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「仕事」は?

仕事は、人生の一部でしょうか。或いは、仕事の中に人生を見いだすべきでしょうか。個人としては前者の様に思えますが、皆さんはどう思われますか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • inaba502
  • ベストアンサー率23% (22/94)
回答No.1

無職中、遊びに行っても楽しくありません。 仕事がうまくいっていない時の休日は憂鬱です。 仕事が充実している時こそ、プライベートも楽しいです。 なので、人間として充実して生きるには、労働は必要不可欠なのではないでしょうか。 (一部でも無いし、全てでもない) これは僕の考えですが・・。

chironero
質問者

お礼

あなただけでなく、周囲の人も同じだと思います。 何とか早く脱出する事を祈っています。いまの世の中私が若かった頃と様子が違いますのでアドバイスがアドバイスにならない事も考えられますので、あえて致しませんが、人生糾える縄のごとし、何とかなります。但し、希望だけは捨てないで!

その他の回答 (2)

回答No.3

仕事は、人生の一部に包含されると思います。 私見ですが、サラリーマンの場合、一生の中で仕事が占める時間的な割合は、単純計算で1割程度です。 まず、人生80年で就業年数が概ね40年(20~60歳)とすると、全体の半分になります。 次に、1日8時間労働なので、上記の1/3に減少します。 さらに、所定の休日や自己の休暇を勘案して1/3を控除すると、全体の約11%になります。 これに、残業・休日出勤や通勤・出張の移動時間等を加算しても、全体の2割位が限度でしょう。それを超過すると、過労等で生死に関わることになりますから。 上述の捉え方を前提とするならば、何故、人生と仕事を同一視する考え方が一般的に存在するのか、社会生活で人間の属性の第一に職業が位置付けられるのか、等が問題になるかと思います。 これは、仕事というものが、青年期から壮年期に亘る中核の年代において、人間の活動が最も活発な日中の時間帯に行われることから、社会心理上、実労働時間以上に、その拘束感的な比重が強調されるからでしょうが、これを考慮しても、一生の大半を仕事に費やすという感覚には結び付きません。 そのような思いに陥るのは、過大な義務感・責任感を自らに負荷している場合であって、客観的に要求されている成果と比較すれば、それが余分なものであることが多いです。 上述のような必要以上の拘束感を自ら解放して、自由を手中にすることが大事だと思います。 つまり、自分の人生は、自分の自由と責任によって成り立つのであって、仕事もその自由意思で行っていくという発想の転換です。 そして、様々な環境による制約に対し、これと如何に抗して主体的な自由を確保していくかが、生きるということだと思います。 仕事に関連して自己実現すべきものがあれば、それを人生の目標にすることも肯定される生き方でしょうし、仕事を収入を得る手段であると割り切って、それとは別個にライフワークを持つことも考えられると思います。 要は、生きる意義を見出せれば、何でもいいと思いますが、人生の全てが仕事というは、違うように感じます。

chironero
質問者

お礼

もう少し、踏み込んで議論すると面白くなりそうですね。若い頃、「おーい!○○の角が手に入ったぞ!」 一晩飲み明かして語り合ったものです。有難う御座いました。

  • ariga10-1
  • ベストアンサー率32% (27/83)
回答No.2

仕事は、人生の一部だと思います。仕事をしない生き方もありますが、充実した人生を送ることはできないでしょう。仕事というものを利用して、自分の人生の目的を達成するものだと思います。仕事を楽しむ心が大切なのだろうと思います。そして、自分の能力を発揮して人の役に立ち、社会に貢献するためのもの(近道)だと思います。

chironero
質問者

お礼

根幹には、仕事に対する姿勢や考え方があると考えます。仕事とは、なんて論議をするともっと掘り下げる事が出来そうですね。有難う御座いました。