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一部の受験熱と学歴(学校歴)
この前日テレの「今日の出来事」で、中学受験のご家庭が放送されていました。それを見ていて思ったのは、 (1)中学受験は一部(富裕層?)では過熱しているのかな?ということです。お金があるから、教育にも投資が出来るし、ある雑誌では企業の幹部など(富裕層の人たち)が他の企業の方たちとの間で、塾や学校などの教育についてがよく話題に上がるそうです。これが進むことで、教育格差が生まれるという学者の意見もあるようです。 このことから、(2)彼らは、なぜ中学受験をさせるのか?ということです。なぜそこまで教育に投資するのか。色々と考えられますが、「良い教育を受けさせ、子供の力を最大限に引き出したい」と「学歴を手に入れたい」というのが挙げられます。前者が成功すれば自然と後者に行き着くかなと思います。 そこで思うのが、(3)彼らは、「学歴」をどう考えているのか、ということです。「一つの付随物でしかない」、と考えているのか、「日本社会でより上層に行くにはやはり持つべきもの」と考えているのか。「学歴の価値は必要ない」という話を聞く一方、このような受験熱が発生しているという現象は、どのように説明できるのでしょうか。 最後に、(4)教育の格差は何をもたらし、自分の子供に教育格差が発生するのならば、何か子に対して不幸をもたらすのでしょうか。 市場主義のアメリカのように(?)、国家を担うのは一部の優れた人材であるとすれば、日本でも富裕層には日本を引っ張るような人材へとなるための投資はぜひしてもらいたいと思いますが、自分のような凡人がその足となるのかと現実的に捉えてしまうとどこか悔しさのようなものが、顔を出したりもします(笑)いやそれは諦めでしかないので、努力を怠る言い訳に過ぎませんが。 皆さんどのようにお考えでしょうか?ちょっと深く考えたいと思いますので、ご意見お聞かせください。よろしくお願いします。
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- go_d_father
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No.1のものです。返信が遅くなり誠に申し訳ございません。 私の言う「できない子」というのは、先天的に「集中力」「向上心」「記憶力」「理解力」「推論力」に欠けた子供のことです。このような能力はある程度その人によって限界があると考えます。 例えば「ドラゴン桜」というテレビ番組(マンガ)がありましたが(ご存知でないならインターネットをご参照ください)ドラゴン桜で演じられていたような人が「画期的な教育」を受けることによって、東京大学に進学できるでしょうか。私は東京大学に進学していませんので本当のところよくわかりかねますが、少なくとも東京大学に入学できるような「能力」を持った人間はたとえ中学時代に遊び呆けていたにせよ授業に出席さえしていれば、高校入試の時にもう少し上位の学校に進んでいるはずです。 個人の能力には限界があると思います。それをどう開拓するかが問題ですが、はたして開拓するのに大金がいるのでしょうか。個人の資質というものは学校などで左右されるものでしょうか。 たとえ画期的な教育システムを持つ学校に進学させる余裕のある家の子でも、「家に金のあること」と「そのシステムの教育についていけること」は決してイコールではありません。 以上の観点から私は幼児期から大金と人間的な成長を犠牲にして子供に過度の期待をすることは親御さんにとっても、子供にとっても良いことだと思いません。ですから「子供は公立学校に入れ、自然の摂理にまかせておけば良い」という考えを持っているのです。 最後に、個人の能力というものは努力しなければ限界は見えませんから、本人がある程度大きくなり私立に進学希望をするのであればその投資は正しいと思いますが、小学校或いは幼稚園から●●大学への進学を考えお金を投資するのは少々早とちりだと考えます。 以上、私の意見であります。反論もあるでしょうが「こういった考え方もあるんだな」と捕らえていただければ幸いです。 乱文失礼いたしました。
- black-tied
