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苦手な事はあえてやらなくてもいい?
人間には、向き、不向きがあります。 僕は、もの作りの仕事をしているのですが、性格的には1つのことに没頭するタイプです。 いっぽう僕は、人とのコミュニケーションが苦手で口べた、無口で、それがコンプレックスになっています。 もの作りの仕事は、基本的に一人で行います。没頭するし、面白いです。それだけ没頭できる自分の性格に感謝しています。しかし、人とのコミュニケーションを行って行かなければならないし、僕は強烈に、人とのコミュニケーションに飢えています。しかし、苦手です。しんどいです。それは、“良く見られたい”と思って無理をしているからでしょう。しかし、素の自分だと、本当に無口です。全く無口で話しません。 それだと、一緒にいてもおもしろくないと思います。だから、僕は、持ち前の没頭する性格で、人と上手く会話できるようにいろんな本を読みあさりました。いろんな人と会う努力もしました。 そして、結果、悲しい事に本来の自分ではなくなっている感じがするのです。ですが、本来の自分で受け入れられる人間関係では 僕の望む人間関係が構築できないと思ってしまいます。 例えば、遊びに行っても、無口すぎて会話がないので盛り上がらない。 僕は、遊びに行きたいんです。強烈に遊びに行きたい。しかし遊びに行っても盛り上がらなければつまらないし、遊びに行く気がしない。 やりたいけど、苦手なので、できない。やりたいことをやれ、と世間は言いますが自分がやりたい事と、やれることは違う。 こういうジレンマに陥っています。他人は、やりたい事をやっているように見えます。 仕事は、問題なくやれます。仕事大好きですがそればっかりじゃ、寂しいのです。一人だし。 生きるという事は、苦手な事も、克服しなければなりませんか?本来の自分がわからなくなってでも。。 何らかのアドバイスや感じられた事、お願いいたします。
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質問者が選んだベストアンサー
僕も無口で人付き合いは苦手です。 以前は、これがコンプレックスでしたが、今はそうは思いません。 自分で必要なときに必要なことさえ話せれば良いし、自分のやりたいこと、すべきことが出来れば良いと思っています。 さて、件名の件ですが、別に絶対的に必要な物でないなら、苦手なものはやらなくても良いと思いますよ。 ただ、それを克服することが自分にとって大きなプラスになると思うなら、やった方がいいでしょう。 それと、やりたいこととやれる事は違うと言うことですが、それでもやはりやりたいことをやるべきだと思います。 少し話が違いますが、僕は野球を会社に入ってから始めました。 正直始めた当初は運動未経験の女性並のレベルでした。 ある程度出来る様にはなりましたが、レベルが低いので盗塁なども出来ません。 つまり、野球の全てが出来る人よりも楽しさは味わえません。 ですが、最初より出来るようになった分だけでも、楽しさを味わえるようになりました。 人付き合いも、繰り返せばだんだん出来るようになります。そうすれば、初めは楽しくなくても楽しくなってきたりします。 遊びに行きたく無い人が無理に行っても意味はないと思いますが、貴方がそれを望むなら実行すべきだと思いますよ。 例えば、自分が話さなくても他の人が話せば場は盛り上がるし、人の話を聴いてるだけでも楽しめます。 それに慣れてくれば、自分の得意分野を話せば良いです。 なんでも、一気にやろうとせずに、少しずつできるようにすれば良いと思いますよ。 出来ることだけやっても、それが楽しくなかったら結局同じじゃないですか? だったら、好きなことをやって、そこで楽しめるように努力したほうが良いと思いますよ。
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- winngu11
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今の時代、外出しなくても困ることもなく、近所や地域でも、あまり知ってる人がいないという時代になりましたね。 あなたが、人と話すのを苦手とし、そうありながらも誰かと関わっていたいというのは、ある意味時代の象徴かもしれません。あなたは物作りが好きというのであれば、何かその関係の習い事をしてみてはどうでしょうか? 私も、人と話しをするのは、この歳になってもあまり得意ではないです。今洋裁をやってるのですが、楽しく話したな~と思って帰ってきても、首や肩が恐ろしく凝ってることがあって、やっぱり気遣いしてたんだなっていつも思います。 他の方も言ってますけど、そういうクラブや何かで他人の話を聞くだけでも面白いですよ。 年配の人など、こちらがたいして話をしなくても、勝手に話をしてくれます。 そうなんですか~凄いですね~大変でしたね~わかります~だけでもかなりの会話になってます。 自分の生活や、自分が何を話すのか考える前に、相手の生活がどんな生活なのか聞いてるだけでもだいぶ経験になりますよ。返って自分ばかり喋ってる人は付き合いづらいことさえあります。 このサイトでも、友達もいないでこんな歳になってしまったという人を見かけるのですが、たとえ友達ではなくても、いろんな人とただ喋ることなく関わるだけで、だいぶ違うと思いますよ。 とりあえず、どこかで趣味をやってみたらどうでしょうか?
