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努力はどこまで報われるか
「努力はどこまで報われるか」こんなことは僕にいう資格のない事ですが、疑問に思います。 たとえばある参考書を完璧にこなした時のその科目の偏差値は60~75といわれていますが、この差はセンスだそうです。どんなにがんばっても70以上行くのは難しいそうです。 「努力は才能に勝つ」という魅力的な言葉は本当でしょうか。
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偏差値というのは、統計学の手法によって出てくる数字ですから、それに人間の内容まで代表させることはできないものです。偶然、他の受験者は知らない問題が配点が大きく、偶然少数が答えられたということがあった場合、著しく値が上がりますが、これは実力を示しているとはいえません。私も過去に模試などで70を超えたことがありましたが、「なんで?」という感覚でした。要は、相対評価というものは、自分の実力を評価できるものではありません。他者が優秀で自分も優秀偏差値50と他者劣等性自分優秀で偏差値75で、どっちがいい状況でしょう? そうはいっても、受験界は相対評価で決するわけですね。それもある程度、回数をつめば平均の偏差値で自分の「位置」(実力ではない)がわかります。 それを70(統計的に言って上位3パーセントでしたか?)に保つためには、「努力」以外にどういう方法があるでしょう。才能がもしないとすれば、努力以外に道はありません。 上の言葉を私流に書き換えると、「努力は才能に迫り時によって抜き去る」「才能あるものの努力は何者も寄せ付けない」といったところでしょうか。
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- mcurry
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偏差値って平均点が50とした値だとおもうのですが、 非常に平均点が低かった場合(つまり、大部分の人が点数とれてない場合)で、 高得点とった場合(高得点とれる人が非常に少ない)に 偏差値が75超えます。 通常のテストでは、大部分の人は、ある程度の点数は取ると思いますので、100点とっても偏差値は75以下だと思います。 偏差値70以上行くのは、難しいというよりも、 他の人間が、どれだけ、低い点数をとるかにかかっています。 100点取れば、わかります。
- spacehachi
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根拠はあまりないのですが、自分の考えを書かせてください。僕も同じようなことで悩んでるので。 僕は、努力はかなり報われると思ってます。 努力っと一言で言ってもいろいろな形があるから、そう思います。 僕は、「ただ単にがんばる!」っというのは努力ではないと思います。 例えば、英単語を覚えるために、英和辞書のAからZまで片っ端から覚えた「超努力家」がうまくいっているわけないし、むしろ、語呂あわせとかで楽しく頻出単語を覚えてる人の方が、結果が出る。 何がいいたいかといいますと、↑上の例の場合、 「考える努力していない!」 からではないでしょうか? 自分を追い詰め、追い詰め、必死でがんばる!って精神は必要ですが、>Ganbatteruyoさんが触れた「意味ある努力」を作り出すための「考える努力!」が必要なのでは? っと自分は思っています。 要は、「努力とは何か?」ってことになるのではないでしょうか? ・何も考えずにただ走り、自分を鍛えるのか?? それとも ・トレーニングメニュー、食事、睡眠を考えて、自分を鍛えるのか? どうでしょうか? あと、偏差値は、簡単にいうと、「差」です。頭がいい人と悪い人。「絶対的なはかりではありません。」 たとえば、身長175cm人が同じ同級生たちと比べると「偏差値53」くらいだとします。もし、175cmの人が 140cmの小学生達と比べたら、「偏差値70」っとなります。 つまり、実質(175cm)は変わらない。何がいいたいかというと、偏差値では自分の成長を計るのは難しいってことです。だって、他の人達が同じように勉強したら、自分の偏差値は変わらない。自分は「あ~オレ成長してないんだぁ~」って勘違いをしてします(X0X;)あう! 最後に、考えることも必要ですが、「前に進む気持ち」も大事だと思います。根性論はあまり好きではないですが、やはりモチベーションも大事だと思います。力になりますからねd(^^) 今はきっと疲れているんだと思います。少し力を抜いてみてはどうでしょう? がんばってください!!
