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ミュンヘンオリンピック事件!!

はじめまして!今年の二月くらいにスティーブン・スピルバーグ監督のミュンヘンが公開されますよね!!そこでドイツのオリンピックの最中にテロ過激犯ブラックセプテンバーの反抗と記憶しているのですが、彼らの要求としてイスラエルに住むイスラエル人の解放でしたが、ころころなぜイスラエル人は監禁されていたのでしょうか?また、彼らはイスラム教の人々なのでしょうか?どなたか教えてください!!

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回答No.2

質問文に誤りがありますので指摘いたしますね。でも、その前に、背景などをきちんとしておきましょう。  ミュンヘンは1972年のミュンヘンテロ殺戮事件を題材にしたスピルバーグの反テロ映画ですね。  このBlack September Organization(BSO)は、1970年9月からヨルダンのハシム・フセイン国王(アラブですよ)が過激になってきたなPLOによって自分の独裁政権が揺さぶられるのを嫌ってパレスチナ人を弾圧して多数(3000-5000)のパレスチナ人死者を出したアラブ世界の内部紛争に由来します。これはイスラエルがパレスチナに仕掛けた6日戦争の大勝利のあとなのです。アラブ世界はごたごたしていました。そしてPLOはすごくとんがっていたのです。だから、理解できないですけど、そのうらみ(報復)を、BSOとしてミュンヘンで晴らすのです。BSOのメンバーはフェダイン(戦士)です。イスラム教という点では同じかもしれませんが、BSOはアラブ過激派です。イスラム教の原理主義グループとはまったく行動様式やコーランなどの解釈が異なります。BSOの背景や動機の説明終わります。  さて、BSOがミュンヘンで行ったのは、五輪選手村を未明に襲撃してイスラエル人の人質をとって、自分たちの要求を突きつけることでした。(No1.さんのサイト見てくださいね)  要求は、イスラエルの刑務所に収容されているパレスチナ人と非アラブ人234 人の開放と、ドイツの刑務所に収容されているドイツ人テロリスト2人の解放でした。かれらを、ナセル没後のちょっと軟弱なエジプトに移送するようにいったのです。このテロの狙いはさらにテロ組織を強化するためにテロリストや犯罪者のスカウトをすることなんです。絶対受け入れられない自殺的な最悪の要求です。この手の要求が成功したことはありません。  さて、お分かりになりましたか? 質問者のいっている要求内容はぜんぜん間違っていますぞ。いったいどこでそんな話を聞いたんだい?    腑におちましたか?  歴史の結末はあるのですが、これはせっかくの映画がありますのでそこで見てくださいね。我慢できなきゃ英語のURLですけどこの殺戮事件に関係する報道写真が見られるのでかいておきます。

参考URL:
http://en.wikipedia.org/wiki/Munich_massacre
noname#16715
質問者

補足

どうも質問の誤りまでありがとうございました・・・!ここで出てきたアラブ過激派はイスラム教とは何が違うのでしょうか?根本的に違うのでしょうか?活動内容など、お願いします!

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