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60年前の東大入試について
先日、60年前の東大入試が今と比べてどうだったのかについて、知人と議論になりました。 (60年前にこだわるわけではなく、「かなり昔」という意味なのですが) 知人の考えはこうです。 当時は今と比べると、大学へ進む人の数が圧倒的に少なかったのだから、東大の倍率も今よりかなり低かったに違いない。 現在の入試問題に比べると、暗記しなければならない知識の量もずっと少なく、簡単なものだったに違いない。 よって、受けた人はほとんど合格したに違いない。 と、いうものです。 上記2点のどちらも確認したわけではないのに、知人がこの考えにかなりの自信を持っているのは、その頃の時代の人で、大学へ行ったという人で、早慶よりも低い大学の人をほとんど聞いたことがないからだというのです。 知人は、現在の日東駒専に入れるくらいの人なら、当時の東大に合格できたのではないかと言っています。 私はそうは思えません。 確かに、今よりは倍率は低かっただろうし、入試問題も現在のものとは、かなり違うかもしれません。 でも、60年前は今のように、予備校や模試など、受験に向けて様々な対策を立てる方法があったわけではないし、暗記量が少ないから簡単な問題だったのというのではなく、むしろ、本人の「本当の頭の良さ」が問われるような問題が出たのではないかと思うのです。 そこで、60年くらい前の東大の入試問題を手に入れて、知人に見せるのが一番良い方法だと思うのです。 どこで手に入るか分かりますか? もしくはみなさんのお考えを教えてください。 よろしくおねがいします。
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旧制の教育制度の場合 明治時代に西洋列強に追いつくために、日本を代表する大学として東京大学を作り、高等教育をここに集中させます。 明治19年の時点で帝国大学となり、明治30年に京都に帝国大学ができると東京帝国大学となります。 日露戦争後の日本の資本主義の発達と共に、高等教育を受けた勤労者の需要が出てきます。 旧制高校というのは、帝国大学の教養部門の位置づけです。 どこの旧制高校に入っても、旧制高校の定員より帝国大学の定員の方が多かったので、明治末期まで無試験でした。 つまり、みなさんが指摘されているように、高校受験が大変だったのです。 大正中期にあまりの高校受験の厳しさと高等教育を受けた人の需要が増えたことで、旧制高校が増設されます。 それ以前は、ナンバースクールのみでした(例外あり)。このときの改正により、地名を冠した旧制高校ができます。 松本高校、松江高校、などです。 これにより、旧制高校の定員が増えました。 大学も増設されますが、一部人気のある大学の学部では、入学試験も行われます。東京帝国大学の法学部もそうです。 これに対して、京都帝国大学の法学部は、確か最後まで無試験でした。 いずれにしても、高校受験が一番の難関でした。 ですから、旧制高校の問題を参考にされるのが良いかもしれません。 旧制の時代には、中学卒業生が今の大学卒業生の価値がありました。 大学は、同世代の2パーセントというのが、昭和初めの水準だったかなと思いますが、いつの時代だったかは不確かです。 大学に進学するには、すでに言われているように経済的な負担もあります。 旧制大学の時代には、卒業年齢が27歳くらいになり、死ぬ年齢が早いことを考えると、働く期間が少なくなります。 大学卒業だと待遇が全く違いました。 初任給も卒業した大学の学部ごとに違いました。 このように大学卒業に権威があったわけで、それにつながる旧制高校の入試も難しかったと思います。 ただし、旧制高校によっては、 難解な問題を出し、合格点を低くする高校 標準的な問題を出し、合格点を高くする高校 に分かれていました。 なお、以上に述べたことは、社会的に高い評価を受ける帝国大学およびその予備課程である旧制高校についてのものです。 日本の社会が多少とも豊かになり、遊学のための進学が増えてきた時には、私立の学校がこれらの学生を受け入れました。 そのときの大学でほとんど無試験の大学もありました。 しかし、 旧制中学卒業自体が、評価される地位です。 経済的な負担に耐えられる資産が必要です。
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- pyon1956
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ちょっと補足しておくと、当時あった高校、高等専門学校は多分皆大学になったと思われます。では高校は、というとこれは旧制中学が高校になりました。例えば北壮夫さんが書いていることですが旧制松本高校は信州大学になりました。また師範学校なんていうのもあって、これは大学の教育学部や教育大学になりました、などなどです。旧制岐阜第一中学は県立岐阜高校の前身になります。 さらに国立の高校がありましたが(いわゆるナンバースクール)第一高等学校はご存知ですね?