- Komiker
- ベストアンサー率16% (83/518)
他のかたが有意な意見を述べておられるようなので別の角度から。 人間としての ”生きる力 ”を考えれば、他の人とのコミュニケーション能力は必要条件のひとつでしょう。ただ、これは日常生活がスムーズにいくレベルであればよいので、必要以上を求めるのはまちがいだと思えます。 自他共に無理の無い生きかたがよいと思えますが、どうでしょうか。人はひとりひとり異うのですから (^_^)/~。
- yousa
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ある程度の年齢に達してから性格を変えようというのは、努力を要します。 確かに、生きていく上で苦手な面を克服する事は必要な時もありますけども、 この場合は、ちょっと違うような気がします。 でも、貴方は変えたいと思っているのですよね。 お気持ちとてもよくわかります。 とりあえずは、少しずつ、ゆっくりと変えてみたらいかがでしょうか。 人と会話をする時、たくさん喋るのではなく、少しの言葉で充分という事もあります。 なかなか大変ですが、あまり気負わないで、マイペースで過ごされるのが一番いいかと 思われます。
お礼
ありがとうございます。 僕の気持ちをちゃんと分かってくれる、そういうことを 文章にして書いて頂けた時に 僕が感じる安堵感はハンパじゃありません(笑) おっしゃるとうり、ゆっくりと、ゆっくりと少しずつ変えて行こうと 思います。 回答者様は、少しずつ克服できたことってありますか? 継続は力なりで、あせらず、毎日を楽しむ範囲で変える心がけを していこうと思います。 ありがとうございました。とても、うれしかったです。
- cool12
- ベストアンサー率6% (4/58)
すごい切ない質問ですね (TT) 私も物凄く物事に没頭してしまうタイプで没頭すると周りを無視(するつもりはないのですが)してしまいます でも、今のまま無理して人と付き合っても楽しくないですよ 仕事は問題ないのでしたら、おそらく自分の好きなに通じた友達 趣味、自分が没頭できる事で知り合えそうな場所に行ってみるなど 仕事の関係などそうすれば話したくなったりするのではないでしょうか もしも物を作る関係でしたら、あまりしゃべらなくても相手と作ったものを見せったりなど 人と知り合う場をネットなどからでも調べて広げてみては?ヽ(´∀`)ノ 大丈夫、今のあなたのままでもきっと合う人はいるはずです 誰でもいいわけじゃないから友達は大切なんです こんだけ人がいるんです 大丈夫、あなたを分かってくれる人もいますよ
お礼
ご回答、ありがとうございます。 自分でも、切ない事を言っているなあと、笑えてきます。 でも、本音、心のさけびですね。 誰でもいいわけじゃないから友達は大切なんです こんだけ人がいるんです 大丈夫、あなたを分かってくれる人もいますよ というあたたかい言葉に、癒されました。 僕は負けません。
一つのことに没頭できるのなら、人との会話に没頭できるようにしてみては…。 それが出来たら苦労しませんよね、失礼。 無口なことって、そんなに悪いことなのでしょうか? 対人関係の全ては会話でしょうか? 確かに、会話は重要な要素ですが、それが全てではないような気がします。話すのが苦手なら、聞き上手を目指すとか。。自分のことを喋りたくて喋りたくてしょうがない人って、世の中に沢山居ると思います。 あなたが聞き上手であれば、そのようなお友達が沢山出来そうですが。 会話の内容によっては、無口なあなたでも喋りたいと思うようなものって、一切ないですか? 自分が話したいような共通の話題でコミュニケーションがとれる相手と話す機会を作って、そこから少しずつ慣れていって、会話そのものが楽しめるようにしていくのも方法の一つだと思います。 まとまりのない文章でごめんなさい。。
お礼
質問にお答えいただき、感謝いたします。 >一つのことに没頭できるのなら、人との会話に没頭できるようにしてみては…。 はい、ずっとその戦略で行こうと考え努力してきました。 でも、この分野だけは、なかなか。。(汗) 苦手みたいです。 自分が没頭している仕事の内容であればしゃべると思います。 でも、なんか、、あまりしゃべりたくないのです。 話し方がまずいのか、聞いている相手も面白くなさそうですし。。 聞き上手を目指すのは、いいかもしれませんね。 僕も聞き上手を目指してみます。 一時やってみましたが、聞いてばかりで、話が盛り上がらなく なってしまうのは、本当の聞き上手ではないんでしょうね。。 聞いているだけだけど、相手がどんどんノッてくるのが、聞き上手 なのかなあ。 まとまりのない文章でごめんなさい。。なんて、とんでもないです。 十分に、伝わりました。本当にありがとうございます。
- yu-taro
- ベストアンサー率39% (3209/8203)
