- ベストアンサー
善悪の教育と政治家の影響
小泉首相は、子供達や青少年にとっても親しみやすい政治家であったと思います(過去形)。しかし、今回の外相更迭という非常に残念な決断がありました。 誰が良い悪いという事にこだわらず、現実のみを見つめてみても、誰が嘘をつき、結果として他人を貶めているのかは明らかで、今回の首相の判断は、嘘をついていない人間までもが大きな罰を受ける事となりました。 「正義」とか「善」とか「悪」を子供達に教えるのは難しい事ですが、日本という国を司る人々があのような事をしていて、今後一体どのような教育をすればよいのだろうかと暗澹たる気持ちになります。 (1)みなさんは、子供達に今回の真相を「どうして?」と聞かれたら、どうお答えになりますか?(大人だって、どうして?と思いますよね?) (2)また、仮に子供達が同じような事をして叱った時に「政治家だってやっているよ!」なんて言われたら、どうなさいますか? 大変に恐縮ですが、上記2点についての直接的なご回答をお願い致します。 わたしは子供は居りませんが、今回の事と、ホームレスの男性を集団で殺してしまうような子供達の精神の荒廃は、実は深い所で繋がっているように思えてなりません。
- みんなの回答 (14)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
私だったら、 (1)「子供には分からなくても、小泉首相には小泉首相の考えがあるのだ」と言います。大人が首相のある行動をおかしいと思った時に子供も同じように思ったとしても、それは政治や世の中全体を大人と同じように見て責任もって判断するわけではありません。もちろん年齢によっては背景や色々な考え方を説明してやる事に吝かではありません。しかし仮にそれでも「小泉首相が”悪い人”」「”良い人”」という事しか考えられないのだとしたら、その子にはまだ政治の問題は早いのだと思います。別に成人や他所の子供には口を出しませんが、私は自分に子供がいたらそう教えます。 (2)「お前に回りの人が何と言おうと、どの政治家もその人なりに考えて行動しているのだ。反対する人も賛成する人もそうだ。それを分からないのに”誰が悪者”などと決め付ける資格は子供のお前にはない。どんなに悪い政治家でもお前よりはずっと重い責任を負っているのだ」と言います。 私は自分の子供が「子供なりに政治を真剣に考える」というのならばまだしも、安易に政治家を批判することは決して許しません。どんなに国民に悪く言われている政治家でもです。それは不遜な行為だと思います。例えて言うならば、力及ばず会社を倒産させた経営者を指差して「倒産させるだけだったらボクでもおなじ事ができる」と言うのと似ていると思います。私は自分の子供をそういう人間にしたくはありません。 基本的には私は「政治の世界の善悪」は「子供に教える善悪」とは別というか、別でなければならないと思っています。 何も偽悪者ぶる訳ではありません。ご存知のように民主社会の政治は公民でさえあれば「間違った人」や「悪い心の持ち主」にも参加権があります。それを認めなければならない制度です。みなそれぞれの利害や信念を持った対等の大人同士です。その上で各自が「より正しいと信じる」政治を求めて行動して世論や政治が形作られる訳です。これは社会に出る前の子供を躾る過程とは根本的に異なる原理です。 私はむしろadelaideさんと反対で、現代日本社会の問題は、大人一般が本来「相対的・弾力的・寛容」でなければならない政治や社会運営の次元の思想と、「子供に対する教育」や「個人生活における身上」の次元の線引きをしっかりできない事ではないかと思っています。 大人やメディアに吹き込まれたからと言って、世の中の事も知らず自分の信念に責任も負えない子供が大人の真似をして大人を貶める行為は良いこととは思えません。一方しばしば政治やメディアの場で、そういう子供をダシにするかのようなやり方で同じ大人の社会のあり方を批判する大人を見かけますが私個人はそれは非常に汚ない行為だと思っています。 孔子・孟子の君子思想や王道政治の時代の無力な庶民ならば「偉いお上が徳をこの世に実現するのが政治」という考えももちろんありだと思います。しかし民主社会では大人には社会運営の「共犯者」だという自覚、そして未発達な子供をそこに巻き込まず、社会や政治の善悪ではなく「自分自身の信念と責任」において育くむ覚悟が必要だと思うのです。仮にどんなに高い理想を持って政治に関わっていても、そういう一線があることは変わらないのではと思っています。 所詮政治は子供の遊びではない、という事です。 私も子供はいませんが、将来自分の子供と今いる社会の両方に義務を負う立場になったらこのようにしたいと思います。長い回答になってしまい恐縮です。
その他の回答 (13)
- ranx
- ベストアンサー率24% (357/1463)
