- ベストアンサー
語学のセンスがいいとはどういうこと?
思いっきり、過去に同じ質問があります。 でも、それに飽き足らず少しでも多くのことを 知りたいので、あえて質問いたします (過去の質問と回答が不満だというわけでは ありません)。 なんでも結構ですのでよろしくお願いします!! 過去の質問のアドレスは以下のとおりです。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=668032&rev=1
- みんなの回答 (11)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。私は翻訳者です。 と言っても、まだまだ未熟な翻訳者なのですが。 語学のセンス。私は、英語と韓国語と日本語の翻訳を主に取り扱っていますが、みなさんの意見のように「母国語」が大変重要だと思っています。 なぜかというと、英語や韓国語にある表現(他言語も含め)が日本語に無い場合があるからです。 最近は外来語として、そのまま使う場合も多いようですが、翻訳者はそれをいかに日本語らしく純粋な日本語で表現するかが試されます。 それと何よりも語学に対する意欲が重要ではないでしょうか? 語学のセンスとは、環境と個人の意欲により創られる物ではないかとも思います。例えば、フランスにいればフランス語が上手くなることは可能ですが、普段に使われる言葉以外の言葉を学ぶには、環境以上の何かが必要だと思います。 また、音感はとても重要です。聞き取れるという事は、その単語を発音する事ができるという事です。逆に、聞き取れないとその発音もあいまいになりがちです。 発音が上手い人は語彙力のある人よりも、その言語に長けているように見えますし、そういう人を指して「語学のセンスがある」と思っていらっしゃる方も多いのではないでしょうか?(私もそうですが) 日本語のように母音の少ない言葉を話していると、他言語に使用されている母音が聞き取れない場合があります。留学したり個人的に訓練する事により、この部分をしっかりマスターして行けば、発音が整い、語彙力がついてくるのではないかとも思います。
その他の回答 (10)
こんにちは。私は専攻でスペイン語を勉強しました。今は、スペイン語圏内の大学で日本語を教えています。幸運にも韓国語も学ぶ機会があり、そちらも少し勉強しました。声を大にしては言いにくいですが、英語も少々。いろんな国に滞在したり、いろんな国や他言語と接している人と知り合ったりした経験から少し。 あたしなりの語学センスって言うものを考えてみたところ、詳細は色々あるけど、その言語(およびその背景にあるもの)を受け入れる、理解するっていう作業に、全て繋がるんではないかと思いました。人間関係みたいな感じで。 語学を勉強するのには、それを習得した後に”何”かがあると、上達が早いと思います。その国の人と話したいとか、その言語を使ってやりたい勉強があるとか、その歌が何を言っているのか分かりたいとか。そういうのを固定概念を除けて受け入れられる人(理解したいと思っている人)は”センス”というのが磨かれていくのが早いと思います。もちろん、そういう面で、子供や多言語を必要とする国の人、一度何語かを習得している人はそういうものを知らず知らずのうちに、または故意的に身に着けていると思います。 例えば、子供は、言語に限らずなんでも吸収しようとしているので単語なんかでもその子の生活環境に必要ならば多言語でもすぐ覚えてしまいます。(両親の言語が違う時、または家庭内と学校での言語が違うなどの時こういうことが起こる。)反対にずっと母国語(方言も含め)で生活している人、更に長年同じ生活を繰り返している人、は、一般に言うように頭が固まっているので、新しく入ってくるものがなかなか浸透しにくいと思います。それでは単語覚えるのや、母国語と全く違う仕組みの文法を持つ言語などを理解するのには苦労します。 そして、多言語を必要とする国の人は、他言語の特質やその言語を話す人達の文化受け入れるのに慣れているでしょうし、更に会話中心で他言語を使用するのなら耳もいいと思います。