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日本に存在する「ブラボー屋」というものについて
クラシックのコンサートに行かなくなって、もう10年以上が過ぎました。 行かなくなった理由は、タイトルにある「ブラボー屋」の存在です。 クラシックのいいところの一つに、時に演奏者とお客が一体となれる事にあり、例えようの無い素晴らしいものとなります。 しかし、そのすべてを例外なく「ブラボー屋」が壊してしまいます。 まだ演奏の余韻が残ってるときから、時には演奏が終わってもいないときから、「ブラボー」とホール中心の前方付近から叫びまくります。 最後のハ短調からハ長調に変調して終わるような、和音重視のラストでもお構いなく叫び、すべてを壊してしまいます。 今では、どんなにいい演奏でもブラボー屋が壊すんだろうと考えると、聞き入る心も持てなくなり、コンサートにも行かなくなってます。 お金と時間に余裕ができたら、海外で「ブラボー」を演奏が終わってから言える人たちの国で演奏を聴くのが夢でもあります。 肝心な質問ですが、 (1)なぜ、日本には「ブラボー」と叫んで演奏の邪魔をする事がまかり通るのですか? (2)その「ブラボー屋」が音楽を堪能しているとは思えません。いったい誰が何の目的で雇ってるのですか? (3)この「ブラボー屋」の問題に関しては、よくその弊害を耳にするんですが、なぜ消えてくれないのですか? (4)「ブラボー屋」の排除はどこまで進んでるのですか? (5)「ブラボー屋」というのは裏の世界の方々で、用心棒みたいなもので簡単には関係を断ち切れないと聞いたことがあるのですが、本当ですか? 以上、お分かりになる部分でかまいませんので、教えていただければ幸いに存じます。
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外国にもいますよ。 ウィーンにもいたしロンドンにもパリにもいました。 ただ「終わるやいなや」と言うのは私の知る限り日本だけでしょうか。 いわゆる「ブラボー屋」は明らかに組織されていますね。 準正装で中には白い手袋をはめている人も見かけます。 歌舞伎は「成田屋ッ」「三千両ッ」とかける 「大向う」の人たちはいないと舞台が締まりませんね。 ぜひ10年ぶりにお出かけください。 もし見つけたら言ってやってください。 「ヨッ 待ってました ブラボー屋ァ」
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ブラボー屋というのは総会屋みたいなものかと思えてきました。株主総会を平穏無事に終わらせたかったら、いくらか包みなみたいに、包まなかったらブラボーと叫ぶぜと強請ってるような。まあ、まさかとは思うんですが。 でもブラボー屋というものが音楽愛好家から白い目を向けられていることは彼奴らも先刻承知でしょうから、自己顕示欲という解釈ももひとつ解せない。「バーか。。」と蔑みの目で見られるだけなので。そんな逆風のなかを叫ぶのは仕事だから、と考えるのがまだしも理解しやすい。 「演奏を台無しにされたくなかったら、次回は出しな」という脅迫のブラボー。推理小説の読みすぎかな。
お礼
これは質問の(5)の部分になりますが、実は、amuruさんのおっしゃるような噂を聞いたことがあります。 いわゆる「みかじめ料」です。 払わないと、妨害すると脅し、払ってもその存在を意識させる為に「あえて目立つように」叫ぶらしいのです。 これがホントだと、ありゃまですよ・・。 そうでない事を祈ります。 ご回答ありがとうございます。
- Ishiwara
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岩城宏之さんの著書にも「ブラボー屋」は困ったものだ、という記述がありました。私も、かつては「ブラボー屋に貴重な一日を台無しにされた」と長時間落ち込んだものでした。 しかし、いつまで落ち込んでいてもしょうがないので、彼らを無視するように心がけています。世の中にハタ迷惑な連中は、いくらでもいます。電車の中で抱き合っている男女なども不愉快の極みです。しかし「彼らは自分がどんなに恥をさらしているのか気付いていない」憐れむべき存在なのです。 自分の頭の中のスイッチを切り替えることによって、ひどく落ち込むことは少なくなりました。気のせいか、この「バカども」も少なくなってきているように思います。せいぜいナマの音楽会にお出かけください。もし、不幸にして、そんな連中がいたら、イヌにほえられたくらいの不幸だと思ってください。
