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カンボジア内戦についてのデータ
カンボジア内戦時の ・埋められた地雷の数 ・小型武器の流入量 ・難民の人口 などの年毎(でなくてもいいが推移の分かるもの) の資料orデータを探しているのですが、 大学の図書館にもwebサイトでも見つかりません。 そもそも、そのようなデータは存在しうるのでしょうか?? もしサイトなど知っていたら教えてください!!
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残念ながらお探しのデータもしくは資料はおそらく存在しないと思われます。もしあるとしても、かなりの推測を加えたしかも大雑把な(例えば1千万から2千万までのあいだとか)数字しかないかと思われます。 埋設された対人対戦車などのざまざまなタイプの地雷に関しては、カンボジア内戦時には当時の共産国、中国、ソビエト、北朝鮮などから大量の地雷が直接もしくはベトナムなどを通じて持ち込まれましたが、その正確な数はどの国も発表していません。 幸運にも正確な数が分かったとしても、使用済みの(つまり人を殺傷したり、車両等を破壊した)地雷の数も分からなければ、度重なる洪水によって流された大量の地雷の数が分からない以上、現在埋設されたままの地雷の数は単純に引き算をすればよいというわけにはいかないので、それを把握することが不可能だといえます。 小型武器に関しては、拳銃、ライフル、手榴弾、携帯ロケット、および軽機関銃までをその範疇と考えます。 それらの小型武器(小火器と表現することが一般的です)もやはり共産国製造の物がほとんどを占めていましたが、他にもフランス、アメリカなどの西側諸国の武器も多く流入していました。中には第二次大戦中に使用した物もあったことを考えると、これも正確な数字を把握することは困難だと思われます。 最後に難民の数ですが、これも残念ながら…と言うしかありません。 ポル・ポト(クメール・ルージュ)政権が行った当時のカンボジア知識層人を中心とする大虐殺は、30年以上も経った今でもその正確な数字は自国はもちろん、他国のどのような機関も出し得ていないほど、混沌と破壊の時代でした。 原始農業国家を建設しようとしたクメールルージュは、それまでのカンボジア国家の文化、歴史、そしてシステムを徹底的に破壊することを至上の命題としてきた狂気のイデオロギーを信奉する政権でした。 つまり彼らは一つの国家の記憶をすべて消し去ったとも言えます。 そのような時代に翻弄された国家の記憶をたどることは大変だとは思いますが、この回答とも言えないものが何かの参考になれば幸いです。