一度何語かを習得している人は、一応の言語のかたちが分かっているし、自分なりの学習法も知っているので新しい言語を習得する時は初めて他言語を習う人より早いし、回りに”センスがあると言われるかもしれません。全く自分の頭の中に無いものをどうやって飲み込むかっていうことを知っているからです。例えば、自分の頭の中にある似たものに結び付けて考えたり、特に深く考えずに、それはそうなんだと思い込んで当言語話者の真似をするとか、追求しまくってその言語の話者も知らない理論を知って納得するなど。これは他言語拾得者でなくても、母国語の文法などに精通してると、大人の場合いくつか同じようなことが言えると思います。それは人間が使っている言語は全て同じ”かたち”をしているからです。もちろん文法や表現方法に違いはあっても、どんな言語を話している人でも、生物学的に見てみんな同じかたちの脳を持つホモ・サピエンスですから、そこから発される思考回路やそれを表現する言語が同じかたちって言うのはうなずけます。(宇宙人が見たら、地球上の人間って言う生き物は同じ言語を話してるって思う、って言う話を学者さんかなんかが言ってた。)それらの微妙に違う他言語を、自分の周りの人を理解して受け入れて、うまくいかせる人間関係のように操ることができる人が、語学センスがあるって言われてる人じゃないですかね。 長くなりました。すいません。
お礼
ご回答をくださった皆さんへ: これほどにまで、質量ともに充実した 答えがいただけるとは思いませんでした。 また、皆さんの外国語への熱い思いまでが 感じられました。ありがとうございます。 当分、締め切らないでおこうと思いました。 さらなる書き込みを楽しみに待っています。
- noelle
- ベストアンサー率21% (60/279)
わたしはフランス語の教師ですが、英語も日常会話程度は不自由しません。(先に住んだのがアメリカ) で、語学のセンスはあるほうだと思いますが、まずは音感でしょうね。聞いたり発音したりが困難ですとなかなかうまくいきません。文脈、場面などから想像して、知っている単語と結びつける力が、一種のセンスと言えるでしょう。 それから学生さんの(簡単なものを含めて)作文などは、教科書に使われている表現をうまく利用する人はセンスがあるな、と教える方は思いますね。せっかく良い表現が載っているのに、わざわざ和仏などを引いて不適当な文を書く人が結構います。日本語にとらわれすぎていたりするのでしょう。ですから、外国語では、ある場合にはこういう風に言うのだ、と受け入れられることがセンスとも言えるでしょう。 なにしろ、西洋語は文法もぜんぜん違うんですから。日本語には時制もほとんどありませんよね。センスを持った人が努力して、だんだん上達するのだ、という風にわたしは思います。
お礼
自分の経験なんですが、和英だの難 しい文法書を大変熱心に読みはじめ、そ の結果作文のときに「怖く」なって しまってうまくいかなかったことが あります。変に知識を増やしてしまって、 その知識に縛られたんですね。
- seppi
- ベストアンサー率22% (11/49)
私は以前講師をしていました。国語も英語も教えていました。まず、その観点からいくつか。 国語が得意だからといって英語も得意とは限りませんが、国語が苦手なのに英語が得意ということはまずありえません。母国語の語彙力自体が外国語の習得に大きな影響を与えます。例えば抽象名詞は、母国語で意味が分かっていないとそれに相当する単語を外国語で使えるはずがありません。 発音も文法も日本語を元にして考えている人は、伸びが遅いです。 単語を覚えるのが苦手な人は、覚える際に何も工夫していません。棒暗記には限界があります。 この逆を行っている人がある程度センスがあると言えると思います。 私はいろいろな国の人と積極的に接するように心がけています。いろいろな外国人と接してみて思うこと。 外国語の習得には、興味と忍耐力が必要なものだと思います。これをもっている人がセンスのある人と言えると思います。 英人や米人は、ほとんどの場合、英語しか喋れません。マルチリンガルなんてお目にかかったことがありません。