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心配性を克服された方いらっしゃいませんか?
私は、結婚し、充実した幸せな毎日を送っている主婦です。 母は心配性のB型。そのマイナス思考、被害妄想は病的なほどでした。私は一般的なA型。(血液型は参考までに書いています、批判は勘弁してください) 小さい頃より母から事あるごとにマイナスなイメージを常に押し付けられ育ちました。(もちろん愛情ゆえの押し付けだと理解しています) 例えば、楽しく遠出しようとすると「事故にあわないで!気をつけて!心配で眠れない」などを繰り返し言われ、その負のイメージの押し付に出かける気もうせるほどです。どこかで救急車の音が聞こえようものならイコール私が事故な構図になります。 おかげで?!私は小さな人間になった気がします。幸せな日々を暮らしても、どこか不幸でないと落ち着かず、自分の中の不幸探しをして安心するという具合です。 自分はああなるまいと高校生ぐらいから反面教師にして生きてきました。 人に対してたとえ些細な事であっても、マイナスな事は言わないよう訓練し、幸せにもひたれる性格にもなれるよう努力してきました。だいぶなおっていたつもりでいました。 しかし、やはりたびたび私の中のマイナス思考が顔を覗かせます。今は、病的なほど主人が会社への行き帰りに事故にあわないか心配で毎日朝夕祈る思いです。 母にやはり似ているなぁと苦笑いするばかりです。大切なものを失いたくないと言う思いから起こるものなのですが、それは世間の皆様も同じだと思うのです。 10年近く自分なりに訓練したのに。。。ご意見ください。
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私も自慢じゃないですが、筋金入りの心配性です。 小学生の時は「氷河期が来る!」という学年誌の特集を見て、本気で心配してましたし、ノストラダムスも私を悩ませました。大地震もそうだし、果ては、地球の地軸が南北逆転するポールシフトの心配までしてましたから(^^ゞ。東西冷戦時代には、当然第三次世界大戦の心配もしましたよ。 こうして書くと、すごいスケールの心配性だと、我ながら感心してしまいました。 大人になって自分で生活をはじめてから、さすがに壮大なスケールの心配ごとは、日々の小さい心配に追いやられていきました。 子どもが生まれたら、もう心配はその事ばかりです。幼稚園に行くようになれば、園バスが事故で大破したりしないか、園で大きな怪我をするんじゃないか、友達にいじめられて泣いているんじゃないか。 学校に行くようになれば、変なニュースばかりで、拉致されたら、とか、変態に変な事されたら、とかそんな事よく考えてしまいます。 果ては、「もしお前が誰かに殺されたりしたら、地獄の果てまでそいつを追い詰めてお母さんが敵をうってやるからね」などと訳のわからない事まで言い出す始末です。もうほとんど妄想ですよね。 子供が将来免許をとって、私の知らない遠くで事故にでもあったら耐えられない、っていうのもあります。 どうです?すごいでしょう? 世のお母さん達は程度の差こそあれ、子供に対してみんな心配性なんです。 あなたのご主人に対する心配って愛ゆえですよね。そんなにご主人の事を思っているなんて、幸せですね。 そのせいで一日何も手につかず、ひたすらご主人の帰りを待っているのなら問題ですが、そうではないですよね?別に気にするほどの事ではないんじゃないでしょうか、それくらいの心配普通にしませんか?そうは思えませんか? 心配性であることに対して、必要以上にマイナスイメージを持っていませんか?心配性である事は決して悪い事ばかりではないです。あまり気に病まないで下さい。 もしも、見当はずれの回答だったらすみません。
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- red-butterfly
