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感動したスポーツシーンを教えて下さい

【coyoteの質問 #125】  スポーツというのは、日常に刺激をもたらしてくれます。  皆さんの魂を揺さぶったスポーツのゲームやシーンを  教えて下さい。  いっぱいあるでしょうから、絞ってみて下さい。  ぼくは3つにします。沢山あるんですけどf(^^;)。 [ボクシング]……大場政夫 VS チャチャイ・チャオノイ  5度目の防衛戦で、1Rにチャチャイからの右ロングフックで、  大場はダウン。その時に右足首を捻挫してしまいましたが、  逆転でKO勝ち。  右手が伸びきっても、まだストレートを繰り出そうとする  大場に感動してしまいました。  30年も前の試合でしょうか(*^_^*)? [高校野球]……簑島 VS 星稜  20年ほど前の夏の甲子園。  延長18回に簑島がサヨナラで勝った試合ですが、  16回表に、星稜がタイムリーで1点を勝ち越したんですが、  その裏に、ファールフライを星陵の選手が転倒して落球。  命拾いをした打者が同点のホームランで  再度試合を振り出しにしたシーン。  ああ、甲子園(*^_^*)。   [大学野球]……K大学 VS M大学  一昨年です。  10年ぶりの、母校K大とW大優勝決定戦の前にあったM大とのゲーム。  3戦あった優勝決定戦では、1勝1敗でW大とタイの後、  決定戦最終試合でW大に勝って優勝しましたが、  優勝決定戦前のM大との試合では、  15季連続で勝ち点を落としていたにも関わらず、  延長15回で勝った試合は燃えました。  皆さんの心に残っているスポーツシーンは?  書き切れないので、みなさんのご回答を楽しみにしてます。

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  • pfm
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回答No.10

プロ野球 近鉄の10.19も忘れられないのですが、スワローズ・ファンなので野村監督の初優勝の年にいくつか印象的なゲームがありました。 その1:甲子園での延長15回引き分け。 このときは9回の裏に確か八木か誰かがセンターに大飛球を打って、ラジオで聞いていたのですがアナウンサーが「ホームラン」といったのでそのままラジオを切ったのですが、数時間後にニュースで延長と知ってビックリ!これはラバーに当たって入ったと言うことでエンタイトルになって延長に入ったのでした。プロ野球ニュースが野球中継になったのを覚えています。最終回のランナー1,2塁でオマリーが打席に入るとバッテリーが勝負しようとしたところ野村監督が怒りながら出てきて満塁にしたことが印象的でした。 その2:同じく阪神戦のサヨナラ劇 これはもう記憶があやふやなのですが、阪神は仲田だったかな。3.4点差で負けていて、徐々に追いつくのですが、試合をテレビ朝日で中継していたのでニュースステーションに入ったらこちらも中継になりました。最後のサヨナラ打は背のちっこい荒井でした。彼はそのシーズンの巨人戦にバンドのサインを見逃して野村監督に頭を小突かれていました。そんな彼が最後に決めるなんて良く出来た話でした。 それから近年の高校野球では松坂のPL戦や決勝戦のノーヒット・ノーランもいいのですが、彼が先発しなかった準決勝の(明徳義塾だったかな)逆転劇も忘れられません。8回か9回に松坂が出てきてピッシャ!と押さえてサヨナラにつなげたのが印象的でした。その時は昼時で携帯ラジオで聞いていたのですが、最後の方は銀行のテレビに見入っていたっけ。 もしかして、サッカー、プロレスに続くかもしれません。

noname#1775
質問者

お礼

pfmさん、ありがとうございます。 [その1]  覚えています(*^_^*)。八木でしたね。  この時の審判は平光でしたが、面目丸つぶれでしたね。  ホームランが抗議でふいになるんですから、怒り心頭ですよねえ。 [その2]   すみません。これは全然覚えがないですf(^^;)。  見たかったですねえ。  「ニュースステーション」に食い込んで、ニュースを報道しながらのゲームというのは、  1988年10月にあった近鉄・ロッテの最終戦でした。  悲願に賭けた近鉄の敗戦には、呆然として声も出なかったです。  あ。余計な事を書いてしまいました<(_ _)>。 [準決勝]  よくぞ書いてくれました(*^_^*)!!!  4-6で迎えた9回裏、横浜は6-6の同点にした後、更に2死満塁。  明徳義塾の寺本が投げた球をセンター前ヒットでサヨナラ。  松阪にかけよる寺本は涙ボロボロの鼻水ずるずる。  松阪がウイニングボールを渡したんですよねえ。  嗚呼、泣けてきます。寺本ぉ~、よくやったぁ!  いやあ、いい試合を思い出させてくれました。  ありがとうございます。

