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アンケート 個と公
昨日、田原さんが筑紫さんと、西部さんをまじえて、戦後60周年企画として「私たちの戦後は間違っていたのか」というタイトルで討論番組をやっていました。 内容をここで細かく紹介する事はできませんが、おおむね下記の質問になると思います。 1.個人は国よりも大切 2.国は個人より大切 あなたはどちらでしょうか?
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No.3 の方が答えている通りで、この二者択一がそもそも問題設定としておかしな話ですね。 国家システムとしての国という切り口は別として、人々が集まって運命共同体を形成した集団としての国という切り口の場合、個人と国家は切り離してはどちらも生存できません。 すぐ隣に自国民を拉致したり弾道ミサイルの照準を合わせている国があり、国があってもまともに対抗できていない状態で、個人がそれに対抗していくことができると思いますか? たとえば拉致されて終わりでしょう。 このような二者択一の枠組みでものごとを考えること自体が、滅びへの道です。
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- M0FUM0FU
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大多数の個人を守るためにいくらかの個人を犠牲にすることは国を個人より重視していると言えるのか。それは犠牲になる個人よりもより多くの個人を重視しているだけではないか。 そういうことを私は言っているし、後から同意している人も似たような内容を言ってるんだと思います。 国が個人を犠牲にすることは必ずしも国家(政権とか体制と言い換えるべきかな)を守るためではなく、国家の守るべき多数の個人を守る選択のためかもしれないわけです。よって公か個かの二元論じゃないですね。択一で守れる個人の多寡の問題です。
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- d-drop
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こんにちは。 1ですね。 私は、「国家」とか「政治」とかは、個の争いを最低限にし、協力し合うことによって生じる利益を最大限にするため、集まったのが、「国家」の原型と思ってます。 『老子』の世界に近いかも。 だから、その国家が、「個」を犠牲にせざるを得なくなる、なんていうのは論外で、そうなった段階で、「国家」の存在意義は消滅します。 もちろん、現状の「国家」はそれとかけ離れているでしょう。国家のために個人が犠牲になるなんてことは枚挙に暇がない。 私がここで書いたことなど理想論にもならないかもしれません。 でも、nakata-sanさんの質問を拝読する限り、現状云々でなく、原理原則としての国家観を要求されていると勝手ながら解釈したので、書かせていただきました。 この点を外しては、現状追認になるばかりです。 ご参考になれば。
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- Sombart
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> ということは、Sombartさんのおっしゃることは、2.の回答になると > 思うのですが…? なりません。二者択一で捉えることが間違いだと、何度も述べている通りです。 > いずれにしろ、私たちが国家と言うものを必用とし、大多数の利益を > 優先するなら、おのずと答えは2.に成るかと思います。 なりません。二者択一で捉えることが間違いだと、何度も述べている通りです。 > 二者択一をせずに国はどの様な判断ができるのでしょうか?もしくは > 他にどのような判断基準があるのでしょうか? あるときは 1 にも見え、あるときには 2 にも見えるでしょう。 が、見えるだけで、1 だの 2 だのの一方に規定されるわけではありません。それが、二者択一がおかしいという意味です。 ブラックホークダウンという映画をご存知ですか? 敵対的な地域に墜落したヘリに乗る数名の兵士を救出するために、十何名もの兵士が犠牲になる作戦が行われる話です。そして、作戦開始時点で、そのリスクは判明しています。 プライベートライアンという映画をご存知ですか? ライアン二等兵1人の命を救うために、何名ものアメリカ兵が犠牲になる作戦が行われる話です。そして、作戦開始時点で、そのリスクは判明しています。 当たり前ですが、救出される兵士は、国民です。個人です。それを救出に向かう兵士の人数の方がはるかに多いのですから、これは国が犠牲を出して個人を救う行為です。が、同時に救出に赴く兵士たちも、国民です。個人です。それが国が実行を決めた作戦に従って命を落とすのですから、国のために個人が犠牲になる行為です。 これは、ほんの一例ですが、同一のできごとに 1 の要素も 2 の要素もあるということです。 端的に言えば、あなたはものごとを単純に見すぎています。 だから、二者択一という構造で捉えてしまい、そのためにいろんな大切なものを切り捨ててしまうことになり、その結果として現実から遊離した結論を導いてしまっています。 > もし国家が判断していくなら、やはり個人の犠牲が伴うのではないで > しょうか? 伴います。当然のことです。 誰も、個人が犠牲にならないなどということは、言っていません。
