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どんな環境でも楽しめる方、楽しめない方。
自分は、どんな環境に行っても嫌な点ばかり目についてしまい、生活を楽しむことができません。それで一回大学も辞めたのですが、もう一度入りなおすことになり(違う大学)楽しめない(不安や不満で一杯になって周りにどんどん置いていかれるような感覚)のではないかと不安で仕方がありません。自分の理想と違っていて(当たり前だと思いますが)先が不安でしょうがないといった気持ちもあると思います。 あの学校に行っていたら。。あそこなら。。 結局違うところにいっても不安や不満で一杯になるのでしょうが、その気持ちを抑えることができません。その気持ちをずっと引きずるせいか、他の面でも楽しめずどんどん気分が暗くなってしまいます。 どこでもその場所なりに楽しく過ごせる方、どこに行っても楽しめない方の違いはなんでしょうか??楽しめるようになるにはどうすればいいか教えてください。 ちなみに自分に自信がなく、コミュニケーション下手というのもかなり関係があると思います。
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どこでも楽しく暮らせる奴とどこに行っても楽しめない奴の違いは「独りでも楽しめるかどうか」なんじゃないかなぁ。後者より前者のほうが人に囲まれてるイメージあるけど、実は後者の方が他人に依存してるって言うか。依存、っていうより影響を受けちゃうって事かな、自分の感情にまで。操作されちゃう感じ? 例えば、他人からお前なんか死ねば良いって面と向かって言われても何故?って聞き返せるのが前者で、本当に死んじゃうのが後者みたいな感じかな、極端な例だけど。 とりあえずさ、楽しもうとか楽しまなきゃとか頑張るの止めてみたら?楽しむのは貴方が楽しいと思った時だけで良いよ。他の時は最低限、勉強だけしてれば良いじゃん。勉強だけしておけば少なくとも卒業は楽勝だからさ。 そのほうが重要だと思うよ。大学が気に食わなかったらそれで良いじゃん。大学では講義と宿題だけして、あとは街にくり出そう。そこも気に食わなかったら他の場所、また他の場所。その繰り返しでも良いと思うよ。そのうち楽しめるところがきっと見つかるって。大丈夫。
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- periene
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自分を好きになれるなれないというのは、自分の資質とは関係ないんです。 例えばですけれど、運動が得意な人が運動が苦手な人より自分を好きになれるかといったら、そうではないのです。 自分を好きというのは、自分に対する態度の習慣なんです。だからよい習慣を身につけることができれば誰でも自分は好きになれます。何も特別に秀でたことをしなくてもそのまんまの自分を受け入れることはできます。 これは質問者さまに振り返って欲しいのですが、一体いつから自分によくないイメージを抱くようになったでしょうか。 そのきっかけを考えてみてください。そしてそれはあなたのなかで習慣化されていつでも自分をそのように見るようになってしまっています。絶対的に思い込んでいる自己イメージも解釈の一つなんです。だから良い自己イメージで生きていくこともできるわけです。お答えする必要はなく、ご自分のなかで考えてくださればけっこうです。これは自分で考えなければ意味がありません。
お礼
こんにちは、perieneさん!同じような質問を何回かしてそのたびに答えていただいてますね 笑 自分なりに答えが出てみて一番、そうだな!と思えるのはperieneさんの意見ですね。自分も完全とはいきませんがかなり吹っ切れた感じです。また質問するかもしれませんが、その時もよろしくお願いします。 ありがとうございました!
