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科学の定理
全く素人な質問ですみません。 自然科学の定理・法則は絶対的な真理なのでしょうか?
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真理という言葉の定義は哲学に関わる領域と考えますが、 現在わかっている自然科学の定理や法則はある前提条件(いわゆる公理系のようなもの)の上に成り立つものであり、 このように諸条件を満たしてはじめて導出される論理や、仮説と現実との整合というのは相対的な原理に過ぎず、 真理という概念とは区別して解釈すべきものと考えます。 例えば、ピュタゴラスの定理や平行線が交わらないというのはユークリッド系を前提とするものであり非ユークリッドにおいては成立しません。 このことは屁理屈ではなく、むしろ現実の宇宙は後者に近い(空間が屈折してる)のではないかと想像されます。 20世紀初頭にヒルベルトという数学者が数学の正しさを証明(数学だけは絶対に正しい)しようとして全世界の数学者に呼びかけましたが、 当時若かりしゲーデルによって証明されたことは、完全な証明を持つ論理体系はそれ自身でその前提を(=公理、無矛盾な体系以上に確実なものによって)証明できない、ということでした(第二・不完全性定理)。 古来数多の哲学者が真理というものを模索してきましたが、存在そのものの本質、いわゆる根本的な成り立ち、つまり考えの支点(出発点)がそもそも何であるのか未だわからず、現代哲学では真理が手垢の付いた言葉になってしまってて、様々な仮説が氾濫したまま保留されてます。 ようするに何が真理であるのかそれを証明する方法はなく(人類が未だ知らないだけなのか永遠に証明不可能なのかわかりませんが)、科学原理は常に覆される可能性を孕んでいますので絶対的真理とは呼べないと思います。相対的な真理として、暫定的に、捉えることはできると思いますが。 じゃあ絶対的な真理なんてあるのか。この世は秩序よくかつ芸術的に創られていますので、私はあると信じてますが、それと同時にそれを科学的・数学的に証明する方法は永遠にないかもしれない、と考えてます。 絶対など存在しない、とよくいいますが、それならば根拠がないことを以って「絶対ない」とも言い切れないとむしろいいたい、矛盾です。 私は画家を目指してる人間ですので、すごくアバウトに納得してしまってるかもしれないのですが 笑 しかしそもそもフッサール現象学らによると我々が知っていると呼ぶ事柄はすべてそれらを"共有して確信してるに過ぎない"そうです。 ですので解釈は多様にあるものの、やはり(絶対的)真偽・正邪は "あるものでなければならない"、と考えます。
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- First_Noel
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「真理」とは何かが問題になろうかと思いますが. 単に「いまある体系に対して無矛盾な表現」と言うだけです. 科学をやっている人間ならこれは認識されていることで, むしろ科学を真理だと捉えるのは,それを否定したい人達に多いように思われます. 例えば「エネルギー」なんてものは,概念としては不可欠ですが, 実際にそれが「存在する」とは言えません. 何か知らないが法則を律する何かがあって,それをマクロで捕らえると 「エネルギー」と言う概念が出て来る,と言う一表現方法です. つまり,エネルギーすら真理とは言えないものなのです. 勿論,いまある体系に無矛盾なだけですから,将来,矛盾の生じる 新体系が発生するかも知れませんが,ご安心,科学と言う考え方は, 厳密なルールに則って,自身を自己修復する機能を有しているので, 再びまた,そのときの体系に無矛盾な体系を形成することでしょう. この「自己修復」は,ある特定の領域との矛盾を無視したり, 捻じ曲げたりして行われるのではなく,厳密なルールに則った徹底的な批判を 乗り越えて行われます. 自然科学とは,神の御業を垣間見ようとして,そのものを表現できなくとも, 人間のとりうる表現形態で表現しようとしているものだと思います. 例えば,新聞や雑誌の写真は点々の集まりですが, 遠目には写真に見えます.それは写真そのものではないものの, 同じもののようにも見えます.でも写真と同一のものではありません.
- Kon1701
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現在ある定理/法則の中には、正確に言うと正しくないものもあります。 ニュートン力学は、速度が光速に近くなると当てはまりません。ですが、日常の運動の範囲では十分適用できます。 最終的にすべてを包括するような定理が存在するかもしれません。が、現時点ではまだのようですね。
- kaitaradou
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ある前提を立て、その上に何かを構築していくとき、いろいろな意味での整合性がなければその体系は成立しないと思います。自然科学の場合にはその前提を模索するという逆向きの構築が行われているので究極的な前提を絶対的真理と考えたくなるのではないでしょうか。また絶対とか相対という言葉の代わりに全体的あるいは部分的というほうが自然科学の場合には実態に即しているのではないかと思います。私は、人間が究極の前提というものが存在していても、その全体を知ることはおそらく不可能なのではないかと思っています。この意味で自然科学の法則というものは絶対的真理などではないと思います。
- ftomo100
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「絶対的な真理」という言葉には少し抵抗があります。なぜならば、それは誰にも観測不可能だからです。 自然科学の定理・法則は、実験などの経験則から導き出されたものがほとんどで、理論はそれを裏付ける為にあります。その中には、間違いないだろうといわれるものもありますが、後年に科学が発達して否定されるものもあります。 したがって、厳密な意味での「絶対的な真理」は存在しませんし、自然科学の定理・法則は「絶対的な真理」ではありえません。
お礼
御回答ありがとうございます。 ある定理・法則について絶対的な真理せあろうと推測はされても、演繹され得るものではないという事でしょうか?
お礼
皆様、御回答ありがとうございます。 まとめての御礼で申し訳ありません。 なんとなく理解できました。