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感動したスポーツシーンを教えて下さい
【coyoteの質問 #125】 スポーツというのは、日常に刺激をもたらしてくれます。 皆さんの魂を揺さぶったスポーツのゲームやシーンを 教えて下さい。 いっぱいあるでしょうから、絞ってみて下さい。 ぼくは3つにします。沢山あるんですけどf(^^;)。 [ボクシング]……大場政夫 VS チャチャイ・チャオノイ 5度目の防衛戦で、1Rにチャチャイからの右ロングフックで、 大場はダウン。その時に右足首を捻挫してしまいましたが、 逆転でKO勝ち。 右手が伸びきっても、まだストレートを繰り出そうとする 大場に感動してしまいました。 30年も前の試合でしょうか(*^_^*)? [高校野球]……簑島 VS 星稜 20年ほど前の夏の甲子園。 延長18回に簑島がサヨナラで勝った試合ですが、 16回表に、星稜がタイムリーで1点を勝ち越したんですが、 その裏に、ファールフライを星陵の選手が転倒して落球。 命拾いをした打者が同点のホームランで 再度試合を振り出しにしたシーン。 ああ、甲子園(*^_^*)。 [大学野球]……K大学 VS M大学 一昨年です。 10年ぶりの、母校K大とW大優勝決定戦の前にあったM大とのゲーム。 3戦あった優勝決定戦では、1勝1敗でW大とタイの後、 決定戦最終試合でW大に勝って優勝しましたが、 優勝決定戦前のM大との試合では、 15季連続で勝ち点を落としていたにも関わらず、 延長15回で勝った試合は燃えました。 皆さんの心に残っているスポーツシーンは? 書き切れないので、みなさんのご回答を楽しみにしてます。
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プロ野球 近鉄の10.19も忘れられないのですが、スワローズ・ファンなので野村監督の初優勝の年にいくつか印象的なゲームがありました。 その1:甲子園での延長15回引き分け。 このときは9回の裏に確か八木か誰かがセンターに大飛球を打って、ラジオで聞いていたのですがアナウンサーが「ホームラン」といったのでそのままラジオを切ったのですが、数時間後にニュースで延長と知ってビックリ!これはラバーに当たって入ったと言うことでエンタイトルになって延長に入ったのでした。プロ野球ニュースが野球中継になったのを覚えています。最終回のランナー1,2塁でオマリーが打席に入るとバッテリーが勝負しようとしたところ野村監督が怒りながら出てきて満塁にしたことが印象的でした。 その2:同じく阪神戦のサヨナラ劇 これはもう記憶があやふやなのですが、阪神は仲田だったかな。3.4点差で負けていて、徐々に追いつくのですが、試合をテレビ朝日で中継していたのでニュースステーションに入ったらこちらも中継になりました。最後のサヨナラ打は背のちっこい荒井でした。彼はそのシーズンの巨人戦にバンドのサインを見逃して野村監督に頭を小突かれていました。そんな彼が最後に決めるなんて良く出来た話でした。 それから近年の高校野球では松坂のPL戦や決勝戦のノーヒット・ノーランもいいのですが、彼が先発しなかった準決勝の(明徳義塾だったかな)逆転劇も忘れられません。8回か9回に松坂が出てきてピッシャ!と押さえてサヨナラにつなげたのが印象的でした。その時は昼時で携帯ラジオで聞いていたのですが、最後の方は銀行のテレビに見入っていたっけ。 もしかして、サッカー、プロレスに続くかもしれません。
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- yumesawa