お礼
以前私も、ある著名な指揮者が、日本の「ブラボー屋」について批判し、日本のクラシック音楽の発展まで憂いていらっしゃったのを、なんとなくと覚えてます。 そして、現実問題として、身に降りかかって来た時、その「ブラボー屋」の問題の大きさをしみじみと感じております。 しかし、回答者様のアドバイスは大変参考になります。 現実を受け入れ、「頭の中のスイッチを切り替えること」は大事な事だと思います。 また近いうちに、生のオーケストラなどを聴きに行く事にします。 ご回答ありがとうございます。
- pyonpyon123
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ご質問者さんの(1)~(5)のご質問に対しては 自分の知識が乏しいためお答えできませんが、 #1さんのご回答を拝見して、そういえばその回を見た記憶がうっすらと戻ってきました。 私の個人的意見ですが、「ブラボー屋」がサクラであっても、 たまたま個人が言ったにせよ、 コンサートを盛り上げてくれればよいのですが そうでない実例が多くありますね。 雇われていたという実情はわからないのですが、 組織でない人が「ブラボー」を拍手より先に発する場合は コンサートへの賞賛より、自己顕示欲の表れが強い気がします。 心から聴衆の多くが感動するコンサートは、拍手も歓声(ブラボー含む)が渾然一体となると思います。それに正しい聴衆は、指揮者の棒が降りないうちに拍手はしないものです。 といいながら、実はこれに反するのに感動できる例を一度だけ体験しました。(ブラボーの件とは違いますが紹介することをお許しください) おそらく30年以上前だと思いますが、FMのクラシック放送で、演奏会録音を流していました。演奏地はメキシコ、曲はチャイコフスキー交響曲第4番全曲(指揮者、オケは失念しましたがプロオケです)。曲の終わりはオケ全体が盛り上がり、最後のF音ユニゾンでのフェルマータで曲が終わります。普通ならその直後に拍手が起きることが多い曲なのですが、その時は、なんと、最後のFが鳴って2秒もしないうちに会場全体からすごい拍手と歓声がオケをかき消すくらいに響きました(誰か一人が先導したのではなく会場が一気に爆発した感じでした)。演奏もすばらしかったのを覚えていますが、その時の解説者によると、こうした現象はラテン系の土地ならではの特徴ですと言っていました。ある種、マナーに反するような聴衆の行動ですが、この放送を生で聞いたとき訳がわからず自分も泪していたのを覚えています。 話がすごい脱線しましたが、自分のことしか考えず、(ひょっとしたらブラボーでコンサートがより盛り上がると本気で信じているかもしれませんが)コンサートをぶち壊すブラボー屋さんなら、サクラであろうとなかろうと不要です。
お礼
>「コンサートへの賞賛より、自己顕示欲の表れが強い」、「心から聴衆の多くが感動するコンサートは、拍手も歓声(ブラボー含む)が渾然一体となると思います。それに正しい聴衆は、指揮者の棒が降りないうちに拍手はしないもの」 本当にpyonpyon123様のおっしゃる通りだと思います。 何とかならないものでしょうか? 「ブラボー」の掛け声は合図があるまで駄目・・などと決まりを作るとしんみりとなり、それはそれでつまらないものになりますよね。 結局は、「ブラボー屋」の質とモラルに期待するしかなさそうですが、日本では無理な期待となりそうです。 あと、例を一ついただきましたが、大変参考になりました。 やはり、生演奏にルールやマナーはあっても決まり事など存在しませんよね。その状況の中では、最も素晴らしい賛美であり、そこに居れた又はそれを聞けた方々は、最も幸せであったと感じます。 ご回答ありがとうございます。
予想ですがブラヴォー屋はサクラなんでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうです。そして、その「サクラ」がまともに仕事をしてないので、困っております。
- xxx_masato_xxx
