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過去の罪が苦しい・・・

私は恋愛関係でボロボロになってうつ病になり、大学を辞めたり、ニートになったり、家で暴れて精神病院に入院したりしました。 ようやく冷静に笑顔で生きられるようになったのですが、過去に傷つけた人たち、迷惑をかけた人たち、そんなかた(もう二度と会わない)に対するもうしわけないという思いが頭から離れません。 初対面の人に「まじめ」といっていただいても、自分のなかでは違うと思いますし。 一番の解決法は忘れたり考えないことだと思うのですがそれができません。 この思いを一生背負っていきていかなければならない。 みんなそうなんでしょうか? ご意見よろしくお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

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  • spiko14
  • ベストアンサー率21% (237/1099)
回答No.1

質問者さんは立派だと思いますよ。 世の中には、自分が迷惑をかけていることを40代、50代になったって自覚できてないひとも多いのです。 若いうちにそれを気づくことができた質問者さんはえらいんですよ。 それと、申し訳ないからといって十字架を抱えて生きていく必要はないと思います。 ただ、辛いときに助けてくれた人がいたことや、そのおかげで立ち直れたこと、それらに対する感謝の気持ちだけは忘れずに持っていればいいだけなんですよ。 「申し訳ない」ではなくて「ありがとう」で、いいんです。 これだけの思いをされたのですから、今後は自分にも優しく生きていっていいんです。 そして、もし質問者さんの力でできることがあったなら、その時の感謝の気持ちを、また、別の形で他の人に返していけばいいんです。 私も、本当に辛い時期を乗り越えて今、幸せに生きています。その時に助けてくれた人、力になってくれた人に対する感謝を忘れずに、また、別の形で色々な人にお返しができたらいいなと思っています。 このまま笑顔で穏やかに生きていくことが、お世話になった方々への最高の恩返しだと思いませんか?

noname#20665
質問者

お礼

ありがとうございます。 泣いてしまいました。

その他の回答 (5)

  • gaiyaru
  • ベストアンサー率50% (1/2)
回答No.6

No.2194330 です。 私と類似する点があります。

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2194330
  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.5

仏教の歎異抄という中に「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という有名な言葉があります。直訳すると「善人でさえ極楽へ行けるのだから、ましてや悪人なら(極楽へ行ける)」という意味です。とても難しい言葉なのでこれをどのように解釈するかさまざまな説があるのですが私がお気に入りなのはキリスト教的な解釈です。 それは「罪を犯したことのない人は極楽へ行けるだろう。しかし、罪を犯してそれを悔いた人は反省しているのだからさらに極楽に行けるはずだ」というものです。 「失敗学」というのを提唱する畑村洋太郎氏は「失敗なきところに成長あらず」と断言しています。ときどき、400戦以上無敗とか20年麻雀で負け無しとかいう人が出てきますが、ああいう人はウソをついているか勝てる相手としかやらなかったかのどちらかです。あまり、他人と比べないことですね。 遠藤周作氏の「イエスの生涯」という本を一読されることをおすすめします。

  • june1
  • ベストアンサー率10% (41/389)
回答No.4

人間はいろんな体験をして成長します。 傷つけたり、傷つけられたり・・・。 私も辛いことやひどいことも経験しました。 でもこれも貴重な経験で 自分を高めるための試練なんですよ。 toshijiさんが忘れることができないのなら 無理してそうする必要はないと思います。 前向きに生きて 幸せをつかみ取ってください。 不幸な経験はtoshijiさん一人だけじゃありませんよ。 みんな同じですよ。

noname#20665
質問者

お礼

一人だけじゃない。 そうですね。 ありがとうございます。

回答No.3

もう終わったことなんだし、後でくよくよ思っても仕方ないと思いますよ。 「申し訳ない」という気持ちだけでも十分なんじゃないでしょうか? 失敗することは誰にでもあります。 でも、それをバネして、同じ失敗を二度と繰り返さないようにすればいいと思いますよ! 大切なのは過去なんかじゃありません。これからです。 いつまでも過去にとらわれているより、この先どうするべきなのかを考えるほうがよっぽど重要なのではないでしょうか? 大丈夫です。頑張ってください!

noname#20665
質問者

お礼

そうですね、大切なのは未来。 頭ではわかってるんですけどね・・・ がんばります。 ありがとうございます。

回答No.2

 人は犯した罪を背負い、前へ進むものだと思います。  ただ、時々その重荷を下ろして休息しましょう。  そして犯した罪の分だけ、自分の手が届く範囲で、例え独善と言われても、己が信じる正義に従い、生きられたなら、答えが出るかもしれません。  罪の数だけ優しくなれたら素敵ですね。

noname#20665
質問者

お礼

そうなれば素敵ですよね。 ありがとうございます。

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