メーカーが安全な軽自動車を設計するのに頭を抱えたということも記憶に新しいところです。 (最近の軽自動車は普通乗用車みたいな車体ですね。頑丈です。)

kishikaisei
質問者

お礼

ありがとうございます そうですか~ 第三の麦酒みたいな感じですね。 という事は最後発のホンダから起算しても日本の自動車技術は40数年で世界トップレベル まで上り詰めたってことですね。 あれくらいの大きさって最近ではマツダのポーターキャブみたいな感じですかね・・・・ 保安基準が欧米並み?の軽自動車ってのも結構すごいもんですね・・・

  • TinyPine
  • ベストアンサー率30% (719/2386)
回答No.1

あの時代は軽トラは未だ出ていません。バランスは悪く、良く転がった様な。当然、あの頃は今みたいな安全性は追及されていません。未だ自動車技術の初期の頃の産物で、ドアの無い三輪車もありました。ハンドルもオートバイと同じ物。子供だったのでアクセルはどうなっていたか知りませんが、ひょっとするとアクセルもオートバイと同じだったのかも。

kishikaisei
質問者

お礼

ありがとうございます そうなんですか~やはりスバル360の登場を待たないといけなかったのでしょうか? 安全性はそうなんですか・・・・ ドアの無い・・・って消防自動車じぷたみたいですね。 オートバイとは同じって・・・・・変り種自転車みたいな・・・

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