日本語をカタコトで喋っても発音はよくないです。どこに行ってもたいてい英語で通ってしまうため、外国語そのものに対する興味があまりないからだと思います。 対して、ヨーロッパの人は、マルチリンガルもそれほど珍しくありません。これは環境によるところが大きいです。西欧は西欧で、東欧は東欧でその国周辺の言語が似ているため習得が非常に容易なのです。 あと、アニメオタクの外国人はアニメ用語(もちろん日本語)に異常に詳しかったりします。これは興味そのものが非常に強いためでしょう。 ちなみに、私は簡単な挨拶程度でしたら10ヶ国語ほど使えますが、必ずといっていいほど発音がよいと言われます。発音のために何か特別なことをしているわけではありませんので、これは音感の問題だと思います。音楽が大好きで英語に限らず聴いています。 まとめてみると、英語、日本語、中国語、ロシア語などお互い似ていないバラバラな複数の言語を自由に操れる人が本当にセンスのある人だと思います。私もそうなりたいと思っています。
お礼
実話かどうか不明なのですが、日本で何かの 外国語を研究している大学の先生が その国に滞在したところ、ホテルの清掃のおばさんが 何ヶ国語をも自由自在に操るので唖然とした そうです。
その過去の質問を出したのは私です。今は事情があってIDを変えてしまいましたけど。 さて、私は少し違った視点から考え直してみようと思います。母国語の能力はある程度平均化している面もありますが、それだって個人差があります。語彙が乏しい人、方言しか話せない人、敬語も含めて正しい言葉遣いが出来ない人、書けない漢字が多く 文章を書くのも苦手な人、吃る人など、日本語を取っても苦手な側面を持っている人は少なくありません。外国語だとそれが何倍にもなって現れてしまいますね。簡単な英語すら分からない人もいれば、何ヶ国語も自由に操れる人までいます。つまり、母国語の段階で語学のセンスと言うものは発揮されるが、学校での国語の成績が必ずしも語学的センスを計る目安にはならない部分があります。 それと、語学もスポーツや楽器など他のお稽古事とも通じる部分があります。つまり、素質に負う部分もあるが、努力を重ねなければならないことです。例えば一流のスポーツ選手や楽器演奏者ほど「基礎」を大事にするものです。野球だったら素振りを何百回もしたり、何キロも走ります。でも、こういう練習は退屈で辛いものです。語学も少し似ていて、特に中国語なんかは発音が大事ですから とにかく発音を徹底的にマスターしなければなりません。ところが、会話帳みたいなものを使って漢字である程度意味を推測して、漢字にカナを振って簡単な日常会話の暗記から始める方法では役に立ちません。要は物事の真骨頂は基本にあり、語学も然りということです。料理にしても板前になるには いきなりレシピーを見て料理を作るのではなく、最初は皿洗いから始めるわけです。 それと、ご質問とは関係があるものの 少し趣旨がズレるかもかもしれませんが、「順序」というものも大事だと思います。よく、まだ日本語もロクに話せない幼児に高価な英語の教材を与える親御さんがおりますが、これは意味がないと思います。日本語で「右」と「左」をまだ混同する段階でrightとleftを覚えても余計に混乱するでしょう。スピードスケートに例えるなら、まだ歩く前から氷の上で遊ばせて早くから氷に馴染ませても、駆けっこで鍛えた子供に どんどん追い越されてしまいます。 それと、もう一つ大切なのは「油断をしないで更に上を目指す心」です。というのは もっと遅く、小学高学年あたりから英語を習わせると 中学から始める英語も出だしはスムーズですが、油断しているうちに どんどん分からなくなるという現象も少なくありません。この順調な駆け出しのアドバンテージを生かすには、学校で習っていることよりも更に上の勉強を予習したり、現在習っていることを発展させることです。 最後に、これは何事にも言えるんですが、目標は少し高めに、ただし、高すぎてもダメと言うことです。 取り留めのない文章になってしまいましたが、少しでも参考になれば幸いです。
お礼
本当にそうですね。 参考になります!!
