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「障がい者」という表記の是非
本日の毎日新聞朝刊でも取り上げられていますが、現在「障害者」という表記を「障がい者」に替えようという動きがあります。(「害」という文字が持つマイナスイメージを避けるため等の理由で。) これについて、皆様はどのようにお考えでしょうか。 「障がい者」表記を良しとするか。「障害者」でいいとするか。あるいは、「しょうがいしゃ」という言葉自体を破棄すべきか……などなど。 特に、実際に障害をお持ちの方やそのご家族、また、そうした方々と日常的に接しておられる方からのご意見を歓迎します。
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- hi-do
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毎日新聞の記事を読みました。tabideっさんはとても良いご質問をされたようです。 ただ安易に「障がい者」という書き方に変更するだけなら、私も皆さんと同意見です。 しかし、変更した自治体の考えは、「害」のイメージや障害者団体の意見を取り入れて、ということもありますが、障害者から「障がい者」に変えることによって起こる波及効果。(このご質問に多くの方が、障害者の方の立場も考えてくれているように、)無関心の人にも障害を持った人のことを気付いてほしい。考えるきっかけになってほしい。という願望もあるようです。(札幌市役所の人は、「ベストは表記ではないが」と言っていますね) 昔、私は「メガネをかけている人も障害者だ」と言われ、意味がわかりませんでした。 でも、メガネ(コンタクトも同じ)がないと私は車を運転できません。だから、メガネ無しだと障害者ということでした。その、メガネにあたるのが、人によっては車椅子であったり、白い杖であったり、介助してくれる人だったりするということだと思います。 分かりにくいかもしれませんね。 要するに、表記を変えて意識をやわらげよう、というよりも、この話題が多くの人々に考える機会になり、やがて「しょうがいしゃ」という言葉が「メガネをかけた人」並みに、障害を持った人の立場、関わり方などが理解されて行くのならば、あながち無意味とは思いません。
- tanupons
- ベストアンサー率38% (75/197)
ちょっとだけ補足させてください。 私が言いたかったのは『障害者』という言葉は所詮『言葉』だけで、個人を指し示すものではない、ということです。 とてもキツイ書き方をしてしまったので、不快を感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、障害者として20年以上生活してきた私が常日頃思っていることなので・・・。
- u-run
- ベストアンサー率16% (8/50)
こんばんは。 私も障害を持っています。 質問者さんに思うのではなく、そのような表記に拘る方に対して思うのは、 そんなに障害者を区別したいのか?ということです。 言葉自体に非難の意味が込められていなければ、私は何とも思いません。 ただ、これはあくまでも私の感想ですので、他の障害者の方は分かりませんが。
- tanupons
- ベストアンサー率38% (75/197)
こんばんは。1級障害者本人です。 私も他の皆様と同じような意見です。 言葉だけ代えてもまったく無意味。まして漢字がひらがなに代わっただけで何がどう違うというのでしょう? キツイ言い方をしますが、こういうこと(漢字をひらがなにしよう)を言い出す人の神経を疑います。 なぜなら、その人の中に障害者に対する差別意識がなければ、そういうことを思いつくはずがない、と思うからです。 だから、障害をもつ子供の親が「『障害』という言い方は良くない」と言ったり「養護学校には行かせたくない」と言っているのを聞くと腹が立ちます。 結局、我が子を「『障害者なんか』と一緒にしてくれるな」と思ってるからそんな言葉が出るのではないでしょうか? 私は「おい、そこの障害者!」と呼ばれても「はい、呼びましたか?」って返事しますよ。だって『障害者』だから。 自分が障害者であることに負い目・引け目を感じていないのならなんと呼ばれようが平気です。障害あっての『私』ですから。