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はじめまして。はじめてメールさせて頂きます。 個人的に感動したスポーツシーンは枚挙に暇なく、その多くは既にこのコーナーで紹介されてますので、まだこのページに出てないネタですと、92年7月の大相撲名古屋場所ですか、水戸泉が優勝した時ですかねえ。それまで彼は、とことん運に見放されてきて「彼に神はいないのか」とずっと思ってました。そこにこの優勝。「ああ、ちゃんと神様は見てくれてるんだなあ」と、瞳からは涙は出ませんでしたが、心の中ではもう涙ポロポロでした。 それから、その瞬間ではなく、のちにF1の中嶋悟引退特集番組をみて知ったのですが、何年かは忘れてしまったのですが鈴鹿グランプリのレースの直前、確か彼は母親を失くされたと記憶してます。そして本番レースのスタート時、発進しかけた彼の車がピタリと止まってしまったのです。数秒が経ち、それでも動かぬマシン。もうダメか、と思ったその時、突然マシンが発進したのです。結局このレースは完走できたと記憶してます(順位まではちょっと・・)。これはもう「母が走らせてくれた」以外の何ものでもございませんよね。彼本人の口からそういうコメントがあったかどうかは定かではありませんが・・・ あと、補足みたいな感じになりますが、マラソンの中山が森下に「先に行け」のシーンは、福岡ではなく、91年の別大マラソンだと思います。このとき森下のマークしたタイムは日本人の初マラソンでの歴代最高記録として未だに残ってます。ちなみにこの時は五輪選考会ではなく、同年8月に東京で行われた世界陸上(谷口が金!)の選考会でした。ただこのとき森下はマラソン代表ではなく、1万m代表で出ました。翌92年2月の東京マラソンが五輪選考レースで、まるで1年前のVTRを見てるかの如く終盤に森下が中山を振り切り森下1位、中山2位でアベック五輪出場を果たしてます。 今まで様々なスポーツ名場面がこのぺージで紹介されてますが、その中に あの猪木vsアリ戦が入ってないのはちょっと意外ですね。これを今に置きかえると、ヒクソン・グレイシーvsアレクサンダー・カレリンみたいな全世界が驚愕するマッチメイクだったと思うのです。自分はこの世紀の一戦をリアルタイムで知らない世代なのでアレなんですけど、やっぱりあの一戦は周囲で言われてる通り「世紀の大凡戦」だったのでしょうか? (文中敬称略)
お礼
yumesawaさん、滑り込みセーフです(*^_^*)。 実は、昨日、この質問を閉じようと思っていたところでした。 ご回答をありがとうございます。 [水戸泉] 10年も前だったんですねえ。 この時の優勝パレードで、水戸泉の旗を当時大関だった小錦が持っていましたね。 大関が平幕の旗を持つのは、異例でしたが、 小錦は、「兄弟子だった水戸泉関を追い越したけど、今までお世話になった恩返しをしたい」 というような事を言ったのには感動致しました。 [中嶋悟] 91年の事でしたねえ。このエピソードは知りませんでした。 何だか奇跡のようでもありますね。 この年は、千代の富士も引退し、本多宗一郎が亡くなった年。 補足でも書いていただいてますが、色んな事がありましたねえ。 [補足] なるほど。こういう事だったんですね。 当時を思わず偲んでしまいました(*^_^*)。 [猪木vsアリ戦] どうなんでしょうねえ。しかし、当時は物凄く盛り上がった分、 結末の呆気なさに唖然としたのは間違いないですね。 こんなビッグマッチなのに、勝者がいないというのは、 やはり納得がいかないですねえ。 あの猪木の戦いぶりにも、ぼくはちょっとがっかりしてしまいました。 猪木ファンの方、申し訳ないです。
- takesama