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  • shino911
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回答No.28

横からちょっと口出してスミマセン。 レース中に生理になっちゃったのは、85年の東京国際女子マラソンでの、 旧東ドイツのビルギット・ワインホルトという選手です。 彼女は最後までレースを諦めず、2位でゴールインしました。 当時はまだ東ドイツがスポーツ大国としてその厳然たる力を誇っていた時代で、彼女たちにとって国際大会で棄権することは同時に、生活を捨てることを意味したといいます。 あの時、新聞社では、翌日の新聞にその写真を載せるか否かで議論になったそうですが、結局、写真を掲載した新聞はなかったように記憶しております。 ショーターの野○ソは、73年の琵琶湖マラソンで、その時困ったのがテレビ中継のカメラです。その間、仕方なく第2中継車に画面を切り替え、アナウンサーが「さあ、一体何があったんでしょう?」なんて マヌケなコメントをしてました (*_*)

noname#1775
質問者

お礼

shino911さん、補足を沢山ありがとうございました。 全部ぼくが知らない事でしたので、大助かりでした(*^_^*)。 また助けて下さいねー、って、助けてもらってますね。 この後もf(^^;)。

  • nozomi500
  • ベストアンサー率15% (594/3954)
回答No.27

あてにならない記憶をひもといて。 「パンツ・・」は、旧ソ連の「イワノワ」だったか、「ツフロ」だったか、そのへん・・? 足が痙攣したのを、胸のゼッケンについていた安全ピンを抜いて「ハリ治療」でたちなおったのがツフロ選手だったかな・・?当時のソ連(EUN?)は、強豪選手が多かったので、名前を覚えていないのですね。その割にメジャーなチャンピオンがエゴロワしかいない。 ミュンヘンオリンピック男子バレーは、金メダルをとった決勝(東ドイツ戦)より、その前、準決勝のブルガリア戦でしたね。5セットマッチのうち2セットを連取され、3セットめも5点ほどリードされている。 ここで松平監督は、予選リーグで活躍していた島岡・深尾とかの若手、森田・横田とかの中堅をあきらめ、「試合に出ないキャプテン」といわれた中村選手と、「栄光のエース・ナンバー1」南選手を投入。猫田選手とあわせて、ベテランの意地で3セット連取して決勝に進みました。もしこれで3セットめをとられてストレート負けしてたら、3位決定戦で、(やはり準決勝で不覚をとっていた)当時世界王者のソ連にあたって、「メダルなし」に終わった可能性が高かったですね。

noname#1775
質問者

お礼

nozomi500さん、たびたびありがとうございます。 「ハリ治療」の選手は名前を忘れてましたf(^^;)。 旧ソ連の選手だったんですねえ。 [ミュンヘンオリンピック男子バレー]  これは、深夜に観ていたんですが、ぼくは2セットを取られた後、  (こりゃ、負けだあ)と寝てしまったんですね。  奇跡の大逆転を知ったのは、翌朝。  貴重なスポーツの伝説を一つ見落としてしまったんです。  ああ、悲哀。

noname#1422
noname#1422
回答No.26

どわ! 間違いだらけの記憶辿り。by 一大事有曽根。 私はこういうのは全く自信無しなのです。たぶんおっしゃる通りだと思います。ガサツな回答で申しわけありません。nozomi500さん、御指摘頂きまして感謝です。故意にやっているのではなくてそもそも記憶がいい加減なのです。今後とも宜しくお願いします。 みなさん、大変失礼しました。あ、またか、って思ってましたか?恐縮ですー。

noname#1775
質問者

お礼

okanouenobakaさん、ぼくも間違えまくってます(*^_^*)。 記憶違いの回答の方が、訂正・追加してくれる方がいて、 回答欄が活発になるというものです(*^_^*)。

