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自分の親を愛せない
私は40代男性です。 知人の20代男性から次のような話をされました。(言葉遣いは変えてあります。実際はちゃんと敬語を使える人間です) 「自分は昔から、自分の親を愛することができない。って言うか、親と『合わない』。 そりゃあ育ててもらったことは有り難いんだろうし、ゆくゆくは扶養しなきゃいけないんだろうとは思う。 しかし、実際親を愛しいとか、大事にしたいとか一切思わない。いわば扶養は義務としてイヤイヤやるに過ぎない。 出来ることならその義務が発生する前に死んでほしい。」 またこうも言ってました。 「そりゃあ、誰だって親と仲悪くなりたいわけではない。オレだって出来ることなら、そういう関係になりたかった。 でも、実際父親も一緒にいてもつくづく性格が合わないと思うし、母親も正直下品で汚いババアにしか見えない。両親とも、うざったいだけだ。 『親孝行できない人間は最低だ』とか言うやつもいるけど、『あんたらはたまたま親のことが愛せるように生まれ・育っただけじゃん』と思う。 たまたま親子に生まれてきちゃっただけで、どうしても性格的に合わない親子だって、有って不思議はないでしょ? オレは『合わない』人間に子供として生まれちゃったんですよ。」 私は私なりに、彼に対しこれについて思うことを語りました。 もし皆さんはこの話を聞いたとしたら、彼に対しどのような言葉をかけてあげますか? 恐縮ですが、彼への批判・彼の人間性の評価という観点でなく、彼という人間が皆さんの身近にいたら、こういうアドバイス・直言・叱責をしてやるって観点からのご意見を下さい。 ちなみに彼はもう既に30歳間近・既婚で、親への態度はいわゆる「反抗期」という類のものではありません。非常に冷静であり理性的です。 私の目からは「そのうち大人になれば変わるよ」という感じには見えません(私見ですが)
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質問者さんが彼に、一体どんな言葉をかけたのか、是非お聞きしたいところですけれど。私は彼に、何の言葉もかけないと思います。かける必要を感じないからです。 親は敬い大切にすべきだ、と思っている人には理解できない考えかもしれませんが、彼の考えはそれはそれで私はいいと思いますし、あえて何か言葉をかけるとしたら「そういう親の元に生まれてしまって、残念だったね。」というところでしょうか。なぜかと言えば、もちろん親だって、生まれてくる子供を選ぶことはできないわけですが、でも子供を作ることにおいては、まったくもって、それは親の意思です。例外はあるでしょうが、大概の場合、親が子供を作りたいから作った、のです。悪い言い方をすれば、親の都合、親の勝手です。そこへ、自分の意思とは関係なく生まれてきたのが、その子供だと思うのです。 ただ本音を言えば、彼はとても贅沢なことを言っているなあと、私には思えます。というのは、彼は成年まで、もしくは就職まで、親にきちんと面倒をみてもらったのではないですか? もしかしたら大学へ行かせてもらったりしていませんか?(高卒かもしれませんが)不幸自慢になり恐縮ですが、私はまだ未成年で、父からも母からも養育を放棄されたも同然の状態になりました。それから思うと、なにはともあれ、二十歳まできちんと養育してもらったことがどんなにありがたいことなのか、それが彼にはわかっていないのだろうなあと感じます。 家族の問題は、他人にはわかりにくい問題です。ですから、他人が意見したりすることはあまり適さない問題であると、私は考えます。いろいろな考え方の人間がいてもよく、そういう親を親に持ってしまった彼も、それは彼の運命ですし、そういう彼を息子に持ってしまったのも、彼の親の運命であると、私は思います。
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- kensukesam
