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「恥」について

朝日新聞の03月31日の天声人語には、このような一節があるんですけど  大阪市の小見山重吉さんは61年前の空襲で大やけどをし、指が曲がった。我慢とあきらめの戦後だったが、「どうしてジャンケンができないの」と孫に問われ、変わった。「同じ目に遭わせたらあかん」と体験を語る。「もう恥ずかしいと言ってられへん」 「もう恥ずかしいと言ってられへん」の「恥ずかしい」っていったい何に対する「恥」でしょうね?私の考えでは、彼は”戦争の被害者”で、戦後になったら、もう何もかもあきらめた。「これでいい、もう二度とそんなことを口にするな」っていう感じがするんだ。でも、孫に対する愛情によって、「同じ目に遭わせたらあかん」のために、もう恥ずかしいところじゃないと思っていたのでしょうね。 もう一つの意見では、「もう恥ずかしいと言ってられへん」、つまり「もう恥ずかしいというようなことが起こってはいけない」、戦争は多くの日本人にとっては「恥ずかしい」ことで、だからこの一句はとりもなおさず、「俺たちに恥ずかしい思いをさせられたあの戦争を繰り返すことは決して許せない」という意味。 PS:私もその意見の持ち主も日本人ではないので、いくら説明してもお互いに理解できない。果たしてこの「恥ずかしい」とはいったい何のことを指してるのでしょうか。教えていただけませんか。 まことにありがとうございます。

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回答No.4

自分の身体の一部に、他の人と異なる異状があったりすると、人間は何故かそのことを隠そうとします。 それは、他人と異なることが恥ずかしいことだと考えるからなのです。 指が曲がらない、指が欠損している、その他身体的に不自由さをもたらすものは数え上げればきりがありません。 それらのハンディキャップを持ってしまった人たちは、他の人の好奇の目や、憐憫の情に晒されるたびに、身の縮む思いをしながら、そのことを恥だと感じて隠すようになってしまうのです。 小見山さんも人生の大半を、この恥ずかしいという思いで過ごしてきたのでしょう。 ところが隠していても隠し切れないことが孫とのジャンケンで発覚したのだと思います。 この時に小見山さんは、何故このように指が曲がらなくなってしまったのかを話すことになるわけです。その話は戦争の悲惨さや残酷さを話すことになります。 指の曲がらなくなったことを恥ずかしがり、隠していては戦争の怖さを伝えることが出来ないことに気付いたのだと思います。 人間が愚かな戦争をすると、こんなに酷いことにもなると、曲がらなくなった指を見せながら語ることこそ、戦争体験者にとって必要であることに気付いたということだと思います。 したがって、何に対して恥ずかしいのかといえば、それは、「指が曲がっていて普通の人とは違う」ということが恥ずかしかったのです。 あなたが記した「俺たちに恥ずかしい思いをさせられたあの戦争を繰り返すことは決して許せない」という意味」とは微妙に異なると思います。 しいて書き換えれば、「俺たちの身体を(ここでは指を)このように恥ずかしい状態にしてしまうような戦争を繰り返すことは決して許せない」となります。

asfogcn
質問者

お礼

ありがとうございます。説明していただいて助かりました。 小見山さんが身の上を語って、戦争の恐ろしさにも実感させられると思います。

その他の回答 (3)

noname#21592
noname#21592
回答No.3

日本に、おいて、両手の5本の指が、きちんとそろっていない状態は、や*ざという、悪いことや犯罪に絡んだことを、やってきた人の証拠だという、日本や*ざ映画とか日本の慣習常識の中に、根ついて居る。 が、指が、無いというのは、実は、映画に出てくるような、ドスという刃物で、故意に切断する以外に、労働上、プレス機械で誤って切断したり、それこそ、戦争で、焼夷弾の油がついてしまい、指を無くさざるを得なかった人も、多いでしょう。 で、指が無くても、正しい生活をしてきたが、指のことは、言い訳がましいとか、本当は若いときに、や*ざな時期が、あったんじゃないか? と、思われるのが、嫌だから、触れずに、生きてきた。 しかし、今日、戦後60年以上経つと、1地方都市に、B29という爆撃機が、米国から1晩で550機も来襲して爆弾を落としたり、鹿児島市に、1日あたり1500機の戦闘機が、逃げ惑う日本人をゲームのように、撃ち殺し、肉片が、電柱に張られたの電線に、ぶらさがっていたことを、伝え、戦争とは、こういうものだと、孫の時代に、戦争が起きないことを願って、おじちゃんが、話す気になったのだと思いますよ。あなたは、1度に、500機のジャンボジェット機が、爆弾を積めるだけ積んで、投下したって信じられますか?青い空が、爆撃機により、地上に影が出来るほど、薄暗くなるって、信じられますか? CNNのイラクの戦争報道は、なぜ、米国兵士が、何千人も死んで、その状況が、CNNのテレビカメラに映っていても、絶対放送されないのは、なぜでしょうか? 戦争とは、筆舌しがたい、映像でも映せないほど、悲惨なものなんですね。 それを、どれだけの現代日本人が知っているか? つまり、個人レベルで、恥ずかしいとかの認識ではなく、人間として、戦争は、してはならない。原則、人間以外の動物は、共食いというか、同種のなかまを殺すのは、究極のとき以外なくて、意見が違うから戦争するというのは、人間だけなんですね。つまり、言葉のコミュニケーションの反対面なんでしょう。(他の動物は、言葉を持ちませんから、、、)