障害児の親です。 障害という文字に抵抗があって障碍、障がいの表記にこだわる人がいますが、私個人としては違和感を覚えます。現代中国語では害という字でなく碍という字を使いますが、意味は同じ「阻害されている」ということです。 害という字にマイナスイメージがあるなら、一般に使われている言葉で問題になるものが次々と出てきませんか。災害被害者はどうですか。 害のかわりに碍の字を使ったところで、大多数の障害とは無縁の人に 「へ? それで? こだわるわけ?」 と思われるだけではないでしょうか。私は、一般の人たちの、障害者を特別視する感情に拍車をかけるだけだと思います。 だって、無縁の人にとっては「どーでもいいこと」であり、なぜこだわるのか理解できないと思います。 ただでさえ障害者にどう接したらいいのか戸惑う人たちにとっては、しょうがいの表記にこだわる(かたくなな)姿勢は、近寄りがたい壁を感じるものにならないかと懸念します。
自分自身、意識や心に障害(コミニュケーションが上手く取れない等)があり、友人も知的障害があったりの方が多いので。 たまにその話題になります。 やっぱりその言葉自体をなくす必要があると思いますよ。 聞いてて不愉快になり苦痛です。 そういう方はとても心が繊細です。 病気があろうと手や足が義手、義足であろうと、なかろうと、 同じ人に代わりがないじゃないですか。 考えても見てください。 肌が緑なんですか? 紫の血が流れてるんですか? どこがどう、「害」なんですか? 赤い血が流れて、きれいなものを見て「きれい」と感じ、嫌な事をされ「不愉快」と感じるのは同じでしょう? どこかからだの一部に画鋲が刺さって「痛い」と感じる。 同じでしょう。 誰なんだろう・・・こんな言葉作ったの。 人として見ようといってるけど、まだ日本じゃ「新人類、そういう人は珍しい、変!」のような目で見る奴らいますよね。一部。 こういうのも不愉快でなりませんよ。
- bb-paro
- ベストアンサー率31% (5/16)
そうですね。うわべだけの話だと思います。 私自身は彼女とただ遊んだりするだけの仲なので、本人がそっちの言葉を使うからっといって反論する必要はないわけで・・・。(これからもそれに対してツッコミはいれないと思いますが)私も自然に身障者の方を使っていたのですが。 ひらがなにすればいいってもんじゃないし、 何でも略すりゃいいってもんでもないですよね。 大体、障害にもいろいろあるわけですから。 実際に問題なのは言葉の表記ではなく、周囲の理解でしょうね。 社会的にどうこうというより、まずは彼女達の周囲にいる人間の理解。 自分がどう思われてるか気にしない人はいないし、 過去にトラウマがあれば、余計に敏感になるでしょう。 こういう人もいるよって感じで見ていただければいいと思います。
家族に広汎性発達障害を持つものがいます。 「害がひらがなになったみたいだな」と最近気が付きました。 障害者、という呼び方に対しては、どっちでもいいです。 私も かくときは ひらがなにはしないです。 まあうちの子を見て、何か非常な害のある人物と思う人がいるか いないか知りませんが、何かの困難(配慮を要する部分)を持ってることは事実ですし。 人は一人ひとり違って当たり前、名前で十分な世の中になれば自然と使わなくなるのかも、わかりません。 身障者、に、自分とこの子が含まれるかどうかも、わたしもいつも分からないです。身障者割引、とか、心身障害児向け応募とか、そういうのがあるときに、自分の子も使えるのかなとか。心の障害でもなさそうだし、知的に障害がなさそうな発達障害を持つ人もありますし。いちいち混乱して確認してます。
- 折井 浩(@rdtf2000)
- ベストアンサー率40% (15/37)
ついでだからANo.10の補足。 『身障者』とは『身体障害者』の略であり、『身障者』という単語が別にあるわけではありません。 bb-paroさんの知っている障害者さんは、結局のところうわべだけを気にしてるだけ。 『身障者』の元すら知らない人が「障害者と呼ばないで、身障者と呼んで」とは実に滑稽な話ですね。 所詮はこの程度の話なんですよ。 第一、『身障者』って単語になったら漢字のつながりから意味がわかりません。 パッと見てわからない言葉ほど不便なものはないですよ。
- hoshimineko
- ベストアンサー率13% (132/996)
「障害者」ってそもそも「障碍者」って書いていたんですよね。(FEPで変換してみてください。必ず出てきます) 「碍」の字が難しいから(?),「害」の字を用いたと聞いたことがあります。 最近,よくこういうことがあります。 漢字が難しいからと平仮名にしたり,別の漢字を使ったり。 平仮名にすることで意味がわからなくなるので,漢字で書いて振り仮名をつけた方が余程わかりやすいと思います。 情報が漏れることを「情報ろうえい」と書くのではなく,「情報漏洩(じょうほうろうえい)」(←「ろうえい」だけでも可)と書く,などです。 何でも「難しいから平仮名にする」と余計に意味不明,漢字も読めない・書けない日本人が増えるだけです。