  • nozomi500
  • ベストアンサー率15% (594/3954)
回答No.25

たびたび。 ショーターが野○ソ(滋賀は田舎だから、コース途中の橋を渡って土手の下で)をしたのは「びわ湖毎日マラソン」じゃなかったですか?ミュンヘン五輪で優勝した翌年かその次か、そのあたり。80年代に、やはりびわ湖でトイレ(ちゃんと)に行った選手がいました。ダイエーの泉選手だっけ? レース中にパンツを染めたのは、旧ソ連の選手じゃなかったかと・・。

noname#1775
質問者

お礼

nozomi500さん、ありがとうございます。 えーと、この辺りの疑惑はshino911さんの登場で解決したようですね。 「ダイエーの泉選手」の事はちょっと覚えてないですf(^^;)。

noname#1422
noname#1422
回答No.24

嬉しい時にはcoyoteさん、という事で、半人前の前科者、0.5人力の丘の上の馬鹿です。 なんに限らずアマチュアスポーツは感動の宝庫で、私は負けたほうの選手の嗚咽を見逃さないイヤラしいタイプの人間です。高校野球なんかだと、サヨナラエラーなんかやっちゃった選手の号泣を見ては涙を溢れさせております。仲間に慰められてさらに泣き崩れているのを見ると私は鼻水まで垂らします。彼の今後の人生でどのへんまでこの事が古傷として残るのだろう、というところまで考えて、さらに涙します。地区大会から見逃せないのであります。 そういうわけで、アマチュアではキリがないのでプロ限定で。(…実は詳細を覚えていないだけ、具体的な事が何も書けまへん) やっぱダイエーの城島健司くんでしょう。ほぼ真上に上がった小フライでピッチャーと激突、城島は顔面強打でテレビの画面でも大量の血が滴り落ちているのがわかりました。 ありゃあ~、この大事な時期に城島が抜けてしまうのはイタイなあ~、なんて思って見ていると、なんと彼は絆創膏を貼って出てきました。ぶつかったピッチャーの肩を叩いて何か言ってましたが、あとから聞いたところによると、あれは先輩ピッチャーに対して「気にしないで下さい、この試合、勝ちましょう」みたいな事だったとか。 あのガッツ、吉永が出ていってしまうのも判るような気がします。あいつにはかなわんぞ、ということで。最初は人気取りの客寄せパンダかと思った起用でしたが、今では少なくともガッツについては球界一だと思います。選手生命だとか大事をとってだとか言う職業としての野球の世界ではなくて、観客が惹き込まれる情熱的なプロ根性。いやあ、凄いものを見ました。 それからマラソン。かつて谷口浩美選手は「コケちゃいました~」なんつって頑張りましたが、私の記憶の奥底にはもっと凄い選手がいます。 たしか福岡国際マラソンだったような気がするのですが、ショーターっていう人。フランクだかフランツ、ショーターだったと思います。 この人、ディフェンディングチャンピオンでその時も優勝候補ではあったのですが、なんと途中で寄り道したのに優勝してしまいました。なんでも、途中でお腹の具合が悪くなってしまったんですと。つまり野グソ。そーんな事しておいて平然とテレビのアップに耐え続け、勝ってしまうのだから凄すぎます。笑いながら感動した昔の思い出です。 もうひとり、女子のマラソン選手で、たしかドイツの綺麗な人でした。白いパンツ(ブルマっていうのかな)でトップグループを走っていたのですが、不運な事にレース中に生理になってしまって、しだいにパンツが赤く染まってきてしまったのです。見ているほうが気の毒でなんとも言えない雰囲気になったのですが、彼女、完走しました。下衆な事を口にして観戦していたテレビ桟敷の私達を黙らせ、感動させるのに十分なパフォーマンスでした。ゴール直後にバスタオルに巻かれた彼女は少しうつむいたのですが、あのシーンは忘れられません。彼女がプロランナーなのかどうかは知識がありませんが、彼女の荘厳さに打たれ、自分の俗さを恥じた体験でした。 雑記憶。 男子バレーのオリンピック。ミュンヘンだったっけかな。セッター猫田、ドライブサーブの森田、腰にチューブを巻いて強行出場の横田、と、田のつく人がいっぱいいたチームの試合には感動しました。あれ、金メダルでしたっけ?大古とかも出てた気がします。塚原の月面宙返りがピタリと決まったのもスカッと感動しました。去年のロシアのガモア選手のデカさにも驚きました。デカイのに可愛いのはカルチャーショックでしたよ。スキージャンプの日の丸飛行隊。笠谷、今野、青地、だったかな。70メートル級は表彰台独占。かっこよかったあ。笠谷幸雄選手は黒沢年男よりかっこいいと思いました。90メートル級は笠谷がコンディションを待ちきれずにスタートして失敗ジャンプ。一観客ではありますが、あのアセリは一ヶ月程も後悔したものです。バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発は当時都合良く阪神ファンだった私を狂喜させました。あ、女子バレーで広瀬というレシーブのエキスパートがいたのですが、私は試合そっちのけで彼女の動きの可愛らしさを追いかけてました。基本的に女子バレーは昔から好きです。好きな理由には不純なものも含まれているような気もします。というと新体操やフィギアスケートはもっと好きそうなものですが、実は私は審判の主観が得点を決めるようなものがあまり好きではないのであります。採点基準には厳格で細かい客観的なものがあるのでしょうが、それでも芸術は芸術であってスポーツとは別のものだと思ってしまいます。 …あ、長いですか?じゃ、このへんで許してあげます。

