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ゆとり教育廃止のメリット

今週末に「ゆとり教育は廃止するべきである」の否定側としてディベートで戦うことになった中2の者です。敵の方が攻め方を多彩に出来る立場だと思うので、相手がどの様な立論を立ててくるか、またそれに対し僕たちはどう対抗したらよいかを何かアドバイス頂けたら嬉しいです。何分ディベート初挑戦ということで、メンバー一同困っています。よろしくお願いします!(力になりそうなURLもあればゼヒ…)  

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.6

No.1です。さすがに専門家の方の回答は参考になります。特にNo.4さんのご回答は、非常に説得力がありますよね。実は私もNo.1の後、No.4さんのようなコメントを付け足したいなぁと思っていたのですが、No.4さんのご回答の前でなくて良かったと痛感しました。私のコメントは、No.4さんの足元にも及びませんから。このような私ですので、以下は軽く聞き流して下さい。 ●「ゆとり教育」の定義 みなさんのご回答を拝見していると、「ゆとり教育」という用語に対する捉え方が明確ではないようですね。こういったことは実生活でも結構起こりがちで、議論がどうもかみ合わないと思ったら、同じ用語を使っているのにそれぞれが違う意味で捉えていたということがあります。ディベートでも最初に用語の定義をきちんとしておいた方が良いと思います。No.4さんが引用された「中央教育審議会の言葉」をそのまま紹介させてもらったら、どうでしょう。なお間違っても「先生にゆとりがない」からあれは「ゆとり教育」じゃなかったなんて言わないこと。satisfyさん達がゆとりを感じるなら「ゆとり教育」です。 ●「ゆとり教育」の意義 日本は明治から昭和までの間、世界に冠たる国になろうと頑張ってきました。世界の先頭集団(欧米諸国)に追い付き追い越せと一生懸命走りました。そのため教育に大変力を入れ、国民全体の教育水準は世界トップクラスになりました。この恩恵を最も受けたのが産業界です。他の国にはなかなか出来ないような高性能・高品質・低価格の素晴らしい製品が次々と生み出すようになりました。その結果、平成になる頃には日本は世界のナンバー1だとさえ言われました。ところが、先頭に立ってみるとこれまで目標にしてきた欧米諸国が視界から消えてしまい(先頭だから当たり前)、どこに行くかを自分が自ら決めなければならない状況になりました。これまで日本を支えてきたのは、先頭を走っている人の背中だけを見て一生懸命走るのを得意とした人々が多かったので、「これから、どうしたらいいの?」と悩むことが多くなりました。 そこで人の後を追うのでなく、自分の頭で考え実行するのが得意な人を育てようということになりました。ちょうど都合がいいことに「受験戦争」や「落ちこぼれ」が悪者になっています。生徒に「ゆとり」を持たるために「詰め込み教育」を止め、自分で考えるくせを付けさせれば、一石二鳥どころか三鳥にも四鳥にもなる! これが私の考える「ゆとり教育」です。あくまで専門家でない、ド素人の私が考えたことですので、あまり信じ込まないでね。 ●「ゆとり教育」の改善 ゆとり教育の考え方はすごく良いような気がするのに、問題にされるのは何故? 一番の問題は、No.4さんも指摘しておられるようにゆとり教育でもたらされるはずだった「創造性」「解決能力」等が目に見える形で上がってこなかったからだと思います。しかも学力が低下したものだから、「何のためのゆとり教育」という批判が出て当然です。では創造性って、どうやったら身に付くのでしょうか。私が真っ先に思い浮かぶのは、米村でんじろう先生です。ロボコンなんかも力が付きそうですよね。この役割を先生だけにおわせるのは酷で、それぞれ地域の「でんじろう先生」が活躍できる仕組み作りが必要です。 http://www.denjiro.co.jp/index.html 創造性をやしなう方法はそれこそ工夫次第で色々あると思いますが、以下の【創造技法】は手法として確立しているものです。これが載っていたURLを示しますが、satisfyさん達は説明文をじっくり読む必要はありません(ブレインストーミングは知っていたかな?)。気が向いたら後で読んで下さい。それよりも問題にして欲しいのは、創造性教育にはこういった技法の知識は欠かせないはずですが、全ての先生方が良くご存知というわけではないことです(私の想像です!!)。No.4さんのご指摘にある「学校の先生を再訓練する」とは、創造性教育を始めとするゆとり教育に必要な技法を、先生方が身に付ける機会がなかったということだと思います。 ・【創造技法】 発散技法「(1)ブレインストーミング」「(6)NM法」、収束技法「(2)クロス法」、態度技法「(3)クリエイティブ・ドラマティックス」 http://css.jaist.ac.jp/jcs/gihou.html ゆとり教育のもう一つの問題は、No.1で取り上げた全員が等しく学力に陥ってしまったことだと思います。落ちこぼれは困りますが、国民全体の教育水準が下がれば、優秀な日本製品を生み出せなくなってしまいます(もちろん、製品以外の分野も同じです)。さらに日本が素晴らしい国であり続けるためには、厳しい国際競争に立ち向かっていく人々の存在も欠かせません。 ●ディベートについて No.1で触れたように、私はディベート未経験です。そのため説得力は限りなくゼロに近いのですが、大胆にもアドバイスします。 ・自分達の主張に自信を持ち、元気良く討論しよう。 ・主張・反論は、常に論理的に。← ミスター・スポックって知っている? ・反論できずにウダウダと言い訳(お役人の答弁)するくらいなら、そこはさっさとゆずり、自分達の得意な方へ持ち込もう。 ・初めてのときは誰だってうまく行くわけがない。どうせ散るなら華々しく! 「論理的」について補足します。(A)~(C)を見て下さい。論理的正しいのはどれですか? (A)ですよね。(B)は「春に咲く花」が大きな集合で「桜」がそれに含まれる集合ということを理解していれば、間違いだと気付きますが、対象が複雑になると(A)の関係になっていると勘違いしてしまうことがあります。(C)は文学的な表現です。エッセーとかに使う分には間違っていませんが、論理的にはあいまいさが含まれる表現です。ありがちなのは自分の頭の中で(C)という結論が疑いようもなくできてしまい、あいまいさに気が付かないパターンです。このような思い込みは、(B)を口走る原因にもなります。 (A) 「桜」は「春に咲く花」です。 (B) 「春に咲く花」は「桜」です。 (C) 「春と言えば」「桜」です。 ●参考資料 これはそのものズバリかも。きっと役立つよ! ただこれを読むと私のコメントと全然違うので、嘘つき呼ばわりされる予感がします。とにかく、頑張って! 【講演「学力低下を考える−学力問題の所在」】表示されるまで時間が掛かるかも http://www.japet.or.jp/handlers/getfile.cfm/4,168,96,72,pdf