お礼
ありがとうございます。 旧制中学が今の高校になり、高校・高等専門学校が今の大学になったんだとすると、当時、旧制中学→高校→大学という進学をした人がいたということは、大学は現在で言う大学院のような感覚だったのでしょうかね。
- apple-man
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東大の資料室の表示にはこんなふうにあります。 ----------------------- A3: 東京大学の入試問題をしらべるには ↑FAQ(東大編)Top 戦前の入試問題 総合図書館では以下の資料を所蔵しています。 『帝国大学年鑑』帝国大学新聞社(昭和9年~13,17~19年 総合図書庫 ZA:388) その他に,大学史史料室では,以下の資料を収集しています。 詳しい所蔵は,入学試験問題収録資料類をご参照ください。 『帝国大学入学受験提要:附入学試験問題集』高木亮編 文信社刊 『帝国大学入学提要:附入学試験問題集』文信社編集部編 文信社刊 『帝国大学案内』帝国大学新聞社編・発行 『帝国大学年鑑』帝国大学新聞社刊 戦後(昭和20年以降)の入試問題 大学史史料室等では以下の資料を所蔵しています。 『大学入試案内』東京大学新聞社編・発行 大学史史料室所蔵入学試験問題収録資料類参照 『東京大学新聞』東京大学新聞社 例年3月下旬頃当年の入試問題を掲載 総合図は1ヶ月保存 情報学環(旧社情研)で縮刷版所蔵 『全国大学入試問題正解』 旺文社編(1951年-) 所蔵無し NacsisWebCat等参照 東京大学のHPを見る 過去3年分は,東京大学HPに公開されています。 ------------------------ >地方に住んでいるので、なかなか行く機会はないのですが、 地元の図書館を通じてコピーを取り寄せる ことができるのではないかと思います。 こっちのほうに内容があります。 http://www.adm.u-tokyo.ac.jp/gen/gen3/archives/mokuroku/nyuushi.htm 以上の内容から適当な学部の問題に 絞って、これらの本のいずれかを 地元の図書館で借りることができるかもしれません。 貸し出し禁止になっていると駄目ですが、 大学や他の図書館の本を、地元の図書館 経由で借りることは普通にできるはずです。
お礼
詳しい資料名まで教えていただき、ありがとうございます。わざわざ東京まで行かなくても、当時の入試が手に入るかもしれないんですね。 地元の図書館で、確認してみます。 ありがとうございました。
- hard_drunkard
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伝聞なのですが、易しかったようです。 理由は「学徒出陣」によって大学生まで戦地に行かねばならなくなったからです。若者の絶対数が足りなくなったんですね。 ある時期の帝大の文系は無試験だったと聞いてます。 確か、「死神博士」をしていた、あの俳優さんも東大卒だったかと。 入試も旧制高校に行くまでが大変で、そこから先は、よほどの低い成績か、選り好みをしなければ帝大に進めたと。 さしたる確証はありませんが、ご参考まで。
お礼
ありがとうございます。 一つ訂正です・・・ 60年前というと、ちょうど戦争の頃ですよね。 その頃はちょっと事情が特殊なので、戦争の影響が受験に出てくるよりももっと前、ということでお願いします。 >入試も旧制高校に行くまでが大変 No.1さんもおっしゃっていましたが、高校へ行くまでの方が大変だったんですね。知りませんでした。 では、その頃から優秀だった高校がNo.3さんの言うように、戦後大学になったんでしょうかね。
- pyon1956
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60年前というと戦争がまだ終わっていないあたりですか。 そもそも入試はあったのかな? ともかく旧制、最後の東京帝国大学の新入生が1946年。新制大学としては1947年からですね。他の学校も大体そうなんで、それ以前は大学そのものが希少価値なんです。 たとえば現在の横浜国大なんですが、当時は横浜高等商業学校でした。いわゆる高等専門学校や高等学校が戦後に大学になっていくわけで、だからこそ「学士様」などという言い方があったり、逆に「大学は出たけれど」というそこまでのエリート候補さえ職が無い、という不況の様子を示す言葉があったりするわけです。 いずれにせよ上の学校へいく、ということそのものが、一定の学力や家の社会的地位を示す時代だったのでその権威は今とは比べ物になりません。試験についてはよくわかりませんが少なくともかなり高度なことを大学へ行く前から勉強していた気配があります。 本当に勉強がしたい人、また本当に周囲から優秀と認められた人しかそもそも進学できなかったわけで、入試はともかく学力はずっと上じゃないのかな、と思います。 まあそれでほんとに偉い人なのかというとそれはまた別ですが。