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トラキチの私なので、やっぱり85年の日本一の ことが一番印象に残っています。 その中でも・・・ ・掛布の同点ホームラン セ・リーグの優勝を決めた神宮球場でのことですが、 掛布のレフトポールに当たるホームランで同点に追いつき 引き分けで優勝が決まりました。 「さっすが、掛布!!」と、歓喜しました。 ・長崎の満塁ホームラン 日本一を決めた西武球場のことですが、1回表に飛び出した このホームランで日本一を確信しました。 でも、当時中学生だったのですが、日本シリーズは昼間に 行っていました。クラスの半分以上は学生服にラジオを 隠し、授業中に聞いていたのですが(もちろん私もその内の一人) このホームランが出たとき、ある一人が「よっしゃー!!」 と飛び上がってしまいました。お蔭様で、ラジオ所持者はラジオを没収。 その没収ををかいくぐった同級生に経過を聞くという羽目になってしまいました。 ちょっと、横道にそれてしまいました・・・。 ところで、すでにツッコミが入っているかもしれませんが、 85年の優勝時にキーオ、湯舟は在籍しておりません。 当時の外人投手は、日本一になった試合で先発完投したゲイル投手です。 また、湯舟投手は、90年代に入団したと記憶しております。
お礼
takesamaさん、ありがとうございます。遅くなって申し訳ないです。 [掛布の同点ホームラン] うーん、このホームランは覚えてないんですが、 優勝が決まったホームランという事なら、狂喜しますよねえ。 [長崎の満塁ホームラン] 覚えています(*^_^*)。神風が吹いたと言われる西武でのホームラン。 西武の高橋でしたか、すぐノックアウトしましたね。 阪神は、ゲイルが投げていたんですねえ。 すっかり忘れていました。 授業中のラジオを聞きながらの応援。思い出に残るでしょう。 阪神ファンとすれば、あの感動を再現して欲しいと思いますよね。 ぼくは、何処の球団のファンでもないのですが、 贔屓のチームが優勝した時のファンの喜びを見るのは気持ちがいい物です(*^_^*)。
- nozomi500
- ベストアンサー率15% (594/3954)
またまたやってしまった・・・、指摘される前に。 ピカボ・ストリートは長野オリンピックでした。(ひょっとしてリレハンメルに出ていたかもしれないけど、私はみていない) プロ野球の話題で思いだしたこと。 横浜大洋の遠藤投手が、巨人のクロマティを三振に討ち取ったあと、指で頭をつんつんして、(それまでいつもクロマティが、打つたびにアタマの違いだよ、というように自慢するポーズ)リベンジした試合。 巨人-ヤクルト戦で、篠塚の打球がポールぎりぎりのところにはいった、いわゆる「ドームラン」事件。スロービデオで再生したときの、解説のカネやん「いやー、ほんとに微妙なところですねー」誰が見たってファウルだよ。 広島-阪神戦で、2アウト満塁から衣笠がバントで決勝点。 「平安高校の野球はこんなのあたりまえですよ」と笑っていた。たしかこの年に2000試合連続出場、だったかな?
お礼
nozomi500さん、ありがとうございます。 [遠藤投手] よくやってましたねえ(*^_^*)。 テレビでも何度となく、放映されてましたから、焼き付いてますよね。 [巨人-ヤクルト戦] おお、こんな事もありましたねえ。まあ、面白い解説ですねえ(*^_^*)。 しかし、ドームランというのは、巨人ファンにとっては、 面白くない言葉でしょうねえ。 [広島-阪神戦] この試合はまるっきり覚えていません(*^_^*)。 さすが平安高校の出身という感じのエピソードですねえ。 記録としては2200幾らかの連続出場でしたが、 これって今でも世界記録なんでしょうか?
