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公務員(国家)の権利と義務について
公務員の権利と義務について調べましたが、よくわかりません。 公務員と言う職業から発生する権利と義務は、法律に明文化されていますか。 例えば、警察官は犯人を逮捕しますが、これは、逮捕する義務があるのでしょうか。それとも権利があるのでしょうか。国家は犯罪者を処刑しますが、これは義務でしょうか。権利でしょうか。 また、上司が部下に仕事を命じますが、これは権利でしょうか。義務でしょうか。 私は、公務員は国民・住民から給与の支払いと引き換えに仕事を命じられた者であり。義務のかたまりで、はっきりした権利は、給料請求権(仕事を果たした場合)のみだと思います。 こういった重要事項は法律、通達、解釈はないのでしょうか。 権利とは、主張してもいいし、しなくてもいいものだと思います。仕事が権利であれば、気分しだいで、してもしなくてもいいことになります。 国家に処刑の権利があれば、処刑しないこともOK。ということになるのではないでしょうか。 教えてください。
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端的に 全ての法律は、国会を通過し成立しているもので、要するに全て国民の意思により、作成されているものです。国民の意思なくして法律は1本も出来上がりません。 法律作るにあたり、あなた自身の意思も反映されてます。 不満なら改正すべく、不満な法律を改正するよう主張する政党に1票投じるべきです。そうして、法律は改正されます。 >悪事を働く中学生3人云々 そもそも、学校が中学生に命じて悪事させているわけではなく、それに関して、学校に不法行為として訴えることすら出来ません。よって、この中学生3人に付き、学校に文句言う事自体お門違いです。 中学生3人の悪事とあなたの関係は完全な私法の領域であって、公法の領域が入る隙間もありません。中学生3人に不満があるなら3人の名前、住所を特定し、その親に対し、不法行為しているんだから親が連帯して責任負え、とするのが筋です。 日本国家に問題があるのではありません。純粋なる私法の領域です。単なる民事に過ぎません。(民法709条以降) あなたの考え方そのものに誤りあります。 弁護士とよく相談して問題を解決してください くれぐれも弁護士と国家論についてやりあったりしないでください。相手にされなくなるだけですから
No.1です。続きです。 >国家に処刑の権利があれば、処刑しないこともOK。ということになるのではないでしょうか。 荒っぽく言えば、これは行政行為の裁量という問題で、 裁量がなければ処刑しないのはダメ(=違法)ということですが、 裁量があり、かつその裁量の範囲内であればOKだということです。 また、逮捕については、「逮捕することができる」というのは、 逮捕を「してもしなくてもよい」という意味ではなく、逮捕することが「許される」という意味です。 現行犯人を逮捕できる状況なのに逮捕しないで逃がしたりすれば、 「裁量の範囲を超えて違法」ということになると思います。 ちなみに、現行犯の場合、一般の人でも逮捕はできるんですよ。 刑事訴訟法に規定があります。
公務の遂行は法律に基づいて行なうという原理原則のことを「法律による行政の原理」といいます。 >これは、明らかに権利ではなく、義務だと思うのですが。いかがでしょうか。 法に従うこと自体は義務というより、当然のことであって、これは公務員か否かには無関係です。 ある特定の法律を考えれば、それが誰を規制する法律かということには違いがありますから、 「自分には関係のない法律」というのはあるでしょうが、それは「守らなくてもいい法律」とは違います。 守らなくてもいい法律というのはありません。 ですから、これは公務員の権利や義務という問題ではありません。 >特定の個人・団体に対して公務上の権利を主張し、執行することがありますが、これも「納税者のために、「納税者に代わって権利を主張する」という義務があるのではないでしょうか。 話を国家公務員に絞って考えると、たぶん、あなたの考えている「公務員の義務」というのは、 国が私人に対してもつ権限や義務のことだと思います。 そこに、公務員が個人として給与をもらう権利というようなものを混ぜ込んでしまうとわかりにくくなると思いますよ。 公務員が逮捕する場合は、国に代わって逮捕するわけですね。 しかし、給与をもらうのは、私人としての請求権に基づいてもらうわけです。 公務員が「国に代わって」国から給与をもらうのではありません。 それでは国が国に払っていることになってしまいますから。 また、公務員が直接私人に対して公務執行の義務を負うわけではありません。 国が私人に対して権限や義務を有しており、公務員は国に対して公務執行する義務を負っているだけです。 民間企業に例えていえば、ホテルの従業員に「きちんと部屋を掃除してくれ」と クレームをするのは顧客の権利かもしれませんが、それはその客が「その従業員」に 「掃除をしてもらうという権利」を直接を持っているからではありません。 その従業員を通してホテルに権利を主張しているわけです。 そして、従業員はホテルから給料をもらうのと引換えに仕事をする義務を負っています。 給料は元を正せば客が払ったものから出ているかもしれませんが、客がその従業員を直接雇っているのでない以上、 客に直接の義務は負いません。客→ホテル→従業員という間接的なものです。 その意味で「納税者」という概念を持ち出すとわかりにくくなりますね。
