- 締切済み
人って・・・。
最近よく思います。人って何のために生まれてきたんですか? どんなにお金を稼いでも、勉強して知識をつけても死んだら何もなくなる。たまに思うんです。 死んだら終わりじゃなくて、死んでることじたいがメインで、それを知らないだけで生きてるという期間は、ただの休憩なのかなーって。 死んだら何もなくなるというけれど。あいつムカつく!可愛いな~とかいう感情もなくなるとは思えない。考えてることって、脳の働きってゆうけど、精神は別のところにあると思う。 実はそれは宇宙にあったりして。 宇宙こそ、死後の世界だったり・・・。 グダグダな文ですいません。 誰か分かる人答えてください(笑)
- みんなの回答 (9)
- 専門家の回答
みんなの回答
- tyamabito
- ベストアンサー率0% (0/0)
輪廻転生のことでしょうか? 生きている時と、死んでいる時の両方があり、そして本当は死んでいる時の方がメインかもしれない、と思うのですね。 ということは、生きている、もしくは死んでいる、という考え方も『この世』に身を預けている間の概念と言えるのでしょうか。 突き詰めると『魂』の存在の話になってきそうですね。 そういった精神的なことは昔から仏教などの話の中で語られていますから、その方面から調べてみてはいかがでしょう? もしくは科学的な方面から宇宙について調べてみると、また別の考え方が浮かんでくるかもしれませんね。 で、何のために生まれてきたのか?という質問への回答ですが、はっきりと「この為です」と答えることは私にはできません。 ですが、少しの参考になればと思いひとつ答えてみようと思いました。 それはアンネ・フランクの言葉です。 「もし生き延びることができたなら、私はつまらない人間で終わりたくありません。私は世界と人類の平和のために働きます。」 この言葉を綴ったアンネの気持ちは、想像でしか言えませんが、とにかく何らかのものがこの言葉を出させたのでしょう。 死んだら何もなくなる。 そう思うと、いてもたってもいられなくなる気持ちになる。 その時に何が自分の心に浮かんでくるのか。 そこを見つめれば、kaoru1983なりの答えが何となく出てくるのではないでしょうか。 あともうひとつだけ。 誰の言葉か忘れてしまいましたが、人がこの世に生まれてくること。 それがどれだけ奇跡的なことなのか、と説いた人がいたような気がします。 死んでいることがメインかもしれないのならば、何故この世に生まれてくる期間があるのか。 もしかしたら、その死んでいる、精神が別のところにある、そんな場所にはこの世に生まれてくることが出来ないでいる『精神』『魂』が無数に存在しているかもしれないですね。 そんななかで、何故自分がこの世に出てきたのか。 そこには何か使命のようなものがあるのかも。 この世に生きている間は決して解かることができないようなモノの為に生まれてきたのかも。 ま、いろいろと考えられますね(笑 グダグダな回答ですいません(笑
私もよく、思っていました。 なんのために生きているのだろう なんのために生まれたのだろう、と。 私の好きな本の中の一節に 「生きる意味を問うのは間違っている。なぜなら私たちは人生からいつも問われている存在である。」 とあります。私はこの一節を読んで人生観が変わりました。 著者は「アウシュビッツ収容所」から奇跡の生還を果たした精神科の医師です。彼がその中で見た極限の人間達を元に生まれた言葉なので説得力もあります。 その中で、自殺する人、殺伐とした日々の中でどうしたら 楽しくなれるか考える人達。様々です。 きっと、”何のために生まれてきたのか” その答えは各々が出していくものであり それぞれ違うのだと思います。
人は何かのために生まれてくるのでも、生きているのでもありません。人生は意味や価値ではかるべきものではないからです。人生に何か意味があったら嫌になっちゃいますものね。人生の目的は、あるものではなく、創るものでもなく、出来るものなのだそうです。 生も死も、”私”(主観)と世界(対象)という区別も幻だそうです。あらゆるものは一つであり、”自分”と宇宙は同じものです。 宇宙の虚無から生まれた命は自我を成し世界を知りやがて再び宇宙と融合する、というのが、いささか仏教的表現ですが、最先端の哲学であるポスト構造主義的な人生観です。(ち、違うかな…(^^;)) ですから宇宙こそ死後の世界というあなたの考えはある意味悟りの境地です(笑) 私もほとんど理解できていないのですが、いつか死ぬまでにこの境地に達したいものです。
私も、たまにそういうことを哲学的に考えることもあります。 質問者様は、「細長く生きよう」と考えていませんか? 「太く短く」は語弊がありますが、ヒトには時間に限りがあるからこそ、 その時間を大切に、有意義に生きようとするんじゃないでしょうか。 もちろん、「宵越の金は持たない」ではなく、ほどほどに人生を楽しんで 自分がすべきこと(人により様々)を成し遂げることが大切だと思いますよ。
- papapiko
- ベストアンサー率35% (128/359)