noname#1775
質問者

お礼

楽しい時には、okanouenobakaさん。周りの楽しい雰囲気を倍増させる 盛り上げ隊長ようこそ(*^_^*)。 [城島健司]  凄いエピソードですよねえ。豪快じゃないですか。  あんなエルボースマッシュをくらっても、本塁を守っていたんですから、  大した男ですよねえ。    高校通算70本塁打は伊達じゃないです。  ちなみに、ぼくの高校通算本塁打は2本ですf(^^;)。   [ショーター]  nozomi500さんとshino911さんから解説していただいたので、  ぼくの出番はなし(*^_^*)。  実は、ぼくも福岡国際マラソンだと思ってました。  琵琶湖毎日マラソンだったという事は、沿道で振っていた  毎日新聞の旗を使ったんですねえ(*^_^*)。  しかし、このロスタイムでも、優勝しましたからねー。  さすが(*^_^*)。 [ビルギット・ワインホルト]  ここは、shino911さんの助け船という事で(*^_^*)。  ぼくは、この選手の事は覚えてましたが、何処の国かも  名前も忘れていました。  shino911さんによりますと、「2位でゴールイン」したんですねえ。  うーん、よく諦めなかったものです。  「生活を捨てることを意味し」てたんですねえ。  男だとこういう事はなかっただろう事を考え合わせると、  敬服してしまいます。 [男子バレーのオリンピック]  ここも、nozomi500さんが充分なエピソードを書いて下さってるので、  ぼくの出番はなし(*^_^*)。  『ミュンヘンへの道』を見て、バレーを始めた人も居るんじゃないでしょうか? [塚原]  月面宙返りというのは、回転の中に捻りを加えるというトランポリンの技術で、  後方と前方の宙返りにそれぞれ捻りを加えて連続した技という事は周知の事。  ぼくは中学校の時は、体操部だったんですが、この半分も出来ませんでした。  恐るべし、ムーンサルト。 [ガモア選手]  バレーの2mくらいある選手でしたか?  あれは反則ですよね(*^_^*)。 [日の丸飛行隊]  といいますか、「黒沢年男」が「笠谷幸雄」なんです。  間違いありません。ええ、そうですとも。 [バース、掛布、岡田]  おお、打順通り。ありましたねえ。こんな事が。  槇原の面目丸つぶれでしたねえ。  これって、阪神が優勝した年でしたか? [女子バレーの広瀬]  うううむ。随分、昔の人じゃないですか(*^_^*)?  江田?三屋?そういう人とプレーしてましたか?  日立の人かなあ?うーん、降参<(_ _)>。  はー、長かった。  許していただき、ありがとうございます。

