「雨ニモ負ケズ」は、最後に「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」(そういう人に私はなりたい)と書かれているように、今まで書いた色々のことを実践出来る人になりたい、という願望の詩だと思ってました。
雨にも風にも雪にも暑さにも負けない丈夫な身体を持っていて、
欲はなく、絶対に怒ったりせず、常に微笑みを絶やさない
食事は質素に
あらゆる事に於いて自分のことは後回し
良く見聞きし、理解し、忘れない
豪邸ではなく質素な家に住み
病気の子がいれば看病し
疲れた母がいればの稲の束を代わりに背負い
今にも亡くなりそうな人がいたら「(死ぬことを)怖がらなくても良いよ」と優しく労り
ケンカ・訴訟をしている人には「そんなことはつまらないことだからやめなさい」と諫める
日照りの時は農家の人を思って涙を流し、冷害の時は農家の方を心配して、
「役立たず」と呼ばれ、誰かに賞賛されること、心配されることもない
だけど私はそういう人になりたい
……といった感じに解釈しておりました。
最後の一文を除いて、これらは賢治にとっての「理想像」なのだろうと思います。
つまり、本当の賢治は「そうありたい」と願っていても、実際はそうではない、という裏の意味があるのかと。
まぁ、実際こんな人は現実にいないだろうと思うくらいのことが書いてありますし……。
これら全てを兼ね備えているのは「神」か「仏」くらいのものだと思います。
しかし私はそういう人になりたいのだ、という賢治の思いが込められているのだと思ってました。
最後一文は、直前の「ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ」だけにかかるのではなく、全体にかかるのだと思います。
専門家でもなんでもない、個人の勝手な解釈ですので参考程度にしておいて下さい(^^;
お礼
ご紹介下さったページ。とても役立ちました。 どうもありがとうございます。