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NO5 です 難しい問題ですね・・ 私も、10年ぐらい前まで両親の事を少しそうゆう風に 思っていた時期も有りました。子を持つ前です 今思うとその頃の両親は私にとって凄く大きく見え 所帯は別でも大きな存在でした。 今、私は30そこそこの若僧ですが親になり 上は7歳の娘がいます。 10年前大きく見えたあのウザイ親父がもう定年を迎え もうすっかり孫達の爺さんになってます。 当時の勢いや、面影も薄く、小さく小さく 見えるんですよね・・。 愛おしいと言うか何と言うか・・ >そりゃあ、 誰だって親と仲悪くなりたいわけではない。 オレだって出来ることなら、そういう関係に なりたかった と、知人の方も仰っておられるなら もう少し歳をとれば(両親が小さく見えれば) 分かってくるかも知れませんね。
お礼
そう、彼が歳をとったらわかる、親になったらわかるというケース、言わば、「よくあるケース」のひとつなら、さほど問題ではないんだと思います。 彼の両親が例えば高齢で、彼にとって「大きな存在」や「彼にとって『壁』としてそびえる存在」であるのなら、理解できるのです。 しかし、彼の両親は高齢で既に、彼にとって哀れむべき存在になってしまっているのです。 彼も人非人ではありませんので、両親をいたわる気持ちが皆無なわけではありません。 しかしそれが他人であるなら、いわば無責任に哀れんでいるのでしょうが、現実には自分の親であり「自分の人生に関わる老人」「自分が将来扶養する義務のある老人」であることから、単純に哀れんでいるより邪魔な存在として意識が強くなってしまうのです。 ご心配いただき、ご丁寧に再投稿いただき本当にありがとうございました。 感謝いたします
補足
質問を締めるにあたりこの場を借りて、皆様にお礼申し上げます。 正直言って、不肖私、いまだ悩んだままです。 そこで一旦、この質問を締めて、改めて質問を出したいと思っております。 問題文の限られた文字数の中で説明不足な状況のため、状況がご理解いただけなかったと思います。 しかし、これはあくまでも私の説明力不足にその責があり、回答頂いた皆様の洞察力や能力とは一切関係ございません。 もし、「せっかく回答したのに」とご不快な思いをされたとしたら、深くお詫び申し上げます。 本当にありがとうございました
- deh80
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親を愛する義務はありません。そもそも愛に義務はありません。 親の多くは子に深くて血と肉につながった濃い特殊な愛情を抱きますが、恋人や夫婦とは違って、双方向でなければ成り立たない種類のものではありません。 まれに、親が子をどうしても愛せない義務で育てているだけという方もいらっしゃいますが、そういう方に対してなら、他に兄弟姉妹がいるとすれば、偏愛をせずに出来る限り冷静に平等に扱ってあげてくださいとアドバイスするでしょうが、この方に私が言えるとすれば、「あなた自身が精一杯幸せになる道を探してください」ということだけです。 親にとっての究極の幸せとは、子供が幸せになることです。 その親ごさん個人がどんな考えを持っていてもです。これは普遍の事実であると私は考えています。 法律的な扶養義務などとは別の次元の話です。 子に親の愛を理解してもらう必要はないのです。
お礼
>そもそも愛に義務はありません。 当たり前のことなのに、言われてはっとする事実です。 >親にとっての究極の幸せとは、子供が幸せになることです。 その親ごさん個人がどんな考えを持っていてもです。これは普遍の事実であると私は考えています 親が子に注ぐ愛情、それこそが見かえりを求めない愛情であると言われています。 ただ現実の中においては、親が子に愛情を注いで子育てをしたのに、子が一切その恩返しをしないとしたら納得出来かねるというのも、また人情でしょう。 回答者さんが親の立場でのお気持ちを述べられているのか、子の立場で述べられているのかは察しかねます。 私自身もあなたの回答に、反対の意思は一切ありません。 ただ、彼に対し「だから君が親に恩返しをしなくても全然後ろめたく思わなくていいんだよ」と自信をもって語ることには、一抹の逡巡を感じてしまいます。 考えさせられる回答でした。 投稿感謝します
- gohannannisiyo
