- ベストアンサー
日本は中国の属国だった??
昨日、やしきたかじんの討論番組で中国に詳しい方が出てこられて、「日本は昔、中国の属国だった」という発言をされていました。 「嫌韓流」の漫画でも、「日本は昔、中国の属国だったんだけど・・・」って記載がありました。 日本は他の国の属国になった歴史はない!と思っていましたが・・・そんな歴史が本当にあったんでしょうか? ご存知の方は教えて頂けないでしょか?
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
「属国」という概念が、近現代のような主権の一部が宗主国に制限されている国というイメージでとらえてはいけません。現代的に見れば、同盟国に近いようなニュアンスです。古代の和の五王や遣唐使、日明貿易は朝貢貿易の形ですが、それをもって即、「近代的な意味での属国」であるととらえるのは早計でしょう。 ですからその発言者が属国という言葉を、どのような意味でとらえているかが問題です。No.1さんのように、「日本は敗戦以来、アメリカの属国です」というような、同盟関係まで属国とみなすのであれば、世界中探しても属国でない国は、ほぼ存在しません(つまり、前者の意見が通るなら、戦前の日本はドイツの属国だったという理屈までが通ります)。 「属国」という言葉が、学術的・歴史的意味を離れた、政治的・思想的バイアスのかかった言葉になっていることから生じる混乱でしょうね。
その他の回答 (7)
- sudacyu
- ベストアンサー率35% (687/1961)
中国の皇帝の統治権に対する考え方について述べます。 天帝(神と考えていいかな?)が地上の統治権を与えたのが皇帝(中国のでは、ないのです。念のため)です。つまり地上のあらゆる場所の統治権を持っているのです。 そして、地上の中央に皇帝の直接治める地域(中央の文化の華咲く国、つまり中国です。)があり、周辺の文化的に劣る地域の人々は、天帝の意思に気付かないまま、野蛮な生活をしているとの概念です。 実際日本が弥生時代であった頃、中国では統一国家が出来て官僚機構も整備されており、その頃の現実をそのまま観念化したものです。(ヨーロッパ人が、アメリカ大陸の存在を知ったものの、その正確な位置や大きさがまだ分からなかったとき、ローマ教皇が神の名の下に、ポルトガル・スペインにその土地の領有権を与え、国境を決めたのに比べれば、ずいぶん良識的と言えるでしょう。) その後、周辺地域にも国が形成されるようになり、中国のハイテク技術が欲しいそれらの国の支配者が中国に部下を派遣してくるようになりました。 そこで追加された概念が、「野蛮な生活をしていた人々が、文化程度が高くなって、天帝の意思に気が付いて、皇帝の元にやってくる。」というフィクションです。 外国人がやってくるのは現実ですから、裏付けを付けてノンフィクションにしなければなりません。 そのために、中国皇帝は周辺国から贈り物として持ってきた物の何倍も高価なものを、大量に持たせて返すことを制度化しました。これが朝貢貿易です。 ですから、朝貢貿易の「貿易」とは名ばかりで、経済価値で見るなら中国側の一方的損失なのです。 しかし、中国皇帝にとって国防費をかけるよりは、経済援助を行なって中国的考えをする地域を拡大する方が、安全保障上は得策と考えました。 「あなたの地域が中国の統治権の下にあることを認めるなら、経済援助をします。自治権については一切関与しません。」 この中国の外交姿勢に対し、日本の支配者は何度か経済援助欲しさに、中国の統治権下にあるということを認めたわけです。 足利義満も日本国王を自称して、この経済援助を受け、足利幕府は全盛期を迎えましたが、天皇より任命された幕府将軍の立場との矛盾で、彼の死後の幕府体制は混乱しました。 中国側が自治権については一切関与しなかった為、日本人の大多数は、「建前上現在は中国の統治権下にある。」など、気にも留めなかったでしょう。
補足
中国の自国の安全保障のための貿易だったんですね。 貢物をしただけで、どうして高価な宝物が返ってくるのか疑問に思っていましたけど、納得できました。 ご丁寧にありがとうございました! 中国側が自治権については一切関与しなかった為、日本人の大多数は、「建前上現在は中国の統治権下にある。」など、気にも留めなかったでしょう。 ↑え?現在もですか?
