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遺骨の納め先(長文です)

主人が40代で亡くなりました。主人は次男で、私たち夫婦には子どもがいませんでしたので、私はひとりになりました。私自身、再婚するつもりはありません。 跡継ぎがいないので、永代供養墓を見つけてきたのですが、主人の兄夫婦が、自分たちの墓地(主人の母は離婚しましたので、兄夫婦が購入した墓です)に主人のお骨を入れるべきだと言います。先々、姪甥にも世話になるかもしれないと言われれば、折れるところは折れることも必要かと、兄の見つけた墓地に、折半でお金を出し合って墓石を建てそこに、主人のお骨を入れ、分骨して私の見つけた永代供養墓にも入れるという方向でいったんは話がまとまりかけたのですが、それも反対されているような状況です。一代でまつる人が絶えるのは親族として悲しいと言われています。本当の気持ちは、費用もかかるので、私の見つけた永代供養墓に全骨を納めたいのですが、この先、兄夫婦と付き合っていくことも思うと、分骨して兄の墓に半分入れるのも仕方ないと思っています。けれど、兄の求めた交通の便が悪い墓地に全部納めてしまうのも、年を取った時にお参りしにくいのでしたくありません。兄夫婦は、姪甥に墓参りに連れて行ってもらえるとか、タクシー(片道7000円程度)で行くこともできると言うのですが、それも現実的でないように思います。 喪主は私で云々と言い出すと、またこじれそうで、この先どうするのがいいのか悩んでいます。主人が亡くなったのをきっかけに、婚家と疎遠になりたくないという気持ちがあるので・・・。二つに分けると魂が迷うとか、私の気持ちが永代供養墓に向かうと、兄の方の墓は抜け殻になるとか言われます。分骨することについてこのように反対されることは多いのでしょうか。また私のように跡継ぎがいない結婚した次男が亡くなった場合、どのようにされるのが一般的なのでしょうか。教えてください。

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  • amida3
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回答No.5

再度amida3@本願寺派の坊さんです。 ここの文字数で宗教上のことを明確にお伝えするのは困難ですが、「お礼」を拝見し一言申し上げます。 > 自分の気持ちの中ではまだまだ、写真やお骨の方に > 重きを置いているようで、語りかけるのはそちらの > 方に・・・といった現状です。 現代の一般的な感情として当然であります。ある意味写真というものが発明されてしまったため、江戸時代のように写真の無い時代と比し、生前のお姿への思いが強いのが現代の状況です。ですが、写真はあくまで「生前(生まれる前)」のお姿です。娑婆世界で人間であったときが「生後」ではなく「生まれる前=生前」と表現する意味合いは、仏様として生まれさせていただく前の人間であったときという意味合いです。 では、仏さまとして生まれさせていただいた今のお姿はというと、阿弥陀様と同体の悟りを開かせていただき、阿弥陀様と同じお働きをさせていただいているわけですから(別の言い方をすると、阿弥陀様と一体になっているから)、今の仏様となったお働きをお姿に表せば御仏壇のご本尊の阿弥陀如来さまと同じお姿であります。 お寺の本堂をそのままミニチュアにして家に置いた御仏壇は大きさはお寺の本堂より小さいですが宗教上の意味合いはまったく同じです。つまり、そのミニチュア寺(お仏壇)のいわば住職はその家の主(あるじ)でありますので、hotaru04さんは亡きご主人様をご縁としてお仏壇というミニチュア寺の住職になったのです。ご精進ください。 hotaru04さんは今お悩みではありますが、こうやってインターネットで調べたり、質問したりもご主人様が仏様となって現に働いてくださっているからで、また偶然私が拝見しアドバイスしたのもご主人様が仏さまとして奥様を案じて働いてくださっているものとご理解いただければありがたい限りです。南無阿彌陀佛 合掌

hotaru04
質問者

お礼

詳しく教えて頂き、ありがとうございました。 身内だけであれやこれやと言っていると、つい熱くなって しまいがちですが、こうやって、他の方のお話を伺って、また自分の考えも柔らかになったような気がしています。 最後に書いてくださっていること、身にしみました。 阿弥陀如来さまと一体になった主人が、よい方向へ導いてくれることを信じています。 ありがとうございました。

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その他の回答 (4)