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- Sombart
- ベストアンサー率16% (45/267)
> 確かに、二者択一をせずに生きていけるならそれに越した事は > ないのかもしれませんね。 いえ、私が言うのはそのような意味ではなく、質問にあるような二者択一の構造で事態を捉える考え方がおかしいということです。 > No.3さんがおっしゃってるように大多数の安全を守るために少 >数を犠牲にすることが、国が決める事が可能なのかと言う事にも >なると思います。 可能かどうかという話ではなく、それを決めることが国の仕事の一つです。この点に、議論の余地はありません。 なぜ、ユダヤ人がイスラエルという国にこだわっているか、分かるでしょうか。現在の社会において、ある程度の規模をもつ文化集団が他の国家と対抗するには、国という形を作る以上に効率の良い方法はありません。仮にあるとしても、少なくとも人類は未だにそれを知りません。それ故です。 だからこそ、個人を犠牲にしても国という運命共同体を守るという選択が行われてきたし、これからも行われるのです。具体的には、たとえば戦争という状況下で、誰をより大きな死のリスクに晒させるのかを決定してきたのは、そしてこれからも行うのは、直接には軍ですし、間接には軍を動かす政治、すなわち国です。 その仕事を、「決められない」といって放棄したとき、運命共同体に属する人々は、ほぼ全員が高い死のリスクに晒されることになります。だからこそ、せめてもの手段として、運命共同体を代表する個人や組織が、その仕事を行うのです。
補足
ということは、Sombartさんのおっしゃることは、2.の回答になると思うのですが…? いずれにしろ、私たちが国家と言うものを必用とし、大多数の利益を優先するなら、おのずと答えは2.に成るかと思います。 二者択一をせずに国はどの様な判断ができるのでしょうか?もしくは他にどのような判断基準があるのでしょうか? もし国家が判断していくなら、やはり個人の犠牲が伴うのではないでしょうか? これは、戦争ではなくても、日本の国益を優先し、子孫に1000兆円の債務を負わせるのか?と言う事など、日本の社会全て関わってくると思います。
- M0FUM0FU
- ベストアンサー率13% (32/235)
前提としては個人が最も大切です。 しかしながら個人を守るための国家と言う性格があり、場合によって個人よりも優先することもあります。例としては、イラク人質事件。あの時、ある意味で見捨てる可能性も視野に入れていたのは、もし「なんでもしますから、人質を帰して」とやっていたら、次に何か要求があるときも他の日本人を引っ張ってくればいいと思われると考えたからです。 以前命は地球よりも重いと言った方がいましたが、現状では地球無しに命は存在できず、命のない地球に価値を感じないので、妙な考えだと思いました。それと似たようなものだと思います。人が大切にされない国は意味がないですし、国は個人個人が大切にしなければ存在の価値がないです。 こう考えてみてください。屋台でラーメンとどんぶり、どちらが重要かと言われてもラーメンとしか言えません。ラーメンを食うためのどんぶりですから。しかしどんぶりなしでラーメンを維持できるのか。当然無理でしょう。 私は自分以外の個人のことを考えると、一概に1だとはいえません。
補足
そうなんです。悩ましいのは、大多数のために少数を犠牲にする覚悟を、国がもつべきなのかどうか、と言う問題にもなると思います。 確かにどんぶり無しではラーメンは食べる事ができないので、国が優先され(多くの国民が優先される)という選択肢もでてくるわけですね?!
- domaine-espoir
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こんにちは。 1です。 なんだろ、すごく直感的なのですが、 人がまったくいないと、 どんな国も存在しないだろうとおもうからです。
- reny
- ベストアンサー率32% (81/252)
1.個人は国よりも大切 です。 大切に思われるに値する国を作り、次代へ引き継ぐことは大切ですが、その場合の国は、「文化」「風土」であって、必ずしも時代に合わなくなった「制度」「政権」、ましてや「既得権益」ではないはずです。 愛国心を声高々に唱える人の大半が後者で、文化や風土に対する理解度が低い人に多いように思われます。 国のために個人が存在するのではない、という意味で、1.を選びました。
補足
2.の意見は戦後アメリカの統治で「自由」「平等」と言う考え方から、個人が何よりも大切と言う風潮が生まれ。自分の権利をむやみに主張する個人主義が生まれたようです。 そのために公共心が欠如し、さまざまな社会問題を引き起こしていると言うことみたいです。 2.の発言は日本の伝統や文化を重んじ公共心を持った日本人を育成しないと日本は滅びるぞーという事みたいです。
補足
確かに、二者択一をせずに生きていけるならそれに越した事はないのかもしれませんね。 ただこのような問題点が上がって来たのは、戦後60年の日本の政治をどう総括するかと言う事なんだと思います。 すばらしい個人の集合をめざしていく事でよい国にながるのか、伝統・文化を含めた国という枠組みを持つ事でよい国民が生まれていくのかを考えていかないと国というものが何かと言う事も分からないと思います。 No.3さんがおっしゃってるように大多数の安全を守るために少数を犠牲にすることが、国が決める事が可能なのかと言う事にもなると思います。