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動物ていうのはどうして弱肉強食なのでしょうか
恐竜時代に一億年間条哺乳類が進化できなかったとか、いろいろ例があると主今押す。とにかく、動物は他の種に不寛容だということが多いと思います。人間だったら、かかわりあいたくない人がいても、他人は他人でその生存生活を許容するのに、なんで動物っていうのはこうも徹底的に不寛容なのででしょうか。「哺乳類もいたほうがいいから、そっとしておいてやろう」と思う恐竜はいなかったのでしょうか。
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同種間の相互恵的な社会関係と、そうした「倫理」が他種間へは及ばないことをごっちゃにされていると思います。 ヒトが自分の利益を他人に譲っても他個体に有利なようにしてやったりするのは、お互い同種で同じ社会に属している同士だからです。 この行動はヒトだけに限ったものではありません。社会性動物なら多く見られ、特に霊長類は、観察記録を読むとあまりに「人間そっくり」で笑ってしまうほどですよ。 この群れ同士で利益を分け与えるという社会行動はおたがいを支えあうことで全体の生存確率を高め、その輪の中にいることで結果自分も生き残る、という戦略です。 bossambaさんが関わり合いたくない人でも共存しようとするのは、その共存を戦略として生き抜いてきた種の一員だからですし、そのような感情はつきつめれば「社会的にはお互いさまなのだから自分が社会から排除されないために、他成員の行動により多少の不利益を被ることには目をつぶる」ということになります。 この「寛容さ」と表現なさった情動は厳密な経済効率で説明でき、「不利益>利益」となれば「我慢できる範囲を超えた、と感じるはずです。bossambaさんはその他人を排除する手段にでるでしょう。特に相手が対抗戦術をもたない、排除手段が社会的な批判を受けない(社会的な批判=不利益)となると、その手段は過酷なものになるかもしれません。そうした例は歴史に枚挙に暇がありません。 そしてこの「寛容さ」は、相互恵的な感情を感じない、つまり同じ社会に属する同士だと感じない他の生き物には適用していないはずです。 犬や猫などのペットに対して人間は準人間的な倫理を適用しますが、これは「同じ群れの仲間」に感じる感情をそのままペットにあてはめているからです。 こうした感情は進化の過程で育まれたものですが、これは同種で作る社会を構成するために便利だからです。人間は、論理の生き物ではありません。感情の生き物です。 捕まえて食べられる生き物を食べることを不寛容、と表現しておいでですが、そもそも「寛容」だとか親切だとかそういう言葉自体が、同じ社会の中のみでの関係を捉えた言葉なのです。 現実にいえば人間は同じ人間同士ですら、同じ社会に属していないと感じる他人に対しては極めて不寛容です。他種に対しては何をかいわんやです。食べるために養育される鶏や豚などがどれほど過酷な一生を過ごすかご存知だと思います。控えめに言って、極めて非人道的な一生です。 さらに毎年何万という生き物が、人間の愉しみのためだけに殺されます。ハラコという毛皮がどのように作られるかご存知の方もおいででしょう。牛を妊娠させ、出産間近になると腹を裂き、子牛の皮を剥いだものがハラコです。まだ空気にふれないその毛皮は非常に柔らかくて手触りがよく、人気があります。人間の妊婦や赤ちゃんにそんなことをできないでしょう。 あるいは、何千万という生き物が、人間が「その生き物がそこにいるのが不愉快だったから」という理由だけで虐殺されます。証拠をご覧になりたければ、スーパーへいって、害虫駆除剤のコーナーをご覧になってみてください。害虫どころか、人間は自分に利益をもたらす生き物ですら忌み嫌います。 もっと昔にさかのぼれば、たとえば約一万年前、わずか数百年から千年の間に北米の大型哺乳類はすべて絶滅してしまいました。ラクダ、大型のナマケモノ、馬、ゾウやマンモス、大型のシカなどなどです。これらの生き物は実は北米にも生息していました。 これらが絶滅した時期、絶滅した経路を辿ると、約一万一千年前に人類がベーリング海峡づたいに北米大陸に到達し、南下をはじめた時期と一致します。この大絶滅は人間が引き起こしたものと考えられているのです。 この話を聞いたときは本当にがっかりしました。少しぐらい残しておいてくれたっていいと思いませんか?マンモスが絶滅した最大の理由は人間が狩りつくしたから、だなんて。マンモスが人間にいったい何をしたというのでしょうか? 生命が生まれてから、多くの動物が姿を消しました。しかし、最後の氷河期が終わって気候が安定したここ数万年年以内の種の絶滅の最大の理由は人間です。3分の1ほどは狩猟が原因と考えられています。 動物はなぜ徹底的に不寛容なのか、と問われていますが、人間もその動物の一員だからかもしれませんね。他に類を見ないほど他の生き物を迫害する不寛容な生き物ですけれどね。
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- 24blackbirds
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動物は種の保存のためにも尽くさないし、まして弱肉強食など、あり得ません。自分の遺伝子を残したものが、次世代で生き残るのみです。子孫を残せば勝ち、それだけです。レイヨウ類を捕まえ損ねたら、チーターは死に、子孫を残すことに失敗します。このどこが弱肉強食でしょう?不寛容さのせめぎ合いの中で生物は進化しています。 下らないテレビ番組などに騙されないように気をつけましょう。「自己」にとって都合のいい行動をとっているだけなのです、あらゆる動物は。 人間に寛容さが求められるのは、あまりにも強い力を持ってしまった所為です。長い生物の歴史上、「寛容さ」が要求されるのは人間のみです。全生命を滅亡に導くほどのカードが与えられたのは人類が初めてです。もっとも、全生物を絶滅に追いやることを「人間」がしたとして、それが宇宙の歴史の中でどれほどの意味があるのかはわかりませんが。つまり、「寛容さ」も幻想であるかもしれません。