noname#1768
noname#1768
回答No.23

あ♪usa-rxさんだ。すごく久しぶりに名前を見る感じ♪でも、usa-rxさんもだけど、【丘の上】からこの質問を眺めていらっしゃる、大好きなあのお方もダイエーファンなのよね~♪ちょっと、言いにくいにゃお。許してね~?大目に見てね? ご挨拶が遅れました。coyoteさん、今晩は~♪ スポーツ、私はうんち(運動音痴よん♪)なので、いつも見てるだけー。逃げ足は早かったんだけどな~♪(*^m^*) そんな、見るだけの私が、感動・感激した胸キュンシーンを。 まず、野球編。だって、いっぱいあるんだもん。いいでしょ?分けて回答しても。 【キヨ】 番長?ううん♪永遠の野球少年よん♪いつも、涙涙の胸キュンシーンを思い出すけど、2000年の、オールスターゲーム。ファン投票で選ばれなかったキヨ。(どうしてかしら?あんなにいっぱい葉書を出したのに。)監督推薦で、星野監督に選んで貰ったときは、ほっとしました。やっぱり、見る目があるのね~ん♪山崎とMVPを争ったとき、「やっぱり、清原でしょう。」と、にこやかにインタビューにお答え下さった星野監督には、ビックバンもかくやとばかりの、溢れる後光が射していました(けして後頭部ハ○と言っているわけじゃないのよん♪)。るんるん♪西武時代から、オールスター後には、活躍するキヨだったんだ悶ねー♪ 【湯船】 1992年6月14日。忘れていませんわん♪忘れるものですか!もう、ドキドキしながら見てました。『ノーヒットノーラン』確か、2年目か3年目だった新庄が、すごく活躍してくれたの♪ああ!抜けちゃったーーー!!っていう当たりを、孟ダッシュで取ってくれて、アウトを1つ増やしてくれたんだったわ♪「あ、いかれたな。」っていうふうに、振り返った湯船が「わお。」っていう感じに、ニヤニヤ笑った顔を、今でもはっきり思い出せます。やん♪可愛いわん♪相手は広島。6ー0で迎えた9回2アウト。バッターは、正田。2遊間(2塁ベース際)へのヒット性の当たり。和田の超超超ファインプレー(篠塚だったら、普通にアウト)が出たんだけれど・・・。正田選手の気持ちも、わかるのよねー。でも、審判のコールは、「アウト。」和田のあの気迫だもん。アウトにとってもおかしくないよね♪抗議しようとする正田。振り返って監督を捜す正田。その正田の目に映ったのは・・・。帰ろうとしている山本監督の後ろ姿でした。ちゃんちゃん♪山本監督の脳裏に、『お前、お互いさんやんけ。or洒落もわからへんのか?』という言葉が、あったのかなかったのか。ね♪ 【下柳】 ああ、ごめんちゃいねー。でも、書いちゃう。 2000年8月26日。古巣ダイエー相手に初完封♪感動しちゃった~♪もう、メロメロ~♪(これ以上の、言葉が出てこないの♪) えへっ♪プロ野球編でした♪ 次は、オリンピック編を書いちゃおうっと♪ チャオ♪

noname#1775
質問者

お礼

逃げ足の早い(*^_^*)tenten7さん、いつも楽しいご回答をありがとうございます。 「……いいでしょ?分けて回答しても。」  結構です(*^_^*)。分けていっぱい書いちゃって下さい。 [キヨ]  この時のオールスターは、どの試合か忘れましたが、  初っぱなにバックスクリーンにホームランを打つわ、  タイムリーも打つわの大活躍だったでしょう。  パ・リーグは、イチローだけが奮起してたくらいで。  清原にMVPは間違いないですよね。  そうそう。清原は「永遠の野球少年」だ問ね♪←(*^_^*)。  「だんじり祭りの岸和田で生まれた、男の意地を見せます!」  こう言っていた清原の活躍をまだまだ見たいですね。  ぼくにとって清原は哀愁ある男なんです。  こんな野球選手いませんよ。カッコイイ~~~~(*^_^*)。 [湯船]  こういう試合でしたかあ(*^_^*)。  ぼくは、この試合は覚えてないんです。  でも、印象としては、湯船が出ると阪神はいつも負けていたような、  そういう記憶しかないんですねえ。  湯船が抑えてもなかなか阪神打線が火を噴かなかったような……。  「ニヤニヤ笑った顔」。そうそう、これです。  湯船の真骨頂は。ピンチになればなるほど、ニヤニヤするんですねえ。  肝っ玉が据わっているんでしょう(*^_^*)。    しかし、こうやってこのご回答を読んでいますと、  湯船への愛情溢れる思いが伝わってきますねえ。   [下柳]  この試合は、この日にNHKで観たんです。土曜日でしたし、  何の気無しに観ていたんですが、良かったですねえ、下柳。  解説は、藤田元司だったんですが、下柳を褒めちぎってました。  「いろんな事をやらされたけど、先発が一番いい。状況判断もいいし」  みたいな事を言っていたのを聞いて、思わず(なるほどなあ)  と思ったものでした。  何せ、プロ入り初完封でしたよね?tenten7さんの感動もよく分かります(*^_^*)。  球界の侍・下柳の活躍を期待してます。  tenten7さんは、球団より選手重視なんですねえ(*^_^*)。  そういうところが、またいいです。  オリンピック編を楽しみにしてますね。

