No.1です。さすがに専門家の方の回答は参考になります。特にNo.4さんのご回答は、非常に説得力がありますよね。実は私もNo.1の後、No.4さんのようなコメントを付け足したいなぁと思っていたのですが、No.4さんのご回答の前でなくて良かったと痛感しました。私のコメントは、No.4さんの足元にも及びませんから。このような私ですので、以下は軽く聞き流して下さい。
●「ゆとり教育」の定義
みなさんのご回答を拝見していると、「ゆとり教育」という用語に対する捉え方が明確ではないようですね。こういったことは実生活でも結構起こりがちで、議論がどうもかみ合わないと思ったら、同じ用語を使っているのにそれぞれが違う意味で捉えていたということがあります。ディベートでも最初に用語の定義をきちんとしておいた方が良いと思います。No.4さんが引用された「中央教育審議会の言葉」をそのまま紹介させてもらったら、どうでしょう。なお間違っても「先生にゆとりがない」からあれは「ゆとり教育」じゃなかったなんて言わないこと。satisfyさん達がゆとりを感じるなら「ゆとり教育」です。
●「ゆとり教育」の意義
日本は明治から昭和までの間、世界に冠たる国になろうと頑張ってきました。世界の先頭集団(欧米諸国)に追い付き追い越せと一生懸命走りました。そのため教育に大変力を入れ、国民全体の教育水準は世界トップクラスになりました。この恩恵を最も受けたのが産業界です。他の国にはなかなか出来ないような高性能・高品質・低価格の素晴らしい製品が次々と生み出すようになりました。その結果、平成になる頃には日本は世界のナンバー1だとさえ言われました。ところが、先頭に立ってみるとこれまで目標にしてきた欧米諸国が視界から消えてしまい(先頭だから当たり前)、どこに行くかを自分が自ら決めなければならない状況になりました。これまで日本を支えてきたのは、先頭を走っている人の背中だけを見て一生懸命走るのを得意とした人々が多かったので、「これから、どうしたらいいの?」と悩むことが多くなりました。
そこで人の後を追うのでなく、自分の頭で考え実行するのが得意な人を育てようということになりました。ちょうど都合がいいことに「受験戦争」や「落ちこぼれ」が悪者になっています。生徒に「ゆとり」を持たるために「詰め込み教育」を止め、自分で考えるくせを付けさせれば、一石二鳥どころか三鳥にも四鳥にもなる!
これが私の考える「ゆとり教育」です。あくまで専門家でない、ド素人の私が考えたことですので、あまり信じ込まないでね。
●「ゆとり教育」の改善
ゆとり教育の考え方はすごく良いような気がするのに、問題にされるのは何故?
一番の問題は、No.4さんも指摘しておられるようにゆとり教育でもたらされるはずだった「創造性」「解決能力」等が目に見える形で上がってこなかったからだと思います。しかも学力が低下したものだから、「何のためのゆとり教育」という批判が出て当然です。では創造性って、どうやったら身に付くのでしょうか。私が真っ先に思い浮かぶのは、米村でんじろう先生です。ロボコンなんかも力が付きそうですよね。この役割を先生だけにおわせるのは酷で、それぞれ地域の「でんじろう先生」が活躍できる仕組み作りが必要です。
http://www.denjiro.co.jp/index.html
創造性をやしなう方法はそれこそ工夫次第で色々あると思いますが、以下の【創造技法】は手法として確立しているものです。これが載っていたURLを示しますが、satisfyさん達は説明文をじっくり読む必要はありません(ブレインストーミングは知っていたかな?)。気が向いたら後で読んで下さい。それよりも問題にして欲しいのは、創造性教育にはこういった技法の知識は欠かせないはずですが、全ての先生方が良くご存知というわけではないことです(私の想像です!!)。No.4さんのご指摘にある「学校の先生を再訓練する」とは、創造性教育を始めとするゆとり教育に必要な技法を、先生方が身に付ける機会がなかったということだと思います。
・【創造技法】 発散技法「(1)ブレインストーミング」「(6)NM法」、収束技法「(2)クロス法」、態度技法「(3)クリエイティブ・ドラマティックス」
http://css.jaist.ac.jp/jcs/gihou.html
ゆとり教育のもう一つの問題は、No.1で取り上げた全員が等しく学力に陥ってしまったことだと思います。落ちこぼれは困りますが、国民全体の教育水準が下がれば、優秀な日本製品を生み出せなくなってしまいます(もちろん、製品以外の分野も同じです)。さらに日本が素晴らしい国であり続けるためには、厳しい国際競争に立ち向かっていく人々の存在も欠かせません。
●ディベートについて
No.1で触れたように、私はディベート未経験です。そのため説得力は限りなくゼロに近いのですが、大胆にもアドバイスします。
・自分達の主張に自信を持ち、元気良く討論しよう。
・主張・反論は、常に論理的に。← ミスター・スポックって知っている?
・反論できずにウダウダと言い訳(お役人の答弁)するくらいなら、そこはさっさとゆずり、自分達の得意な方へ持ち込もう。
・初めてのときは誰だってうまく行くわけがない。どうせ散るなら華々しく!
「論理的」について補足します。(A)~(C)を見て下さい。論理的正しいのはどれですか? (A)ですよね。(B)は「春に咲く花」が大きな集合で「桜」がそれに含まれる集合ということを理解していれば、間違いだと気付きますが、対象が複雑になると(A)の関係になっていると勘違いしてしまうことがあります。(C)は文学的な表現です。エッセーとかに使う分には間違っていませんが、論理的にはあいまいさが含まれる表現です。ありがちなのは自分の頭の中で(C)という結論が疑いようもなくできてしまい、あいまいさに気が付かないパターンです。このような思い込みは、(B)を口走る原因にもなります。
(A) 「桜」は「春に咲く花」です。
(B) 「春に咲く花」は「桜」です。
(C) 「春と言えば」「桜」です。
●参考資料
これはそのものズバリかも。きっと役立つよ! ただこれを読むと私のコメントと全然違うので、嘘つき呼ばわりされる予感がします。とにかく、頑張って!
【講演「学力低下を考える−学力問題の所在」】表示されるまで時間が掛かるかも
http://www.japet.or.jp/handlers/getfile.cfm/4,168,96,72,pdf
お礼
専門家の方からご意見いただけるなんて本当に助かります。参考にします!!