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肉食についての罪悪感について
私は生物全般が好きです、虫にも愛着を覚えます(害虫は苦手ですが)。 家では、ネコをはじめ鳥、小動物その他色々います、動物と触れ合っているとき、短い時間ですが日ごろの悩みなど嫌な気持ちを忘れることが出来ます、とても大切な存在です。 動物虐待のニュースを聞いたり、事故にあった動物の亡骸をみた時にはとても辛いです。 そう言いながら普通に豚、牛、鶏肉を食べる生活をしている自分、以前から、食肉にされる動物たちをかわいそうに思いつつ、食べるとき、調理するときは、あえてそのことは考えないようにしてきた自分がいます。 今朝、ニュースで、子豚の映像が流れました、「かわいい!」と思いました、が、直後に、このコの運命が思い浮かび、目をそむけてしまいました。 先日、子供の文房具売り場でヒヨコのキャラクターをみて、一瞬「わ!かわいい♪」と思ったのですが、あとで「私もだけど、多くの人間はヒヨコを「かわいい!」って思うのに、鶏は平気で食べるんだ・・・」と暗くなりました。 以前からこの気持ちはありましたが歳を重ねるにしたがって段々と強くなってきているようです。 私自身がベジタリアンになることは、容易ではないですが、可能です、栄養学的に、また味覚的に、肉に替わる植物性の食品が開発されればいいのに、と思ってみたりもします。 しかし本物の肉を求める人がいる限り「肉食」はなくならないでしょう、人類が存在するかぎり、人間が動物を食べるという行為をなくすことは不可能であると、いう結論に達します。 ならば肉食について、罪悪感を拭い去るのは無理ですが、せめて緩和できる気持ちの持ち方、有り様というものはないでしょうか? 動物好きな、同じお気持ちをお持ちの方からのアドバイスをお待ちしています、よろしくお願い致します。
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Malice211さん、こんにちは。(^_^) 私は、自分では飼ってませんが、犬が好きです。特に、トイプードルが大好きで、街で見かけたりするとかわいいな♪(*^_^*)と思って、幸せな気持ちになります。この前は、近寄ってきて、私に飛びついてきて、指を舐めてから、去っていきました。かわいい(´Д`*)です。 他には、ゴールデンレトリバーとか、ミニユアダックスフントとかが好きですが、犬は、全般的に好きです。 私も、質問者様と同様に感じた事があり、17歳の時、約1年間、ベジタリアンをやりました。その間、ずっと、ほとんど苦痛を感じず、実行できたのですが、約1年後に、やっぱり肉が食べたいという気持ちになってしまって、結局ベジタリアンは止めました。 質問者様の悩みの緩和方法ですが、動物は屠殺される時、一瞬で殺されるので、苦しみを感じる時間が一瞬だろうという事と、もともと、人間程は、いろいろな苦痛や恐怖を感じないのではないか、と思う事、でしょうか? 特に昆虫は、痛覚が存在しないから苦痛を感じないという事をどこかで聞いた気がします。脳もシンプルだから、苦悩を感じたりする事はできないのではないかという説を聞いた事があります。 植物も、痛覚は持ってないのではないでしょうか?同じ生き物を食べるにしても、やっぱりその生き物が、苦痛を感じる生き物なのかどうか、という事には意味がある気がしますが、こういう問題を論じていると、食肉の生産者の方の気分を害してしまって良くないかもしれません。私も現在は、牛肉美味しいな、と思って、牛肉食べたりしちゃってますしね。そう考えると、牛肉の生産者の方がいてくれて良かった、という事になるのかな?良く分かりませんが・・。 後は、これも牛肉の生産者の方から、怒られてしまう気がしますが、狂牛病について、いろいろ勉強して、狂牛病の心配を深刻に捉える事にする、とかでしょうか?そうすると結局、牛肉を食べなくなるので、悩まなく済む、とか・・・。 でも、私も、現在でも、罪悪感で、少し悩む事が、しばしばあります。少なくともMalice211さんのように悩むのは、Malice211さんだけじゃない、という事はできると思います。
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- myomoto
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植物にも命がありますし、かわいいといえるものもありますね。 だから結局、菜食にしたとしても人間は何かの命を奪いながら出ないと生きていけないのです。 私はインコの愛好家ですが、一方でチキンを食べます。たしかに、インコに生まれたか鶏に生まれたかでこうも運命が違ってしまうことを残酷に思います。 でも、こう考え方を変えてみてはどうでしょうか 「私は人間だ。だから、何かの命を奪い続けなければ生きていけない。でも、全ての生命を餌食にするのではなく、一部とはいえ、こうして純粋に愛することも出来る」と。少しは心が楽にんるかも知れません。
お礼
うちにも、インコ、そして文鳥がいます、でも鶏のから揚げ、おいしいと思います・・・、同じ鳥なのに、ほんとうに運命って残酷だと思います。 植物でも、観賞用と食用とありますよね、人間だって、どの国に生まれ、どんな家庭に生まれたか、などでその後の人生、全然違います、これらは誰にも変えることはできないです。 そうですね、同じ動物ではあるけど「愛玩動物」という自然界では生きられない、人間に頼らなければ生きていけない運命のもとに生まれた生命を愛し、育むことにより重い意義を見出してみようと思います。 どうもありがとうございました。