- hamutaro25
- ベストアンサー率15% (248/1631)
No.11です。 多分大抵の人には仲良くしていた人に嫌がらせをされたとかは理解が出来ないと思います。 >あの学校に行っていたら。。あそこなら。 に対する私なりの経験を言ったのですが貴方の求めている回答ではなかったようですね? 私は家庭事情などからメンタル系の病気になり欠課時間などから推薦が貰えず自力で希望学科を受けましたが結局苦手な分野の学科に入学をし卒業をしました。 その間苦手な分野の勉強が辛く幾度と無くやめようと思いそれをチューターゼミなどの先生に止められ何とか卒業をしました。 仲良くしていた人に嫌がらせは普通では考えられないですが同性の友達からの性的な嫌がらせです。 私はその友達の事を真の友達として付き合ってきたのですが相手にとっては単なる不満の捌け口に使っていたということです。 その人と付き合ってきて私は非常に信頼をして一緒に居て楽しかったですが、それとは裏腹に相手はそこまでの友達とは思ってなかったみたいです。 コミュニケーション不足は今からでも克服できると思います。 出来るだけ多くの幅広い年代の人などとなるべく会話をしその人の考えを吸収したり消化をしたりしたら養われると思います。 私もかなり悪い面ばかり気になる方でいつも人に「マイナス思考」と言われます。何についても良くなる事より 「どうせいつも失敗するんじゃけん」と考えてしまいます。 私は1つの短大でしたが親戚には2回中退をし3度目の高校入学で卒業をした人も居ます。 なので質問者様も大丈夫だと思います。 私は中退ではありませんが、1年間短大を留年しています。何とか1つ年下の人と卒業しました。 全ての理想が現実に叶うとは限りませんし、理想どうりでは無いと思ったことが現実には良く叶ってしまう事があります。 これらの事はいざ新しい大学に行ってみないとわからないよ。 歌手の中島みゆきさんの「愛情物語」のカップリング曲に「幸せ」と言う曲があります。 その歌詞に 「幸せになる道には2ある1つめは願いごとうまく叶う事、幸せになる道には2つあるもう1つは願いなんか捨ててしまうこと」 と願いごとを追い続けることによって叶うも物もあれば諦める事によって叶う夢もあることだと私は解釈してますが。 あまり先の事を深く考えず今の生活を楽しんだらいいと思います。
お礼
ありがとうございました!理解できました 笑 一つ下でお答えしたのですが、どうやったら後悔せずに生きていけるか、毎日楽しく感じていけるかを自分なりに答えが出たんですよ!なのであまりコミュニケーション下手も気にならなくなりました。会話を楽しめるようになったので向上していくでしょうし。 コメントありがとうございました!hamutaroさんも頑張ってください。
- narimiyanana
- ベストアンサー率60% (9/15)
こんにちは。 多かれ少なかれ誰でも同じような気持ち(あの学校に行っていたら。。あそこなら。。と選ばなかった方について考えること)になる事はあると思います。 私も同じですよ。ネガティブでコミュニケーション能力が高いという自己評価は出来ません。自分に自信もありません。 あっちがよかったかな?どうかな?なんて事はしょっちゅうです。 少し質問者様の願う答えからはかけ離れてしまうかもしれませんが、私が実際に実行してプラスになった事をお伝えします。 すごく簡単な事です。 でも出来れば毎日続けてみて欲しいです。 「一日の終わりに、その日あった嬉しいこと、よかった事を書く」 これだけです。 たとえば私の場合ですと 「横断歩道に歩行者がいたので停車したら、笑顔でありがとうと言ってもらえた」 とか 「晩御飯に作った煮物がおいしく出来て嬉しかった」 とか 「空が青くてきれいで感動した」 とかそんな事ばかりでした。 質問者様と私が同じかどうかはわかりませんが、私の場合は日常のちょっとした幸せを見落としやすい性格(考え方?)のため、この方法はかなり効果的でした。 あら、今自分が選んだ道でも意外と幸せな事ってあるんだ・・・なんてふと思えたりもしました。 書く、と決めたら必ず実行してください。毎日の歯磨きや食事と同じ感覚です。そうすると「書かなきゃ」と思い、最初は書くために自分にとってのいい事(うれしい事)を必死になって探します。続けているうちに探す癖がつき、前よりいい事に気付きやすくなれるのだと思います。私はそうでした。昔よりは楽しく過ごせるようになりました。 激変は難しいですが、多少なりとも良い方向へは向けるのでは無いかと思いアドバイスさせていただきました。 少しでも参考になれば幸いです。
お礼
なるほどー。それは少し幸せになれる感じですね。楽しい気分で夜寝れそうですね 笑 実はここ何日か考え続けたり調べたりした結果、こういう考えが改まりそうなのです。事実毎日楽しい気分で過ごせています。なので、それの補助的な感じで使わせていただきます。 ありがとうございました!!