- good_speed
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他の回答を全部は目を通していないので既出かもしれませんが…。 私の場合は、8年位前でしょうか、広島対巨人戦での前田選手のプレイが感動して心に残っております。その日センターを守っていた前田選手の前方にライナー性の打球が飛んできて彼は全力で前進してダイブしたのですが、僅か及ばずに打球は後方に抜けてしまいタイムリーとなり逆転(確か)されてしまいました。そして次の打席に彼は見事ライトスタンドに逆転ホームランを叩き込んだのです。ダイヤモンドを回っている時の前田選手の涙を私はずっと忘れることはないでしょう。近年はアキレス腱の手術で思うように試合に出れない状況が続いていますが、もう一花、二花咲かせてくれることを信じているファンは沢山いるはずです。頑張って欲しいものです。
お礼
good_speedさん、ありがとうございます。 8年前の話でしたか。 バッターは、巨人の川相で、結局ランニングホームランしたんじゃなかったですか? そして、その後のホームラン。 泣いていたんですねえ。うなだれてダイヤモンドを回っていましたが。 現在、「アキレス腱の手術で思うように試合に出れない状況」とは知りませんでした。 これからも頑張って欲しい選手ですよね。
- nozomi500
- ベストアンサー率15% (594/3954)
バルセロナの聖火の矢は、聖火台の上空を通過していった(カメラの角度で当たったように見えたが)みたいですよ。 たぶん、狙う方も、台に当たって落ちたらごまかしがきかないから、ちょっと「上」を狙ったはず。ガスはそこまで届いていたかどうか知らないけど。 冬季五輪を思い出すと、リレハンメルのピカボ・ストリートのダウンヒル。しかし、彼女が優勝したのはスーパー大回転だったかな? 同じくリレハンメルの里谷。初めてみるモーグルで、当時高校生の彼女が、滑り終わった時点では2位か3位にいた。「これはすごい!」思わずTVに叫びました。小声で。同じく、寺尾のショートトラック。 しかし、今回活躍を期待されていた選手って、リレハンメルから頑張っているんだ。 リレハンメルだったかな、アルペン(回転か大回転か)元チャンピオンのトンバが、不本意な滑りで優勝を諦めていたのに、あとからすべる上位選手が次々にバランスを崩したりコースアウトしたり、で、これはひょっとしたらトンバにもチャンスが・・・、と私も思ったのですが、そううまくは行かず、最後にはちゃんと実力者が(名前を覚えていない)タイムをまとめて優勝。 あのときのトンバの暗・明・暗の顔が印象にあります。 バルセロナ五輪のマラソン代表を決める福岡国際マラソン。 先頭にならぶ中山と森下。40km手前で、中山が森下に「先にいけ」とサインを送って、そのままスパートした森下優勝。そのままオリンピックでも銀。 それまで中山竹通って、なんかえらそうな態度が、宗兄弟と比べても気に障ったのですが、このあと、彼はずいぶん森下選手に入れ込んでいました。大産大の監督として頑張っているのかな?
お礼
nozomi500さん、またまたありがとうございます。 [バルセロナの聖火の矢] 通過しちゃったんですねえ。 それにしても、上手い具合に矢を放ちましたよね。 あれだけでも感動物でした(*^_^*)。 [ピカボ・ストリート] うーん、この選手は知りませんでした。 しかし、里谷も寺尾もリレハンメルからの活躍でしたか。 かなり長期間活躍しているんですねえ。 この事も知りませんでした(*^_^*)。 [トンバ] トンバは、オリンピックの時もそうですが、 夜は夜で、チャンピオンぶりを発揮してましたねえ。 写真週刊誌に狼藉ぶりをすっぱ抜かれてましたから、 ここでも「暗・明・暗の顔」があったのかも知れません。 [福岡国際マラソン] 銀獲得の森下選手にこんな秘話がありましたか。 当時、見聞したのかも知れませんが、覚えてないですねえ。 一昨年くらいまでは、大産大の監督としての姿は見てましたねえ。 しかし、あの凄惨な事件は決着したんでしょうか?
