私は、男ですが、
ちなみに、現在は、女性も尼僧として、男僧(なんそう)と同様に、葬儀、法要もできます。(男女同権と言う事らしい)
私自身は、尼僧の寺の跡継ぎが、女性が、髪の毛を剃って、つるつるになって、坊さんになる人が、おらず、明治生まれの尼僧に目をつけられて、40年間、その尼僧のところに、衣食住を、共にして、永平寺の副管主老師他に、2年間師事して、なお、生臭として、地元の坊さん連中には,認知されていない存在です。
尼僧は、男僧より、厳しいですよ。
で、現在は、すもう界同様に、外国女性が、髪の毛を剃って、尼僧になり、母国で、仏教寺院を建てる人の方が、多いです。(情けないかな、日本人は、駄目ですね)
ハングリー精神が、日本人にないので、日本の女性は、たいがい途中で挫折するか、いい加減な人、つまり、瀬戸内さんのように、小説や講演で、ごまかし(本来は、あんなに講演ばっかりでは、自分の修行が、できないです)僧やタレント僧は、いますけどね。
僕が師事した教授師、楢崎老師は、どんなとおくへ、授戒と言って、お勤めに、全国に行こうが、必ず、午前3時に寺に帰ってきて、他の坊さんと座禅してましたからね。僕の向かえ側に座っていた(もう亡くなりましたが)のですが、1年に、3-4日、見ない日があったのみで、朝の座禅の欠席はほぼゼロでしたね。
本人曰く、午前3時から午前6時は、座禅するくらいしか、他人様のお家で、お迎えのお勤めは無いですし、いくら遅くまで、在家でお勤めしても、午前3時には、寺に帰れるからね。と、発言していました。で、正法眼蔵という道元禅師の衆寮清規(しゅりょうしんぎ)には、10年修行したら、ようやく坊さんの端くれになれるかもしれない。10年未満は沙彌(シャミ)修行だ。とはっきり書いてあります。まあ、生まれて、60年くらい修行して、ようやく坊さんの端くれに入れるかどうかでしょうね。
で、そういう人つまり、本当に修行した人って、黙っていても、後光がさすというか、なんか、ありがたい感じがするんですよ。最近、めったに、お目にかかりませんが、坊さんの格好にごまかされないで、心を打つ人に、ご供養ならびに、読経していただけると、幸せですよね。。。。
なお、寺庭婦人とか、お庫裏行とか、坊守のお守りすることなど、教養は、図書館で、いくらでも、勉強できますよ。ただ、言葉を発せずして、人から信頼を得る人間になることは、なんと苦しいことか。と、懺悔の毎日ですね、私は、未だに、自分から、坊さんの関係者と言うのが、恥ずかしい状態なんで。。。。でも、尼僧のことは、40年、一緒だったので、なんとなく、解りますけど。。。。
お礼
お答えいただきありがとうございます。 尼さんも海外からの時代なんですね。 初めて知りました。 どんな世界でも同じかもしれませんが、お坊さんの中にもきちんと修行(こういう言葉でいいのかは分かりませんが)している方と、形だけお坊さんになって私利私欲にどっぷり使っている方と居るのでしょうね。