  • amida3
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回答No.4

No2で回答のamida3@本願寺派の坊さんです。 本来は宗教上のことも慣習上のことも、また奥様と義母さん義兄さんなどご親族の心のケアも私たち僧侶の役割です。ですから、まずご縁のお寺さんに現状の悩みとご希望を話され相談され、お寺さんと話した結果の内容をお寺さんからお母様をはじめご親族に話していただくのが一番角が立ちません。奥様とお母様・お兄様と話されても宗教上とは関係の無い感情面もありますし習慣上のこともあると思います。 ただ、分骨自体はご縁のある土地の土に戻すとか、ご縁のある方がお参りしやすいというような意味合いの理解で良く、ご主人様の往生・成仏とはまったく関係が無く、ましてやご主人様がお墓の中にいるのではありません。いつでもどこでも1年中365日24時間私を支え私を照らすという阿弥陀如来と同じ悟りを開いて仏の仲間としていつも照らしてくださっているのです。その意味で仏様としていつも私と一緒にいてくださる存在となったわけで、浄土真宗ではあまり遺骨にもお墓にもこだわりを持ちませんし、極論的にはお墓が無くてもまったく問題が無いのです。(お墓よりも家の中に置けるようにしたミニチュアのお寺の本堂である仏壇を、もっと言えばご主人様をまた残った私をも救ってくださるご本尊の阿弥陀様を大切にします。) 宗教上の問題以前の人間の感情として、奥様からみれば愛する夫であったわけだし、お母さんから見ればわが子であったわけで、それぞれ差の付けようのない悲しみと深いお気持ちがあるのであり、宗教上の教義から切って捨てるような割り切りも必ずしもできません。 「二つに分けると魂が迷う」とか「兄の方の墓は抜け殻になる」とかは宗教上からも間違いですし「分骨して家に置いておくのが無惨だという反対」も宗教上からはそのようなことはありませんので、お寺さんから話をしてもらうのが一番です。単に、故人様にマイナスになるのではという勘違いが多いですから、お寺さんから「問題ありませんよ」と一言あれば議論にならないはずです。 分骨もしようがしなかろうが仏様になられたご主人様にはプラスにもマイナスにもならず成仏等とは関係がありません。あわてることなく、気持ちの整理が付くまで全部手元に置いておかれてもかまいません。ただ、一定の区切りとして、また土に戻してあげるという意味でいつかはどこかに納骨をしなければならなくなりますので、皆さんが後悔することの無い様に話し合うしかないと存じます。その場合にもお寺さんは宗教上の観点からどのパターンでもはそれはダメというケースは無いと思いますので、事前にご希望を話しておき、法要のときにでもお寺さんから「お墓はどのようにお考えですか?」と皆さんに聞いてもらい、皆さんが「実は・・・」と話をした後でそれならこうしてはという案を出してもらうとか、あるいはお寺さんに相談に行こうと一緒に出向くとかされればよろしいのではないでしょうか? 同様のお悩みの方のケースの相談経験は数回ありますが、「一般的」というパターンは特にありません。 なお、No.3回答者さんが「喉仏をどうだとは言わなかったはず」とおっしゃっていますが、そのとおりで、宗教上の理由ではなくその地区の習慣的な色彩が強いです(名古屋を中心とした尾張地区はその傾向が強いです。) 単に「私はこうしたい」という気持ちも大切ではありますが、ある意味自己満足のための我執でもあり、その執着から離れるのも仏道であります。我執と我執とのぶつかり合いを一番悲しむのは亡きご主人様ですので、喧嘩になるようなことのないように宗教上の問題の無い範囲で妥協することは双方に必要なことです。そのこともお寺さんから説いてもらったほうがよいです。 合掌

hotaru04
質問者

お礼

再びご回答いただきましてありがとうござました。 お答えいただいたことを何度も読み返しています。 自分で答えを出さなければとか、なんとか丸く収まる方向にとの思いでいっぱいでしたが、お寺さんに相談する方法もあるのですね。 お彼岸のお参りの時にでもお寺さんにお話を伺ってみます。 主人がなくなりお仏壇を用意しましたが、自分の気持ちの中ではまだまだ、写真やお骨の方に重きを置いているようで、語りかけるのはそちらの方に・・・といった現状です。お墓よりもお仏壇、阿弥陀さま。それが浄土真宗で大切なことなのですね。心に留めておかないといけないことだと思いました。