- periene
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こんにちは。質問者さまの意見を読み、そのように感じる方がいるということは参考になりました。 その上でご意見させていただきます。 >罪悪感を拭い去るのは無理ですが、せめて緩和できる気持ちの持ち方、有り様というものはないでしょうか? この部分について答えてみたいと思います。質問者さまのお気持ちについてはそう感じるのだからそのままでいいと思います。大事にしてください。 ただ私が思うのは、質問者さまは動物が殺されてかわいそうという以外に、自分が矛盾していて辛いと思われているのではないかと思ったのです。 一般的に矛盾していることは悪いことと決め付けられているようですが、本当にそうでしょうか。「かわいい」と思うことと肉にされてあなたが食べることは矛盾しているか。 あなたは敏感だから矛盾していると感じるけれども、他の分野の矛盾していることについては気にしない。それこそ矛盾ですよね。 私は食肉に関しては敏感ではないので矛盾は感じない。でもそのほかで割り切れない矛盾ならあります。でもそれは今のところ割り切れなくて抱えてやっていくししかないと思っています。 要するに矛盾しててもいいと、思うようにしてみては、という提案です。罪悪感はそのままでいいし、動物をかわいいと思うのもどちらも素直に思うことなら矛盾していると思うこともないと私は思います。本当に矛盾しているかは分からないですよ。自分の感じることを一つにまとめようとしたら、誰だって苦しいと思います。殺人する人にもいいところはある。これだって認めたくはないけどそうかもしれません。 それと、少しその辺について勉強してみるといいと思いました。感情ですべては語れないと私は思っています。いろいろ食肉文化を学んだりすると感情にも変化が現れるかも知れません。学ぶといっても本を読んでみるとかそんなかんじで。質問者さまのように何かを感じることはすごく重要なことで、特に人があまり感じないことを感じるというのはとても重要なことだと思います。ただ感じているだけではその感情に振りまわされてしまうので、理性を鍛える意味ですこし勉強をしてみるといいのでは、と思いました。
お礼
こんにちは、違った切り口からのご意見、興味深かったです。 「自身の矛盾が辛く感じている」うなずけました。 ほんと、考えてみれば世の中矛盾、理不尽、不条理なことだらけです。 おっしゃるとおり、私は、動物関係には敏感ですが、人間のことには鈍感というか無関心です・・・(それはそれで自分でも問題アリと自覚ありますがいつか別スレで、と思ってます) perieneさんは、矛盾を「抱えてやっていくしかない」と思っていらっしゃるんですね、確かに、矛盾を解消するのは大概ムリなこと、「矛盾しててもいい」このお言葉には救われる思いがしました。 食肉文化について知識を得ること、これもまったく思いつかないことでした。 「理性を鍛える」このご提案について考えました(初めて聞きましたので) 私は、肉食問題以外でも、動物の「かわいそう」な事に非常に弱いです、それは、「感情」に支配されている状態なのでしょうね。 それを抑制する力である「理性」を鍛える、と解釈いたしました。 とても参考になりました、ありがとうございました。
- earnest
- ベストアンサー率12% (32/248)
#5です。 私は何でも食べますが参考までに・・・ 世界では毎日沢山の人が餓死しています。 肉ばかりでなく穀物も食べられないからです。 でも先進国では肉を食べるために動物に穀物を食べさせます。 鶏肉1キロを作るためには3キロ、豚肉なら5キロ、牛肉なら8キロの穀物を必要とします。 世界で穀物の生産は人類が食する量の2倍と言われています。 それでも人が肉を作るために穀物すら食べれずに貧しい国の人は餓死していっているのです。 それでも私は肉を食べます。 ただ料理を残したり買い物して使わずに腐らせたりだけはしないようにしています。
お礼
またご回答いただきありがとうございます。 先進国の人間の食べる肉を生産するために消費する穀物、その穀物すら口に出来ない人々の存在・・・自分のことでいっぱいで、世界のいろんな問題にほとんど無頓着だった自分が恥ずかしいです。 いったん手にした食物は、きっちり残さず消費しないといけませんね。
- suteneko
- ベストアンサー率25% (37/146)
私は、生物全般ではないですが、猫は好きです。 他の大型生物は、あまり好きではないですが、虐待したいほど嫌ってはおりません。 肉食についてですが、肉に限らず、植物を食べることでも植物の命を失わせています。 光合成でも出来るようにならない限り、生命は他の命を取込んで生きることしか出来ません。 それが食物連鎖なのです。 ですが、それに罪悪感を覚える必要はないのです。 何故なら、いつかは自分の命も何かのために使われ、消えていくことになるのですから。 現代は、人の死は大抵病院で迎えられ、火葬になるのであまり実感は出来ないでしょうが、人間だけが他のものが生きるために命を奪われるから逃れることは出来ないのです。 この命をいつか誰かのために使うために、他の生き物の命をいただいて今を生きている。 また、死なないまでも、仕事をして自分の時間を何かのために使うことは、命の一部を他のために使っているとは考えられないでしょうか? そういう思いは、罪悪感の解消には繋がらないでしょうか?