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失礼!無知をさらしてしましました。 なるほど。直系血族と同居の親族に互いの扶養義務があるわけですね。 結婚した女性は配偶者の親ではなく実家の親の扶養義務を負うというのも初めて知りました。 ありがとうございました。
お礼
いえいえ、わざわざお返事恐縮です。
- gohannannisiyo
- ベストアンサー率27% (235/859)
ちなみに年老いた親を扶養する義務は、法律的にはないと思いますよ。親が家賃や医療費を滞納すればおそらく息子に連絡は来ますが、支払の義務はありません。断れます。 人にあーだこーだ言われるのさえ怖くないのなら、彼にはそういう選択肢もあります。
お礼
投稿ありがとうございます 民法730条により直系血族間には相互扶助義務が存在します。 親の自己の法律行為により、その子が債務を負担しないというのは別の話です。
- youyouqi
- ベストアンサー率18% (11/58)
私ならば、 「あなたの親御さんもあなたを産んだ以上立派に育てるのを義務だと思ったのでしょう。 適度な愛情を与えることも、適度な躾を施すことも、どこに出ても一人の人間として生きていけるように。そしてあなたの親御さんは立派にその義務を果たされただけのこと。 そして、その親御さんを扶養する義務が発生したときは、あなたもその義務を立派に果たせると思いますよ。義務は感情云々では拒否できないもの、しなくてはいけないことでしょう。 別に愛する必要はないでしょう。愛してもらっているから愛することができるわけではないでしょう。親との絆は良くも悪くもそんな簡単なものではないと思います。 性格が合う、合わないだけで子育てを放棄することも、扶養義務を放棄することも出来ないことは確かでしょう。」 以上のように言うと思います。 私は20代の女ですが、両親、家族をこよなく愛しています。そして、とても大切にしています。だから正直両親や家族を大切に出来ない人は信用できないし、嫌いです。 ただ、ご質問者様のご友人はきっと実際はご両親を無碍に扱うことも、またその逆で必要以上に関わることもされていないのだと思います。それが実はその家族の自然な形なのではないかなと思います。自然な形=尊重し合っていると考えられなくもないかな。と。
お礼
回答ありがとうございます 実を言うと、あなたのような回答者の現れるのを待っていました。 と言うのも、彼は家族は大事にしています。また、私が彼の全てを知っているわけではないですが、少なくとも「人非人」や「ダメ人間」でないのは事実です。 しかしながら、 >両親や家族を大切に出来ない人は信用できないし、嫌いです。 これは本当に一般的に通常(まっとうな)の意見だと思うのです。 そこで、私のように「それはそれでしょうがないことだ」と言うような意見の、どこに「間違い」と言うか、「いや、やはりそういう考えはいけない」と言う理由があるのかを教えていただきたいという気持ちがあるのです。 つまり、私は、私の語った意見に自分自身、自信が持てないのです。 もし出来ましたら、彼のような考え方を否定する根拠や理由を教えていただけないでしょうか。 それは、あなたが(彼流の言い方をすれば)たまたま家族を大事に思えるような幸せ者だから、感情的にそう思うだけのことなのでしょうか? ぜひ再投稿いただければ幸いです
- namacha2
- ベストアンサー率50% (13/26)
>アドバイス・直言・叱責をしてやるって観点からのご意見を下さい 人間というのは皆完璧じゃないんですよ。罪を犯したり失敗したり、性格が悪かったりもするものです。それでも親は親、子は子。こんな親でもどんな親でも親なんです。嫌々でも、怒りを覚えいても、人生いざというときには親は子を、子は親を見捨てることをしてはいけなのです。 もし自分が「見捨てられた」と思っても、そう思うだけで実は親は子を見捨ててはいないものです。 現代は科学が進歩し、情報が溢れ、社会のシステムが複雑になっています。しかし基本的には、我々人類は古代から現在まで「生まれて死ぬ」以外の何者でもないのです。あとは大した問題じゃない。だから子供が生まれるほど「めでたい」こはなく、家族が死ぬほど「悲しい」ことはないのです。 日本に「病院」が普及したのはほんの最近、戦後のことなんです。