- shino911
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kawarivさんの補足欄での、coyoteさんの思い出シーン、 懐かしく拝読させていただき、感動がよみがえってきました。 すべて記憶にある訳ではないですが… 【ウェイトリフティング・砂岡選手】 “ハンサムな力持ち”として話題になりましたね。 女性ファンが多く、やっかんだ男性もいたといいますから、 「銅」でよかったのかも…(* *;) 【88年の近鉄バファローズ】 最終の二試合は確かダブルヘッダーではなかったですかね。 テレビ中継がなく、ラジオにかじりついてました。 VTRで見た時の大石選手の呆然とした表情が印象に残っています。 【バルセロナ五輪の聖火】 そ、そんな、coyoteさん、感動に水を差すような…(*_*) でも実は私も密かにそうじゃないかと……おっと、何てことを…(@_@) 【柔道の古賀】 古賀選手といえば、やはりバルセロナ五輪の、怪我を押しての金メダルが印象的です。 決勝は微妙な判定でしたが、旗が上がった瞬間の、天を仰いだ表情が忘れられません。 【高野は世界の8位か】 この時の実況は、工藤三郎アナウンサー。 奥さんの「私が金メダルあげます」は有名になりましたね。 工藤アナといえば、確か、長野五輪の原田のジャンプでの、 「立て! 立て! 立ってくれ!!」の時の実況もしてましたね。 このフレーズ、別の意味で男性陣の間で流行りませんでした?(*^_^*) なんか、「回答に対するお礼」の疑似体験みたいになりましたが(^_^) やはり、すべての話題に対してコメントが付けられません。 改めて“質問王”coyoteさんの偉大さに敬服いたします。 修行を積んで、私も早くこのような質問ができるようになりたいです。 (お天姉さんもお立てになったことですし… ^ ^;)
お礼
shino911さん、いつもありがとうございます。 [ウェイトリフティング・砂岡選手] 玉三郎とか言われてましたよね。 もう一度見たいシーンですよ。 アナウンサーにも煽られてしまいましたけど(*^_^*)。 [88年の近鉄バファローズ] そうそう。ダブルヘッダーです。 1試合目は見てないんですが、 2試合目を時々『ニュースステーション』で放映していたので、 ニュースそっちのけで見てました。 [バルセロナ五輪の聖火] あれは、保険みたいな物で、実際には着火したんだと思いますよ。 (*^_^*)。フォローになりましたか? [柔道の古賀] バルセロナでは、膝の靱帯を損傷したんですよねえ。 天を仰いで咆吼してましたね。 しかし、古賀は柔道の真髄を見せつけてくれました。 [高野は世界の8位か] あ。工藤アナウンサーでしたか。よくご存知で。 しかし、上手いはずですねえ。舌を巻きます。 「立て!……」では、思わず股間を覗いたそうですが、 無論、そんなはしたない事はぼくはしていません。 やるものですか。いいえ、やっていません。 しかし、ぼくは、目指しているのは、「キング・オブ・質問 & コメント」で、 実際の質問王は別にいらっしゃいます。 何とぼくの6倍の質問を立ち上げてます(*^_^*)。 だから、「コメント王」を目指そうかなあ。 あ、「美杉純」の件はありがとうございました。 間違った情報を書いてしまいました。失礼を致しました。
2回目の登場です(^^)。 nozomi500 さんも coyote さんも結構なラグビー狂のようで・・・。実は私も・・・(^^)。 NO.51で nozomi500 さんが仰っている「明治VS同志社」は、93年度の大学選手権ですね(だから正確には94年の正月)。この試合で強烈に印象に残っているのは、明治トライ後のゴール、それもほぼ正面を同志社の選手が腕でチャージし、見事に阻止したこと。あのシーンは未だに忘れられません。私には、日本ラグビーの歴史に残る1シーンです。 この試合、PGを狙えば同志社は勝てたかもしれません。歴史に「れば」「たら」は禁物ですが、同志社ファンはそう言いたくなるほど悔しい試合だったのでは。