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意見の相違に気が付いたときに、自分の誤りを認めたことはありますか?
議論やちょっとした諍いから、お互いの意見の違いに気が付くことはあると思います。 そうしたときに、自分の誤りに気付いて認めたことはありますか? 「ある」と答えた方は、そこに至るまでの経緯(思い出など)も教えてください。
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回答から言うと、あります。 口論の最中に指摘されたり自分で気づいたら、そこはいつも訂正して話を進めてます。気分は複雑でも、そうしないと互いがおかしいとわかっている事を論ずるという無意味な状況になってしまい、話が進みませんからね・・。 私見ですが、自分の誤りに『気づいていれば』それは誰でも認めるのが一般の常識で、気づきながらも自分が正しいと言う方は世間のマナーから大きくずれた人達だと思ってます。 ただ、感情的になっていると自分の意見や考えを見つめ直すというのは人間なかなか出来ないもので、誤りに気づけるかどうか。相手に指摘されて自分の意見を考え直せるかどうか。というのが意見の相違においての問題点だと思います。 見た限りではaqucentさんは普段感情的になりがちのようですが、自分の誤りを認めて話すことが出来ているなら必ずしも『相手を認める』事は無いと思います。 自分が間違っているのは相手が正しいためとはなりませんし、相手を認めることで正しかった自分の意見をも見落としてしまう事ってあると思うので。
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- Gantz10
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というか、誤っていたことが分かったら正すでしょう。 それが自分だろうが他人だろうが。 経緯も何も、前提としている事実関係や発言内容の論理構造を再チェックする以外に、なにかあるのでしょうか。
補足
そうですね…。 質問の仕方が適切ではなかったかもしれません。 申し訳ありません。 > 誤っていたことが分かったら正すでしょう。 論理的にはそうなりますが、自分が誤っていることに気が付くでしょうか。 そして、気が付いたときにそれを認めるかどうか。 人として、ある程度は自分の正当性を信じるところはあるので、私には難しい問題のように思えました。
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お礼
そうですね…。気が付いた時に考え直すかどうかは、1つの節目ですね。 『相手を認める』はケースバイケースで、必ずしもそうする必要はないというのはわかっていたつもりでしたが、 苦手意識から拘っていた面はあったかもしれません。 『相手を認める』に拘りすぎると、いわゆる宥和型と受け止められて、私がどんな考えを持っているか分かりづらいと思わせてしまうのかもしれませんね。 #5の方のように、感謝を表しても良いですし、認め方にはいろんなやり方があるのだと考えさせられました。 バランスが大切なのだと思います。