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親子二代で中学受験を経験したものです(子)。 (1)中学受験の過熱について 特段昨今始まった過熱ではないでしょう。20年も前から富裕層、というより都市部では中学受験は一般的です。必ずしも富裕でない層(といっても中級以上でしょうが)も熱心です。最近は少子化の影響もあり、一人当たりにかける金額が増えているかもしれません。 (2)なぜ中学受験をさせるのか 圧倒的に大学受験に有利だからです。有名大学に入学できる可能性が飛躍的に高まります。有名中学に入り、エスカレータで落ちこぼれさえしなければ簡単に東大・京大に入れるからです。 (3)「学歴」をどう考えているか これは完全に個人的な意見ですが、「最低限生活が保障されるセーフティネット」ではないでしょうか。もちろん大きな成功を収める可能性だって広がります。学歴社会(=学歴さえあれば安泰な社会)の崩壊が叫ばれ久しいですが、それでもまだまだ学歴の威力は絶大です。東大を出れば、一部天才のような成功は収められなくとも、いざとなってもそこそこの企業には入れるし、生活は保障されているように思われます。「やりたいこと・好きなことをやればいい」と思いつつも、やはり確実な人生を歩ませたいという親心は不変なのではないでしょうか。 (4)教育格差は何をもたらすか やはり社会の二分化でしょうかね、勝ち組・負け組。ただし、学歴は一つの要素に過ぎず、学歴のある人間も安泰ではないし、ない人間も再チャレンジの機会は与えられるはずです。人生の成否を決める一要素、そんな感じかもしれません。その意味で親として、やはり教育には投資せざるを得ないのではないでしょうか。蛇足ですが、質問者さん書かれているような国家レベルでの人材投資については、この話とは少し違う気がしますね。これは少数の秀才をどう社会的に活用するかという話で、一億総お受験の受験戦争とは直接関係ないのではないでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 大学受験を目指しているんですね。その先も考えての、大学受験ということでしょうか?そして、セーフティネットになりうる大学に行くことが、人生の安定度が幾らか増す(程度が微妙ですが)という考えがあるわけですね。 ・学歴は、一つの要素に過ぎない(特に重視していないというニュアンスでしょうか?) もしそうならば、「親として教育に投資せざるをえない」というのは、「??用いる言葉としては、強い言い方では??」と感じました。 (蛇足) 現在の受験戦争は、過去のと比べるとそれほど酷ではないとも聞きます。しかし、全国的な受験の大変さと、一部の有名中学での受験の加熱度は異なり、日本の中では激しいのではと思います(現在における、全国的加熱度からみた一部の富裕層の受験という意味です)。 優れた教育を自分の子供に先行投資し、その中で日本を引っ張っていくという人材が生まれていくと思うので、国家的にもその人たちには頑張ってほしいという思いをもって、見守っているのかなと勝手に想像していました。関係ないのかもしれませんが。
- overtone
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>それがまずはコツコツやっていこうと考えてしまいます。 私もそうです。 「連続性」の無い ものは 信じられませんし・・。(私は) もちろん、私からみて 連続性が無くても その人の中では連続してる場合もありますので わかりませんが。 少なくとも 私のような凡人は 連続性のあるくらしが精神的にも安心します。 ============ 「こつこつ」と ご質問やお礼されている欄の内容の関連性が 私の理解力が低いため理解できません。 よろしければ 補足をお願い致します。 「こつこつ」は、現場を知ることや 少しずつ 調べることも含まれてしまうイメージなのですが・・。(私は)
お礼
回答ありがとうございます。 現時点では自分とは関係ない、けれども興味がある事柄について、一時的には考えるが続かないことと、この世に存在する事柄の「真実」があるのか(あるいは、皆何か思い込みを判断と評しているのか?という素朴な疑問)ということが、この投稿をする前にそもそも存在していた疑問でした。それをovertoneさんの最初のレスを読み、ふと思い出したので、少し抽象的な話になってしまいました。申し訳ありませんでした。 前者と後者のことから、自分が納得するまでコツコツと探求するのが良いのだと思った次第です。
- overtone
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更にです。 >全てが出鱈目ではないと そうなんです!それを 見分けるのに 手間がかかり 難しいのですよねっ! >真実に向かって自分の足で現場に行くということが大切 興味を持ったら そうしなければ。 事情が許してそうしないのは、「興味がない」のと同じことですぅ。 >何だかむなしくなることもあります むなしくなんかないですぅ。 新聞なんか あの情報量で 会社として収益をあげてて、あのコスト(広告収入とかありますが)ですよ! どこまで 信頼してよいかは おのずと判断ができるハズっ! 40代のオヤジでしたぁ。
お礼
回答ありがとうございます。 私の興味の度合いが弱いのでしょうか。 例えば、この問題も、社会の問題ではありますが、自分は自分で自分の仕事をがんばる(ただ頑張るのではなく)、それがまずはコツコツやっていこうと考えてしまいます。 凡人ゆえ、自分に本当に必要な事柄にしか興味がわかないのかもしれませんが、それでは視野が狭くなるとも思います。しかし、まだその程度で、思考が持続せず、忍耐力も小さいのかもしれない。それではいかんとも思うけど…これは自分の言い訳を考えているのか…