その他の回答 (7)

回答No.8

もうおわったのですあ?そもそも 情報が少ない中学生に国会のことをディベートで戦わせようなんて暴論もいいところですね 担当教員及びそのほかは何を考えているのでしょうか?

  • NAKO-P
  • ベストアンサー率73% (14/19)
回答No.7

 他の方のコメントにあるように「ゆとり教育」の定義があいまいに聞こえるのですが、授業中には何か指示はありませんでしたか?  例えば「プランに『土曜日も登校する』とか『総合の授業は廃止する』などを入れなさい」といった具体的な指示があったのなら教えて下さい。  おっしゃるように、肯定側は多彩な攻めを形作れる点では有利ですが、肯定側の言う通りにプランをしても「今とそんなに変わりない」=「それは“ゆとり教育の廃止とは言えない”」という反論が通る場合は、否定側の勝ちになります。  ですから、多彩な攻めが想定されても、相手の話をよく聞いて理解することが、ことディベートでは大切です。  質疑などで「具体的に何が変わるのか?」「それで現在の問題は解決するのか?」といった点を明らかにしてみるといいと思います。  先生などから、ゆとり教育について具体的な指示があって、それを教えて戴ければ、それに応じて夜にでも改めてアドバイスしますが、もしかしたらこれが参考になるのかなと『学校完全週5日制の廃止』のディベートに関する資料を紹介しておきます。参考になれば幸いです。  では一旦失礼します。

