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交通事故:加害者が任意未加入だった場合の対応について
自転車で走行中の知人が、車に接触され転倒し、通院を続けています。 この加害者は任意保険に入っていませんでした。 また、治療にかかる費用などは出せない(お金がない)との事でした。 そのため、被害者である知人は自賠責保険の方へ被害者請求をしています。 知人の話を聞くと、加害者からの誠意が感じられない、との事。 加害者との連絡は知人の側からすることばかり。 加害者の方からお見舞いの電話も手紙も無いそうです。 どうも加害者側は 「自賠責に任せた」=「被害者請求で処理してもらう」 ということで落ち着いてしまっているような感じです。 (知らぬ顔を決め込んでいるのではなく、その後の行動が何もないというような状態です) こういったケースの場合、加害者の立場では連絡などしないものなのでしょうか。 加害者側は被害者のために何かしようとは思わないのでしょうか。 と書いても、それは加害者の人間性に依る事だけなのかもしれませんが…。 一般的と言いますか、常識的といいますか、加害者はどう行動するべきなのか(もしくは行動しなくていいのか)? 実際の経験などから加害者の立場での行動についてお話聞かせてください。 被害者の知人ばかりが手続きやらなにやらしていて、不憫に思えてなりません。
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- oshiete-q
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#1です。 こういった感じの質問があると「裁判を起こす」というアドバイスを多くみかけます。しかしいくら裁判で相手側に支払命令が出たところで、必ずそれを賠償してもらえるというわけではありません。支払能力のない人間にそういった命令が出ても、実際の回収には労力と時間が必要になります。回収できなければ…空しいだけですよね。 自転車という事ですが、知人本人や知人の家族に「人身傷害補償保険」はないでしょうか?あれば今回の事故も対象になる可能性があります。手続き等を知人自らが行う必要はなく、保険会社に一切を任すことができます。「人身傷害補償保険」は自動車保険の一部ですが、単独の商品もあります。
- SUPER-NEO
- ベストアンサー率38% (706/1857)
法律では損害賠償をする、ということが加害者に与えられた使命に なっていますけど、今回は、自賠責保険というものでこれがなされています。 質問者さんとしては加害者の対応に不満のようですが、 加害者としての道義的な責任が感じられませんね。 私の場合、箱菓子を持ってお見舞いに行きました。 ちなみに、裁判などを起こすと、 今回の場合は慰謝料が2割程度の上乗せ対象になったりします。
- ag0045
- ベストアンサー率33% (815/2413)
任意保険にも加入していない、又は加入するお金もないような人間に対して、何を期待しても無理です。 相手は人身事故の加害者として法が裁きますし、補償金を支払い、示談が出来ていないと罪も重くなります。 今一番大切なことは、まず健保での治療をすることです。 相手が自賠責しか加入していないと云うことは、健保でなく自由診療にすれば治療費が2倍も3倍もかかり、自賠責の120万円の枠の大半を医者に喰われてしまい、被害者の取り分がなくなってしまいますよ。 枠が残っていれば、治療が終了後慰謝料や休業損害が自賠責から支払われます。
補足
ありがとうございます。 被害者の立場では、回答いただいた通り、何も期待できないのかもしれません。 加害者側の立場ではどうなのだろう、という意味で今回質問いたしました。 仮に自分がこのケースの加害者だったら・・・ 自分が同じ状況で加害者になった時は・・・ そういう視点での回答いただけたら、と思います。
- oshiete-q
- ベストアンサー率33% (813/2428)
質問者さんが知人に向けてアドバイスできるとしたら、「治療に専念して一日も早く事故のことを忘れること」です。 「誠意」といいますが、任意保険も無し・支払能力も無し…そんな人間に「誠意」を求めても無駄です。 私的に見れば、まだ人身事故として処理して自賠責保険を使わせてもらえるだけでも救いだったのでは??といった感じです。
補足
ありがとうございます。 時々電話をするとか、手紙などでお詫びとお見舞いの言葉を伝えるとか、そういうことでも誠意を伝えられると思うんです。 お金がないとはいえ、車を運転している大人なのですからそれくらいはできるはずですよね。
補足
ありがとうございます。 加害者の方からは、事故後、一度お詫びに来られたそうです。 自賠責を利用する事になったのも、知人(被害者)から話を持ち出したからだそうです。 加害者が事故後、解決のために自ら行動したと感じられないのです。 自賠責に任せた、その時点で相手に怪我をさせたという意識って薄れてしまうものなのでしょうか…。