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いい指導者とは or 宜しくない指導者とは
宜しくない指導者の条件を逆転させたら、それが、いい指導者の条件になるというほど単純ではないでしょうが……どちらでも宜しゅうございますので、アナタさまの考え・体験にて、現状~理想の範囲で、お教えいただければ幸いでございます。 漠然とした質問で恐縮でございますが願望・幻想レヴェルでも宜しゅうございます。 指導者は先達・先輩・先生・コーチ・総裁・支配人etc.といったところでしょうか立場的に、分野を問いません。
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経験から言えば上司の立場、先輩の立場、講師、アドバイザー、コンサルタントといった程度しかありませんが、その範囲で感じたり心掛けたこととして。。。。 1.良い指導者としての資質としては。。。。。 まず、やはり専門的な知識や経験が豊富なこと、そしてさらに一般常識が広いこと、そして、それらを基礎として大所からモノを見て適切な判断が出来ること。これはやはり基礎としてまず不可欠でしょう。 本来は自分でも出来る、そのことを部下など他人に任せる....わけですから、何故そうするのか、どのようにするのか、その結果の評価は、そして反省はと、相手に納得させられなくてはいい指導とは言えないはずです。 自分に厳しく、他人には寛容に....と言いますが、あえて厳しい姿勢を貫いても、そこに真の愛情と期待があれば、たとえ一時期の反発があろうとも、結果的にはむしろ強い理解と信頼と和を得られるものと自信を持つことも大切でしょう。 また、彼らの失敗は当然予測できるもの。一度の失敗は見逃し、二度目は注意だけでなく方向性をも示し、三度目には、これは根本から指導のし直し.....と、自身の方向性をしっかり持つとともに、その失敗に対する善処策も考えておくこと。 指導する相手に対しては、常に公平であること、常に安定していること。これもまた不可欠な条件と言えるでしょう。そして、自身に正直であることも。 指導者はすべからく人格が高潔である必要はないと思います。もとより反社会的な行為やマナーに反する態度などはもってのほかではありますが。 指導者もまたひとりの人間、人間臭い面があってしかるべき。むしろ、そうした人間臭い弱点が見えることを隠さないことこそが、指導する相手の信頼と絆の基礎になっているのではないでしょうか。 年齢差があるような場合には、あえて相手に迎合しようとしないこと。といって、彼ら独特のギャグや洒落に即座に切り返すぐらいのウイットも欲しいところ。わざと挑発に乗ってやるぐらいの度量もあればなお良し。 一方、良くない指導者とは。。。。 専門的な知識に欠け、一般常識の範囲も狭く、視野が狭く、実務上の知識にも経験にも欠けている。それ故、正しい判断と大所からの計画性に欠け、また、正しい指導や教育が出来ない。 ことに、なによりも現場の実体を正確に把握していない。したがって一旦コトが起きると、その本質を理解出来ないままとかく大慌てし、まず部下を詰り、責任を転嫁し、対処を押し付け、保身を考える。 またそれ故に、自身では進んで正しい対処を出来ず、やろうともせず、適切な対処法を指導することも出来ない(なんだか最近のテレビのニュースに出てくるトップみたいですね)。 意欲も無く、その性格や日頃の不適当な言動によって、部下や指導の相手を掌握出来ていず、信頼も得ていない。 こんなことを、これまで何十年にわたって考え続け、少しでもこのような良い資質を身に付け、悪い指導者にならないようにと努力してきたことでしょうか。 結果としては、残念ながら、ご質問者様がおっしゃる「願望・幻想レヴェル」に終始してしまったように思います。
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- shigotohima
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いい指導者→具体的に物事を示し、(可能であれば)自分でも身体で示す。精神論に走らない。 悪い指導者→いい指導者の反対。指導内容が抽象的、精神主義。ひどいのになると自分で規範をいっさい示さない。 いい指導者にはあと「できれば人格高潔」ということがあげられますが一般的な意味では必要条件としなくてもよいでしょう(常識的な礼節等をわきまえていれば可)。「悪い人じゃないけれど、指導は下手」という人は多いですね。
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ありがとうございました。 教師は産婆役である>とソクラテスが言っていた旨プラトンの著書に記載がありますが教えるのはむつかしいですね。 先日お亡くなりになられた大村はまさんは尊敬する師から教えられた「仏様の指」が最高の教え方であると著書の『教えるということ』で言っておられます。 人それぞれ違いますからね。
お礼
ありがとうございました。 お疲れさまでした。 おきばりやす。