参考URL:
http://www.edu.shadow.ne.jp/jugyo/miyagino/link3.cgi?catno=1
回答No.5

参考として答えさせてください。 ゆとり教育の定義自体が曖昧ですが、その中に週休2日制や総合的学習の時間が含まれるとしたら、そんなゆとり教育は諸悪の根元と思います。 私は「ゆとり教育」の否定者と言えるでしょう。 自分は高校教師ですので、本来なら週休2日制を指示するはずなのですが、そうは思いません。その理由は (1) 1日の休みならよいのですが、間に2日あることによって、学力が定着しない (2) クラブ活動等によって、真の「ゆとり」とならない (3) 週休が2日になることへの保護者の対応がとれない。したがって、家庭でのコミュニケーションにとって必ずしもプラスにならない (4) 週休2日の過ごし方によって、経済格差に比例し学力差等が高まっている(習い事・塾通い) (5) 生活のリズムが狂い、不登校が増加している。月曜の朝が憂鬱だと考える生徒が増えている。精神的不安定を増長させる要素があるのでは? 週休2日は、基本的には家庭で扱う諸問題を増やしたと思います。それだけ家庭・保護者が覚悟を決めて臨まなければならなかった「ゆとり教育」なのに、「余暇が増えるのは良いこと」と「時間的なプラス」として単純にしか受け止めなかったことが、現状のゆがみを招いたと言うべきです。 「総合的学習の時間」について言うなら、「必須で学ばなくてはならない学習内容」すら示さずに自由な教育を現場に求めたが、実態は無責任さ、曖昧さを許しただけである。何をしたっていいのだから。 「ゆとり教育」を安直に導入し、児童・生徒の利益を本当に考えずに指導義務を放棄をした文部科学省の責任は非常に重い。無責任社会の潮流を決定づけ、日本を沈没に向かわせた文部科学省の役人は「万死に値する」と私は思っている。 さて、こういった意見にあなたはどう対抗しますか?よくお考えになってよいディベートになさってください。

回答No.4

間に合うかどうかはわかりませんが…。 「ゆとり教育」という言葉自体があいまいな言葉です。しかし、知識を偏重し過ぎた詰め込み教育による「落ちこぼれ」などの問題に対し、自分で興味を持ったものを突き詰める「ゆとり」を生徒に持ってもらい、学び方を会得してもらおうという方向性を持っていたことを見失ってはならないと思います。  中央教育審議会の言葉を引用すると 「我々はこれからの子供たちに必要となるのは、いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力であり、また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性であると考えた。たくましく生きるための健康や体力が不可欠であることは言うまでもない。我々は、こうした資質や能力を、変化の激しいこれからの社会を[生きる力]と称することとし、これらをバランスよくはぐくんでいくことが重要であると考えた。」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B%E5%8A%9B ということなのです。  しかし、そのためには、学校図書館などの自習支援施設も必要です。また、詰め込むのではなく伸ばすというのは求められる教育技法が全然違うにも関わらずその方面で学校の先生を再訓練することもあまり行われませんでした。  ディベートでは、お題目は正しかったのですが、予算も人もつかなかったのでうまくいかなかったと言う側面を強調されてはいかかでしょうか。 例としては、調べ学習をするためには調べものをすることができるだけの蔵書を持つ学校図書館が必要です。しかし、文部科学省の調査でも学校図書館図書標準の達成学校数の割合(平成15年3月31日現在) 小学校 ……… 34.8%(平成13年度末33.7%) 中学校 ……… 29.0%(平成13年度末26.5%) を挙げるだけで十分かと思います。 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/16/02/04022501.htm

  • yosimako
  • ベストアンサー率19% (81/416)
回答No.3

「ゆとりがある」とはどういった場合に言うのでしょうか? 毎月の出費よりも収入がかなり上回ると「家計にゆとりがある」と言いますね。教育では?・・・履修する内容にあてられた時間が多くなると「ゆとりが生まれる」ということです。 さて、毎土曜日にも授業が行われていた頃より、今は、学校へ行く日数が年間30~40日程度も減りました。そして、教科書の内容も同時に減りました。教科に割り当てられる時間数が大きく減り、内容も減ったとなると、果たしてゆとりは生まれたのか? という疑問が湧きます。 同じ内容なのに、時間数が増えれば、ゆとりは生まれます。(2時間で理解すべきところを3時間かける)また、内容が減っても、時間数が変わらなければ、ゆとりは生まれます。(2時間で10の内容を理解していたところを7まで理解すればよいとする)ところが、前回の「ゆとり教育」と称するものは、大きく時間数が減って、内容も大きく減ったのですから、さほどのゆとりは生まれません。(3時間で10理解していたところを2時間で7理解することにする) 土曜が休みでゆとり教育・・なんて意味がありません。単に土曜が休みになっただけです。学校教育活動において、ゆとりは生まれていません。先に述べたような真のゆとり教育を実行することが、必要だと思います。ゆとりを生じていないのに「ゆとり教育」と言っていることが問題です。  

satisfy
質問者

お礼

専門家の方からご意見いただけるなんて本当に助かります。参考にします!!