- hamutaro25
- ベストアンサー率15% (248/1631)
私は希望の学科を全て落ち苦手な分野の大学に行きました。 専攻コースの学科は高校の学科の延長線上だったのでなんらく進みましたが。 正直卒業をするまで他の学校に受けなおしたいと思っていました。 何とか卒業は出来ましたが…。 私の場合復学をしてすぐに出来た友達と9年間仲良くしましたがその子から度重なる嫌がらせを受けたりしました。 私は何処に行っても楽しめますが、楽しみすぎて裏切られた時の反動が怖いです。 コミュニケーション力は低いと思います。 嫌われたくないからあわせてる感じがあります。
お礼
??これは回答なんでしょうか??仲良くした子に嫌がらせというのがあまり理解できませんね。楽しみすぎて裏切られるというのがよくわかりませんし。 というかただhamutaroさんの経験談を話しているだけになってませんか??
- mamitaka
- ベストアンサー率30% (11/36)
>自分の理想と違っていて(当たり前だと思いますが)先が不安でしょうがないといった気持ちもあると思います。 理想と違っていて不安とおっしゃってますが、理想を持たず、あまり期待しないのも方法かもしれません(考えようによっては後ろ向きに聞こえるかも知れませんが…。) でも、期待しすぎだとがっかりするかもしれないですから。5月病とかは期待と新環境のギャップが問題だったりしますし。。 私は滑り止めの大学に決定した時は、人生が終わった…と思い、入学当初からブルーでしたが、期待していなかったのがよかったのか(?)、あれ?意外に楽しい、いいとこに入ったな!となりました。 そんな風に考えたら、もしかしたら希望の大学に入っていたら勉強についていけなかったもしれないからよかったのかも、なんて思ったりもしました。 それから、学部は2つ受けていたのですが、滑り止めで入った学部で正解と思えたのでここに入ってよかった!と後で思いました。 「人生で起こることは全て必然」という言葉がありますが、私は上のようなことがあったので例えその時嫌に思えても後になったらよかった、と思えるようなこともあるのだな、と思うようになりました。 >結局違うところにいっても不安や不満で一杯になるのでしょうが… 多分質問者さんがおっしゃっている通り、不安や不満はどこにもあると思います。 自分の入る大学に縁があった、と思ってあまり回りと比べない方がよいと思います。 いろんなことをついつい比べてしまうものですが、「他と比べない」という事に徹する事が出来れば精神的には楽に生きられると思います。実際は難しいですけどネ。 それから、コミュニケーション下手、とありましたが、これを友人関係のことと考えてお答えすると、皆、結構同じように悩んでいると思いますよ。 大学の場合、授業時間も皆違うし、いつも一緒に行動するという訳でもないので友達が作りにくかったり。私も友人に相談したら同じように思っていて「なんだ、皆同じようなものなのかな…」とほっとした覚えがあります。 春から大学なんですよね。 どこかサークルにでも入って趣味の合う友人が見つかるとよいですね。あまり気負わないで下さい。 長々と書きましたが参考になれば幸いです。
お礼
気負わないで頑張りたいですね 笑 理想ばかり追い続けていて周りが見えていないのかもしれません。期待しないのも手ですか。やってみたいと思います。 ありがとうございました。
- judymary2001
- ベストアンサー率27% (12/43)
私もちょっと似ているかもしれません。 他の人があれをやっていてすごく楽しそうだから自分もそれをやってみたい、あれもこれもみんな楽しそうにしているから自分もやってみたい、でもそういう理想を描いてそれを実際にやってみたら実際は思ったよりつまらなかった、そういう経験はありませんか? 私はそういう経験がよくあります。 多数の人が楽しいと思うようなことでも自分にとっては全然楽しくなく、逆に多数の人がつまらないと思うようなことが自分にとっては楽しいと思うようなことがよくあります。 私は少数派なものに興味が沸いてくるのです。 多数の人とは「楽しさ」の慣性が生まれつき違うのです。 でもそれはそれでいいと思っています。 多数の人との慣性が違うということで日常生活で苦労はたくさんありますが、他人とは違う「自分らしさ」というものに私は誇りを持っています。 昔の私もそうだったのですが、完璧主義なところはありませんか? こうなりたい、こうなればいいというようなある理想を描き、現実がその理想からちょっとずつずれていくとだんだん現実が嫌になってくるというようなことはありませんか? この世の中、完璧な人間なんて一人も存在しないと思います。 