補足
ありがとうございます。 しかし、私には、ますます物事がわからなくなります。 私は、警察官に尋ねたことがあります。あなたは、誰から給料をもらって、誰のために働いているのか。と。 すると、「私は県知事から給料をもらって県知事のために働いている。」と答えました。 私が、あなたの給料は、我々市民の税金なのですよ、と言うと、きょとんとした顔をしていました。 外国では、公務員のことを、パブリック・サーヴァント、つまり国民の召使と言います、日本でもかつては、「公僕」と呼ばれていました。この、「公務員」よいう言葉には何も感じません。この言葉自体に何の意味も含まれていないのです。 私は、公務員は国民のために働くものであり、国民が集合体で、その意思がわからないために、その代表者の意思を国民の意思として従っているだけだと思っていましたが、基本的な人間の生き方として、これは間違っているのでしょうか。 これまでの、皆さんの意見では、公務員には権利も義務もはっきりしておらず、国という得体の知れない組織(権利・義務の点での存在という点で)のために盲目的に働くロボットに見えて仕方がありません。これは、現実の社会を言っているのではありません。法解釈を言っているのです。 公務員の権利・義務は、このような状況では、公務員も答えることは不可能だと思います。 社会の組織は複雑になればなるほど、抜け穴が増え、不正と腐敗が増えます。多くの国民が、規則を理解できなくなるからです。 その点、権利・義務ということさえも、簡単に述べられないような国家では、すでに、こういった問題が根深いものだと言えるのではないでしょうか。 先日、悪事を働く中学生の件で、学校に抗議したところ、生徒3人を教頭が連れてきました。この学生は、見覚えがありました。何度も迷惑行為を繰り返しますが、いつも走って逃げ、どこの者かわかりません。教頭の脇に立って黙っているだけです。両親と相談したいし、今後も不安だから名前を教えて下さいと言っても、教頭は、「私には子供を守る権利があると言って最後まで学生の名を明かしません。」この3人を連れてきたのも、私が徹底して近所を聞き込みして3人を特定すると中学校を脅したからです。 警察に通報しても、未成年者の迷惑行為で現行犯でないので、何もしないことは明らかです。この迷惑行為は自宅の敷地内に門を開けて侵入して行うという悪質なものです。 私には、この教頭は、公務員・教師が何のために働いているのか全く理解していないと思います。 これが、日本の現実です。
- lequeos
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公務員というのは、公務を遂行するに当たっては個人ではなく国家機関の一部として行動する、というのが法的な前提です。国家機関の一部、という意味は、「個人の意思、好み、気分などによって左右されない」という意味であり、上命下服の原則(国家公務員法98条)により、最終的には内閣の意思を代行しているという関係になります。このことは、国家公務員の公務上の不法行為(犯罪行為ではない)が国家の責任となり、国家賠償により償われることからも明らかでしょう。 したがって、公務というフィールドにおいて公務員個人には権利も義務もありません。あるのは国家(行政府)の権利(権限)と義務です。 では設例の、犯人を逮捕する行為は国家のナニかというと、権利(権限)ということになります。国家には、逮捕しない自由もあります(刑事訴訟法198、199条)。刑に処するのも(制限はあるが)権利(権限)といってよいでしょう(執行を猶予したり、仮釈放したり、恩赦・特赦ができたりするため)。多くの場合、法律に定められた政府の機能は権利(権限)としての性格を持ちます。 やや違うのが上司の部下に対する命令で、これは法律上の概念である権利や義務ではなく、政府が職階制をとる以上、組織として必然的に有しているものです。すなわち部下は命令に従う義務(公務員においては法律上の義務である。国家公務員法98条)がありますが上司は仕事を命じる義務はありません。また上司が命じるのは権利でもありません。必要があるから命じるというのに過ぎません。 公務員個人が仕事をサボるのはもちろん問題ですが、国家は組織として仕事をしない場合もあります(多くの公害はこれにより深刻化しました)。それまでも個人の問題に帰すことは、逆に国家の責任をうやむやにしてしまいます。ですから国家も、選挙や訴訟などを通じて不断に監視する必要があるのです。
- tera_tora