それまではどこの家でも必ずといってよいほど寝たきりの老人がいたんです。また、生まれた子供は病気にかかり、すぐに死んでしまったのです。だから子供が生まれれば祝い、七、五、三歳まで生きれればまた祝いしたのです。 人々にとって生死はごく身近であり、それが最大のイベントでした。基本的にそのほかの事はどうでもいいんですよ。今でもそうです。 >オレは『合わない』人間に子供として生まれちゃったんですよ。」 合わない人間に子供として生まれようが、そんなことは小さな問題なんですよ。貴方が生まれたこと自体、こんなに「めでたい」ことはないのですから。そしてその貴方を生んでくれたのは、貴方の両親です。ただそれだけのことです。 >出来ることならその義務が発生する前に死んでほしい。」 そうなったらそうなったでいいでしょう。ただ、そうなったら親に感謝することを忘れてはいけません。なぜなら、貴方の「義務」はなくなったのだから。
お礼
回答ありがとうございました 参考にさせていただきます
- kensukesam
- ベストアンサー率19% (30/155)
私が貴方の立場なら 人それぞれ育った環境が違うので皆が同じとは 思えませんが、あまり深くは追求せずに・・ 定番として 「親孝行したい時には親は無し」 「自分の子供に同じ様に思われたどお?」 って、軽く流します。 私は、子供に頼らず(負担を掛けず) 夫婦2人きりで老いていくのも良いと思います 最近は施設も良くなってるみたいですし。
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど、定番の意見だけを言って、軽く流すっていうのが本当の正解なのかもしれませんね。 参考にさせていただきます。 ありがとうございました
- gohannannisiyo
- ベストアンサー率27% (235/859)
虐待など彼が両親に心を閉ざすことになった事件などがなかったことを前提として書きます。 彼が現状でよしとしているのならアドバイスはしません。 でももし彼が自分が親を愛せないことが寂しいと感じているのなら、人を愛することはそれほど難しくないと説きます。「私はこの人が大好きだ」と毎日自分に暗示をかければそのうち本当に大好きになれます。 もう一つ。親を愛せないのは相性の問題ではなく、子供の頃親からの愛情を感じたことがないからだと思います。暖かく包み込む親の慈愛を感じながら子供時代を過ごした人は親を大切にできます。彼のご両親は子供を立派に育てようとするあまり厳しすぎたか、あるいは愛情表現があまりに下手だったのかもしれません。私は今子供を持つ身ですが、我が子に対する無条件の愛情は子供を生む前には想像もできなかったほどです。彼のご両親はそれをうまく伝えられなかったんだろうと思います。そんなことを彼にいってあげたいです。
お礼
回答ありがとうございます。 >彼が現状でよしとしているのならアドバイスはしません 彼自身は、全然親を愛せないことを寂しいとか思っていないようです。 彼は特に虐待をされたこともなく、普通に大事に育てられたらしいです。普通に愛情もあったし、もちろん親の通常なす「しつけ」、養育等も受けてきたそうです。 格別虐待もないし、また溺愛もなかったそうです。 友人にも、異性にも普通に愛情を持つ。いや、ペットにさえ愛情を持つ。 ただ、たまたま両親が愛する人間ではなかっただけなんだそうです。 ちょうど、たまたま同級生になっても、別に付き合いたくない同級生みたいなもんだそうです。 限られた字数の質問文なもので、うまく伝えられず申し訳ありません。 もしできましたら、NO1~の「お礼」を補足としてお読みいただき、あらためてアドバイスいただけたら、感謝にたえません。
- beyonce11
- ベストアンサー率29% (105/359)