5番のafter_8です。 母語との関係について書き忘れましたので付け足します。 これまた受け売りですが、 『外国語が母語以上にうまくなることはない』 これ読んだとき、それはそうだな……と私は思いました。 例外あるかどうか分かりませんが、まあ普通はそうですよね。 では日本語で文を書くのがうまくなかったり、文意を読み取る力がなかったり、語彙が少なかったりしたら、外国語では…?
お礼
>では日本語で文を書くのがうまくなかったり、文意を読>み取る力がなかったり、語彙が少なかったりしたら、外>国語では…? まったくたいしたこと無いんでしょうか。 そのような気がします。・・・穴のある、反論が いくらでもできそうな主張のようにも思いますが、 やはり日本語力は大事。
私は「語学のセンス」と聞くと、非常に感覚的なものを思い浮かべます。 言葉に対する生来の感覚の良さ。 特別そのようなものがなくても、努力すれば誰でもそれなりのレベルまではできるようになると思いますが、「どのくらい苦なく習得できるか/すごく苦労するか」「どこまで行けるか(伸びるか)」は個人差があると思う。 スポーツや音楽と同じで。 国語が得意な人のほうが外国語を勉強しやすいと聞いたことがあります。 また、母語がしっかりできているほうが良い、と聞いたこともあります。 言葉が好きだったり得意な人は、習うときに微妙なニュアンスの違いにも敏感だし、読解力もあるでしょう。 日本語で言ったら、「てにをは」の使い方だけでも微妙な違いができたりしますよね。そういうのを説明されて理解しやすいとか。 また、学習する場合は母語と比較しながら理解したりもするし、相対的・客観的に理解するには、土台(母語)がしっかりしているほうが良いのだと。 逆に、外国語を学ぶからかえって日本語のことを考えるようになるというのもありますが。これは、海外に出たり外国人と付き合うと日本のことや日本人としての自分を考えるのと似ているのかもしれない? 私はどの程度センスがあるやら分かりませんが、語学勉強が苦痛でないことはたしかです。 また、数字を覚えるのは大の苦手だけど、「ありがとう」という意味の言葉(だけ)なら8カ国語ぐらい覚えてます。 『数字と計算はまったくセンス無し、それよりは語学のほうがセンスある』と言えるのではないでしょうか??
お礼
「苦もなく」外国語を操る人、いますよね。 もう正直言って自分がみじめです。うう 近寄りたくない。
海外在住です。 何を求めるかによるとは思いますが、母国語のセンス、これも大切だと思います。 たとえば日本語で文学的、詩的な表現に感動したり、共感できる感覚がない人は、外国語でもやはり無いと思います。 後は想像力かな。最初の頃、分かる単語が5パーセント、分からない単語は、想像でまかなっていました。勿論、机上の勉強なら、その場で辞書を引けばいいのですが、会話の場合にはそうはいきません。想像力を働かせるしかありません。 そうこうしているうちに、耳に残る単語が出てき始め、家に戻ると辞書で確認。 その繰り返しでした。面倒がらずに辞書を引く、これはセンス、とはいえませんが、苦になる性格の人得にならない性格の人では、差が出てきます。 自分が完全でなくとも、臆さずに会話に参加していく度胸と間違える事を気に病まないアバウトさ、コンスタントに分からない事、間違えた事を突き詰めていく几帳面さ、その共存かな。
お礼
ベースとなる日本語(もしくは母語)ってどう影響 するんでしょうかね? 面白い疑問だと思います。 >自分が完全でなくとも、臆さずに会話に参加 >していく度胸と間違える事を気に病まないアバ >ウトさ、コンスタントに分からない事、間違 >えた事を突き詰めていく几帳面さ、その共存かな。 うん。 二面的なもの、相反するものをどちらも忘れず 保っていくこと。 そうですね。 自分にも少し見えてきたかな。
海外在住です。語学センス、確かにそういうものが存在しますねー。 簡単に言うと、記憶力、社交性、音感の良さ、この3つが優れている人は上達が早いと思います。音感の良さは発音に関してのみですが、これが加わる事によってきれいな発音が出来るのだと思います。 日本人が同じ期間留学していたとしても、社交性のあるなしでは、上達度が全然ちがいますよね。日本語でもあまり話さない性格の人は他の言葉になっても話さない、ですよね?言葉は机の上の勉強だけではなかなか上達しないし、やっぱりこの3つが揃っていれば「語学センスがある」と言えるのではないかな?と思います。
お礼
>記憶力、社交性、音感の良さ そうですね、とてもいいご指摘だと思います。 やはり頭がいいにこしたことはない。でも、それだけでは 足りない。 性格は、ある意味軽率な、大胆なほうがいいだろう。 これで全部か? まだありそうだ。発音はどうだ? ・・・などどぼんやり考えていたのですが、一言で 言い当てられてしまいました。素晴らしい!!