選手たちはサバサバしてたようですが。 話は変わって。 小嶺監督についても少しマニアックな話をば(笑)。 小嶺監督は、国見高校の前には島原商業校の監督でした。そこでも全国選手権の常連だったのですが、ベスト8まで到達した翌年、小嶺監督は国見高校に移りました。その年、島原商は、全国選手権で帝京と1-1で引き分けて両校優勝。 翌年、全国選手権の地区予選で、小嶺監督率いる国見高校は平戸と対戦。このとき、国見のFWはあの高木選手。平戸GKはあの前川選手。勝利の女神は、平戸に微笑みました。 その翌年からの国見の活躍は、先にとうとうと自慢した(←お前が自慢してどーする!?)とおりです。 でも、下のようなHPもあるんですね。知らなかった・・・。 他にもスポーツで感動したシーンは、阪神淡路大震災直後の豪州オープンで沢松が伊達に勝ったとき、ユーリアルバチャコフが初タイトル挑戦時にチャンピオンに美しいまでのライトクロスカウンターを決めたときなど、数え上げればキリないです(笑)、本当に。 でも、私にとってNO.1は、やはり1997年11月、日本VSイラン戦で岡野がVゴールを決め、日本ワールドカップ初出場を自力で手にしたときですね。深夜に大声を張り上げながら祝杯をあげ、翌日スポーツ新聞を3紙買いました(笑)。まだ持ってます(笑)。 ●追伸 たった1度、それも数ヶ月前にご一緒しただけなのに、私ごときを覚えていらっしゃったとは驚きでした。私も、またどこかでご一緒できる日を楽しみにしております。
お礼
kawarivさん、再度のご回答、ありがとうございます。 [明治VS同志社] こういう試合でしたか。よく覚えてらっしゃいますねえ。 考えてみましたら、この年は日本に居なかったんです。 だから、見てなかったんですねえ。って言い訳を書いておこうっと(*^_^*)。 [小嶺監督] へー、この実績は知りませんでした。 さすが国見高校ファ……いや、マニア……、ん?フリークです。 島原商業に居たんですねえ。あの時の監督でしたか。 うーん、やっぱり、昔からただの名古屋章じゃないですねえ。 参考サイトにも行って来ました。面白いサイトがあるんですねえ。 [沢松] おおお、この試合がありました。 ぼくは、この試合はオーストラリアで観ていたんですが、 後の報道で、沢松の自宅全壊を知りました。 あの時の活躍ぶりは、神戸の人にも希望を与えたのではないでしょうか? [ユーリアルバチャコフ] ユーリ海老原ですね。この試合は新聞報道で読んだだけなんですが、 旧ソ連のボクサーが日本のボクシングジムに所属していた理由が 分からなくて、そういう意味では印象に残っています(*^_^*)。 [日本VSイラン戦] このゲームは、もう何度も見ましたねえ(*^_^*)。 やっぱり中田は天才ではないか、と思います。 最後に中田がシュートをしましたが、岡野が目に入っていたから、 キーパーがパンチングで弾くしかない場所に、シュートを打って、 岡野にこぼれたボールをシュートさせたような感じなんですが、 実際はどうなんでしょうねえ(*^_^*)。 ぼくも翌朝新聞紙を買いに行きましたが、完売でしたf(^^;)。 遅かれし~~~~。しかし、一喜一憂した長い長い試合でした。 まだ時々ビデオで見てます(*^_^*)。 ※「私ごとき」などではありませんよ(*^_^*)。 逆風吹き荒れる回答群の中でのサポート。 ぼくには非常に心強く、忘れる事の出来ないご回答でした。 kawarivさんのあのご回答で、ぼくは勇気づけられました。 大袈裟かとお思いかも知れませんが、本当に感謝してます。 kawarivさんにとりましては、360余りある回答の中の一つかも知れませんが、 ぼくにとっては、鮮やかな印象が残っています。 kawarivさんのあの時のご回答に感銘を受けたのは、 ぼくだけでなく、他にもいらっしゃいますよ(*^_^*)。 機会がありましたら、もう一度お礼を申し上げたかったので、 今回、こういう機会が訪れたのも僥倖です。 改めて御礼申し上げます。ありがとうございました<(_ _)>。 これからもよろしくお願い致します。 いいデジカメが手に入って良かったですね(*^_^*)。