こんばんは。 一つのことに専念できる人は向いた仕事やモノ作りや芸術などにはとても良いと思います。 無口な人でも話したい気持ちはあるので、特に無理して話をしなくても気の合う人であれば自然と言葉少なくてもコミュニケーションは取れると思います。 特に好みの女性が目の前に表れたら、食事に誘ってどんなことでも良いので自分の得意なことを話して、あとは相手に質問して何が好みなのか趣味は何をしているのかと聞くと自然に話してくれるようになります。 そして付き合うことができても、言葉以外の手を繋ぐスキンシップで十分に気持ちが伝わります。 言葉がうまく伝わらなかったら手紙を書けば意志は伝わります。
お礼
こんばんは。 ご回答ありがとうございます。 >どんなことでも良いので自分の得意なことを話して、あとは相手に質問して何が好みなのか趣味は何をしているのかと聞くと自然に話してくれるようになります。 そうですね。相手の話したい事を興味を持って聞く、これだけでも会話は成り立つものですね。でも、ちょっと長い時間一緒にいると 聞くだけで何も話さないと、変な空気になってきます(僕が考え過ぎ?) 会話でけでなく、スキンシップや手紙等、方法はありますね。 人と人の関係は奥が深いなあ。僕は手紙をたまに書きます。 やっぱり、落ち着いて書けるので、苦手ですが気持ちを伝えやすいです。 いろいろありますね。参考になりました。ありがとうございます。
- boufuusetu
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アドバイスにならないのですが、質問文を読んでとても共感しました。自分も数年前まで全く同じように考えていたもので… >生きるという事は、苦手な事も、克服しなければなりませんか?本来の自分がわからなくなってでも。。 私は20代のはじめまでは克服しようと頑張っていました。結果、克服できた(というかマシになった)部分もあれば、できなかった部分もたくさんありました。 20代半ばになって、やはりそんな自分に疑問を持ちました。得意・不得意も個性のうち、とある意味「割り切り」ました。割り切ったら肩の力が抜けて、かえって人生(笑)が楽しくなりました。新しいタイプの友人も出来ました。 質問者さんがおいくつくらいか分かりませんが、人の性格や性質ってそう簡単に変わるものではないと思います。ある程度の年代になったら、自分の個性として受け入れて「克服する」というより「心がける」くらいの気持ちでいたほうが自然な生き方が出来るように思います。
お礼
さっそく、お答えいただき、ありがとうございます。 同じように考え、共感して頂ける方がいたことに、不思議な安堵感を感じました。私は20代半ばです。回答者さまと同じように、最近、あがくのをやめて、自分のありのままを受け入れようと考えだしました(笑)。 その方が、(ある意味で)ラクですしね。 でも、今自分の中で割り切れないのは、したい事があるのにできない、 という気持ちにどういう風に納得すれば良いか。。ということです。 家で読書ばっかりしてしまいそうな自分が怖いし、そんな自分には なりたいと思いません。やはり、自己実現したいです。 でも、自己実現って、克服することにあるのか、活かすことにあるのか。。 >「克服する」というより「心がける」くらいの気持ちでいたほうが自然な生き方が出来るように思います。 そうですね、そんな風に感じます。あまり思い詰めず、少し意識すれば 長い目で見てちょっとは改善するかもって、イメージです。 ご回答、本当に、ありがとうございました。
お礼
ありがとうごじます。 hidechan2004さんのご回答は、僕に強い勇気をあたえてくださいました。 やりたいこととやれる事は違うと言うことですが、それでもやはりやりたいことをやるべきだと思います。 の部分や、 人付き合いも、繰り返せばだんだん出来るようになります。そうすれば、初めは楽しくなくても楽しくなってきたりします。 遊びに行きたく無い人が無理に行っても意味はないと思いますが、貴方がそれを望むなら実行すべきだと思いますよ。 が、特に印象的です。 ありがとうございます。 そうですね、僕の心が、やりたい、と言っているんだからしょうがないです、もうこれは。苦手であろうが、なんだろうが。 でも、苦手だとやはり気まずい思い、つらい思いをするので 毎日こうやって、苦手に手を出しては悩んでしまうようです。 これはたぶん、頑張り過ぎなのかなと、最近思い始めました。 もっと長い目で自分を見てあげて、たとえば1年とか、3年とか。 焦りすぎて、頑張りすぎて、頭がいっぱいになって余裕がなくなって いるように、自分で実感しています。 方向性はまちがってない(苦手でもやりたいなら克服する方へ)が、 結果を急ぎすぎている という風に結論付きそうです、自分のなかでです。 貴重なご意見、そしてhidechan2004さんには実際にご自分でも 実践されている勇敢さと、出来ない事が出来るようになる過程を上手く楽しまれている余裕と言うか気の持ちようを、感じました。 出来ないからこそ、少しでも出来たときの喜びが大きいですもんね。 そして僕自身できるようになりたいと望んでいる。 あとは上手く肩の力を抜く事を覚えることがいいのかもしれません。 本当にありがとうございました。