遣唐使・遣隋使の頃の朝貢貿易の内容でしょう。
お礼
ありがとうございました。
"ありがとうございます! お尋ねですが・・・「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」ってどういう意味なんですか?" この文章は聖徳太子が書いた手紙の、読み下し(日本語)文ですよ。日本史の教科書をお読みになれば必ず、引用されておるはずです。 ”日出づる処の天子~” 日本は中国の東に位置していますね。 ”日没する処の~”、したがって中国は日本の西にあり、日本から見れば、太陽が沈む方向にあることになります。 当時、中国は、自分以外の国を下等国と見下し、貢物をよこさないと付き合わない、寄越せば特別に付き合ってやる というような態度でしたよ。 これからは、私個人の考え方かも知れませんが、”日出る処”すなわち、”そちらより下ではありませんよ”、”日没する処のあなたの国だってあまりたいしたこと無いでしょう””だから、付き合いは対等ですよ” と言うように読めるのですが。日本史をちゃんと読みましょうね。私は、漢文の教科書で読んだこともありました。
お礼
ありがとうございました。 教科書に引用はされていましたけど、意味までは載ってなくて。。助かりました。
- tojyo
- ベストアンサー率10% (117/1066)
日本史で有名な金印といえば「漢委奴国王」がありますね。 解釈としては「漢の倭(委)の奴(な)の国王」と「漢の委奴(いと)の国王」と読む説があるようですが、どちらも「漢の」が付きますよね。 当時は、中国皇帝は周辺国の君主を対外的に臣下として服従させ、皇帝よりも位の低い「王」の官位を与え中華世界の一部として国を統治することを認める文書(この文書そのものを冊封と呼ぶこともある)を発行し、封建的な関係を結ばせていました。この冊封によって中国皇帝の(形の上で)臣下となった君主の国のことを冊封国といい、日本もそういった冊封国のひとつでした。 607年、遣隋使(小野妹子)が持参した国書にある記述「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」は、この冊封体制からの自立を意図したものだと解釈されていますが、中国との交易を維持するため朝貢し、冊封を受けています。 その後も、南北朝時代の懐良親王、室町時代の3代将軍足利義満が「日本国王」の冊封を受け、室町時代が終わるまで、朝貢・冊封は続けられています。 冊封は「中国の属国である」というよりも、「中国が国として認めた」と言う意味合いです。だから日本は歴史上ずーっと独立国です。
補足
ありがとうございます! お尋ねですが・・・「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」ってどういう意味なんですか?
- ipa222
- ベストアンサー率20% (903/4455)
朝貢することは、属国になることとは違います。 ある国を支配する人は、中国に貢ぎ物をもってゆくと、中国の皇帝から役職を与えられます。 それは、自分の国では非常に箔がつくので、国内の基盤が強固になります。 日本は天皇を立てて、独自にお墨付きを与えるような仕組みを取っていました。 古朝鮮に逆に朝貢に来るようにさせていた時代もあります。 ですから、日本の天皇制が続いた理由は、中国に朝貢しなくてもいいからということもあるかもしれませんね。 天皇制をやめていたら、権力者はその権力を中国に認めてもらわなくてはならなかったわけですから。 日本は、義満が朝貢して日本国王を名乗りましたが、属国になったわけではありません。 お隣の朝鮮(北朝鮮)は、今でも中国の許可を得ないとトップも変えられません。今でも朝貢をしているようなものです。 では北朝鮮は属国かというと、おそらくみんなはNoというでしょう。
- o_tooru
- ベストアンサー率37% (915/2412)
朝貢外交のことを言っているのだと思いますよ。 http://ken-san.at.webry.info/200510/article_4.html あんまり 良いサイトが見つかりませんでしたが。
お礼
ありがとうございました! サイト読んでみました
- g6200
- ベストアンサー率43% (88/202)
中華思想といって、昔は中国が文明先進国だったから他の遅れた周辺国が、中国の皇帝様に貢物をして、忠誠を誓い、その代わりに中国の皇帝様が褒美としてどっさりと宝物をくれたのです。こういう周辺国のことを朝貢国というのです。でも中国の皇帝様はその国の政治に口を挟まないので属国とは言いません。 日本は邪馬台国のころと、いわゆる倭の五王と言われた古代と、足利義満の時代に中国に朝貢したことがありますが、朝貢国としてであり、属国になった時代は一度もありません。 ちなみに日本は敗戦以来、アメリカの属国です。
お礼
的確なご回答ありがとうございます! でも、現在はアメリカの属国になるんですか? 日本はやっぱり属国になった歴史はない! と納得したところなんですが・・・
お礼
そうなんですね。 属国っていうと・・どうも朝鮮半島が中国の属国だったイメージが強すぎて、混乱していたようです。 ありがとうございました。