- yuka_rosinach
- ベストアンサー率37% (26/70)
こんばんは、私は海外長期滞在経験兼留学経験のあるものです。 語学センス・・・たしかに立ち止まって考えると考え込んでしまいます。 warajibakiさんの過去の質問を読んでも100%の同意できないので返答させてもらいます。あくまでも私個人が感じとったことなので参考までに読んでみてください。 私にとって、語学センスというと、聞きづらい音が聞き取れるということも含みますが、それよりも、母国語ではない、しかも文化や風習も違う国の言葉で熟語をいわれたり、ことわざをいわれたときに、ピンと勘でわかるというセンス?能力?だと思います。 私は会話重視の人間だからかもしれませんが、やはり知らない熟語や表現は文化を知っているからこそわかったりするもの。説明してもらうのが正しいけれど、勘でわかってしまうということは、その国の文化や風習を理解し、溶け込んでいるからだと考えられます。そういう意味でも、私は、語学センスというものは、異文化を背景とする言語がいかに理解できるか、だと思いますよ。
お礼
なんというのか、「言語そのもの」と、「言語を とりまく文化風習」ってどちらも外せない 要素ですよね。 ・・・いい表現が見当たらない。どうしたら いいんでしょう。
- Oni-COM
- ベストアンサー率28% (51/177)
こんばんわ! 私、留学していていつも言われていたのが 語学のセンスがいいといわれていました。 というのが(長くなりますっよー) 小学生の時「BEATLES」を初めて聞きはまってしまったんですが 修学旅行の時、バスの中で教えてくれた友達と一緒に歌ったんです。 「Twist and Shout」だったかな。 そしたらやっぱ発音が大事なんだなぁって思って それ以来、ジョン・レノンと同じように歌う為に必至で 練習しました。その甲斐あって、発音はBritishでもAmericanでも どちらも出来るようになりました。また留学先は世界中の学生が着ていたのですが「Oni-COMはスペイン語でもフランス語でも発音、現地人とかわらないな」と言われてました。真似をして声を出すというのが癖付いていたのでしょう。だからこういう部分をセンス(努力では身につけられないもの)っていうんでしょうね。 ちなみに歌はめちゃめちゃ音痴ですよ(笑) だから歌のセンスはまったくありません。
お礼
ありがとうございます。 うん、音感はかならず来る、はずせない要素だと 思っていました。たぶん、音楽で用いられる 音感っていう語とは違っているんでしょうけど。 耳にした言葉をそのまま忠実に再生できる 能力のことなのかな? 「(多少違って いようとも)臆面なく発音してみる」ということも 大事だと思います。いや、これは能力よりも 性格の問題なのかも・・・。
お礼
「やる気最強論」は、たしか岩波新書の「外国語 上達法」にも書いてありました。音感の大事さは いろんな人が言っていたな・・・。 発音がうまい人は、それだけで語学が堪能そうに みえるので、カタカナ英語に両足を突っ込んで いる自分としては大変不満です。(←大変 ひがんでます)