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憲法15条1項 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。 同条2項 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。 憲法99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。 まあ、憲法で代表的なところはこの辺でしょうか。 ここでいう公務員とは最高裁、国会、内閣を指します。 憲法15条1項から、まず大事なことは公務員を決めるのは国民ということです。これは権利であると書いています。つまり、公務員の上には大きな権利を持った国民が存在することです。なぜかというと、公務員には巨大な権利があるためなのです。それが司法権、行政権、立法権なのです。その辺は各憲法の条文を見てください。 公務員の義務は憲法99条に書いてあるように憲法を遵守する義務があるのです。つまり、憲法が最高法規となり、憲法に許された範囲を逸脱する行為は公務員として絶対に許されません。 上記は公務員の中でも、最高裁判所、国会、内閣についての話で、その下部組織については、それぞれが法律の定めるところにより、下部組織を運用されます。つまり最高裁判所、国会、内閣が権利者であり、法律を介して下部組織の公務員はそれぞれの業を実行する義務があるのです。 ちなみに法律の遵守は一部の特別法を除き、国民すべてに遵守する義務があります。つまり、公務員により支配されていること(義務を負わされること)を指しますが、上記のように国民が公務員の罷免権など強大な権利を持つことによりバランスが保たれているのです。 具体的に挙げた例を見てみましょう。 警察について: 警察の逮捕は警察の権利です。あなたに逮捕できますか? しかし、その後、逮捕後は検察にゆき、検察は裁判をする義務を負うのです。そして、逮捕者は裁判を受け自分の弁明をする権利が与えられます。 上司と部下: これは単なる役務上の関係であれば一般論になりますね。具体的にいえば、そこに強い権利や義務の関係があるわけではありません。公務員の場合、法律や憲法が上司です。それにより各人が上司に従い役割(義務)を果たすという感じでしょうか。例え人間関係の上での上司が法律を逸脱するようなまずい対応をしようとした場合、部下はそれに従う必要はありません。 国家は犯罪者を処刑: これも裁判所や法務大臣の権利です。あなたに死刑を宣告できますか?執行できますか?だから、権利なので悪い言い方ですが裁判官や法務大臣次第で結果は違ってきます。けど、裁判官や法務大臣には法律を遵守し、中立な立場で裁判を行う義務があるのです。 >権利とは、主張してもいいし、しなくてもいいものだと思います。仕事が権利であれば、気分しだいで、してもしなくてもいいことになります。 そのとおりです。だから特権を与える代わりに気分次第でというようにならないように法律に定めでそれも従う義務を負わせているのです。そして国民により監視されているのです。 権利が発生すれば義務も発生するということです。 ちなみに人権、国民主権は義務を負わず国民に与えられた権利です。
公務の遂行は法律に基づいて行なうという原理原則があります。 そこで問題になるのは、公務の遂行が権利か義務かではなく、裁量があるかないのかです。 公務遂行が公務員個人の権利であるということは考えにくいと思います。 逮捕も裁量の問題であり、処罰も裁量の問題になると思います。 公務員が仕事をするのはもちろん義務でしょうし、給与を請求するのは権利でしょう。 しかし、それは公務遂行上の問題ではないと思います。 公務員となっている「個人」が給与を払ってくれというのであって、 公務員が「公務として」給与を請求するのではありませんから。 個人としての公務員と、公務を遂行する立場としての公務員を ごっちゃにして考えると見えにくくなりますね。
補足
ありがとうございます。 >公務の遂行は法律に基づいて行なうという原理原則があります。 これは、明らかに権利ではなく、義務だと思うのですが。いかがでしょうか。特定の個人・団体に対して公務上の権利を主張し、執行することがありますが、これも「納税者のために、「納税者に代わって権利を主張する」という義務があるのではないでしょうか。 これを権利と思う人が、腐敗した俗物であり、義務と考えて行動する人が聖人君主だと思います。 もちろん、人間は常にその狭間で苦しむのであり、毎日こんな事を考えて仕事をするわけにはいきません。それで、いつまでも問題が絶えないのだと思いますがどうでしょうか。 これは私の独断でして、憲法・法律・学説の裏づけが全くありません。 大事なことですので、裏づけが欲しいところです。
補足
あなたは、事情を誤解しています。私は学校を訴えるつもりは毛頭ありません。 この生徒らは走って逃げるため捕まえることができません。顔は面識がありますが、住所氏名が特定できないのです。今回やっと学校のパンフレットを残していったことから、学校に協力を依頼したら、わざわざ3人を連れてきたのです。私は3人の顔は知っています。顔を見ても口先だけの謝罪を聞いても意味がないことは百も承知です。 場合によっては両親を訴えるつもりです。 それに対して、学校は拒否するのです。それどころか。教頭は、生徒のプライバシーを守る「権利」が学校にあるとまで言い切ります。 私には、無知な教師に見えて仕方がありません。 それとも、今日では、これがあたりまえの教師なのでしょうか。