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肉食をやめれますか?
本気で 動物は可愛いと思います 自分より弱い小動物は守り慈しむ 動物愛護 大いに素晴らしいです でも私 お肉が大好きです 肉というのは動物の体の一部です たまにテレビで肉の解体現場レポとか見ると 解体所に引かれていく牛 豚 嫌がってる映像 それを見ると心が痛みます 作業所で働く人のご苦労も大変だと思います ふと もう肉食べるのやめようかなと思うことがあります でも実際は今も肉を食べてるのですが 皆さんは 肉食をやめれますか? 動物が可哀相と思いつつも 私は肉食をやめるのは無理っぽいです どうでしょうか?
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- sansyokudangox
- ベストアンサー率13% (80/600)
私も肉食は止められないと思っています。 <理屈で考えると> A研究者:「地球全体の生物に対して食料となるものが足りない。 ゆえに互いを食い合わないと種が絶滅してしまう。」 B栄養士:「たんぱく質を効率よくとるには「肉」が一番いい。 植物系は消化に時間がかかる」 C栄養士:「人間は雑食系の生き物。何でも食べなければ体調に問題が起きる」 <感情面ではどうか> 肉の解体現場レポ・・・ → 気持ちは質問者さんと同じです。 ハラールのような「決まり」をつくって「今日はxxしない日」とする ことも有りなのかな?食べる喜びの選択肢を狭くするのはもったいない と現時点では思っています。
- gueppuetaeque
- ベストアンサー率9% (32/351)
肉食を辞める事よりも、極力肉類や卵類の廃棄を減らす事が先決です! 動物に感謝して食べる、 デパートやスーパーなどの精肉売り場で数時間でも賞味期限を過ぎたステーキ肉やハンバーグ、焼き肉、卵、ハムやベーコン、ウィンナー、焼き豚などを廃棄する方が遥かに心が痛む!!
お礼
有り難うございます
- hidechan1965
- ベストアンサー率20% (48/231)
私は犬猫飼っていますか、肉食をやめるのは無理です。確かにかわいそうだとは思いますが、人間の業の深さに甘えて欲望のまま肉を食べています。魚も植物も命はありますよね。生きるために食べています。
お礼
有り難うございます
俺は仕事柄動物駆除したりするし、肉好きなんでやめないです。 でも動物は好きなんで可哀想だから食わないって人はいいと思います。そういう優しい気持ちは大事にしたらいいと思います。 あと、植物は可哀想じゃないので食っていいです。俺は植物の気持ちわかるんですけどアイツラはマジで大丈夫です。食べられて喜んでるから。
お礼
有り難うございます
- osarunokagoya2
- ベストアンサー率20% (89/442)
宮古島では、味噌汁にヤギの肉が入っていました。 固い。 臭い。 あれは勧められてももう食いません。 品川インターシティの脇道を少し歩くと「生体置き場」なる看板があって その奥に牛さんが何頭も載せられ「処理場」へ運ばれていくのです。 あれは気の毒だなとおもいつつ、焼肉屋で「美味いね。これ山形牛?」 とか訊くときの私の脳裏からは昨日見た牛さんの姿は消えています。
お礼
有り難うございます
- 芙蓉の華(@purimuro-zu)
- ベストアンサー率13% (1225/8755)
辞められないです 御魚も好きなのでですが やはり美味しいお肉を食べたいです でも再近は胃も弱ったせいか あまり食べられません 馬とかクジラが可哀そうで食べられないという人もいます 私は量はともかく全部食べられます。
お礼
有り難うございました
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11073/34515)
オーストラリアじゃロブスターの活き造りが禁止になってるんですよね。広い意味での動物虐待だからだそうです。禁止運動をした彼の地の議員が「ロブスターは茹でるのが一番苦痛が少ない。活き造りはロブスターを無駄に苦しめる」と主張していました。どうやってロブスターから「茹で殺されるのと切り殺されるのとどっちがいいのか?」ってインタビューしたのかが興味深いところですが。 牛や豚だと可哀想だけど、魚だと可哀想じゃないというのもなんだか片手落ちですし、じゃあ植物ならいいのかって問題もあります。ちょっと昔に、サボテンに電極を刺してサボテンと会話しようと試みた人たちがいましたよね。その主張に基づくなら、植物とも会話できるはずです。 何かの本で読んだのですが、生物学としては「食べる」というのが動物が他の動物に対してやっていい唯一の行為だという話がありますね。厳密には「共生」というのがありますから唯一というわけではないでしょうけれど。 この地球に生きる生命体は、ごく一部の例外を除けば他の命を贖うことで自分の命を永らえているわけですからね。生きることとは、食べることです。 動物愛護のほうが間違いといえば、間違いですよ。だってペットにすることでペットとなった生き物は、主人が世話をしないと生きられない奴隷になることでもありますからね。 質問者さんは、他の動物を奴隷にして「私は動物を愛している」と主張するのですか。彼らの自由を奪っているのに。