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回答No.3

本願寺派で「喉仏」をどうだとは言わなかったはずですが…。 分骨がアウトの場合の考え方としては、 1:「いまの民主主義の時代に、家制度ではないのだから、(結婚したら別の戸籍)お墓は別」とわりきるか、 2:兄上のご子孫に世話になることを考えて、そちらのお墓に入れる。お参りが不便なことについては、「そもそも浄土真宗では、故人がいるのはお墓ではなく極楽であり、いつでも私たちの側で護っていいいるのだ」とわりきって、お仏壇にお参りする。 分骨も、同じような割り切り方ですが、どこかに「物差し」を設けて割り切ってしまわないと、人それぞれ価値観が違いますから、みんなが丸くは収まらないと思います。誰かが納得しないのを、「こういう規準できめた」と最初に示さないと、あとあと「何で…」といいつづけられることになります。根拠があれば、最初だけ?

参考URL:
http://www.lionji.join-us.jp/meishin-home.htm#meishin-38
hotaru04
質問者

お礼

ありがとうございました。 関西に住んでいます。大谷さんに納めるのは、喉仏に限ったことではないのですね。 故人がいるのはお墓ではなく極楽である。 結論が2なった場合の自分の気持ちの支えになりそうです。

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  • amida3
  • ベストアンサー率58% (448/771)
回答No.2

amida3@坊さんです。 仏教的立場からは分骨はまったく問題がありません。そもそもお釈迦さまも入滅の後八ヶ所に分骨され、その後も世界各地に分骨されています。 私は、浄土真宗の僧侶ですが、宗祖親鸞聖人も同じように分骨されています。まあ、浄土真宗の場合には特に分骨はしきたりのように当たり前でもあります。(本山にも分骨しますし) 浄土宗の法然上人も、日蓮宗の宗祖日蓮さんも、時宗の一遍上人も、曹洞宗の瑩山禅師も分骨されています。 仏教上分骨はまったく問題はありません。 永代供養墓というのは最近の流行のようですが、本来は所属寺院の合同墓か本山への納骨が習慣上からは好ましいです。(各宗派の本山納骨は費用も数万円程度だと思います。) なおご主人の兄夫婦さんの考え方も費用負担の件は別として戦前までの日本の習慣としては正しいです。昔は次男が長男の墓、本家の墓に入るのは当たり前でしたし、同じ一族が同じ地にという考え方はいまでもあります。 奥様が、亡きご主人の遺骨を身近に置いておきたいと言う気持ちもわかります。とりあえず分骨し、ご自宅の仏壇に置いておかれてはいかがですか?時間の経過と気持ちの整理等で、その後永代供養墓へなのか、本骨と同じお墓へなのか、あるいは本山等別のところへなのかゆっくり考えればよいと思います。場合によっては御自身が亡くなったら一緒に納骨して欲しいと言っておいて、それまで自宅に分骨を置いて置けれればよいです。

hotaru04
質問者

お礼

ありがとうございました。浄土真宗本願寺派です。母の意向があり、喉仏は本山へ納骨する予定にしています。けれど、それはずっと先、私の気の済むまでというかできれば私が死んだら一緒にという気持ちですが、多分、義母(主人の母)が亡くなった時になると思います。 おっしゃっていただいたように、とりあえず分骨して家に置いておければいいのですが、義母がそれはあまりにも無惨だという反対でできそうにないという事情があり、困っています。

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  • sirowan777
  • ベストアンサー率14% (270/1906)
回答No.1

分骨しても魂は迷いません。 魂は一番愛しい人と共にあるからです。 「骨」は象徴に過ぎません。 我々は散髪したり爪を切ったりしますが、捨てていますね。 骨も同じです。単なる象徴です。 ご主人の魂はいつもあなたと一緒です。 心配する必要はありません。

hotaru04
質問者

お礼

ありがとうございました。 そうおっしゃっていただけると、心がおだやかになります。 兄の墓に半分入れる、私は入れてもらえないというような話になったとき、なんだか主人の半分が、私のもとから離れていくような気持ちになって悲しかったので・・・。

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