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質問者様の答えには全くなっていませんが共感したので書き込ませて頂きます。 自分も全く同感です。 演奏が終わって1秒もしていないうちに「ブラボー!!」の声。 中にはブラボー屋ではない人もいると思うのですが、 そのとき思うのです。「この人は本当に感動しているのか?」 本当に我を忘れて感動しているのなら、拍手することも歓声を上げることもできない時間がしばらくはあるはず。 いわゆるブラボー屋のことは分かりませんが、そうでない人たちは、 「観客が感動している姿に感動している」と思ってしまいます。 これなら家でCDを堪能しているほうがいいと思うことも多々ありますよ。 演奏が終わるや否や「ブラボー」と叫ぶ人、 正直迷惑です。
お礼
共感いただき、非常に嬉しく思います。 >「本当に我を忘れて感動しているのなら、拍手することも歓声を上げることもできない時間がしばらくはあるはず」 まさにその通りだと感じます。 xxx_masato_xxxさんのご回答内容すべてに、私も全く同感いたします。 ありがとうございます。
- mojor
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ブラボー屋なんてのがいるんですね。初めて知りました。 確かに演奏者が終わりの合図(消音等)をしていないのに拍手をしたり、映画館でスタッフロール中に席を立ってスクリーンに映り込んだりする人はよくいますね。自分だけ楽しんで満足してるなー、と思います。 日本では一般向けのクラシックの演奏会の歴史が浅いので、西洋音楽の常識のようなものが浸透していないんでしょうね。祭りや歌舞伎は掛け声が入るのが普通な文化ですし。 ブラボー屋さんに会いたくなければ、クラシックギター等のあまり認知されていない分野の演奏会に行かれてみてはいかがでしょうか。本当に好きな人しか来ないので迷惑を受けることも少ないと思います。
お礼
「ブラボー屋」を見るたびに、日本は文化のレベルがひくいと感じてしまいます。 歌舞伎などの掛け声とは明らかに異質で、ヨーロッパなどでもジャズや必要なときには、演奏中に掛け声を聞く事もあります。 お勧めいただいた演奏会ですが、実は時々行っております。非常にいいものですよね。 ご回答ありがとうございます。
- 456654
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こんにちは。 私の知る限りの記載になりますが、 ブラボー屋については、昔々「題名のない音楽会」で 「正しいブラボーのかけ方」というある意味皮肉を込めた企画がありました。(黛さん司会の頃) この回によるとブラボー屋さんは「東京ブラボーサービス」という組織が 有って、そこから来て貰ったというようなニュアンスで言ってました。 今はそれが存在するのかは当然分かりません。 その回はブラボーが華やかでした。 あとは私見ですが、ブラボー屋さんは曲の終わりを知っているのだぞ、とか やはり自分の声が目立つためには、まっさきに叫ばないと(周りの声に混じってはね。)という心理があるのかなと思います。 これはブラボー屋に限らず、拍手で現わす普通の人も居ますね。 回答になっていなかもしれませんが、こんなところです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど、そういう組織がある、もしくは、あったというのは勉強になります。 「ブラボー」もその「かけ方」によっては、演奏をより引き立たせるものになると思います。 自然に起こる拍手よりも早く、目立たなければいけないのは困ったものです。 もっと、演奏者や、自分以外の人の事を考えて欲しいものですね。
お礼
なるほど、ヨーロッパにも「ブラボー屋」はいるのですね。 それも組織的な。 やはり、演奏を盛り上げる意味では必要な存在なのかもしれませんし、私もその存在意義を否定はしません。 ただ、回答者様もおっしゃってるように「終わるやいなや」やられると、すべてがぶち壊しです。これではいい演奏家が日本に来なくなります。 日本の「ブラボー屋」には、まず音楽を好きになる事から勉強して欲しいものですし、出来れば、日本の恥さらしにもなってると思いますので、一定レベル以上になるまで消えて欲しいものです。 >ぜひ10年ぶりにお出かけください。 >もし見つけたら言ってやってください。 「ヨッ 待ってました ブラボー屋ァ」 そうですね、今度近くにいたら行ってみたいと思います。←かなり本気 ご回答ありがとうございます。