人間は完璧じゃないんです。 間違いや過ちや失敗をするのが人間なんです。 でもそういう失敗をたくさんすることで必ずといっていいほど成長していくのも人間なんです。 一生を終えるまでの長い人生の中で、今はほんの通過点です。 これまで生きてきてたくさんの間違いや失敗をされてきたことでしょう。 でもこれからもまだまだたくさんの失敗を経験されることになるでしょう。 私は自分の人生が終わるときに、一生がどんなに波瀾万丈な人生であったとしても、最後の最後に「今まで生きてきて良かった。」と思って終わることができたらいいなと思っています。 まずは完璧主義なところを捨て、これからの社会生活でいい意味で自分を砕いていき、失敗や辛さもうまく味わえるようになれればいいかと思います。 自分が思うような方向に向かうようになるには長い年月がかかるかと思いますが、人生という長い目で考えてかつ視野を広く持ち、失敗や困難をうまくかみしめるようにしていければいいかと思います。 たとえ自分と他人が違っても、完璧主義をいい意味で砕いていった先の「自分らしさ」という宝物を大切にされていってみてはどうでしょうか。
お礼
完璧主義ですね。嫌になるほど。止めたくてもすぐに顔を出します。 止めたくても、嫌な気持ちが止まらないんです。できれば自分らしさを大切に思えるにはどうしたらいいか教えてもらいたいです。 ありがとうございました!
- periene
- ベストアンサー率19% (51/267)
自分を受け入れること、自分を好きになることです。 私たちは自分とは一生縁が切れないんです。 嫌いな自分と四六時中一緒にいたらどこに行ってもつまらないのは当たり前でしょう。 逆に自分でいるのが心地よかったら、どこに行っても楽しいでしょう。 環境じゃないんです。いかに自分を受け入れうまく付き合えているかがすべてなんです。 わたしたちはいまの自分では自信が持てない、好きになれない、努力しなくてはと思いがちですが、本当は何ももっていないただの自分でいいんです。それをそのまま許し、好きになることが一番いいんです。これがない、あれがない、と他人と比べず、ただ今の自分でいいんだと自分に言い聞かせてみてください。 それと全身をリラックスさせることを毎日意識してみてください。全身をリラックスさせたまま、ネガティブな感情は抱けません。そしてリラックスしているときが身も心も本当の自分なのです。 それからなるべくすぐ実行に移すようにすること。人生は頭の中で生きるものではないですから、なるべく、いいアドバイスを得たと思ったら即実践です。合わなかったらやり直し。この繰り返しです。一生かかっても完璧な自分にはなれません。少しでも居心地のいい自分を目指していってください。
お礼
すぐ実行。まさにその通りです。 ただの自分を好きになれない気がするんですが、どうでしょうか??どう好きになっていいのか。 またコメントもらえると嬉しいです。
私も昔はコミュニケーション下手でプライドが高かったので大学生活は死ぬほど辛かったですね。 コミュニケーションは「慣れ」だと思います。慣れればどうということでもないですね。 あとはきっかけを失うと大学生活はかなり辛いです。 友達を作るのが下手でしたし(これも慣れ)、きっかけはせいぜい入学当初ぐらいですからね、慣れてないとあれよあれよと地獄行き(笑) 大学は自主性を重んじますし、自由ですから、なにかあっても高校の様に先生があっちから近寄って来て相談にのってくれたり助けてもくれませんよね。 全部自分で考えて判断していかないといけない。これはコミュニケーション下手には辛いところです。 でもね、私は辞めませんでした、自分には見合わない程の学力の大学でしたが、一応一流大学だったので惜しくて辞められなかったんです。 今は辞めなくてよかったと思ってます。 そもそも大学は勉強をする場所ですから、楽しむ場所ではありません。 もし楽しみたいならサークルやバイトや他の事をしながら、その合間に大学に行くというサブ的な感覚でとらえたらどうでしょうか? 卒業が目的ならそれで構わないと思います。 あなたはコミュニケーション下手と根性が足りないと見受けました。 他の大学に変えたところで何も変わりません。あなたが自信を持ち、コミュニケーション上手にならないことにはですね。 とっても辛かったのは私にもわかります、あなたは多分まだ経験が足りないんですよ。 楽しむとかいう話ではなくて、不安や自信のなさを解消しない事にはどうにもなりません。 楽しみで誤魔化し等は効かないのです。大学はそうゆう場所ではないのです。 自分に自信をつけるために他の事で頑張ってみたり、それ系のノウハウ本を読んだりとか練習をしてみては如何でしょうか?
