mikan21さんは「最近」という言葉を使っていますが、奈良の東大寺にしろ、中国の万里の長城にしろ、エジプトのピラミッドにしろ、何百年も、何千年も、人類は先人の遺産に落書きをしたり、破壊をしたりしていることは、ご存知の通りです。
より極端な例を挙げると、古代から大自然を象徴する大木や巨石に彫刻や絵画を描くのも根本的には同じ意味を持っています。
つまり「自分の足跡を残す」と言うことです。ただし、足跡を残すだけであれば、記名や絵を描くだけで破壊の必要はありません。ここに対象物に対して心理的な相違が起こります。
つまり記名や絵を描くことは、その物(キャンバス)に対して畏敬の念があります。また逆に、その物に対して嫌悪や反抗心があれば、冒涜し傷つけ破壊をします。
ご質問の現代における公共物はどうでしょう。博物館などにある記名帳や感想ノートなどは、前者の欲求に応えるものではないでしょうか。また、トイレに落書きしたり破壊するのは、公共=社会に対する反抗心ではないでしょうか。そのどちらも根には自分の足跡を残す、という意味があります。
また、全く無邪気な「いたずら」があります。心理的には同じなのですが、これは道徳や社会性を持ち得ない子供だけの特権です。しかし成長してもいたずらをするようであれば、「いたずら」ではなく「犯罪」であることを明確に教える必要がありますが、こうなりますと、「生物学的」な話が「教育学的」な話に転化してしまいますが、ご質問の本質に関わることだと思います。
なお、成人による公共物破損について「生物学的・生理的」な説明がなされても、その成人は「理性的・道徳的・社会的」な側面を有する限り、その行為は犯罪となります。そうした意味からBICMACさんの意見は本質を突いていると思います。
また、社会的ストレスを論じておられるmiDumoさんの意見は、当然のことで、社会的ストレスが理性的・道徳的・社会的なブレーキを機能不全とさせ暴走を助長させる、と思います。