お礼
光合成・・・目からウロコです、実現は不可能ですが、でも出来たら理想ですね~。 >自分の時間を何かのために使うことが、命の一部を他のために使っている なるほど、そういう考えもありましたか。 人間は、罪をつくっているばかりではないってコトですね。 罪を償うという線で、自分が自分以外の他のものに貢献できるよう考えてみます、どうもありがとうございました。
- myeyesonly
- ベストアンサー率36% (3818/10368)
こんにちは。 ご飯を食べるとき「いただきます」っていいますよね。 あれは、「あなたの命を頂いて、今日一日、私の命を長らえさせていただきます」という意味だ、と母から教わりました。 お米一粒でも稲という植物の種、一つの生命だったわけですし、お肉や魚もそうですよね。 だから、食べ物は全て粗略に扱ってはいけません。 食べる時は無駄なく「いただき」ましょう。 以前、テレビで見たのですが、確か北海道か、あるいは樺太の方だったかもしれませんが、保護地域だか国立公園だかみたいな所で、狩猟や立ち入りは禁止なのですが、当局の許可を得て入った場合、その間の食料として、川に沢山いる鮭を取って食べる事は許されてるそうなのですが、取った鮭は、丸々一匹、頭から尻尾まで?ちゃんと食べなきゃいけない、みたいなルールがあるって所があるそうです。 イクラだけ食べてポイって人がいたから出来たルールだとか。
お礼
お母様はよい躾をされているのですね、私も見習いたいと思います。 娘が、よく、祖母に、ご飯茶碗にご飯つぶをいくつかつけたまま下げることを注意されていました、実は、当初私も、そんな義母を、細かくてイヤだな、と思っていたのですが、こまかいとか、義母の性格の問題ではなく(^^;)お米が、田んぼからご飯茶碗にくるまでにかけられた労力を想像したとき、そんなお米が、食べられることなく、ゴミになってしまうのは悲しいことだと思えてきました。 動物の肉も、野菜も、穀物も、もとは生きていたんですよね、その命を頂いているのだから、感謝の気持ちは絶対忘れないようにしていきたいと思います。 鮭のお話、こういうルールがあるなんて素晴らしいと思いました。 (もっともイクラだけ食べてポイってそんな人許しがたいですが) ほんと、極力、無駄なく頂きたいと思います。 どうもありがとうございました。
- gohannannisiyo
- ベストアンサー率27% (235/859)
難しい問題ですが、私なりの解釈を書かせていただきますね。 そもそも生物(人間も含む)は、他者の命を犠牲にすることなしには生きてゆけないのなのだと思います。 野菜にも命があるという考え方もありますよね。 もちろん、動物の命の犠牲は最小限にとどめなければなりませんし、殺す時には極力苦痛を少なくしなければならないと思います。 オシャレのために動物を殺すなんて、もってのほかだとも思います。 でも、私たちは本来他者の命を犠牲にしなければ自らの命を維持できない、いやしく悲しい存在なのです。 とりあえず、自分のいやしさ悲しさを自覚し、おごり高ぶることなく、犠牲にしてしまった命に感謝する気持ちは忘れないようにしなければ、と私は思います。 あ、それと、ご質問の件に関して私がよく考えることがひとつあります。 ご質問は、動物の犠牲についてですが、実は、私たちの食生活は人間の命すら犠牲にしているのですよ。 例えば、私たちが安い輸入食糧(バナナ・コーヒー・砂糖などが買える代わりに、生産地では労働者がどれだけ苛酷な労働に苦しんでいるかは、質問者さんもご存知だと思います。 バナナ・コーヒー・砂糖の原料などは、大規模農園で作られていることが多く、そこで働く人たちは土地も持たずに安い賃金で働いています。 大人だけの稼ぎでは食べることすらできないので、子供たちも学校にも行かずに畑に出ていることが多いのだそうです。 収入が少なければ、病気になっても満足な治療は受けられないでしょう。 死んでゆく子供も多いはずです。 彼らの犠牲の上に、私たち先進国の人間の豊かな食生活が成り立っているのです。 これはもう、私たちは間接的に殺人を犯していると言ってもいいと思いますよ。 スーパーで買って来た安いバナナを食べているつもりで、実は人肉を食べているのかもしれません。 この問題は、仕方がないで済ませてはいけないものです。 何とか解決に向けて進まなければならないと思います。 とりあえず私はバナナとコーヒーは「フェアトレード」の商品を買うことにしていますが。 ちょっとご質問からはずれてしまいましたね。 すみませんでした。