お礼
そうですか。コミュニケーションは慣れなのですか。他のことを頑張って自信をつけていくしかないですね。それは常々感じておりました。根性のなさも感じています。 きっとkagamiさんは根性があったからこそ、今を満喫できているのだと思います。自分も根性でがんばっていきたいと思います。
- memorunet
- ベストアンサー率16% (46/273)
私もそうでした。 >結局違うところにいっても不安や不満で一杯になるのでしょうが、 私も大人たちに「どこへいっても似たり寄ったり。イヤだと思ったら自分を変えなきゃ。すべて満足なんてところはないよ。」と言われたのでそういうものだと思ってました。でも、ほんとうにそうでしょうか。 同じ環境でも、メンバーにやる気があって勢いに乗ってる時と、だんだん意見が分裂して雰囲気が悪くなっていく時があるじゃないですか。 バンドなんか見てると、爆発的にヒットを飛ばして売れてる間はいいのですが、そのうちメンバーの気持ちに妬みやズレが生じて分裂、解散になっていくでしょう? バイオリズムとでも言うのでしょうか、 環境を楽しめるかどうかは、上向きの時期にそこにいるかどうか、つまりはタイミングなのではないかと思います。 ですので、生き方のうまい人というのは、常に上向きの空気を嗅ぎ取ってそこへ参加している人。 大学の中でもまさにオーラを発している教授とそうでない方がいるじゃないですか。 教室の雰囲気もまるで違うし、当然、集まる人間も違いますよね。 自分の中の不安よりも、アンテナを外に向けてみてはどうでしょう。今、まさに波に乗ってる人のオーラって見える(感じる)と思うのですが。 なんていうか顔が輝いてますよね。そういう人があなたの近くにいませんか?別に会話しなくても側にいて話を聞くだけで気持ちが違ってくると思います・・・
お礼
そうですね。雰囲気が悪い人と一緒にいるとどんどん自分も影響されてきますよね。 上向きの人を見つけて、お近づきになっていこうと思います。 ありがとうございました!
こんんちは。 私も学生の頃はそんなことを止め処なく考えている人でした。 だけど、ある時わかったんです。 質問者さんが思われているような、ぼんやりとしてはっきりしない “漠然とした不安”は誰だって持っているものなんだって。 誰だって多少はどうしようもないような わだかまり感は心に澱んでいると思います。 そして、 “どんな環境を楽しめる人、楽しめない人” その人たちの違いは 不安を表に出しているか出していないかの違い なんだと考えるようになりました。 逆に私はそれを感じているということは 冷静に自分を客観視できているということだと思いますよ。 それは自身の適性やキャリアプランを考える上で大いに発揮します。 だから、若いうちはたくさん悩んでおいたほうがいい人生になるとおもいます。 長々と私の考えを書いてみましたけど、 ご質問の回答は 「不安を顔に出さない」 です。 そうすればコミュニケーションが下手な方でも人は集まってきます。 そしていつの間にかコミュニケーション能力は身についてきます。 不安もあると思いますけど、 楽しく過ごせるかは気の持ちような所もありますよ。 新しい学校では楽しく過ごすことを考えて下さい。 そうすれば楽しくなると思います。
お礼
なるほど。新しい考え方ですね。 確かに顔に出さないというのはすごくいい答えです。自分はその不安が積もり積もって、いつもそういう顔になっていたかも!?なんて今更ながら思います。 冷静に考えて、楽しく過ごすことに目を向けていきたいと思います。 ありがとうございました!
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お礼
うわぁー。なんか確信をつかれた感じです。そうですよね。まさにその通り。 無理をしなければいいんじゃない?というのはよく言われます。そのうち楽しめるところが見つかるという言葉もすごく救われた気がします。 ありがとうございました!