お礼
arigatou
- osarunokagoya2
- ベストアンサー率20% (89/442)
駅前の焼肉屋が美味い。上カルビ1人前1600円。やめられません。 この前、友人の食事会様にカレー用に買ってきた松坂牛バラ肉を イヌが盗んで食いました。イヌはいつになく満足そうな顔をしてました。 生肉が一番好きみたいですね。もとは狼なんだから当然。 豚はスペアリブが美味い。 鶏はつくね。比内地鶏がいいですね。 マンションの庭につがいの鴨がきます。食べたいとは思わない。 ジビエは苦手なのです。 うちの犬は猫を追い掛け回して、首を口の中に入れます。 猫は首をよだれだらけにされても、結構遊びを楽しんでいたりする。 動物は自分の群れの一員は食べないらしいです。
お礼
有り難うございます
- KGS
- ベストアンサー率24% (1324/5321)
可哀相という感情は動物だけに対してですか? 植物は可哀相じゃないんですか? どちらも命あるものですよね。 動物だけ可哀相で植物は可哀相でないなんて人間の勝手な感情です。 肉食の動物が草食動物を狩るときに可哀相だと思ったら生きていけません。 草食動物が植物を可哀相と思ったら生きられません。 動物も植物も地球の遥かな歴史の中のほんの一時的な瞬間に地球上に生息しているにすぎないのです。 肉食動物は草食動物を食べますが、やがて死んで土に還り植物の栄養になります。 そして、その植物を食べて草食動物が草原を走り、その草食動物を肉食動物が・・・というサイクルが続きます。 人間だって、そのサイクルの間に一時的に生存しているだけに過ぎない存在なのです。 300万年前に人類が誕生し、あとどれくらい地球上に存在するかわかりませんが、悠久の歴史のなかで限られた人間が肉食を止めようが止めまいが大勢に影響はないのです。 だったら好きな焼肉定食を食べましょう。
お礼
有り難うございます
先日飲み屋でその話が出ましたので書いてみましょう。ある女の子が、生き物がかわいそうだと肉を食べなかった時期があったと言います。ところが我慢できなくなってまた食べるようになったそうです。これについて私には見解があります。 私は家族が馬鹿でしたので馬鹿と言うものに詳しいのです。間違ったことを言うのは、たいした馬鹿ではありません。「火事だ、ラーメン持って来い!」 こんな言い間違いは誰にでもある。たいした馬鹿ではありません。軽症です。 「火事だ、水を持ってこい」と言われて、「あなた私に命令する権利があるんですか」と言い出すのが重症の馬鹿です。重要なことと重要でないことの区別がつかないのが本格的な馬鹿です。言ってることは正しいんだが、それを言う事が間違ってるだろう、というのが一級の馬鹿です。 生き物の命がたいせつであることは間違いない。でももっと大切なことがあるでしょう。私だったら、いま皿に乗っている動物の命よりも、お父さんお母さんがお前の健康を見て安心することのほうが重要だと言うよ、と彼女に言いました。 何が正しくても構わないが、ある立場に立てば自ずと大事なものと大事でないものがあります。すべてが大事だと言えるのは何もしない人だけです。納得しない人は、自分のお父さんが毎月世界の貧しい人たちと給料を分かち合うことを想像してみることです。お父さんは正しい。あるいは日本政府が近隣諸国と税金や領土を分かち合うことを歓迎してもいいでしょう。 動物実験のサルの命と、友達のお母さんの難病の治療法が発見されることとどっちが重要か、人がどう答えようが気にしませんが、私には私の回答があります。 そんなわけで、動物や植物の命が大切であることは認めますが、私にとってもっと大事なものがあって、私はそれを恥ずかしいと思わないという訳なんです。 ところがこの話を飲み屋の女の子にしたところ、「私はまだ夕食を摂っていない。私は両親を安心させるために寿司をいただきたい」と言って、コンビニで買ったという寿司弁当をバッグから取り出して私の前で食べ始めました。わかったんですかね。
お礼
あ
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お礼
有り難うございます