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自分の担当する科目を究めさせようと精神論をいう先生

自分の担当する科目を究めさせようとその科目を勉強することの使命感を持たせるような精神論を言う教師・講師の先生っていませんでしたか?たとえば、「しっかり英語を勉強しておかないと高校(あるいは大学)に入ってからも社会に出てからも通用しない。」とか「数学は思考力・センスが大事だ。考えて考え抜け。答えは見るな。」などです。とくに思考力・理解を強調する先生は「考える力をつけないと試験に受からない、大学に入っても通用しない(資格試験の場合なら資格取得しても実務で通用しない)」という先生が多かった気がします。確かにそれは事実の面もあるとは思いますが、その科目を学問的に究める進路を志望している人を除けば、その科目を勉強するのは試験対策のためだけと割り切るならそこまでのものを要求しなくても・・・と最近ふと思いました。 先日、本屋で資格予備校の公認会計士講座の先生の著書を読んだのですが、たかが公認会計士の受験勉強の段階で、その試験科目を本質的に理解しようとするのは、間違っている。と理解重視を強調している他予備校の指導方針を批判し、試験対策のためならある程度は力ずくの暗記でも乗り切れればそれでも良いというようなことを書いてました。「本当の本質的理解」などというものは合格後に実務について、実務や研修や専門書を読んだりなど様々な自己研鑽によって長年かけてつけるものだと書いていました。その科目を受験レベルの勉強で理解したなどというのは10年早い。だから試験対策と割り切ってどんな手段でもいいから受かれば勝ちだ。というような内容を書いてました。この著書の内容に共感するところがありました。もちろんやる気を起こさせる意味でいっている部分もあるとは思うのですが、その科目を受験レベルで究めさせようとする先生の言っていることというのは間違っているのではないかな?と思うのですが・・・

みんなの回答

  • rad8520
  • ベストアンサー率0% (0/7)
回答No.4

私はその著者の意見に賛成ですね 本質的な理解の境地に達するには、資格をとってからの実務が一番重要だと思います。 例に挙げてある公認会計士なら資格をとってから公認会計士の世界に入り、やっと真の理解に一歩近づけるんだと私は考えています。 英検・漢検等は別物ですが社会に出て役に立つような資格を将来取る事になれば 『その世界に入る切符』 と割り切って、資格を取る事に専念しようと考えています。 高校生ですがやっぱり先生の中でも 『自分の教える科目を究めさせよう』 としている先生がいますが困っています。 目先の事ばかり、と思われる方もいると思いますがまずは 『合格』が大事ですよね

rosso1234
質問者

お礼

ありがとうございます。 高校の数学教師から思考力・センスを強調されても、じゃあどうすれば思考力・センスがつくのかといえば、それは考えて考え抜くことだ。 と言われ、途方もなく気が遠くなりそうな気にさせられました。 苦手な人間からすれば、そういう高いところ見たような発言はぜんぜん解決策にならないと感じました。 高校時代わたしは和田秀樹氏の本を読んで、数学は暗記という主張(といっても丸暗記ではなく、数多くの解法パターンを理解して自分のものにする)に共感しました。センスや考え抜くことのドロ沼から救われた気分になれました。 わたしは苦手だった数学や物理をいわゆる「暗記数学」で乗り切りました。 大学では経営工学を学びましたが、暗記で乗り切ったけどあくまで道具として使うにすぎない数学や物理でついていけないことは全くありませんでした。専門ではないからというのもあるかもしれませんが。 もちろん考えて考え抜くことは大事です。 でも、英語や数学でも大学受験レベルでの程度の勉強なんて大学や大学院でのもっと奥深い専門的な学問、あるいは社会に出てからの実務、研究者としての研究レベルとして英語や数学などを学ぶことに比べたら大学受験レベルの高校課程のカリキュラム程度ではちょっと得意だろうが苦手だろうがさほど問題じゃないのではと思いました。もちろん自己研鑽を絶やさないというのが前提ですがね。