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私の場合は7歳の頃から、親のトラブルによる誘拐の脅迫電話→誘拐未遂に始まり、中学生の頃親に頼まれて制服姿で親の職場へ迎えに行って、案内してくれた親の同僚に強姦されかけたり、他にも数え切れないほどの到底自分のせいだとは思えない不幸の連続でしたので、逆に「なるようにしかならない、でもチャンスは絶対逃さない」、「その時自分なりに精一杯生きればいい」、「明日死んでも悔いがないと思える生き方を」、「自分で決めたことは絶対後悔しない」、「不幸よ、来るなら来てみやがれ。私は絶対負けないからな!」…が染み付いています。 …で、結婚したら…なんと天下泰平な毎日(笑) 日々幸せばっかり噛み締めて暮らしております。 …で思ったのですが、不幸って自分の中を改めて探さないと見つからないほどインパクトの弱いものではないと思うんです。不幸の深刻さが増せば増すほど、四六時中そればっかり悩むようになるのであって、不幸はインパクトの強いものです。 それに不幸は身に降りかかった後に苦しいもの。降りかかる瞬間から数秒後でさえ大抵ショックで放心状態なので、苦しみもありません。しかも不幸の最中は不幸の度合いがマヒします。どんな不幸(一瞬の不幸も長期的な不幸も)でも最中は「なんとかしなくちゃ!」の一心で、後になってどれくらい不幸であったかが分かるのです。 心配性を克服するのは性格的なことがあると思うので難しいかもしれませんが、紛らわすことは大いにできると思います。 ・「何とかしなくちゃ!」と頭がいっぱいの状況を作る ・何かに必死になる(あるいは没頭する) …これに尽きると思います。 「何とかしなくちゃ!」は結果的に幸せにつながるやりがいのあることを選んでやってみるといいと思います。例えば「バランスが良く、食べでがあって、バラエティーに富んだ低予算の献立を考えて、一ヶ月で食費を幾ら貯金に回せるか毎月記録更新を狙う」とか。そうすると『ママはお料理の達人』、『奥さんはやりくり上手』、『義娘はマメ』と家族も喜んでくれるでしょうし、主婦同士で情報交換をすることもあるかもしれないので友達の和も広がるかもしれません。一石ウン鳥です。ちなみにハードルは病的にならない程度にちょっと高めの方がより「何とかしなくちゃ!」となるのでいいかもしれません。 「何かに必死になる、あるいは没頭する」は趣味でいいと思います。読書なんか凄くいいかもしれません。読書といっても難い小説じゃなく、笑える漫画とかメイク雑誌でもかまいません。メイク雑誌を片手に、「この夏の流行を自分なりにちょっと取り入れるにはどうしたらいいか?」と鏡に向かうと、没頭できて綺麗になれて、これも一石二鳥です(メイク中って結構無心じゃないですか?) あとはついつい不幸探しをし始めたり、心配し始めたら、「ああ、幸せな証拠だわ!」と思考を切り替えるといいと思います。鼻歌なんか歌うと気分転換には効果てきめんです。
お礼
ありがとうございます。 私が悪いのですが、質問の真意がなかなか伝わら無かったみたいで。。。 ポジテブに生きることは出来るのです。 生活も楽しいのです。 楽しむすべもしっています。 ただ、第3者に対しマイナスイメージが出た場合、それを口にしなくても伝わってしまうと言う行為を皆さんがどのように折り合いをつけ生活しているのかが知りたかったのです。。。 私自身も文章で表現が上手く出来ないのですが。。。
CARE KILLS A CAT. 心配は七つの魂を持つ問い割れれる猫をも殺すという諺です。 心配というのは、どうして起こるかわかりますか? 心理学者のユングという人が、シンクロニシティ(意味ある偶然の一致)について かなりつっこんだ研究をしています。 これを読むといろいろ常識的な見方が覆って面白いです。 あらゆる宗教が ほぼ共通して言っているのは、ひとつのことです。 「出来事には それ自体 善悪、幸不幸、吉凶などの意味はない。 すべての出来事はニュートラルなのだ」ということです。 仏教では「色即是空」という表現でそれを言い表しています。すべての現象は 空であり、意味を付加するのは主観(人の意識)なのだということです。 