補足
kawarivさんの補足欄をお借りして、ぼくも思い出した感動のシーンを。 ロサンゼルスオリンピック。82.5kg級日本代表の砂岡。 砂岡は、ジャーク2本目を失敗したところで順位は2位。 そして、3本目。砂岡は、自身が持つ記録に挑戦。 挙がらなければ銅。挙げれば金。 挑戦せず無難にこなせば銀。 しかし、金メダルをねらう砂岡は銀を捨てました。 結果は失敗し、銅メダルになりましたが、この心意気に感動。 千代の富士の54連勝をストップした大ノ国との一番。 終わったかあ、という千代の富士の苦笑。 あの顔が忘れられません。 1988年。優勝が決まるというロッテ-近鉄最終戦。 8回にブライアントが勝ち越しホームランを打った時、 隣に居たオグリビーに思わず抱きついた中西太。 いい人だあ、中西太。 優勝がないと決まったのに、10回裏を守らなければならなかった近鉄ナイン。 守備を見ながら涙ぐんでしまいました。 バルセロナ五輪の開会式。 最後の聖火に着火するパラリンピックのアーチェリーの選手が、 聖火のついた矢を放ち、見事に命中させた時は感動。 届く少し前に、着火したとも言われてますが(*^_^*)。 アトランタオリンピック。女子体操。 名前は忘れましたが、アメリカの最終演技者。 前の演技で片足を怪我した状態での跳馬。 彼女は決死の覚悟で助走から跳躍し、そして片足で着地。 アメリカは団体金メダル。凄かったなあ。 長野オリンピック。アイスホッケー。 チェコはヤーガーとハシェクなどを擁し、二人の超人的な活躍により、 アメリカ、カナダを打ち砕き、決勝も宿命のロシアを破っての見事な金メダル。 感動しました。 ソウルオリンピック。陸上男子800m決勝。 前回王者のクルス、アウイタなどが混じる中、 前半の400mを世界記録を上回るペースで通過したんですが、 ケニアのエレングは、それにはついていかずに、 前半を最下位で通過して、最後の200mで豪快なごぼう抜き。 もの凄い試合でした。 1990年の全日本柔道選手権大会。 無差別級で勝ち上がっていった古賀の決勝。 小川の足車で負けましたが、80kgの体重差を乗り越えた勝負への執念。 実に爽快でした。 1991年世界陸上東京大会。高野進の400m決勝。 結果はともかく、決勝に残ったという事がもの凄く印象的でした。 バルセロナオリンピックでは、アナウンサーが、 「高野。高野は世界の8位か」と言っていました。 このフレーズも印象深く頭に残っています。 何だか回答者のようになってきました(*^_^*)。 まだ沢山あるんですよね。 今のソルトレークシティ・オリンピックも見逃せません。 ショートトラックは特に力が入ってしまいます。 という事で、もう暫くこの質問を開いておきますね。
- tips
- ベストアンサー率14% (829/5762)
たびたび、こんにちは。 >しかし、tipsさん、自転車なら42km楽勝? はい。だいたい平日は、自転車通勤をしていまして、 週末になると、50-60キロはしっています。 50-60キロといっても、 おもに、公園にいったり、生地やさんに生地をみにいくとか おばあちゃんのうちへいくとか、ささいな用事なんですが。 自転車で四国からしまなみ海道を移動したときに 一日で130キロ走ったことが ありますが、そのときは、死ぬかと思いました。 ぐったりしました。 追伸1。 ドリップ→ドリッパー おしえていただき、ありがとうございます。 追伸2。 人の履物をふところであたためる人の話を しってる?って 職場の人にきいたら、みんなこえをそろえて ●●のことでしょ。といいました。 あたりまえの常識でしょぉー!といわれました。 ●●さんは、有名人らしいです。 ※そのとき聞いた名前をもう名前忘れてしまいましたので ●●で、代用しておきます。すみません。
お礼
