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年上の人に対して

東京都の7つの掟、みたいなものの1つにも  年上、目上の人を敬う というものが入ったそうです。 ところが、僕にはどうして敬わなければならないか理解できません。 相手が尊敬に足る人物であればともかく、 どうしようもない人も中にはいるじゃないですか。 それと、年上というのも気にあります。 例えば1978年4月2日生まれと1979年3月31日生まれでは1年近く誕生日が違うのに、 年度が一緒なので同じ年ということで敬う必要が無く、 1990年4月1日生まれと1990年4月2日生まれでは、 1日しか違わないのに別の学年なので年上、、、 どなたか論理的に説明できる方がいらっしゃたらお教えください。

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  • doyanen
  • ベストアンサー率26% (29/110)
回答No.2

私は東京都民では無いですので知りませんでしたが、面白い掟が出来たもんですね。 「どうしようもない年上もいるのに、年上というだけでどうして敬わなければならないのか」という貴方の気持ちは良く判ります。私もその通りだと思います。 年上を敬え、というのは日本を含む東アジアで支配的な儒教的な考え方の一つであり、古くから日本人には「常識」として受け継がれてきたものと思います。 尊敬出来る人は敬い、どうしようもないひどい人は年上だからといって無理に敬ったりすることはしない、そういうことでいいんだと思います。 でもこんな場合どうでしょうか。 私も年下の方からタメ口をきかれることがありますが、言われた時自分はどう思うか・・・別に気にしない、というのか、「俺は年上なんだから敬語くらい使えよ」と不愉快になるのか。 私の場合、不愉快になる人とならない人がいるんです。年上だからって気を使うこと無いよ、って思っていても。 貴方の場合どうですか? 学年の話ですが、学年はどうでもいいと思います。 ただ、私と同期で大学に入学した友人に、一浪した人と現役で入学した人が同じ高校卒(つまり一浪の人が現役の人の先輩にあたるが大学では同期となった。)、という人がいました。 現役で入学した人は卒業するまでその一浪の人に対してずっと敬語を使っていました。 私が「昔はともかく今は同期なんだから、普通に話せば?」と問うたところ、彼は「自分としてはそうしたい気持ちもあるが、相手が不快に思わないようにしないといけないから」と答えました。 つまり、相手がどう思うかを察しているわけです。 これこそがこの話の本質ではないでしょうか。即ち、気配りを是とする社会では自分がどう思うか、ということだけではなくて、相手がどう思うか、ということも量りながら行動することが良しとされる、その中で年上の人に対する態度をどう取るか、ということが問われるのだと思います。 余り論理的ではないので論理的回答は他の方にお譲りするとして、私の雑感を述べてみました。

noname#5277
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 気配りですか、それは確かに大事だと思います。 お互いに気を使い合わなければ、 ぎすぎすした世の中になってしまいますものね。 それでご質問の件ですが、 僕は年下からタメ口で話されても気になりません。 もともとボランティアで子ども達と接する機会が多いのですが、 子どもたちは敬語よりもタメ口で話しかけてきます。 そして、むしろその方が、お互いの距離が近いように思えます。 自分が年上の人に対するときは、一応敬語を使っています。 理由は大体doyanenさんのおっしゃるとおりで、 無理にタメ口で相手を不愉快にさせる必要もないと思うからです。 でもあくまでそれは表面上の話であり、 内心では「なんでこんな奴に、、、」と思うこともあります。 やはり内心も、敬う気持ちが無ければいけないんでしょうか?

その他の回答 (3)

  • keroppi
  • ベストアンサー率35% (61/172)
回答No.4

はじめまして。cactusronさんの文章を見てきになったのでレスします。 敬う=尊敬語 みたいな書き方をされてますが、それはちょっと違うかなって気がします。論理的説明を求められても、敬うこととタメ口についてでは焦点が少々ずれると思うのです。 それにcactusronさんが尊敬語を使っているというのは「です・ます」の丁寧語レベルではありませんか? 例えば、「食べますか?」の尊敬語なら「召し上がりますか?」になりますが、年上の人に「召し上がる」を使ってますか?「食べますか?」の言葉使いでは尊敬語とは言えません。 タメ口かそうじゃないかについては年の問題ではなく、親しさのレベルによると思います。#2のお礼の欄にある通り、タメ口による効果もありますよね。でも、アメリカのようなフレンドリーな国でも初対面の人にいきなり!って言葉使いはしませんよね。逆に年齢に厳しい韓国では一歳違っても「友達」ではありません。先輩であり、姉・兄ですが、言葉使いについては親しくなればタメ口でもOKなのです。 結局、言葉使いに対して言えば、TPOによって使いわける常識があればいいのではないかと思います。 敬うことに対しては難しいですね。皆さん「自信なし」ですが、下にすでに良い回答がありますので、私はこの辺で失礼します・・。