  • aburakuni
  • ベストアンサー率30% (470/1562)
回答No.2

学校教育の場で、学校教育自体を俎上に挙げるとは・・・、要は貴方が官僚側に立つ訳ですね。 当然向こう側は今の様々な問題(学力低下・いじめ・塾通い)が制度によって起きるとの主張でしょうから、それが証明されていないという主張をまず考えるべきでしょう。 制度が原因でなければ教師か生徒に問題が在る訳で、その場合「生徒側はインターネット普及など、教育で人格を熟成する前に情報過多状態にあ陥る。」「教師はそういった問題に対応する時間も能力も与えられない。」と言った事になるでしょうか。 あとは皆さんが実感している事を、どうやって相手側の主張ではなく、自分側の論理の裏付けにしていくかを考える事ですね。

satisfy
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます。考えれば考えるほど、深くなっていきますね…

回答No.1

> 「ゆとり教育は廃止するべきである」の否定側 つらい立場ですね。「ゆとり教育」の最大の誤りは、弾力的な運用を認めなかったことだと思います。スポーツにたとえれば、以前の詰め込み教育が「全員100m泳げるようにすること」としていたら、落ちこぼれる人が多かったので「全員10m泳げるようにすること」と余裕を持たせました。これで確かに余裕はできましたが、今度は本来100m泳げたはずの人まで頑張らなくなってしまい、全体的なレベルが下がっちゃったんじゃないかと大騒ぎが始まったわけです。このとき、どうすれば、10mしか泳げない人は落ちこぼれず、100m泳げる人にはチャレンジ精神を持たせられたかが、「ゆとり教育」を成功させる鍵(*)だったのだと思いますが、どうでしょうか。 私はディベートをした経験がないので、偉そうなことは言えませんが、インターネット・本で情報を集めるのは凄く大切だけど、そこに書いてあるのをそのまましゃべっても駄目だと思います(そんなこと言われなくても分かっているよ!かな?)。一番説得力があるのはデータ的裏付けがあるときですが、そのときも、著者がそのデータから導いた結論をしゃべるのではなく、自分達がデータを見て一生懸命考え導き出した結論を言えば、すごく迫力があると思いますよ。つまり、他人の考えや言葉ではなく、自分達の考えたことを自分達の言葉で話す。ディベートの相手が「他人の考えや言葉」に頼っていたら、世の中一般から見て「えっ」と思うような立場(今回のsatisfyさん達の立場)でも、きっと勝機はあると思います。是非、頑張って下さい!! 私がこの問題で非常に参考になった立花隆氏の主張(全部を読むには無料登録が必要のはず) http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/061101_yutori/ (*) これは能力別クラス編成といった技術的なやり方(だけ)では解決しないと思います。一番大切なのは、努力したのに10mしか泳げない人も簡単に100m泳げちゃった人もお互いを尊重し合う気持ちを持つことだと私は思っています。だいたい、私が何故スポートを例にしたと思います? 数学とかを例にして、「正負の計算までなら分かる人」と「連立方程式が解ける人」に分けるだけで、凄く嫌味な感じがしない? ここらあたりが考えどころかな??? 多様な価値観をそれぞれの立場の人が認め合わないと、この先、日本はかなり大変なことになってしまうような予感があります。 PS. ちょっと政治的なことが絡んでくるので、あまりお勧めではないのですが、共産党や社会民主党は「ゆとり教育」に賛成の立場と思います。 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-10-31/2006103101_01_0.html http://www.rights.or.jp/youth-vote/sangiin2004/option_situmon5.html

satisfy
質問者

お礼

ディベートに対する心構えまで示していただき、本当に感謝です!!参考にします。

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