tipsさん、ありがとうございます。 もの凄いですねえ。 「週末になると、50-60キロ」!! これはぼくが感動してしまいます。 まして、「一日で130キロ」の走行というとどういう距離なんでしょう? 東京からだと鬼怒川温泉に行ってしまい、 鹿児島からだと屋久島に辿り着いてしまいます。 tipsさん、恐るべし。 [人の履物をふところであたためる人の話] 人物名など大した意味はないです。 そういう事があったという事でいいんです。 知識の量など、五十歩百歩ですし、他の人が知らない事をtipsさんが よく知っているという事も沢山あるでしょう。 幾ら一生懸命知識を蓄積しても、図書館に行けば、すぐに追いつかれます(*^_^*)。 tipsさん流の覚え方でいいんです(*^_^*)。それが個性ですから。
- nozomi500
- ベストアンサー率15% (594/3954)
おお、またやってしまってたか。リコーでなくサンヨー・・・。 そのときの「サンヨー」ってチーム名「三洋」でしたね、たしか。 大東OBのラトウがいたっけ。 大学ラグビーで、平尾などの抜けたあと低迷した同志社が、久々に全国大会で勝ちすすみ(準決勝だったかな?)王者・明治と対戦。最後まで「トライ」にこだわって負けた試合がありました。 シドニーオリンピック女子ソフトボール決勝。増渕さんが好投していたので、「勝利の方程式」どおりに高山さんをだすタイミングがおくれて逆転負けした試合。
お礼
nozomi500さん、ありがとうございます。 [同志社] うーん、どの試合か思い出せませんf(^^;)。 平尾が同志社に居た頃、ぼくの母校は非常に強くて、 タイガージャージ復活!と言われていましたが、 やはり同志社には勝てなかったですねえ。 [女子ソフトボール決勝] オリンピックが終わった後、しばらくして、この宇津木監督と話をしたんですが、 高山は昔、柔道をやっていた事もあって、その時に痛めた膝が どうも芳しくなかった事もあり、逡巡があったとか言ってました。 しかし、打ちやすいのは高山の方らしいんですが。 ともあれ、銀メダルはよくやりましたねー。
- tips
- ベストアンサー率14% (829/5762)
coyoteさん、こんにちは。 自分は、名古屋国際女子マラソンで、高橋尚子選手が はしっているすがたをみて、感動しました。 自分は、走るのは苦手なので 尊敬してみていました。 自分の足で、長い距離を移動できるなんて すばらしいとおもいます。 自分は、自転車で42キロはしるのは、楽勝なんですが。
お礼
tipsさん、ありがとうございます。 シドニーオリンピック前に優勝した時ですね。 これが最後のチャンスで、それを物にして、 シドニーオリンピックで金メダル。 出来る事じゃないですよねえ。 ぼくも自分の足で、42kmも移動出来ません。 移動している人の邪魔は出来るんですが……。 しかし、tipsさん、自転車なら42km楽勝? 凄いなあ。後ろに乗せてください(*^_^*)。
お礼
pfmさん、ありがとうございます。 [その1] 覚えています(*^_^*)。八木でしたね。 この時の審判は平光でしたが、面目丸つぶれでしたね。 ホームランが抗議でふいになるんですから、怒り心頭ですよねえ。 [その2] すみません。これは全然覚えがないですf(^^;)。 見たかったですねえ。 「ニュースステーション」に食い込んで、ニュースを報道しながらのゲームというのは、 1988年10月にあった近鉄・ロッテの最終戦でした。 悲願に賭けた近鉄の敗戦には、呆然として声も出なかったです。 あ。余計な事を書いてしまいました<(_ _)>。 [準決勝] よくぞ書いてくれました(*^_^*)!!! 4-6で迎えた9回裏、横浜は6-6の同点にした後、更に2死満塁。 明徳義塾の寺本が投げた球をセンター前ヒットでサヨナラ。 松阪にかけよる寺本は涙ボロボロの鼻水ずるずる。 松阪がウイニングボールを渡したんですよねえ。 嗚呼、泣けてきます。寺本ぉ~、よくやったぁ! いやあ、いい試合を思い出させてくれました。 ありがとうございます。