ご質問に対する直接の答えにはならないと思いますが。 私は、子供たち自身の問題意識・問題解決能力を育てていくべきだと思います。どう答えるかではなく、 子供たちがそれをどう考えるかを意識すべきだと思うのです。イソップ童話のように単純に善因善果・悪因悪果の 法則を植え付けるのは楽ですが、この変化の激しい時代を乗り切る能力を持った子供がそれで育つとは思えません。 不正を不正と感じる能力は子供たちに十分に備わっているはずだと思います。それが無ければ事態が何かおかしい と感じることもできないでしょう。何かおかしいと感じた時に、何がおかしいのか、おかしくないようにするには どうしたらよいのか、それを考え、実行していく能力を養うべきだと思います。 「小さなウソを通すためには、もっと大きなウソをつかなければならない。」 中学の道徳の教科書(副読本だったかな)にマルティン・ルターの言葉として載っていたものです。出典も知り ませんので、本当にルターがそんなことを言ったのかどうか私には分かりませんが、この言葉自体は本当にその 通りだと思います。ウソをつく人間はさらにウソを重ね、いずれ自爆します。一時期相次いで表面化した警察の 不祥事・医療事故・今回の雪印の件・・・みんなそうだと思いませんか? 外務省の件に関しては、もう少し事態を見守りたいと思います。(声はあげながら。)
お礼
ranxさん、アドバイスをありがとうございました。お礼が遅くなり、失礼を致しました。 >不正を不正と感じる能力は子供たちに十分に備わっているはずだと思います。それが無ければ事態が何かおかしいと感じることもできないでしょう。何かおかしいと感じた時に、何がおかしいのか、おかしくないようにするにはどうしたらよいのか、それを考え、実行していく能力を養うべきだと思います。 そうなんですよね。ただ、人間って、どちらかというと楽な方向、そして不思議と悪い方向へ流されやすいものだとも思えるんです。だから、こういう世の中で、子供達に、いかにして自己をしっかりともつべきかを教育することが難しいと思うのです。 だって、鈴木氏の親や野上氏の親が、かつて彼らが子供の頃、「うそをついてでも、他人を貶めてでも、自分に利があれば、それを貫くのよ。税金なんて、バカ正直な人間だけが払うもの。それで私腹を肥やすくらいの気持ちでいなくちゃ!」 ・・・とは教育しなかったと思うんです。 ranxさんがおっしゃるような理想的な能力は養われず、「異なる能力」が養われてしまった訳です。 でも、あんな人間になったら、人に軽蔑され、そして不幸です。 それを子供達にわかってほしいと思うんです。 伏魔殿・外務省は、国民がよく監視していないとだめですね。
- Eivis
- ベストアンサー率29% (1122/3749)
日本には不公平のようでも喧嘩両成敗的な考えが事を丸く治めるのだというあまり合理的とはいえない習慣があります。。。 その観点からすれば今回の問題は田中外相はたぶんウソはついてなくて、とばっちりでお気の毒とと言えるでしょう。 日本人は島国の同一民族だったせいか[性善説]的な考え方の方が多く[悪]に対する嫌悪感とか考え方も単純ですから、 [善]か「悪」かという判断自体は子供だって説明されるまでもなく判っている筈です。 そこで何故社会のリーダーが[善]を捨てて[ウソ]や[不正]を働くのかを子供に説明しなくてはならないのが問題だと思います。 1)の説明と言うのはすればする程、説明する人間もずるい人間などと言われかねませんね、たぶん! 総理は単に反対勢力に屈したというより、いま日本全体の問題がこの事件で引っ掛かれば全体の国益を考えた時どうなるのか? ...という別の観点からも考えていると思います。 そのために外務省の改革問題はやや後退ということでしょう、、、過去の事務次官経験者がどのように官費を使っていたのかを 追求することは他でも書きましたが、雅子妃の父上にも係わることで政府として、また深く追求する意志のないマスコミの態度 からも真相究明ができるのか疑問です。。。勘ぐれば、そのような事態にならないよう鈴木某に暴れさせたかも知れません。 2)>政治家だって...これは程度問題とはいえ昔からありましたが、いまほど堕落したのはブルトーザー・田中の政策以後です。 それ以前の役人はもう少しはプライドもあり、健全な真のエリート意識もお持ち合わせていた筈です。 以前の官僚は盆暮れの贈り物は沢山あっても、自ら何かを強請るような言動をするほど浅ましくはなかった記憶があります。 また【談合】について云えば、昭和40年代前半の大阪万博を境に特に【官民癒着】が始まっているのです。。。 それ以前の談合は【官庁工事の予算】が低すぎて、大方のゼネコンは仕事を取りたくないから【今度はお前がやれ】と最初から 【赤字予算】が判っているので何と【譲り合う談合】が出発点だったのです。。。 昭和30年代の官庁工事の工事費予算は、民間工事の7~8掛けの時代が続いていた筈ですから、建て替える前の合同庁舎は皆 コンクリート打ちっぱなし、ひどい安物で工事のマイナス分は民間工事にタカリをしていたのが実情でしょう。。。 それが、角栄さんの頃から官民癒着すればみんな(政官界とゼネコン)が幸せになれる!!...という奇妙な構図が出来たのでした。 【清濁併せ呑む】という微妙で面白いニュアンスの言葉がありますが、これはそこそこ処世術には必要かも知れません、しかし、 【濁濁正宗生一本】を呑むようになり過ぎたのが今日の風潮、これは親も自戒しなければ全て見通している子供に軽蔑されます。 これは官界、政界、ゼネコンなど民間企業の隅々まで汚職色に染まって、その結果が雪印だということでしょう。 いささか暗澹たる気持ちにならざるをえませんが【人のふり見て、わがふり直せ】としか云いようがありません。。。