お礼
ありがとうございます。 >いずれにせよ上の学校へいく、ということそのものが、一定の学力や家の社会的地位を示す時代だった 知人は、家に経済力があれば、ほとんど誰でも合格できたというのです。 >本当に勉強がしたい人、また本当に周囲から優秀と認められた人しかそもそも進学できなかったわけで、入試はともかく学力はずっと上じゃないのかな、と思います。 そうですよね!私もそう思います。
- takkochan
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当時、大学といえば、国立の場合帝大のみです。 私学は、早慶、同志社その他正確には知りませんが、ごくわずかでしょう。そもそも、早慶よりも低い大学というのは、ほとんど存在しなかったわけです。 今と違い、日東駒専に入れるくらいの人は、中学校にも行っていなかったはずです(私の両親は行っていません)。それくらいの人は大学はおろか、中学にも行かず、働く以外の選択肢は無かったのです。 残念ながら、入試問題については知りません。
お礼
ありがとうございます。 知人の意見では、当時の数少ない大学が、今と同じレベルで存在していたのではなく、どれも今で言う日東駒専くらいの難しさだったのではないかというのです。 私は大学自体の数は少なくても、東大などは相当難しかったのではないかと思うのですが・・・
- sammi-2837
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東大新聞社が毎年出してる「東大(西暦)」という本があるのですが、5~6年前のものに戦前の入試問題がちょっとだけ載ってました。 手元にないので記憶が曖昧ですが、英語、仏・独語の問題が難しいと感じた記憶があります。 特に英訳は哲学者の名言や、小難しい言い回しの文だったのでレベルの高さに驚きました。生物等には知識問題も多かったです。 確かに60年以上経って各学問は発展したのでしょうが、問題を見る限り、知識量はかなり必要と感じましたし簡単でもなかったです。 この本は大学図書館なら置いてあるかもしれませんが、可能性は低いと思います。 詳しい資料がお望みなら、東大図書館に当たれば恐らくあると思います。 私は戦前の高等教育についてはそれほど詳しくありませんし、当時の制度や状況は頻繁に変わっていたそうなので、あまり正確なことはいえませんが、 戦前は大学入試より高校入試のほうが熾烈だったそうで、倍率は大体10倍だったとか。(都心/地方、伝統/新設校で大きな違いがあったそうですが) 参考書、予備校等の現代まで続く受験文化もありました。あまりに熾烈なため浪人もいたそうです。(安岡章太郎だったと思うのですが、受験の苦労を書いていた気がします) 東大等の帝国大学へは基本的に高校卒業者が進学しましたが、東大法学部(倍率は2倍ほどだったと聞きました)などを除けばそれほど競争率は高くなく、無試験の場合も多かったらしいです。(時代によって異なります) 下記は駿台の歴史です。予備校の歴史と戦前の受験の参照になると思います。
お礼
おはようございます。 やはり東大図書館で探すのが一番みたいですね。 ひょっとしてインターネットで見つけられないかと思ったのですが、見当たりませんでした。 地方に住んでいるので、なかなか行く機会はないのですが、やはり問題を手に入れるのが一番の証明になると思うので、機会があったら行ってみます。 それにしても、当時は高校受験のほうが厳しかったんですね。では、その時点で選別されていたということですから、「競争率は高くなく、無試験の場合も多かった」としても、誰でも簡単に入ることができたということにはならないですよね。
お礼
なるほど。 旧制中学、旧制高校、大学の関係がとてもよくわかりました。 この事実からも、当時東大に入ることが、現在に比べて決して簡単だったわけではないことは明らかですね! これから試験問題の方も調べてみて、知人に「ぎゃふん」と言わせることができそうです。 ありがとうございました。