noname#5277
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 敬語に関してですが、 おっしゃるとおり、敬うこととは多少論点がずれるかと思います。 ただ、僕の敬語の範囲には丁寧語、尊敬語、謙譲語が含まれております。 我が家は両親のしつけが厳しかったため、 そういったことを口やかましく叩き込まれたので、 同じ年代の友人に比べれば数段きちんとした敬語を使っていると思います。 TPOによって使いわける には腑が落ちました。 少なくとも面と向かっての対応については、 それでいいのではないかと思いました。

  • ykkw_2001
  • ベストアンサー率26% (267/1014)
回答No.3

>敬わなければならない と言うのとは、微妙にニュアンスが違います。 >年上、目上の人を敬う とは、その根底に、年上、目上の敬われるべき立場の者は、年下に恥ずかしくない人物になれ。という意味も含まれています。 つまり、「どうしようもない人」は、その掟を破ったことになるわけ。だからといって、あなた自身がその年齢でそのようになっていない保証もない。 また、仮に「そんなのカンケイない、年上も目上も敬わない」人ばかりがいる社会(東京都)になったとしたら、あなたが年齢をかさね、大人になったときには、年下の者はあなたを敬うことがない、何とも不愉快な社会になってしまうんじゃないでしょうか? あえて「常識」を「掟という言葉」にしたということは、きっと「そんな社会にしたくない、でも今の人々はその常識を忘れ始めているのではないか」と考えた人が、やったのでしょう。 #事実、少なくとも1人は、該当していますね。 かつて、中国やカンボジアで「革命」があったとき、「大人は穢れているので、新しい時代に合わない」というような理由で、「年上、目上の人を敬う」のと逆のことが行われました。結果、それぞれ壊滅的な内部崩壊を招いてしまいました。 まぁ、「学年はどうなのか、1日違いと11ヶ月違いはどうなのか」など、「論理的に」議論して納得したい気持ちもわからないわけではないですが、時間をかけてわかってゆくこともあるもんです。 ふかーく考えてみてください。 #少し前、「どーして人を殺してはいけないの?」という質問が話題になりましたね。 #同じではないですが、そのことを思い出してしまいました。 #「人を殺してはいけません」という掟は含まれてなかったんですかね?

noname#5277
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 年上、目上の敬われるべき立場の者は、年下に恥ずかしくない人物になれ。 というのは、非常に納得しやすいです。 全員がそうであれば、僕も悩まない気がします。 ちなみにこの「掟」ですが、 渋谷の街頭でちらっと見ただけなので、 そもそも「掟」という文字だったかどうかもあやふやです。 他の6つの文章に関してもあまり記憶に無く、 とにかく「目上、年上の人を敬え」という部分に 釈然としない部分が残ったので心に残ったのでした。

  • ojory
  • ベストアンサー率30% (103/341)
回答No.1

確かにどうしようもない目上・年上もいますけどね・・・ 年上、目上を敬うって、儒教の教えから来てる事ですよね。先祖を敬うという所から来ていると思うんですが。日本もその思想が浸透してますから。(徹底的な韓国の方からみれば笑われちゃいますが。) 私個人的には、「どうしようもない人間」に見えても、その人は自分より多く生きていて、その間に自分よりもいろんな体験・経験をしているのかもしれないと思うと、むげにバカにも出来ません。人間、今ある姿が全てではないですから。 第一、人によって育った環境が違うわけですから、「どうしようもない人間」になった経緯が何かあるのかもしれません。親・友達・先生・上司・時代の波などなど、いろんな影響をいろんな時期に千差万別で受けてきているわけで。例えばその「どうしようもない人間」と同じ待遇で同じ境遇で自分が生きてきたとしたら、もっと堕落した人生を送っていたかもしれない。そこまで考えてしまうと「生きていること」それ自体が尊敬に値することで、その「生きている期間」が長いだけ敬うに値することなのかなと。もともと「いのち」自体が尊敬に値するものだと私は思っているので、生まれたばかりの赤ちゃんから他界寸前のご老人まで尊敬に値するものだと思っています。

noname#5277
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 儒教の教えで年上のことを敬う、というのは知っていましたが、 「生きていること自体がすごい」というのは 少々、目からうろこが落ちたような思いです。

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