たとえば、ドアをあけたら雨が降っている。 いやだなぁ、服が濡れるし買ったばかりの靴も履いていけない。 いやなことばっかりだ・・・・そういう意識が想起されて、いやな気分になります。 でも体育の授業が嫌いな子供やタクシーの運転手は「やった!」と喜ぶでしょう。 週末ゴルフに行く予定があれば、今日降ってくれたら明日は晴れるかなぁと 考えるでしょう。 「雨降り」そのものに意味はないのです。それを『解釈』する意識の違いがある。 そう考えると、『現象』にいちいちふりまわされるのが、まいどサイコロの丁半ばくちで 人生の吉凶を占うようなまねに見えてきませんか。 心配の発端というのは、ささいな「兆候」を過大評価するところからはじまります。 >大切なものを失いたくないと言う思いから起こるものなのですが 「好事魔多し」という諺を御存知ですよね。 つまりうまくいきすぎるとどこかで不幸が待っている・・・おうおうなんという気弱なネガティブ 発想でありましょう。 人間幸福を手にすると、いきなり守りにはいったりします。 >私は、結婚し、充実した幸せな毎日を送っている主婦です。 結構ですね。私は、51歳の男性既婚者です。私も充実した幸せな毎日を送っています。 >今は、病的なほど主人が会社への行き帰りに事故にあわないか心配で毎日朝夕祈る思いです。 どうして、そういう不安があるのかそれを突き詰めて考えてみるべきです。 (1)車で通勤している。 (2)夫は車の運転が上手くない (3)通勤経路の国道やバイパスはとてつもなく大型トラックが多く走る (4)通勤経路では毎日のように事故が多発している。 (5)事故危険箇所が多い (6)毎朝時間ぎりぎりに起きて出発するので、イライラ運転になりがち (7)夜は、酒の席も多く、飲酒運転しないか心配 こうやって、具体的に不安因子を小さく分解していくのです。 つぎに、不安と現実の乖離をたしかめます。 (1)一度御主人の車に乗って会社まで行きます。 案外車も量も少なく、危険箇所も少ないのがわかります。 (2)御主人の運転は上手なのかもしれないし、安全運転なのかもしれない (6)なるべく早い時間に起こして余裕をもって出かけてもらう (7)自分が免許をとって必要なときは迎えにいきます。 不安のもとになる「事象」をつきつめていくと、過大視している場合がおおく 正体は枯れ柳というケースがあります。 心配を感じたら、それを放置しない。これが鉄則です。 何か手をうつのです。 まず、生命保険を十分にかける。これは次善の策ですが。 不安のままでいるより安らかになれます。 次に、会社に近いところに引っ越すことを考える。 引っ越さなくていいです。引っ越す心がまえで物件探しをしていることで 心配の芽が成長していくのを食い止められます。 自分が運転を習って、送り迎えをしてあげることを考える。これも同じ。 あさ、1時間早く出社してもらう。これも効果的かもしれません。 たとえば、貯金がそこをつきそうだ。米びつにコメがない。 そういう時は、使う金を減らし、食う飯の量を減らすというだけでなくて 金の工面や収入増やコメを買うことを考えるわけです。 心配性の最大の問題は、自分の無力感です。 自分はなにもできない。不幸が雪崩れのように襲ってくるのを怯えて 待つだけだ。 そうじゃないです。逃げたらいいのです。50mも横に移動すれば 雪崩れは脇を通って抜けていく。 たとえば、車をお気に入りの新車に買い換えるだけで、御主人 安全運転で毎朝、早く余裕をもって会社にいくかもしれません。 >母は心配性のB型。そのマイナス思考、被害妄想は病的なほどでした。 私の母は30年近く鬱病で寝ていました。 要するに、心配を苦にするだけで、自分は全く現状に働きかけをしない 無力な自分を演じて生きてきたわけです。 >しかし、やはりたびたび私の中のマイナス思考が顔を覗かせます。 マイナス思考が働いたら、むやみに否定しない。そうならないように少しでも 手をうつことを考えて行動すると、実は暮らしがどんどん良くなるのですね。 >大切なものを失いたくないと言う思いから起こるものなのですが、 失いたくないと思わずによくしたいと考えましょう。壊れたらどうしようでは なく壊れそうなら先に直す。そうやって早めに手当てすればモノは長持ち あるいは壊れそうなら買い替える。 お金がどんどんなくなっていきそうなら、どんどん稼ぐ手段を考える。 それと心配性には 長期ビジョンといか「はるかな夢」がない。 いつも目先の心配ばかりで自分の現状を維持しようとする。 現状はゴールではないです。通過点にすぎないです。 変わって当たり前。 もっともっと良くしていこうと欲望の炎を燃やすことです。
お礼
ありがとうございます。参考になりました。
こんにちは。 私も心配性です。 口には出しませんが、いつもドキドキハラハラしています。夜寝る時布団に入るといつも不安になり、もしも 今大地震が起こったら、この子(私の小学生の子供)はどうなるのだろうって考えたり、夫が突然入院したら、私は毎日フルタイムで働き家族を支えられるのかって思ったり、大きな心配になっていきます。 考えるのは5分くらいですぐに寝付きますが、毎晩 戦争が起きたら、地震が起きたら、火事になったらと 気にしてばかりです。 ですから、あまり悲惨なニュースを見たくありません。 また心配事の種になってしまうからです。 心配性っていうのは、どうも遺伝するようですね。 私もA型です。 夫はB型で、あまり心配はしないタイプです。 ほんとに羨ましい限りです。 血液型は関係ないとしても、私は今度はA型には生まれたくありません。 世間の人は、私のようにものすごく心配していても 黙っている場合が多いのだと思います。 ですから、自分で「私って小さい人間なのかも」と思うくらいで丁度世間並みなのではないでしょうか?
お礼
そうなんです、夫婦ってできたもので私の主人も能天気です。私もA型に生まれ変わりたくありません!! 子供に心配性が遺伝しないように(環境から)極力気をつけているつもりですが・・・ 結婚して家庭を作ると言う行為は子供が増えるにつけ心配事が増えるのかもしれません。逆に子供が10人ぐらいいたら達観して心配しなくなるかも。。。。イヤイヤ生活の心配が出てきますね。 きりが無い!!! ありがとうございました。
- ebichu
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性格なのだからと諦めることはできませんか? 私も心配性です。 私の両親も心配性です。 血液型は、みなバラバラですので、全く関係ありません。 単なる性格です。 心配性というのは、裏を返すと用心深いともとれます。 きっと、現在の生活がとても幸せなのでしょうね。 なので、幸せすぎてコワイ~などという状態なのでは? 幸せな日々の中に小さな不幸など わざわざ探す必要はないです。 過剰な心配性こそ、あなたの小さな不幸じゃないですか? それ以外は、幸せ。 それでいいと思いますが。 あとは、慣れの問題です。 それと、忙しいといろいろなことに気が回らなくなります。 たとえば、子どもが1人のときは、 その子が食事がすすまないだけでも心配になりますが、 2人になってくると、食べてても食べなくても、 とりあえず元気ならいい!と思えるようになるものです。 他に考えることとか、すべきことがたくさんあると、 ささいなことは気にならない…というか、 気にすることすらできない状態になるものです。 もしかすると、暇をもてあましているのでは? 趣味でも仕事でもはじめて、 予定をいっぱいつめてみたらいいかもしれません。 心配事は山ほどあります。 でも、心配性だからなあ、ちょっと心配しすぎかな? まあ、いいか。 もう十分心配したから、あとはなるようになるだろう。 そんな感じでいいんじゃないかなあと思います。 心配しても、回避できないことってありますからね。 対応できるところは、対策を練って、 対応できないところは、どうか○○でありますように!と 強く念じて、おしまい。 ということにしています。 この物騒な世の中、うちだけは大丈夫、 なにもおこりはしないと思って、油断しまくりよりも、 いいんじゃないかなあと思ってます。 克服方法じゃないですね。(^^; 祈ってる自分が嫌だったら、なんかするといいですよ。 体を動かしましょう。 毎日家中を拭き掃除するとか。 しようと思えばいくらでもあるのが主婦の仕事ですものね。 訓練したのにとか、あんまり深く考えなくていいと思います。 気楽にね。(^^) 心配性の自分でもいっかー。 そんな感じでいるといいと思います。