38歳/男性/結婚9年目/子供3人/東京 以前の職場に似たような若者がいた事があります。 >オレだって出来ることなら、そういう関係になりたかった。 この発言から親に対する愛情の「根」を感じることができますので 彼も「子育て」の経験を経て価値観の変わるタイプだと推察します。 現状は単純に「子供」なだけのような気もします。 よって「おまえも親になって見れば有り難みがよくわかるようになるから、 がんばって早く子供を作れよ」と励ましておくでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 >オレだって出来ることなら、そういう関係になりたかった。 この発言は単に「親子仲良いのは楽しいかもしれないけど、別にオレは自分の親と仲良くなりたいと思わねえし」って意味にすぎません。 少なくとも、彼はそう語っています。 わざわざ回答頂いたのに、本当に申しわけありません。 私の質問文が適切ではありませんでした。 誤解をされて当然です。 ぜひNo2の方への「お礼」を参照され、またアドバイスを頂ければ幸いです。 本当に申し訳ありませんでした
居ますね、こういう方って。 反抗期でなくともじゅうぶん30代に多いんですよ、ここのメンヘルのカテでも山ほどそういう事を書き込んでいらっしゃる方がいますよね。 私も先日そう言われ言った言葉があるのですが そういう人は相手に(親に)結局、多くを求めすぎなのだと思います。 親はこうあるべきという理想をもって、その親が自分の希望通りの親でないから愛せないんだと思います。 そしてこういう文句を言う人ほど、他の親子は無条件に愛し愛される関係をさも最初からもっているかのような錯覚に陥っているのだと考えます。 親子関係は毎日の積み重ねです。 そりゃ、親だって一人の人間です、合わないなど不満はあるでしょう。 ですが、親と子は血縁という縁で結ばれた親子なのです。 私なら、『自分はさておいて親にばかり求めるのをやめたら?』そう言いますね。 まあ、こうやって親がどうだ、こうだ言っている人に限って親離れできてない証拠だし愛して欲しい症候群なのだと思いますよ。 聞いて見てください『あ、親に愛されたかった、愛され足りなかったんだね』と。 今風に言えばアダルトチルドレンってやつじゃないんですか? 私も普通に親に対して不満や、こうして欲しかったという要望があったのですが、それをいつまでも抱えていないです。 こういううのはその人のもつ性格に起因する場合が多いので結局は中々理解できなかもしれません。 お友達にもよろしくお伝えくださいね。
お礼
丁寧なお答えありがとうございます。 わざわざお答え頂いたのに本当に恐縮なんですが、 >こうやって親がどうだ、こうだ言っている人に限って親離れできてない証拠だし愛して欲しい症候群なのだと思いますよ どうしても、この見方は的外れな気がしてしまいます。 と言うのも、彼に言わすと 「時々、本当にめったに言えないことですが、自分のこんな気持ちを話す時があります。そうすると、ほとんどの人が、やれ『お前も親になればわかる』とか、『実はお前は親から愛されたいんだ』と言ってきます。 でもそれって違うんでよ。そういう人って『親子は結局は愛し合うものだ』って前提って言うか、そういう固定観念から抜け出せないだけなんですよ。おれにとって親って別にどうでもいい存在なんですよね。ただ実際上血縁関係があって、法律上扶養義務があるからしょうがないって、やっかいな存在でしかないんですよね。」 だそうなんです。 彼に言わすと「自分の子供を愛してる通常人には、躊躇なく我が子を捨てれる親の気持ちが理解出来ないのと一緒」なんだそうです。 ほんとうに、あなたのご意見を否定するようで申しわけありません。 もし、この「お礼」を見て、こりずにまたご意見をいただければ幸いです。
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お礼
正直に白状します。 私が語った内容というのも、 >親は敬い大切にすべきだ、と思っている人には理解できない考えかもしれませんが の部分から >自分の意思とは関係なく生まれてきたのが、その子供だと思うのです。 までの部分と、そして >そういう親を親に持ってしまった彼も、それは彼の運命ですし、そういう彼を息子に持ってしまったのも、彼の親の運命であると、私は思います。 の部分とほとんど変わらない内容でした。 さらに、白状するなら、自分の語ったこの内容に自信がなく、他のもっと違う観点の、そしてより適切であろう意見を聞くことはできないだろうか、と考えたのが今回質問を出したきっかけです。 今あなたから、同様の意見を伺い、「果たして自分の意見は適切だったのだろうか」と改めて逡巡しております。 本当に、回答ありがとうございました