お礼
こんにちは、博学のEivisさん、お礼が遅くなって失礼を致しました。 週末、田中外相更迭の部分だけ、あちらこちらのテレビ番組を観ましたが、だいたいどこも同じような見方をしていると感じました。 まあ、いつものごとく、このまま尻切れトンボの報道で終わるんだろうなぁ・・・とも感じています。 おっしゃるような国会での他の懸案事項の存在などもわかるんですよ、理屈では。 でも、本当に本当に、それを優先させなければ、本当に日本は大変なことになったのでしょうか?先日のトリプル安などでは済まなかったのでしょうか? 乱暴な発想だとは思いますが、あの日、国会の運営など二の次にして、小泉首相が首相生命をかけて白黒をつけ、決着させたとしたら、どうなっていたのでしょうか? 個人的には「人間にはね、一番大切な事よりも、二番目に大切な事の方が貴重で、それを優先すべき時があるんだよ」てな事を、子供達に説明したかったですねぇ。 「清濁併せ呑む」。いい言葉ですね。 「清清越の寒梅生一本」とまでは望みませんが、確かに昨今は「濁濁正宗生一本」になり過ぎていますよね。 だって、後者は麻薬のような作用がありますから。 角栄氏の遺したものが、今、愛娘である真紀子氏を苦しめたのですから、因縁を感じます。 アドバイス、どうもありがとうございました。
- myeyesonly
- ベストアンサー率36% (3818/10368)
こんにちは。最後の部分は私も同感です。 さて、ご質問の部分ですが、 1)大人はずるいんだ、としか言いようがないですよね。 2)ひじょ~に難しいですね。 私たちがとてもおばかさんであんな人たちを選んでしまったの。 というでしょうね。私なら。(過去完了形?) ちなみにすでにそういう事を子どもたちから言われた経験があり、その時にそういいました。。(^^ゞ
お礼
myeyesonlyさん、ご回答をありがとうございました。お礼が遅くなり、ごめんなさい。 そうですか、子供達からもう既に今回に関する事を言われてしまいましたか。 さすが、今時のコドモは、わかっていますねぇ~。 ・・・という事は、大人と同様、誰が嘘をついているのか?という事までわかっている訳ですよね?それが悪い事だという事も・・・。 今度、小学生ぐらいの子供達と小泉首相の座談会を行なってほしいと思っています。それが今回の判断を下した首相の責任だと思うからです。
- 1
- 2
お礼
heichanさん、ご回答をありがとうございました。お礼が遅くなり、大変失礼を致しました。 ちょっと、風邪をひいていたのもありますが、頂いたご回答を時間をかけてわたしなりに咀嚼していました。 >例えて言うならば、力及ばず会社を倒産させた経営者を指差して「倒産させるだけだったらボクでもおなじ事ができる」と言うのと似ていると思います。私は自分の子供をそういう人間にしたくはありません。 これは、全くおっしゃる通りだと思います。 でも、矛盾しているのですが、やっぱり今回の件に関しては、小泉首相には失望を、そして鈴木氏、外務省、更迭の件で「名前の挙がっている国会議員」には怒りを感じるんです。そして、矛盾していても、こういう感情を国民が失う事の方が恐いのではないかとも思えます。 その矛盾に苦しみますが・・・。 >基本的には私は「政治の世界の善悪」は「子供に教える善悪」とは別というか、別でなければならないと思っています。 これも微妙ですねー。そうとも思えるのですが、そうであってはならないという個人的理想論もあります。 それにしても、どんなお礼を申し上げようかとあれこれ考えましたが、ありがとうございますという月並みな言葉でしか申し上げれません。それくらい、このheichanさんのご回答は、素晴らしいものだと感じます。 博学で、冷静で、公平な方ですね。 (できればユーザー情報のコメントに、何かを書き込んで下さい!) heichanさんのような方に、政界・・・とは言いませんが、日本の社会のトップに存在していただきたいとすら思えます。 少し話が逸れますが、今、城山三郎の「もう、きみには頼まない」という、かつて財界のトップにいた石坂泰三氏を主人公にした本を読んでいます。城山氏の一連の作品を読むにつけ、公平であることの難しさ、冷静であることの難しさを感じます。 昨夜もビートたけし氏のテレビ番組で、国会議員の方々などをゲストに招き、今回の更迭問題を特集していましたが、その報道姿勢から感じるのは、「結局、こういう風に面白可笑しくしたりあれこれ形を変えて放送し、国民の不満感を一定の期間満たし続け、少しずつ風化させて行くのだろうな」という事です。 >現代日本社会の問題は、大人一般が本来「相対的・弾力的・寛容」でなければならない政治や社会運営の次元の思想と、「子供に対する教育」や「個人生活における身上」の次元の線引きをしっかりできない事ではないかと思っています。 これを更に考え続けてみたいと思います。