- overtone
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No.5です。 くどくて すいません。 メディアは ご質問者様のように「考える」きっかけを与えるだけと私は考えています。 実際に 報道などの内容を 各メディアに問い合わせると 情報源を伝えてくるだけで 終わってしまいます。 その情報源に 自分でアクセスをして 現場?を知ると 自分なりに納得ができたりするものです。 (私は 何度も そうしてきました。) ==ご質問と関係ないですが====== 「新聞を読もう」的な 話もあったりしますが、書いてあることが 「正しい」わけではありませんし。 第一 「正しい」とは なんなのか?何を基準として「正しい」のかを 考えようとしないと やばいです。 メディアは ワンクッション以上入っています。 ご興味があることは、現場を見たり聞いたりして 「部分」をしり、データなどで「全体」を知り 総合的にご自身で 判断されることとなると思います。 それが、「信じられること」だと 考えます。 ========== と 小学生のこどもとよく話しております。 40代のオヤジですぅ。
お礼
回答ありがとうございます。 そうなんですよね、新聞や報道、というかあらゆるメディアが流す情報は、現代では鵜呑みにできないのですよね。まぁ全てが出鱈目ではないと思いますが。 真実に向かって自分の足で現場に行くということが大切ですが、何だかむなしくなることもあります。まぁそんなことに滅入る場合ではないとも言えますが。
- overtone
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>ちょっと深く考えたいと思いますので とのことで コメントさせて戴きます。 ご質問番号ごとに。 (1)日能研や四谷大塚などの資料で、どのような中学校で志望者が増加し、どのくらいの数なのかが わかると思います。「企業の幹部など」の話題で それだけ増加するかを まずは ご自分でお考え下さい。 (いろいろと 想定が必要です。例えば、「幹部」と洞定義するか?その人数は?何人ずつこどもが居て、小6が何人?などなど) (2)「こどもの力」とは なんでしょうか?また、「学歴」とはなんでしょうか?もう少し 具体的でないとわかりません。 東大出てても大したことない人もいるし・・・。 (3)義務教育はあるわけで、「学校歴」は 誰にでもありますよね?「学歴の価値は必要ない」の意味が理解できません・・。(私だけ?) 元々「学歴」に価値はないと考えますが。 (4)次世代を担う人たち(いわゆる こども達)への教育は 国策と考えますが。それで いわゆる「公共」と言われるメディアで取り上げられていると認識しております。それに あおられて 違う認識をしてしまう 保護者等は ちょっと・・ 情けない・・。 ============ 私自身は、開成⇒東大 ですが それがぁ?って感じです。富裕層?でも ありませんし、こどもには 「あの程度かよ」って 言われてますし。 ちょうど 下のこどもの 中学受験が終わりましたが、平均の偏差値は 70くらいだったのですが 「パパが行ってた学校じゃ つまんない。受かっても蹴る」と言ってました。まぁ 全部 受かって 良かったですが。 そんなもんです。 なので、わたし的には(私の家族も) 「学歴は あくまで その人の一部であって、特に重視されるものではない」と考えますが・・・。 端的な例を見せられて メディアに踊らされず、ご自身で調べて お考えになろうとする ご質問者のような方々が 増えると良い世の中になると思います。 (私の近くでは・・。私の経験では だけでなく 客観的な資料をもとに お考えになるという意味で。)
お礼
回答ありがとうございます。 最近、客観的データなるものは、存在するのか、疑わしいなと考えていました。各自が客観的なデータを下に各自が各自の責任で決定することは良いですが、全てにおいてそうしなければならない社会であることが、何だか悲しいです。最後は、「信じる」「自分が調べたデータを客観的だと断定できると信じる」ことになるのかな。
- yosimako
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公立の中学校は、授業崩壊になっているところが少なくありません。人口密集地域では特に顕著なのではないかと思われます。そういった話をきくことがあります。親にしてみれば、普段見かけるあんな中学生が通う学校へはうちの子をやりたくない、と感じたらどうでしょう? そんなことを知らないときは、なぜそこまでして幼いうちから受験へと熱がはいるのかと疑問に思っていました。高学歴追求の向きもありますが、みなそうではなく、何かと問題を起こす子が多い公立の中学校は避けたい、と私立の中学校へ入れようとする親も多いと聞きました。
