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落語 『近江八景』 で

落語の 『近江八景』のサゲは 「近江八景に膳所は要りまへん」でくくってあります。 確かに近江八景には 膳所 が入っていないので 「膳所=お金」に掛けてあるのは分かるんですが、 「近江八景に膳所は要らない」みたいな言葉が 昔からあってサゲに使われたんでしょうか?

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回答No.3

 もともと、近江八景というのは中国の瀟湘八景になぞらえてつくられたもので(ですから九景である可能性は皆無です)、通説では明応九年(1500年)八月十三日に近江守護六角高頼に招かれた近衛政家が詠んだ和歌がその初出だと言われています。和歌を略して列記しますと、   石山の秋月   瀬田の夕照   粟津の晴嵐   矢橋の帰帆   三井の晩鐘   唐崎の夜雨   堅田の落雁   比良の暮雪 膳所は入ってません。  近江八景に膳所はいりまへん、というサゲは、おそらく「近江八景にはもともと膳所はないじゃないか(だからおれもあんたに銭を払う必要はない。近江八景の話してるのに、関係ない膳所なんちゅう地名を持ち出さんとってんか)」という意味であろうと思います。近江八景に膳所がないのは周知の事実。だからここにも銭は(必要)ない、ということでしょう。要するに近江八景同様琵琶湖畔の代表的な地名であるけれども、近江八景のなかには入っていない、というのが味噌で、これに加えてゼゼという音の響きから、たまたま膳所が選ばれたのではないかと思います。  たしか円生の『掛取り万歳』でも「膳所はなし……」と芝居の声色のところに出てきていました。

horiemon
質問者

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ご回答ありがとうございます。 膳所って全国でも有名な地名だったんでしょうね。 関西にいると他県で有名なのかどうか分かりませんからね。

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回答No.2

 『円生全集』と,それからの引用がある『落語大百科 1』には, 次の文章があります.  「ちきり伊勢屋」 (禽語楼小さん)のマクラに,これ(近江八景)とそっくりな話がある.  ただ,どちらが先なのかはわからない.  円生全集の初版は昭和37年ですが,円生(6),米朝両師匠ともに知らない ということは,原点は歴史に埋もれてしまっている ということになるかもしれません.  回答になっていませんが.

horiemon
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私の勝手な想像なんですけど、昔は近江九景だったのが 膳所が外されえたために「近江八景に膳所は要らない」になったのかと。 『膳所』が地名って知らない人にはサゲが分かりませんからね~

回答No.1

参考URLにある『近江八景』では桂米朝師が演じています。 ネタに忠実な米朝師のサゲも、 「近江八景に膳所は要りまへん」でくくっているところをみると、昔からこのサゲだったと思われます。 ちなみに『兵庫舟』の中の「なぞかけ」の掛け合いのところにも近江八景に膳所が入ってなく、「膳所=お金」に掛けてあるのがありますよ。 ▲今度はわたしがやらしてもらいまひょか「破れ財布に銭がいっぱい」といきまひょか ★こらまた面白おまんなぁ。へぇ「破れ財布に銭がいっぱい」上げまひょ ▲これをもらいますと「近江八景、瀬田の唐橋」とどぉです ★心は? ▲「膳所が見える」とねぇ。 ■聞ぃたか喜ぃ公、おいどっち向いてるねん、こっち向け。キョロキョロすな。お前のためにやってくれたはんねやないか「破れ財布に銭がいっぱい」瀬田の唐橋や、所の膳所が見えたぁる。銭のこと「ぜぜ」言ぅやないか、破れた財布から銭が見えたぁる、ゼゼが見えたぁるやないか。銭のゼゼと所の膳所。こぉいぅ風に掛け言葉やといぅことが分からんかちゅうねん。 他にも『近江八景』を読み込んだ噺は「東の旅」・「掛け取り」などもあります。

参考URL:
http://homepage3.nifty.com/rakugo/index.htm
horiemon
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私も米朝の落語でのサゲになっているので 色々調べてみたんですが分からなかったんです。 「ぜぜ=お金」でサゲの意味は分かるのですが、 「近江八景に膳所は要りまへん」って言葉は 何かの引用なのかなと思いまして。

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