資格というのは、資質の格付けだと思います。免許は、その資質に基づいて、原則してはならないことが免除されて許される、という、いわば、資格よりも責任の重大なものといえるでしょう。
免許も含めて資格としますが、資格には、色々な種類や次元の資格があり、資格はある分野について、一定以上の水準の資質をもっていることの証明といえ、○○の資格をもっている、○○の免許をもっている、という短い言葉のみで、あれができるこれができる、経験がある信用できる、という説明をつけなくてもいいことになります。
ところが、今日では、就職のために資格を取る、その仕事に必要だから資格を取る、という、資質~資格、というよりも、目的~資格、というちょっと本来とは違った入り方の資格との関係が多いように思えます。もちろん、それは悪いことでも何でもなく、むしろ有益な資格が社会の中で幅をきかせるためにいい傾向だと思います。
しかし、これといった資質もなく、心に決めた目的のない状態で、何か資格を、ということになると、取りやすく役に立つ資格、というものが、おすすめ資格として誰もが探し求め、注目されるようになってきて、しまいには物凄い競争率になって、このためにお金を使う人が出てきて、これに対してしまいには資格商法などを企てる輩も出てきます。
さて、ここで質問の答えです。目的から入る資格については、その人の好き嫌いや、得手不得手などの個性に応じて違いが出てくるため、どのような資格を目指すか、ということに関しては、自分自身が一番よく自分にアドバイスができるものと思います。そのためには情報が必要です。
情報の探し方としては、今、世の中では、どんな仕事が、どんな職業が求められているいるか、を見つけ、これにピッタリあった職業やこれに必要な資格を目指すのです。
それだけではありません。今の世の中だけではなく、それと同時に、またはいきなりそれを飛び越えて、一足先の将来はどうなるか、という点に着目すると、一歩進んで、社会生活の中で、ストロークの長い生き方ができるものと思います。
テレビからも新聞からも、そしてネットからも、今は情報が溢れている恵まれた時代です。テレビのワンシーンを、新聞の一行を、以上のような世の中を読むために、利用するように心がけてみてください。そうすることによって、近い将来、貴方自身が、資格を探すための、資格コーディネーターなんていうものになっているかも知れません。情報を、こんな発想で応用できることから、資格ホルダーとしての基本的資質が表れてくるかも知れません。
ちなみに、私の勉強方法は、とにかく一番厚い本を買ってきて、資格の種類によって1回~3回、全神経を集中させて、できるだけ確実に読破し、その後は集められるだけ問題集を集めて、片っ端からどんどんやっていきます。ある程度自信がついてきたら、その試験の過去問に挑戦し、できばえをみてみます。大抵一度目の過去問では、自信をなくすような点数であることが多く、その瞬間に、ここで辞めたらおまえはダメ人間だ、と自分に問いかけます。負けず嫌いのもう一人の自分は、絶対諦めねーよ、と返事をするとともに、愚かにも、周囲の人々に対してその資格に挑戦することを言いふらします。これによって、逃げられない自分ができてしまい、結局なんとかその資格を手にするしかない、という半ば強制的な方向付けがなされます。