  • shino911
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回答No.22

三たびお邪魔します。 【最強の4人娘、感動をありがとう】 coyoteさんが現地で観戦された、一昨年のシドニー・オリンピックで、私が最も感動したのは、 競泳女子400mメドレーリレーです。 日本チームは、第1泳者:中村(背泳)、第2泳者:田中(平泳ぎ)、第3泳者:大西(バタ)、アンカー:源(フリー)の布陣で決勝レースに駒を進めました。 第1泳者の中村真衣は、100m背泳の銀メダリスト。「絶対、一番で田中さんにつなぐからね!」と決勝レース前、チームメイトに誓います。ところが、いざスタートしてみると、中村にいつもの泳ぎのキレが見られません。結局中村は5位で田中にタッチ。しかし、田中・大西の力泳で一つ順位を上げ、アンカー源が飛び込んだ時は、わずかの差で4位。源も必死に追い上げますが、50mのターン後も、体半分の差がなかなか縮まりません。「あぁ、メダル獲得ならずか…」誰もがそう思った瞬間のラスト10メートル、まるで奇跡が起きたように、源の体がぐいぐい前へ出ます。そして2人がほとんど同時にゴール。咄嗟に電光掲示板を見た4人の顔は、その瞬間、歓喜の表情に… 泣きじゃくる中村選手… 実は、中村は自分が泳ぎ終わった後、第2・第3泳者が泳いでる間、アンカーの源に、わんわん泣きじゃくりながら「ごめんね、ごめんね、絶対1位でって言ったのに…」それを聞いて源は中村にこう言います。 「真衣、あんたの今残ってる力を全部私にちょうだい!!」 と言って中村の手を強く握りしめました。 乗り移った中村選手の力が、源のラスト10メートルの奇跡を呼び、日本に銅メダルをもたらしました。 五輪後、テレビでこの逸話を聞いた時、熱いものがこみ上げてくるのを止めることができませんでした。 【郷土の代表、あと一歩で涙】 高校野球でもう一つ、私が100倍悔しい思いをした試合。 平成9年の夏の甲子園決勝。私の郷里、熊本代表の熊本工業VS愛媛の松山商業。 最初のクライマックスは3対2で迎えた9回裏。1点差を追う熊本工はなんと、ツーアウト・ランナーなしから1年生の澤村が左翼ラッキーゾーンへホームランを放ち、試合は振り出しで延長戦に突入。 10回の裏、熊本工の攻撃、再び試合は最大の山場を迎えます。熊本工はワンナウト満塁から強攻策、バッターの打ったボールは高々とライト上空へ舞い上がり三塁走者はタッチアップ。この瞬間、熊本県民は誰もが「やった!優勝だ!」と思ったに違いありません。ところがライトからの返球はダイレクトでキャッチャーへ。滑り込んだ土煙の中で主審の右手が上がりタッチアウトの宣告。結局試合は11回表、松山商が3点を奪って優勝を決めました。まさに手に汗握る好試合でした。 私の#12の回答の試合もこの試合も松山商業絡み、 そしてcoyoteさんが愛媛県の高校のご出身ということで、 何か浅からぬ因縁を感じるというのは考え過ぎでしょうか…(*^_^*)

noname#1775
質問者

お礼

shino911さん、たびたびありがとうございます。 [最強の4人娘、感動をありがとう]  うーん、この試合にスポットを当ててくれましたか。  正直言いまして、すっかり忘れていましたが、これを読んで、  試合が頭で再現されると共に、エピソードも読ませていただいたので、  試合とエピソードがフラッシュバック致しました。  筆力に舌を巻いてしまいました。   こけだけ読んでも、充分感動が伝わってきました。 [郷土の代表、あと一歩で涙]  そうそうそうそう。この試合、覚えています。  この奇跡のようなバックホームをした選手が、11回に先頭打者になって、  右翼越え(だったかなあ?)の2塁打を打って、優勝へ踏み出したんですが、  この時、頭上を越された選手がホームランを打った「1年生の澤村」なんですね。  うーん、人生いろいろ(*^_^*)。因縁もお互いありますねえ。