こんにちは、私も昔からよく考えてました。 ただ、この年になって思うこと。 「経験するために生まれてきた」あなたの質問をみてただ、 そう答えたいっておもいました。 調子の良いときに出る答えと、 調子の悪いときに出す答えは、 何のために生まれてきたかの質問に対しては 全く真逆になりがちです。 でも、色々と中年と言われる年代に入りつつある今おもうのですけれど、 疲れることもあるし、良いこともあるし、悲しいこともあるし、楽しいこともある、 の繰り返しが人生で、 命を持ってないと全てが経験できないことで、 やり直せるのも命があるからで、 きっと産まれたいって思ってうまれてきたのではないだろうかと、 私の魂はその時をまって選んで生まれてきたはずだと 今日は何だかそうおもいました。 経験するために産まれてきたんだと思います。 色々なことを心(魂に)に経験するために生まれて活きているのだと思います。 それぞれに出す答えも、出る答えもちがうとおもいます。 何のためにと言われたら、正解はないかも知れません。 でも確かなのは経験をするということです。 息を吐くことも、泣くことも、怒ることも、許すことも、 笑うことも、急ぐことも、怠けることも。 (^-^)
- pastorius
- ベストアンサー率48% (538/1110)
生まれてきた目的なんて別に無いでしょう。本人が生まれたくて生まれてきたんだと思っています。 死んだ後はどうなるんでしょう。 ご質問に書かれているように、感情はどこかに残るのかもしれませんし、宇宙に行くのかもしれません。宇宙が死後の世界かもしれないし、地底が死後の世界かもしれないし、四次元の世界に行くのかもしれません。 宗教の物語では、キリスト教でも仏教でも神道でも、死んでも意識は残って、感情ももちろん残ると書かれてますね。 ただ、経験したことがあると言う人はいませんから、人々の願望が宗教の物語ににこめられているだけかもしれません。 たまに「おれは知ってる、経験したことがある」という人がいるみたいですけど、その人が死んだ現場を確認しない限り、ぼくは信用できません。 死んだ後に意識とか感情とかが残っていても、たぶん生きてることとおんなじですよ。生きてて楽しくないなら、死んでも楽しくないです。生きることに意味がないと思うんなら、死後の世界でも死ぬことには意味は無いと思うんでしょうね。 お金を稼いでるときっていうのは、実はお金を稼いでいるということ自体が楽しいんですよ。実際に1000万円儲けてみたら、たぶんオレってスゲー!と、理屈ではなくふつふつと心の底から感じると思います。ぼくは凡人なのでそうです。そのお金でベンツを買うことよりも、オレって1000万円儲けたぜ、ということの方が楽しいです。 知識を身につけることも、それ自体が面白い。何の知識でもいいんです。学校のテストで100点を取ったなどといったことではなくて、あるレベルを突き抜けたとき、自分自身で、わかった!と思うんです。トンネルが貫通したような感じ。ひと皮剥けた実感というのでしょうか。それは、それ自体がものすごく楽しいことです。相対性理論なんかムチャクチャ面白いですよ。 学生さんでしょうか。学校の勉強は面白くないですね。まあでも、あれは仕方無い。ぼくも我慢しましたから我慢してなさってください。過ぎてから振り返ってみれば、楽しい思い出です。 ご質問に回答してませんでした。 死んだらどうなるか。 わかりません。 でも霊感の強い友達によると、死後の世界はあるそうです。宇宙とは言ってませんでした。
- blackdragon
- ベストアンサー率35% (428/1222)
#1です。一部訂正します。 >私は、個人的には、死後の世界・生前の世界というものの存在は信じていません。 「生前」では、生きている間のことという意味になってしまいますね。いいたかったのは、「生まれる前」・「前世」のことです。
突きつめて考えれば 「死ぬため」 --です。
- blackdragon
- ベストアンサー率35% (428/1222)
何のために生まれてきたのでもないと思います。 でも、何かのために生きることは出来ますし、何かのために生きるという自覚が無くても、死んだら何も無くなるわけじゃないでしょう。 例えば、 ・子供を残す(血のつながりの有無に関わらず) ・社会に対して、何らかの影響を及ぼす行動をとる (大きな行動じゃなくても、一人ひとりがどのように行動したかが、結局、社会の方向性を決めることに寄与するでしょう。) ・上記の一形態として、発明をしたり、会社を作ったりする ・例え、生後まもなく死んでしまったとしても、その人が生まれたということは、周りの人の人生に影響を与えるでしょう。 といった、様々な形で、人が死んだ後も、その人が存在したという事実は、完全に無意味になるわけじゃないですね。 で、死んだら終わりかどうかは、宗教上の問題で、いろいろな教義がありますね。 私は、個人的には、死後の世界・生前の世界というものの存在は信じていません。
お礼
皆さんご意見ありがとうございます。 色々な意見が聞けてすごく嬉しいです! こういうことは鬱状態になった後や海を眺めてるとよく考えちゃうんです(笑) 正解なんて誰にも分からないけど、皆さんの意見・考えにいちいち頷いている自分がいます。 これって永遠に解けない謎なのかな? TVで宇宙と人類について言っていたのですけど、宇宙のあることの研究がすすめば人類が何のために生きて、どこへ行くのかが分かるらしいです。 あることっていうのが忘れましたけど(汗 やはり宇宙と生命って奥深いですね。 まだまだ皆さんの意見を待ってます! 少ししたらまた皆さんの意見を読み返したりしてます。 本当に皆さんありがとうございました。