お礼
ありがとうございます。 一応暇ではないです。。。。(笑い) 心配性が嫌と言うわけではないのです。仕方ないとあきらめています。自分の中の不安の種は自分の問題でよいのですが、人に負のイメージを持つということが嫌なのです。もちろん主人に対し「心配だとは」口に出して言いませんが、そのマイナスイメージが伝わりそうで嫌なのです。 私は、母が持つマイナスイメージにとらわれてきました、それはたとえ母が口にしなくても伝わるのもなのです。それがいかに自分にとって迷惑な行為であったか。。。経験しないと分かってもらえないと思います。負のイメージを相手に持つという行為はとても私にとってもっともしたくない行為なのです。 そこをどうするか!!何ですけど。。。。。難しいですね。
自分も心配性です。 最近は、プラス思考で成功のイメージを持てと 何にでも書いてありますが、 悪いことを考える利点もあると思いませんか? 悪いことを先に考えておくと、そうなったときに覚悟ができている。 考えるような悪いことは実際に起こったことがない。 悪いことというのは、案外、気がつかない部分で起こる。というか、 気にしたこともなかったのに、不意を突かれるように 起こりませんか? たとえば、胃は丈夫だと思っていたので大酒飲んでたらある日突然、胃癌と言われるとか。 胃から出血して「ガンだ・・」と思って病院に駆けこんだ方が胃潰瘍だったりするものです。 心配性は日ごろから気をつけるので悪いことが大きくならないという利点があると思います。 実際、長生きする人はほとんど心配性ですよ。 それに、心配性になるのは遺伝子の配列にも関係があるそうです。 本で読んだのですが、 バンジージャンプやスカイダイビングが怖くない人というのは、遺伝子の並びが違っているそうですよ。 特に欧米人に多いタイプなのだとか。 しかし、訓練したとはすごいですね。 自分も寝る前には良いことをイメージするようにはしてますが・・・なかなか・・・ それに今はウイルス感染が怖くて・・・他人の血を見るともう駄目ですね。これが現在の悩みです。(^_^;)
お礼
遺伝子!!!あきらめるしかないですね(笑い)遺伝子組み替えたい。。。 確かにそうなんですよね。訓練といってもプラス思考になれたわけではありません、他の人に負のイメージを与えないようにできる様になったぐらいで、私はまだまだマイナスタイプです。 確かに、最悪を設定し、そうならないように予防する能力は人より長けていると思いますが、大抵は取り越し苦労ですよね。 ウイルスわかります、若いとき身元のしっかりした男性としかお付き合いは無いのに、(性かんしょうからくるエイズのニュースなどを見ると)時折男性がジョーカーに見えて怖かったです。なのに外人だけでも両手で足りない友人は怖がってもいなかった。。。 まああんまり、プラスし思考も問題ですよね。 ありがとうございました。
お礼
ありがとうございます。質問の真意が伝わりにくく迷惑をおかけしています。。。 そうなんです、親と言うものは子供の心配を過剰にするもの、本当にそう思います。それが当たり前であると言うか。。。 でも、程度の差は親によってかなりあると思うのです。 過剰な心配は子供を苦しめる行為となります。 心配=愛情=束縛 と言う構図になりかねないと思うのです。私はこれが何よりしたくない行為なのです。 主人の行き帰りを心配するのは愛情なのですが、そこを行き過ぎたくない、と自分自身の折り合いを探しているところです。 でも心配ですよね。子供のことも、主人のことも。 主人からよく「下手な考え休むに似たり」と言われます。。。。ハハハ