お礼
その通りだと思います。結局他の生物は「弱い」んですよね。もちろんとてつもなく強靭で人間が滅びても到底滅びそうにない下等生物もいくらでもいる。しかし、当然社会認識能力がない。要するに「生きるのがたいへん」なんですよね。何で生きてるんでしょうね。
- tsuit
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生物というのは皆さんもおっしゃっている通りとりあえず、自分の種の保存に全力投球します(本能にそう組みこまれてます)。その上で自分に害があれば徹底的です(例えば人間だって蚊を殺しますよね、害があるから)。また餌となるものなら食べてしまいます(人間も飢えてしまえば何だって食べます)。また、食べるものが同じでなければお互いに無害ですが、同じであれば生存競争が起こってしまいます。その他色々な要因が複雑に関係してその時の環境に対して有利な生物が結局一番繁栄するわけです。
お礼
結局自然の摂理が「戦い」であるということがどうも納得行かないんです。そんなに野蛮でいいのかと。これは人間特有の感覚なんでしょうかね。
- sha-ku
- ベストアンサー率6% (1/16)
基本的に人間以外の生物は、本能で行動しているらしいです。本能とは簡単に言うと生きることを目的とした行動になるのかな? で、生物で習ったり本を読んだりしてみると、生き物のもっとも単純な思考は「種の繁栄」だそうです。 つまり、自分の一族が滅びないようにすること。 そのために多くの子を産んだり、過保護に育てたりする動物がいるんだとか。 そこで、「何かをしてきたから」ではなく「自分の一族に〈害〉を与えそうだから」という理由で、自分の一族を守るため他の一族と争うことになるのではないでしょうか? (^^;)すいません。推測も入っています。こういう考え方もあるのか。と、参考までに
お礼
そうですね。でも行き過ぎのような気がしています。そんなに他の生物を弾圧せず戦わなくても生きていけるのじゃないかと。
- cliomaxi
- ベストアンサー率33% (2921/8736)
>「哺乳類もいたほうがいいから、そっとしておいてやろう」 人間以外で自分が哺乳類か爬虫類かなんて知っている生物なんていませんよ。
お礼
そうですね。動物園みたいに偏りなくこの世界を維持してやろうなんていう、環境庁のような考えは普通持ちませんよね。
食べなきゃ死んでしまうからです >徹底的に不寛容なのででしょうか 見たんですか、徹底的に殺しまくっているところ? ほとんどの動物は食欲が無い場合は襲いません
お礼
そうですね。 恐竜時代の哺乳類があんなにも日陰存在で通すしかなったというのが、少々行き過ぎのような気がしました。あるいは地球誕生以来30億年くらい大型生物がいなかったとか。
- 8942
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>人間だったら、かかわりあいたくない人がいても、他人は他人でその生存生活を許容するのに、 恐竜だってかかわりたくない恐竜にはかかわらないでしょう。 >「哺乳類もいたほうがいいから、そっとしておいてやろう」と思う恐竜はいなかったのでしょうか そっとしておいたから、哺乳類に駆逐されたんじゃないかな?
お礼
やっぱり「哺乳類」を差別していたのかもしれませんね。食料にならないものだけかかわらないのは人間と同じかもしれない。
- silverbear
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書いている意味が良く分からないのですが、普通に生活している中で「哺乳類もいたほうがいいから、そっとしておいてやろう」なんて思うこと自体ありえないと思います。 生きるための食料としてしか見ていないわけですから食います。 別に食い物で無かったならわざわざよけようとは思わずに踏み潰します。 今の状況ではなく、もっと極限状態を思い描いてください。 あなたが何らかの理由で山で遭難し、周りにはあなたを殺そうと狙っている人が居る。(間違って国境を越えたとかそんな状況?) 帰り道も良く分からない、食料も無い。 そんな状況で食べられる木の実や、捕まえれば食べられそうな生き物が居たら食べませんか? そしてその様な状況の時に、足元を走り回るカエルや虫などをわざわざよけて歩きますか? 恐竜は食物連鎖の頂点付近に居たかもしれませんが、本当の頂点に居た恐竜はほんの一部です。 多くの恐竜は餓死の恐怖と食われる恐怖と戦っていたはずです。 日本と言う国に住む人間は食料が有り余っていて、外敵もほとんど居ない環境ですので想像するのが難しいんでしょうが。
お礼
それが自然なんですよね。街の歩き方とか席の譲り方とか、ナンセンスの極地かもしれません。なんで生きるってことは、飢餓と恐怖の連続なんでしょうね。何のために生きているのか。
- morito_55
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人間も同じですよね。 人間は同種の人間は食べませんが、異種の動物は食べますよね。 動物も、同種はあまり食べないと思います。
お礼
確かにそうですね。そういう視点で見ると。動物は共食いもありますけどね。
お礼
いやあ、目が覚めました。 人間こそがもっとも不寛容だというのは明らかですね。それというのも、人工生物が生成できない、人間の力が及ばず、しかし狩ならできるからという単純極まりないです。それに寛容さを発動している場合でも、結局は自己利益のため。なんとも心さむからしむような話だと思います。 しかし、ほんとに目が覚めました。私も最終氷期から現在までの動物滅亡は、多分に人為的だと感じていました。