asfogcn
質問者

お礼

ありがとうございます。 「や*ざ」とは裏の社会のことですね、少し聞いたことがありますが、指を切ることも度々あるようです。 「恥ずかしいとかの認識ではなく、人間として、戦争は、してはならない。」 私も共感です。戦争とは恐ろしいもので、小見山重吉さんのような戦争の被害者なら、身をもってその恐ろしさを体験したはずなのです。同じ人間として、お互い殺しあうのはひどいことなのだと思います。

回答No.2

もっと極端な例えをあげますと、広島や長崎に原爆が落とされ、重度の火傷を負った人が多くいました。それは、もちろん本人は、何も悪いわけではなく、戦争が引き起こしたということは、誰でも分かっていることです。しかし、どういう訳か、周囲からは、白い目で見られ、中には、家族からも見放されるということもあったそうです。火傷を負った顔や体は、人前に見せられず、部屋にこもりきりになっていたと思います。中には、外に出て、堂々としていた人もいたでしょうが、周りからは、偏見の目で見られていたと思われます。本人にしてみれば、自分が悪いわけではないのですが、そういう目にあっていると、火傷を負わせた戦争に対して憎しみが増すと同時に、自分の姿が、とても恥ずべきものだと感じてきたと思えます。 ご質問の天声人語の小見山重吉さんも、指が曲がってしまったということで、周囲から哀れみの目で見られたり、気遣われたりして、恥ずかしいと思えるようになったのではないでしょうか。そういう辛さや戦争に対する怒り、悲しみ、そして羞恥心も仕方がないと思うことで諦め、我慢することが出来ました。しかし、孫に言われて、気がついたのです。自分ひとりが我慢するべきではないということを。自分の曲がった指を周囲に堂々とさらけ出すことで、戦争は、二度と起こってはいけないということを、示さなければならないと思ったと思います。 外国の方のようですので、日本人のこういう一面が理解しがたいと思われますが、特に戦前、戦後直後あたりは戦争や不慮の事故、病気など自分ではどうにもならないことでも、「恥じである」と感じていた民族だと思います。もっとさかのぼって、戦国時代などは、今では考えられないようなものでも「武士の恥」として、切腹したことも多々ありました。 長くなりましたが、個人的にはそう思いました。 あと、おせっかいですが、最後の >まことにありがとうございます。 これは、使いどころがおかしいです。 誰かが、意見を述べて、それに対するお礼を言うときに使います。質問の最後では、「よろしくお願いします。」が適当かと思います。

asfogcn
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうですね、小見山重吉さんのような人間、何の悪いこともしていなかったのに、こんなひどい目にあうとは...やはりMaydayさんのおっしゃったとおり、「周囲から哀れみの目で見られたり、気遣われたりして、恥ずかしいと思えるようになった」 その気持ち、わずかながら感じることができます。 >誰かが、意見を述べて、それに対するお礼を言うときに使います。質問の最後では、「よろしくお願いします。」が適当かと思います。 すみません、初めてここで質問したんですけど、ちょっと心細いって感じがします。できるだけ丁寧な言葉づかいを心がけようとしたんですが、やはり間違えちゃったんですね。ご指摘していただいてどうもありがとうございます。

  • angormore
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回答No.1

文脈から単純に見れば(なお、差別的意図なし)、「指が曲がっていて普通の人と違うこと」だと思う。 ただ、そこを、意図的に、ものすごく深読みさせるように書くのが、天声人語の最悪な特徴だからねぇ。 要するに、どうとでもとれると。 一番良いのは、朝○新聞を読まないことだ。うん。 脳ミソ溶けちゃうから。

asfogcn
質問者

お礼

ありがとうございます