回答No.3

前半と後半とで少し論点がずれている気がしましたが・・ あと、前半で挙げておられる先生の発言は「その科目を受験レベルで究めさせようとしている」とは感じないのですが・・ 暗記も考えることも、どちらも必要です。 場面によってどちらがどの程度必要かが変わってくるだけです。 暗記だけでいいというのも、考える力さえあれば大丈夫というのも、 どちらも極論です。 本質的理解、といっても色んなレベルがあるかと思います。 深ーーい意味での「本当の本質的理解」は、確かに経験や実務によって身に付くものかもしれませんが、 少なくとも、勉強してわかる程度の「本質的理解」は勉強すべきでしょう。 資格試験の勉強について言えば、 暗記で何とかなる部分も多いですが、 その制度なり仕組なりの背景となっている考え方を理解すれば、 暗記しなければならない量がグッと減ります。 考え方さえわかっていれば覚える必要がない、という事項はとても多いです。 以上ですので、 ・学校の先生はそういう意味で言っているのではないと思う ・学校の先生の言っていることも、資格予備校の先生の言っていることも、どちらも間違ってはいないし、全面的に正しくもない と思います。

  • Forseti
  • ベストアンサー率19% (84/431)
回答No.2

資格と勉強は別物ですよ。 資格はつまるところゴールへたどり着くための手段。 公認会計士の資格を取って他の仕事につくのは無意味な行為でしょう。 しかしながら、英語・数学を学ぶ行為は全くの別物。知識や思考や視野の裾野を広げるためのもの。 つまり、スタート地点へ立つための準備ですよ。 公認会計士の話も少しおかしいですけどね。 その人の論を用いれば、試験をする必要はない。やる気のあるものが実務や研修や専門書で自己研鑽するだけでいい。 暗記だけでよいという考え方があるから、阿呆な教師、阿呆な弁護士、阿呆な医者がいる。 特に中学高校の教師ならば、学力は大学に入れる程度で十分。 教員免許の単位を取ることにのみに頭を使っていた人間がまともな教師になれますか? いまおこっている諸問題を解決する力が潜在的にもあると思いますか? この人は「練習のための練習」をしろと言っているのです。自主トレだけでプロになっても良いといっているのです。 まあ公認会計士程度ならそれでいいのかもしれませんが。 何も考えずに道を決めることができる。さぞ将来を見据えられない人間や道に迷う人間には魅力的に映るのでしょうな。 教科ごとの大切さを説くことが、究めさせようと思っているとは思いませんが、 先に言ったように、裾野を広げる最中では、点数よりもその過程での重要性を強調することは当然のことです。 あなたが書いているセリフは、数学や英語を究めるためのものではないでしょうに。 むしろそれ以外のもののためのセリフにしか聞こえませんがね。 英語が出来ないと社会で通用しない、なんて英文科にすすむ人に向けたセリフですか? 世界が極端に小さくなった今、世界で通じる言葉をいらないと思う人間の方が異常でしょうな。 答えを見ずに考え抜くことは、この先明確な答えのない世界で生きるための最低限の力だと思いませんか? 大学は基本的に研究(つまり答えが今だないもの)だし、社会とは傾向はあっても回答はない世界ですよ。 そもそもその人たちは数学や英語で100点を取れと入っていないと思いますが、いかが? 英数国理社、それぞれの学問を専攻する以外の道にすすむ圧倒的多数の人は高校まで何を勉強するのですか? そもそも人の成長が、何もせずに勝手に得られるものだと思っているのですか? もう少しというか、あとだいぶ国語や数学の勉強をしたほうがいいですね。 人が言っている意味を理解したり、理論を構築したり、未来を創造したりする力は、暗記ではつきません。 もし暗記だけでつくと思っているならば、辞書や参考書を片手に生活してみればいいでしょう。

回答No.1

私は、どちらも正しいと思います。ただ、どの段階、レベルの話しかが違うだけだと思います。 私は、受験レベルであっても、そのレベルで理解しなければ、応用がきかないと考えます。同じパターンの問題しか解けないと考えます。そういった意味で理解が必要でしょう。その点では、精神論ではありません。 勿論暗記が必要なことは言うまでもありません。しかし理解しなくてよいと考えるのは勘違いだと思います。 その先生が言っていることは、暗記だけではなくその背後にあることを理解しなければ、応用力が培われないぞという意味だとしか思えません。その先生は受験レベルで究めるという言葉を使ったのですか?それともあなたの考えた言葉?何かを勘違いしていませんか?