  • usa-rx
  • ベストアンサー率37% (170/453)
回答No.21

【吉村復活】 巨人ファンではありませんが、悲運の事故で引退か、復帰絶望と言われた吉村選手の復帰打席。 「バッター斎藤に代わりまして吉村」アナウンスが流れ球場は大歓声に湧いた。1989年9月2日、吉村は帰ってきた。誰もが吉村の復帰を待ち焦がれていた。結果はセカンドゴロ。しかし吉村は走った。『吉村が走った!』テレビに釘付けの我が家全員が叫んだ。一打出れば同点のチャンスだったが、もうそんなことどうでもよかった。とにかく吉村は帰ってきたのだから。 【ダイエーホークス優勝】 我がホークスは福岡に拠点を移して以来、低迷を続け世界の王に生卵をぶつけるなどという暴挙が出ました。が!そんなダイエーがリーグ優勝した時には本当に泣きました。優勝の喜びはもちろん、敬愛する故根本前監督の遺影が高々と揚げられた映像が映ったからです。 そして翌年、同じくリーグ優勝を決め集まるナインの中にハリーホークのぬいぐるみが。『なんでハリーが?』という疑問はぬいぐるみの背中の15番を見て氷解しました。「藤井だ!」闘病生活を続けていた故藤井投手も優勝の輪の中にいたのです。ナインの想いが伝わった瞬間でした。

noname#1775
質問者

お礼

おお、usa-rxさん、やっとおいで下さいました。 どうもありがとうございます。 [吉村復活]  そうでしたそうでした。地獄から帰還した男・吉村。  復活の最初の打席はこれでしたか。すっかり忘れてましたf(^^;)。  ぼくは、この翌年だったと思いますが、ヤクルトとの延長戦で  吉村がサヨナラホームランを打ったシーンが忘れられません。  ブレースを付けての打撃でしたが、大変だったようですねえ。 [ダイエーホークス優勝]  これは、ダイエーファンなら、感動の優勝ですよねえ。  「王に生卵をぶつけるなどという」事があったんですか。    そうそう。藤井投手。若くして亡くなりましたよね。  若田部が告別式で泣きながら、弔辞を読んでいました。  でも、藤井の背番号を付けたハリーも胴上げの輪の中に居た、  というのはいい話ですよね。  

noname#1913
noname#1913
回答No.20

さて、帰る前に。 また僕ですか。僕ばかりですねえ。 まあ、お約束の3つ目ですから、お許しを。 1989年、全仏で優勝したマイケル・チャン。 凄いやつだと、本気で思いましたねえ。 あの小さな身体のどこに あれだけの体力と気力を秘めていたんでしょう。 しかも、17才。 いやいや、恐れ入りました。 攻撃的でいて緻密な、思わずにやりとしてしまう いいプレーをする選手でした。 ん。もう引退したのか?

noname#1775
質問者

お礼

lonewolfさん、三連発ですね。ありがとうございます。 見ましたねえ。エドバーグに一歩も譲らず、フルセットのデッドヒート。 走るのも速いわ、自在に打ち分けるわ、驚愕の17才でしたね。 この年は、女子も17才のサンチェスがグラフ(だったと思いますが)を 下して優勝してましたねえ。 正に17才旋風。 で、引退しちゃったんですか? lonewolfさんは、スポーツ名勝負の渋好みですね(*^_^*)。 また、よかったら投稿して下さい。

noname#1913
noname#1913
回答No.19

ははは。 立て続けに、僕ばかり投稿してますねえ。 まあ、こんな日もありますか。 思い出したのが、リレハンメルのダン・ジャンセン。 最後の最後、本当の最後で、やっと金を取った男。 しかも、世界新記録。  『 おいおい、またかよ。』 と、あの時、落胆したやつは多いだろう。 しかし、あの粘り。恐れ入りました。

noname#1775
質問者

お礼

lonewolfさん、再びありがとうございます。 おお、ダン・ジャンセン。懐かしいです。 リレハンメルで、金メダルを取った後のビクトリーランでは、 場内の照明は落とされて、スポットライトを浴びながら、 積年の悲運を霧散するかのように、悠々と1周していましたねえ。 亡くなったお姉さんの娘さん(?)を抱きながら。 金メダルへの執念と意地を見た思いです。