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権利としての福祉
なぜ、福祉は国家からの強制ではなくあくまで個人の権利として存在するのでしょうか?法律的なことなどは全くわからないので、できるだけわかりやすく教えてください。
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福祉は国家からの「強制」となると、福祉は義務になります。つまり、国民に圧力がかかることになります。 「仮に」、例を挙げますと、憲法では、勤労の義務がありますが、住居を持たないホームレスの方に対して、勤労の義務を負っていないということで、仕事をするように強制されます。強制に応じない場合は、処罰されることになります。(行政法に基づいて) 権利は、生活的な利益を得ることが出来ますが、 義務は、国民に課せられたしなければならないものです。 例では、憲法を挙げましたが、実際に憲法で争われたりするのは余程の大きな問題であるので、日常生活する上では、憲法で争われることはないです。 上に述べましたとおり、やはり、福祉は義務ではなく権利として、法律に基づく利益を受ける方が妥当だと思います。個人の意思に関係なく無理矢理に福祉を強制されれば、ありがた迷惑になってしまいますから、福祉ではなくなってしまいますから…。
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- tuntun07
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自分もあまり法律的なことに強くはないのですが…(^^; とりあえず出発点は憲法です。#1さんも書かれているアレですね。 ゆえに行政の側には、義務ということになります。 一方で個人の側には、福祉を受けなければならない義務は存在しません。受けたくない主義の人もおられるでしょうし、それに対し強要するのは、個人の主義主張にいたずらに抵触する、と考えられるわけですね。 同時に現実問題として、福祉を受けられるかどうかは個々人の生活上・家庭上の困窮状態によるわけですが、その状態は外部から分かるものではありません。強制的に福祉を進めるのならば、強制的に家庭状況など調べることも必要になり、個人情報も何もあったものではないですよね。 そんなわけで、義務ではなく権利としてしか存在しない、というより存在し得ないわけですね。 ちなみに、他に義務と権利で議論される項目として「義務教育」というのがあげられますが、あれも親の側からは教育を受けさせる「義務」ですが、子どもの側は教育を受ける「権利」となります。ゆえに不登校も、子どもの側が本心から望んだものであれば、それは選択ということになるわけですね。
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御回答ありがとうございます。大変参考になります。
- myeyesonly
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こんにちは。 福祉は行政の義務として存在します。 憲法により、行政は国民に対し、「健康で文化的な最低限度の生活をする権利」を保証しなければなりません。 その業務が福祉です。 まあ、憲法には、国民の権利として書いてある所から出発しますので、個人の権利と言ってもいいのではないかと思います。
お礼
御回答ありがとうございます。
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