お礼
私もよく、思っていました、人間の存在自体がいやしく、罪深いものではないかと。 >とりあえず、自分のいやしさ悲しさを自覚し、おごり高ぶることなく、犠牲にしてしまった命に感謝する気持ちは忘れないようにしなければ、と私は思います ほんとうにおっしゃる通りです、食物連鎖の頂点に立った生物、唯一、高度な思考力を持った生物として、そうあるべきだと思います。 バナナ、コーヒー、砂糖の生産現場のことについては、以前、見聞きしたことがありますが、普段、とりわけ意識したことはなかったです、お恥ずかしいです。 最近は衣料品が異常に安いですが、その衣料を縫製している方々が日本では考えられない安い賃金でその仕事に従事していることは、時折考えていました。 人間同士でも、ピラミッド構造が存在しているのですね・・・。 「フェアトレード」知りませんでした、あとでじっくり検索してみますね。 どうもありがとうございました。
こんにちは 大変難しい問題で、正直私も整理の仕方は自信ないです。 私も動物は好きなほうで、特に犬が好きでこれまで何匹か飼ってきました。 人間にもいろいろ矛盾はあると思います。矛盾を抱えながら生きているんだと思います。 どうなんでしょう?人も動物ですから、植物を食べたり、他の動物を食べたりして命をつないでいっているんだと思います。 現在の生活では、生きている動物(牛、豚など)をとさつしてから食べるということは、ほとんどの人は経験が無いでしょう。人に任せているのが現状です。 こういったことにやや問題があるのかも知れませんね・・・。 私はいろんな動物をかわいい、と思ったりしますし、食用はおいしいと思ったりします。 そのことに特別大きな違和感は持ってません。 ただ、自分でとさつして食べるとなると気持ちが悪くなるかもしれませんね・・・、それと無駄に命を奪ったりするのは言語道断と思います。 たぶんですが、人というものがもっと動物というものに近いところにある、ことを思い返されれば少しはいいのかなと思います。 なにぶんにも難しい問題だと思いますので、どうぞひとつの考えとして参考程度にお願い致します。
お礼
自分は、かわいそうと思いながら肉を食べています、でも、一番かわいそうで辛い部分(屠殺)を他者にしてもらっているんですよね。 私も、正直、肉はおいしいと思います。 しかし、最近、かわいそうと思いながら、おいしく感じる自分が悲しく感じることが多くなり、投稿させていただいた次第です。 >人というものがもっと動物というものに近いところにある、ことを思い返されれば少しはいいのかなと思います このお言葉に上手くいえませんが、感じるものがありました! 私のモヤモヤした気持ちを言葉に変換してもらったような・・・ どうもありがとうございました。
- earnest
- ベストアンサー率12% (32/248)
人類ばかりでなく動物も動物を食べます。 それは仕方がないことですね。 その事に罪悪感を感じてしまうなら自分だけでも肉食はやめてベジタリアンになればいいのではないでしょうか? ご家族が肉を食べてもそれは仕方がないこと。 ご家族の食事に肉料理を作る事も仕方がないこと。 質問者様ご自身が食べないだけで今後沢山の動物の命は救われます。 罪悪感も緩和できると思いますよ。
お礼
自分だけでもベジタリアンに・・・考えました。 簡単なことではないですが、可能と思います。 でも、屁理屈いうみたいでごめんなさい、私一人が「ベジタリアンに転向しましたので、屠殺数を一人分減らしてください」っていうわけにもいかないかと・・・。 しかし、ベジタリアン・・・、この方法もいまだ考え中ではあります。 ご回答どうもありがとうございました。
- NannoFlower
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酪農の仕事をしていたときがあります。 牛大好きです。かわいいですよ。馬鹿だけど。(笑) 私が最初に取り上げた子牛はオスだったので、肉用に売られてしまいました。ドナドナです。 可愛い子牛だったのにねぇ しかし、食べるのも大好きです。 牛はペットではないですから。 大好きな牛だから、「ありがとう」と思いながら食べます。 頂きます、と言ってから食べます。 牛、豚、鶏、野菜、穀物。たくさんの命のおかげで今日も私は生きてます。 ありがとう。
