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江戸の銭湯と武士
江戸の町は火事が多いので内風呂は禁止され、日本橋の大店のお内儀さんや娘さんも銭湯に通ったというのは本当でしょうか。それと、武士も町人と同じ銭湯へ通ったのですか。
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銭湯の絵などは、比較的多く残っているようです。 まず、湯殿と、脱衣所の間に仕切りがあり、入り口が、ごく、小さく作られています。 お湯をたっぷり使うというより、蒸気で、蒸して、汚れを浮き立たせてから、最小限のお湯で、洗い流すという、方式だったのでは、ないでしょうか。 湯女、垢かき女もいたようですね。 女性は、明るいうちに、銭湯へ、行ってお侍さんとかち合わないように、という不文律もあったようです。 お侍さんのうちには、男湯へ、かよう人もゼロでは、ないと、思いますが、まげが町人と、違うので、無用な、トラブルは、避けられると思います。 家が密集しているところでは、内風呂は、ダメだったかもしれませんね。 武士のお内儀と、町人の娘さんが、ひとつのお風呂に入ることも、当然あったでしょうね。 男女とも、洗髪は、自宅でしていたのでは、ないでしょうか。 鬢付け油が、ありますから。 夏だったら、自宅で、行水でも、OKですね。
- nidonen
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> 武士も町人と同じ銭湯へ通ったのですか ここについて説明します。江戸時代の銭湯には刀を掛けておく 台がありましたが、これはなんと女風呂のほうにありました。 実は、武士は女風呂に入っていたのです。 とは言っても別に混浴していたのではなく、町人が入る前の いわゆる一番風呂のときに、武士が利用していたんですね。 もっとも江戸時代は混浴にはおおらかだったので、武士のほ うは好きな時間に入っても構わなかったのでしょう。 いずれにせよ、血気盛んな男たちの脱衣所に刀を置いておく わけにはいかなかったので、女風呂を利用したというわけです。
お礼
これはまた、新しい発見です。女風呂に刀掛けですか。これは智恵ですね。nidonenさんがおっしゃるように、私が読んだ本にも江戸時代は混浴が多くて、幕府が取り締まりの条例を出してもあまり守られなかったと書いてありました。 すると武士は、なるべく混浴で無い湯屋の女湯に入りに行って、女性の方も相手が武士ならば安心して一緒に入ったということなのでしょうかね。ま、混浴を今ほど意識しなかったということが根底にあるんでしょうね。 勉強になりました。ありがとうございました。
- chie65536
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基本的に、内風呂が許されていたのは、大名屋敷などの一部のみです。 江戸末期になると、大店など限られた商家にのみ内風呂が許されます。 とある文献には「慶長5年には、銭湯にて武士の喧嘩事件あり、武士の銭湯通いが禁じられた。」との記載もあり、禁じられる前には武士も銭湯に行っていました。 なお、武士の銭湯通いが禁じられてからは、仕官先の大名屋敷の風呂を使わせてもらうのが通例だったようです。 なお、裕福な身分の高い武士の間で、湯屋や温泉を貸し切るのが流行った、との記録もあります。
お礼
そうですか、江戸末期には大店には内風呂が許されたのですね。それと武士は大名屋敷の風呂に入れてもらっていたというのは知りませんでした(知らないから質問したのですけど・・・)。 私は、例えば越後屋のような江戸で屈指の大店の主やお内儀さんや娘さんが、一般の町人と同じ銭湯に入ったのかどうかというのが疑問だったのです。それと、武士が町人と同じ銭湯に入ったのだろうかというのも疑問でした。お陰さまでよく分かりました。 また、江戸時代のことで質問をすると思います。教えてください。 ありがとうございました。
お礼
なるほど、そうですか。銭湯の女湯に武士が入るとなると、女性は明るい内に行って侍と会わないようにする・・・これも智恵ですね。 湯殿と脱衣所の仕切りを柘榴口と言ったというのは何かで読みました。それと、odachanさんがおっしゃるように、江戸の宝永頃からは湯船に湯を張って入ったそうですが、それまでは蒸し風呂だったそうですね。 男は湯褌、女は湯巻を着けて入ったとか。裸で入るようになって、風紀が乱れたとも書いてありました。私の質問の本筋からはかなり外れますけど(笑)。いろいろ参考になりました。ありがとうございました。