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バーリトゥードは実践を想定していたのか
総合格闘技の元になったバーリトゥードはお互いの格闘家の攻撃が認められた公平なルールとされていましたよね。 公平なルールのためだけにバールトゥードは生まれたのかそれとも公平なルール+実践性も含まれていたのか どっちだと思いますか? バーリトゥードは実践を想定した試合形式だというファンもいれば公平なルールに過ぎなく実践性は一切関係ないというファンもいます。 真実はこの試合形式を作った人間に聞くしかないと思うんですがみなさんの考えをお聞かせください。
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僕の知っている範囲ではバーリトゥードはそれこそ何でもありですよね。ブラジリアン柔術の普及で寝技オンリーと思っている方が多いかもしれないけど、もっと凄惨のものですよね。実戦を想定というより、実戦で使えるものは武器以外なら何でもということでしょう。まぁ、試合である以上は実戦とは違うのはしょうがないです。 キックボクシングで英雄的に有名な人(名前思い出せない、立嶋篤?)が最近泥棒かなんかと揉み合い退治したニュースでも本人は凄い怖かったといってました。変な例だけど実戦の怖さは実戦で使える技術を持っていても違うという感じです。 ホリオン・グレイシー(だったよね?)が設計した初期UFCの姿を見ると、バーリトゥードが一番実戦に近いとは思いますけど。今はMMA化していますが。
- 3121
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例えば 「柔道のチャンピオンとボクシングのチャンピオンが戦ったらどっちが勝つ?」 というような素朴な疑問に答えるのが、異種格闘技戦バーリトゥードじゃないですか? 競技のルールの壁を越えるには、最小限のルールにするしかありません。 元パンクラス代表の船木が、 同大会の顔面パンチを解禁した際 「シュチュエーションとして『出会いがしらの戦い』が理想」 というようなコメントをしていました。 パンチ一撃で終わる試合です。実践といえると思うのですが。
- udanet
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実戦性なんてあまり考慮されていないんじゃないでしょうか? 実戦は武器、対複数、不意打ち、なんでもありですから、そこまですれば興行として成立しません。 あらゆる格闘技が可能な限り制約を取り払ったルールの中で戦えばどれが一番強いか、がコンセプトです。 当初はグレイシー柔術にとって一番都合がよいルールだったわけですが 対策ができた今では違うみたいですね。
- takerunbaj
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たとえば、陸上の短距離の選手と、長距離の選手が、真ん中の中距離で競争して、どっちが早いかを競っても、あまり意味がありませんよね。 でも、格闘技は違います。見ただけで『どっちが強いか』がわかるのです。 格闘技をやっている人であれば、たとえば空手をやっている人は、空手が最強であって欲しいであろうし、そう信じている。柔道をやっている人もボクシング、レスリング、みんな同じ事を考えていると思います。 だったら一つのルールでやったらハッキリするだろう。 そんな理念の基に生まれたのがバーリトゥードです。(だと思います) 『実践を想定した試合形式』というのは、コマンドサンボの方がシックリ来ますね。個人的に。
- koutarou99
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一対一で素手での実践(戦?)を想定した上で競技化したものだと思います。というか、そもそも格闘技の試合で実践性を廃したものはないと思っています。 あくまで実践を想定した上で、試合で用いるには危険な要素やその流派のシステム上比重が低いものを排除してきたというのが大概の格闘競技の歴史じゃないでしょうか。 よく「相手が複数の時は意味が無い」とか「路上じゃ使えない」とかいう論争がありますが、そんなことを言い出したらじゃあ相手が武器を持っていたらとか人数差があったらとか山の中だったらとか話が無限に広がってしまいますよね…。 要はどんな局面を想定しているかということで、ヴァーリトゥードが実践を想定していないとは思いません。
補足
えーとじゃ実践は想定していないと?