お礼
回答ありがとうございます。 問題を起こしそうな子供が行くのは、基本は公立ですよね。教育環境といっても、勉強以前に、そこに通う人間がいかなるものか、というのも見逃せない動機ですね。
現役の修士の学生ですが、もうそろそろ学生生活とはさよならなので、思うことを書きます。尚比較的社会評価が高い大学です。 (1)東大を例にとれば、最近は上位はほとんど中高一貫校の私立。下の方は誤認識ですが統計データーによれば、所得が一番高い層が東大、次が慶応。慶応いわく別のデーター処理では慶応が一番だそうです。 (2)いい大学に入れば確率的にいい就職につけること。人様に出しても恥ずかしくない立派な人間になるには、いい教育が必要との認識。まぁ半分が自身の名誉のため。 (3)大衆教育で、みんなが今の時代大学、大学院へ行きます。新聞に載る大学ほど信用力が高い。 ケネディは寄付金を納めてハーバード大学にやっとこさ入学できましたが、それに対する批判は米国にはありません。なぜならば卒業するのが難しいからです。日本では、学歴は挨拶みたく使われます。誰がどういおうと、実情は上層に行くには必要でしょうね。 (4)貧富の差の拡大。階層の固定化。(昔は、(その人いわく)八百屋の息子に学歴は必要なかったが、東大に入学して学者人生を歩んだ人もいます。) だから、子供は無気力になるんです。 で、日本もエリート教育してましたよ。昔は。 日比谷高校とか、旧制高校時代のナンバースクールとかでは。 どうでもいいことですが、私も驚いたことに東大の文系の大学院生が、「ドストエフスキーって誰ですか?」って教授に聞いたそうです。こういう人がどれだけいるか知りませんが、もっと対象範囲を広げて、北京大学の学生と東大などで中高レベルの数学の同一問題を経済系の学生に解かせても明確な差がでました。 そして大学院はいまやみなが行く時代で、いいことかもしれませんが私はもうご臨終だと思います。 少なくても大学院というところは専門家の卵として、もしくは次世代のリーダーとしてエリート意識は高くあるべきです。それは私自身も含めてエリート意識は皆無です。 自分が幸運にも子供に恵まれれば、日本にいれば私の認識では大義名分が実質上崩壊した受験システムで、自身が異端者なので自由にやらせると思います。 尚、私は人間に能力の差はそうないと強く信じています。少なくても適切な指導者がいれば、誰でも高い教育を受けることができると。昔の旧制大学時代は、お年を召されても大学に通う方の姿が目立ったということです。生涯教育は推し進めるが、18歳でみんな大学に行くとかいうのはやめたほうがいいと思う。 こういった議論は新書とか、論壇誌にいくらでもあるので勉強してください。
お礼
端的な回答ありがとうございます。 教育の効果は存在するとしても、「できない子」にいくらやっても無意味という意見と、「人間には能力の差があまりない。ある程度の投資をして教育すれば、立派な人間になるのではないか」という意見が出ました。 まぁお金がある人は、教育する行動に出ますね。 「貧富の差の拡大。階層の固定化」というのは、よく目にしますが、良いのか悪いのか。雑誌などでは、悪いと見ていると思いますが、先例となるようなイギリス・アメリカでもそういうものだから、仕方ないのかな? これからも、勉強していきたいと思います。
- sprinter100
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私個人が思うには、全ての質問について、「親の見栄」が一番大きい要素でしょう。親の遺伝子を受け継いでいる子供が○○小学校や××中学校に行っていれば、親である自分も頭がいいと世間に思われるというのもあると思います。 下の例にもあるように、私もその番組を見たときに「この子達は親に洗脳されている」と思いました。勉強こそがこの世の全てであると物心がつく前から覚えこまされていると。他の番組でも有名高校へ進学するための中学校を取り上げていて、岡山へ広島から新幹線を使って通っている子がいました。また埼玉では中学校で東大コースを作っていて、インタビューを受けている中一の子が「志望校は東大です」と答えていて、この子は東大に行って何をしたいのだろうと思いました。 私は小学校のとき友達に誘われて自分の意志で中学受験をしました。別に塾には行きませんでしたが、一応勉強量相応のところに行きました。今私のように自分の意志で受験する子供はどれくらいいるのかなと思います。実際中学時代の周りの友達もかなり塾に詰め込まれていたようですし。そうなると、彼らは合格すると目標が達成されてしまって下位で入った私は忽ち彼らを抜いていきました。高校は県内トップの公立校に進んだのですが(高校のない国立中学のため)、やはりそこでも同じ現象が起きていました。有名私立を合格するほどの力を持っていながら目標が達成されたために没落していった人たちが。もちろん中にはちゃんとまじめにやっている人もいましたけど。 私は学歴の割には好き放題していた方なので、机の上以外の勉強(人と接することで知ること・からだを動かして知ることなど)を一杯しました。しかし、小さいときから英才教育を受けている子達はこのような経験はおそらくなく、勉強はできるけど自分で物事を判断し、行動するといったことができないのでは?とも思います。 質問内容とは異なる回答になってしまいましたが、私が普段思っていることはこんな感じです。
