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怒りの哲学
例えば、プロレスの場合「お前らには”怒り”が足りないんだよ!」と言ってビンタを張ります。 怒り=意欲=闘争心=燃える闘魂 ・・とでも解釈できるのでしょうか。 「俺がぶち壊してやるんだ」 「俺が変えてみせるんだ」 「俺が引っ張っていくんだ」 ・・と、これらの原動力になっているのが、 憎悪では無くて、”怒り”なんだと想うんですが、 格闘家は、どのようにしてこの”怒り”を維持しているのでしょうか? 格闘家における怒りとは、「怒りの哲学」を教えてください。
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- silverleopard7
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- silverleopard7
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回答No.2
お礼
ご意見ありがとうございます。 実際にやっているかたの意見は、やはり重みが違いますね。 打撃に対する痛みが軽減するのは脳内ホルモンの「セロトニン」が関係あるかも知れませんね、このホルモンが心頭滅却すれば・・状態を演出しているという説を読んだことがあります。 別名「平常心ホルモン」とも呼ばれていて、気持ちは醒めているのに、熱いと言った感じで、まさに回答者さまの仰る精神状態を演出しているホルモンだと想われます。 私のイメージする”怒り”なんですが、例えば、横綱の「曙」のインタビューで、「ボクは人を殴れないんだ」とありました。 打撃の格闘技に対する慣れがないというのもあるようですが、どうしてもたじろいでしまう。精神的なものだと本人も認めていました。 明らかにダウンした相手にそれでもまだサッカーボール・キックをするほどの攻撃性を演出しているのは、単に試合に集中しているだけではなく、明らかな”怒り”だと想うんです。 そのへんの攻撃性?についてのお考えがありましたら、是非、お聞かせ願いたいと想います。 闘魂について考えたいんです(苦笑)