お礼
酪農に携わっていた方からのご回答、とても興味深く拝見させていただきました。 よくTVで、飼っている牛を、とても愛しそうに、大事に育てたれている方を見ますが、どういう気持ちで牛を育てているのかな~?と思っていました。 ペットと牛は違うという割り切り、でしょうか? 私も同様に思うようにしたりもしました、が、どこかで、同じ哺乳類、鳥類、知能だって特別劣るわけじゃないし、うーん・・・となってたりします。 答えは出ませんが、とりあえず、調理するとき、食べるときには、心の中で「ありがとう」を言ってます。 ご回答、ありがとうございました。
- blackdragon
- ベストアンサー率35% (428/1222)
例えば、あなたが「可愛い」と思っている猫も肉食ですよね?(キャットフードは何から出来ていますか?) 鳥だって(養鶏場では別でしょうが)虫を食べます。 植物にだって、命はあります。(お米や小麦などの穀物だって、一粒一粒が、芽を出して育つはずの命です。) また、消毒すれば(意識しなくても煮炊きすれば)、数え切れないほどの微生物を殺すことになります。 つまり、人間も含めた動物の命は、他の命の犠牲の上に成り立っているということになるでしょう。 その上で、それでも抵抗があるなら、せめて無駄に命を奪わないということで、 ・必要なだけ買う ・残さず食べる というように心がけるという取り組みかたもあるのでは?
お礼
そうなんです、ネコのフードは、魚、牛肉、鶏などが材料になっているんですよね、牛なんか自然界にいる猫だったら口にすることはありえないのに猫は当然ながら何も疑問も持たず食べてますね~。 理屈ぬきに >動物の命は他の命の犠牲の上に成り立っている そう思うようにしたいと思います。 調理する立場の者として、また食べる者として、捨てるところが出ないように努めていきたいと思います。 どうもありがとうございました。
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お礼
理屈もなにもなく人間を一心に慕ってくる動物との触れ合いはほんとうに幸せを感じますよね^^。 その幸せを感じると同時に、屠殺される動物のことが頭に思い浮かぶことが最近多くなって、悩んでいました。 屠殺時の痛み、苦痛を感じるのが一瞬かどうか?怖くて、聞いたり、調べたりすることが出来ずにいました。 恐怖を感じるかどうか?これについても、自分のなかで散々考えましたがわかりませんし、ほんとうに、恐怖を感じるもの、と断定されたら怖いので突き詰めて調べもしませんでした。 昆虫は、痛覚が存在しないのですか? 魚介類の痛覚はどうなんでしょうか? 実は、こんな質問をした折も折、懇意にしているお宅から、活イセエビが贈られてきました(TT)、毎年贈られてくるんですよ、イヤで仕方ないのですが、義母のお付き合い先なのでどうしようもありません。 もちろん、調理にはノータッチですが、さっきからほんとうにブルーです、自然に死んでから調理してもらうように、義母に頼もうと思います。(死ぬのを待つのも辛いんですが) 脱線してすみませんでした。 わたしも、この手の質問にするにあたって、もし、この質問を酪農、畜産に携わっている方が目にしたら気分を害されるかもしれない、と思いました。 でも、決して、酪農や畜産業を否定するつもりはないんです。 人間が生きるうえで、必要なのですから感謝こそすれ、否定なんてできません。 ベジタリアンを実際にされていたのですね。 私の知人で、なにか、肉に対して、トラウマになるようなことがあったようで、肉はダメという人がいました。 私も悩むのなら一時的にも肉を絶つのも一つの方法かもしれないな~とは思いました。 ただ、根本的解決にはつながらないので、質問してみました。 こちらで、同じような気持ちをお持ちの方から短時間のうちにこんなにご回答をいただけ、おっしゃるとおり、悩んでいるのは私だけでないということがわかり、少し気持ちが楽になれた気がします、ありがとうございます!