お礼
回答ありがとうございます。 大多数は、机上の勉強が全てであるように、親から洗脳されているわけですね。 そんなことよりは、机上の勉強も、机上以外の勉強もバランスよく行わせた方が良いのではないか、という主張と受け取りました。私もその意見に賛成です。 英才教育を受けた人たちは、人間性が良くない人が多い、というような思いをお持ちな気がしますが、人生を渡っていくうえで、それを学習するということは無いのでしょうかね。そこが疑問です。
- go_d_father
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私もこれについてたまに考えることがありますが以前、トリビアの泉にて小学生のお受験経験者はかの有名な一休さんの「このはしを渡るべからず」のお話を100人中100人が知らないということを放映していました。 私はそのとき「幼少時からの圧力的な教育は豊かな人間になるための障害になるんだ」と思いました。 一方、私は「安い」公立学校出身ですが公立学校では非常に豊かな人間教育をしていただけました。そこから一流大学に行くものはたくさんいます。 (主に富裕層の)「公立学校出身者は世間の言う一流大学には行けないのだ」という固定観念は間違っています。 以上のようなことを考えると公立学校と私立学校にあなた、或いは私立に通わせる親御さんが考えるような差があると思いません。 確かに実績のあるごく一部の私立へ行くと(よい大学へいく)多少のきっかけ作りにはなるかもしれませんが、それ以外の私立学校へ行くのは学歴作りといういみでは何の意味もありません。 極端な例かもしれませんけど、小泉純一郎首相は高校までずっと神奈川県の公立学校(ただしトップの超一流高校)で、そこから慶應義塾大学に進みました。 一般的に東京大学学生の両親の所得平均は高いといわれていますが、親が金持ちなのは東京大学に限ったことではないでしょう。むしろ二流、三流の私立大学の親御さんの方がお金を持っておられるかたが多いような気がしてなりません。 「できない」子には何百万、何千万投資しても結果は一緒です。私立学校に行って変わるようなケースは特別「できる」子である場合くらいだと思います。 構成を全く考えずに思ったまま書きましたのでかなり読みにくい文だと思いますがご了承ください。
お礼
回答ありがとうございます。 簡略化して考えてしまうと、ある学者の方が言っていたように、ドミノ理論のように考えてしまうんですよね。良い中学→良い高校→良い大学→良い社会人と。そのために、親が子に対して教育への投資をすること自体は全く否定しませんが。 >>「できない」子には何百万、何千万投資しても結果は一緒です。私立学校に行って変わるようなケースは特別「できる」子である場合くらいだと思います。 まず前提として、「先天的に」できない子の存在があるわけですよね。そういう「できない子」は、どんなことができない、とお考えですか?何か基準となるようなものを挙げてくださるとイメージしやすいのですが。 そして、誠に失礼な仮定ですが、もし自分のお子さんが「できない子」であれば、人生をどう渡っていかせますか? 私はまだ学生ですが、教育には興味があります。
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お礼
回答ありがとうございます。 先天的に能力を付けても効果がないのではないか?と思われる人間には、家庭によっては、別に中学受験を無理してやらせることはないだろうと想像します。このような人たちは、いたとしても少ないのではないかと思います。 大部分は、五体満足で、教育により、能力を如何様にも伸ばせたり出来るのではないかと思います。生まれ育った環境やしつけにより、色々と差が生まれると思いますが、それも机上の勉強以外にも様々な要因があるかと思います。 特に教育投資しないでもよいと思う親、出来るなら塾に行かせたいけどお金がないという親、ある程度させるけど干渉しない親、教育に関心があり親として出来る限り良い環境を子に提供したい親、色々なあり方があるかと思いますが、それを子供は選べません。広い意味で、それも子供にとって環境だと思いますね。 ゆえに、どんな環境であれ、子は生きていくしかない。その環境の中で生きていくしかない。幸か不幸は、子が決めること確かですね。 表面的なことに終始して申し訳ありません。