- Ganbatteruyo
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アメリカに37年半住んでいる者です。 私なりに書かせてくださいね。 何かをするということにはすべての物に「質」というものがあります。 また、やればいい、だけじゃすまないこともありますね。 この努力と言う単語もこの質と言う物が「ものを言う」のです。 すばらしい技術から作られたエンジンを持つ車にのっぺらぼうのタイヤをつけても無駄ですね。 いくらエンジンがその能力を地面に伝えようとしてものっぺらぼうのタイヤでは「空回り」するだけのですね。 エンジンに合わせたタイヤが必要なのです。 意味のあるタイヤをつけなくてはエンジンのすばらしい能力を発揮することは出来ないのです。 努力するのも同じなのです。 努力をしたところで「空回りする」様なことをしていては結局無駄な努力となり「報われることはない」と言う事になってしまいます。 意味のある努力、Meaningful Effortsと英語では言いますが、その逆にMeaningless effortsと言う単語もあるのです。 Efforts・努力と言う単語だけでは今回のご質問への回答にはならないと言うことなのです。 では、何が意味のある努力なのでしょうか。 それは、目的を持ち、その目的に向かって必要な知識と経験とを養い、それらを効率よく使い「努力する」と言う事なのです。 つまり、努力するには目的・目標と言う物が自分になくてはならないと言うことであり、結果を作り出すための過程でありそのために費やす時間と努力のバランスが必要となるわけです。 そうすると、目標に達するための努力を最大限に使うと言うことから、くじけない自分、時間管理、基礎知識習得、目的を失わない反省・評価の継続、やり通す意思など、かなり自己啓発・自己管理の能力が意味のある努力を目的を達成するまで大きな要因であることがお分かりだと思います。 >参考書を完璧にこなした時のその科目の偏差値は60~75といわれていますが、この差はセンスだそうです。どんなにがんばっても70以上行くのは難しいそうです。 誰がそんなことを断言しているのでしょうか。 センスだというのであればそのセンスを伸ばすことは考えられない、ということでしょうか。 それは自己啓発・自己管理で伸ばせるはずです。 センスを伸ばすと言うことが途中目的のひとつとなるからなのです。 途中目的とは最終目的に達するのに必要な目的として自分を伸ばす物です。 数字が分からなければ算数は出来ません。 アルファベットが分からなければ英語が習えませんね。 報われるか、と言う表現をしておりますが、その報われる、とはどういうことでしょうか。 自分が立てた自分のための目的と解釈してはいけないのでしょうか。 友達とスケボー・スノーボーが今年の冬に出来るようになりたい、と言う事と、4年後の冬季オリンピックに出場すると言う目的とは雲泥の差がありますね。 後者を選ぶためにすべてのことを忘れる、と言う事にもなるでしょうし、前者を選ぶにしてもパチンコはやめて貯金すると言うこともあるでしょう。 努力は才能に勝つ!は私の信条です。 しかし、私はマイケルジョー段のバスケット技術、タイガーウッドのゴルフ才能を上回りたいなんて思ったことはありません。 しかし彼らが出来ないことを彼らの才能の何十倍も出来ると自信を持っていえます。 努力が出来るのは人間しかいません。 しかし意味のない努力をするのも人間です。 努力の仕方、モチベーションの習得、体力の養成、精神力の養成すべて「努力が報われる必須項目」であり、これらをやれば必ず自分のための目的は達成できます。 達成するための努力がこれらを自分の物することから始まると言うのは自分に達成できる「土台」を作ると言うことだからなんです。 希望と夢は誰にでも持てることです。 しかし、希望と夢を自分の物に出来るのは自分しかいないのです。 希望と夢は追いかける物ではありません。 努力はする物ではないのです。 努力は希望と夢を自分の物として捕まえるためにすることなのです。 だからこそ、努力をすれば報われると言えるのです。 つまり、意味のない努力は努力ではない、時間を無駄して人生を終わらせるだけの物なのです。 素質だけで優等生と言われてきた人たちが既に努力して来た人に追いつけなくなっていくのはまた当然なことともいえるわけです。 成功はいつでも没落するリスクを負っています。 成功者と言われてきた人の多くの人たちが今どこにも顔を出さないと言うことがその証拠ですね。 私は成功とは小さな小さな成功の積み重ねの終わりのない継続と言っています。 小さな目的を達成することはただ達成するだけではないのです。 達成することで本では身につかなかった「自分に対しての自信」、「努力をすることへの満足感」、「苦しかったことの忘却」、「チャレンジ精神の増大」、そして、「くいのない人生を感じる最後の日のSuccessful Death」。 努力梨に生えられない物であり、努力が作り出すお金では買えない成功への土台を作り出すわけです。 やってきてよかった、と感じることをしてください。 小さな努力をして小さな結果を生み出し、自分の向上に満足感を得て、それを繰り返すことで、目的が、目標がおのずからやってくるのです。 成功は努力の副産物なのです。 私のプロフィールにも書いてあきましたが、 「あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいった人が、あれほど生きたいと願った明日」 いつ人生の終わりが来るか分からない。 今日が自分を生かす最後の日だったら何をしますか? 自分を生かす、もう一度今日考えてみませんか? 今日努力と言う能力をつけ始めませんか。 そしていつのまにかそれがあなたの才能となるのです。 努力は今日の才能を明日の才能に持っていくことが出来るもの、と言う事なのです。 鈴虫がなくころまで自分を信じがんばってみませんか。 そして、また、この回答を読んでみてください。 そして、そのときには私の言葉としてではなくあなた自身の言葉として後から来る人に分け与えることが出来るようになっていると思いますよ。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
- goonobaka
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評価は「努力」ではなく「結果」に対して与えられるものです。 結果で評価されて、その後にそれまでしてきた努力というもに注目がいくのです。 結果も出してない努力は、本当の意味での努力ではありません。 まずは結果を出しましょう。 「努力はどこまで報われるか」 という質問をしている時点で、努力の意味を理解してないですね。 自分がしてきた事を認めてもらいたかったら、中途半端な事は考えない方が良いでしょう。 #2が書いてある鴨川会長の言葉が、そのまま真実です。
- guineness
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努力できることが才能です。 ただ、努力した結果どうなるかは センスによって変わります。 稀有な人と同じ努力することは可能ですが、 センスにてその差が生まれます。 「努力した者が全て報われるとは限らん しかし! 成功した者は皆すべからく努力しておる!!」 鴨川会長
- bullfrog
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同じだけの努力をしたなら、才能がある人に軍配が上がるでしょう。それが「才能」です。 しかし、才能があっても努力をしなければ、才能に見合った成果は得られないでしょう。 才能がないからと言って努力をしなければ、悲惨な結果になるかもしれません。