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改名のなぜ?
富野氏は、喜幸から由悠季に改名しています。 本名からペンネームに変えたようなんですが、どうしてなんでしょうか? 理由とかそれにまつわる事を教えて下さい。
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「富野由悠季全仕事」に掲載されている仕事リストに、幾冊かの手持ちの本の発行年を組み合わせてみました。 イデオン、 初回/80年 5月 8日(喜幸) ガンダムI、 公開/81年 3月14日(喜幸) ガンダムII哀戦士編、 公開/81年 7月11日(喜幸) ザブングル、 初回/82年 2月 6日(由悠季) ガンダムIIIめぐりあい宇宙、 公開/82年 3月13日(喜幸) イデオン記録全集第5巻 発行/82年 7月 3日(喜幸) イデオン接触&発動編、 公開/82年 7月10日(喜幸) ロマンアルバム・イデオン 発行/82年 8月15日(喜幸) アニメック28号 発行/82年11月29日(由悠季)*「富野語録」の記述より ダンバイン、 初回/83年 2月 5日(由悠季) ザブングル・グラフィティ、 公開/83年 7月 9日(由悠季) 以下、全て"由悠季"名義 もちろん事務的な理由によるものだったのかもしれませんが、少なくとも当時の富野監督は、「ガンダム」「イデオン」までと、それ以後の作品とを線を引くようにきっちりと分けて考えて居たようです。 これは完全に私の想像に過ぎないものですが…。フリーの名も無い便利屋的なスタッフの地位から、一躍カリスマ的なヒットメーカーにまで上り詰めた事。「イデオン」の頃まではスポンサーの横槍に悩まされていたが、丁度この頃から"彼には好きなように作らせよう"と周囲の空気が変わった事。などから『…ここまで出来たならば、僕も作家になれるかも知れないと思った…(全仕事178頁)』いわゆる心境の変化が、改名の直接的な原因だったのでは無いでしょうか。 もし詳しく調べてみたいと思われるならば、この年(82年)前後のアニメック誌あたりが、やはり脈が有るのかもしれません。 とちらにせよ、確実と言うには程遠い内容で申し訳ないのですが…。
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- kemurist
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真偽のほどは定かではないですが、知り合いの姓名判断師の勧めで「皆殺しの富野(喜幸)」の異名返上の意も込めての改名と聞いたことがあります。 関係ないですけど海外アニメファンの間でもYoshiyuki "Kill'Em All" Tominoとして知られているんですよねぇ。 (Kill'Em All = Kill Them All, 皆殺し)
- zion
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そういえば、富野由悠季さんは他にもペンネームを使って仕事をしまくっていますね。 http://www.geocities.jp/trivia_in_anime/salon_1.htm や http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E9%87%8E%E7%94%B1%E6%82%A0%E5%AD%A3 にあります。
お礼
何個もペンネームを持っているのは有名な話ですね。 ありがとうございました。
- char2nd
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富野氏が改名したのは、劇場版「伝説巨神イデオン」の制作中に「戦闘メカ ザブングル」の監督を引き受けたときです。 「イデオン」で人を殺しすぎたので、心機一転を計るためとか何とか・・・ たしかそんな理由です。
お礼
その頃に変わったというのは、調べたらわかるのですが、 >「イデオン」で人を殺しすぎたので、心機一転を計るためとか何とか・・・ ですか・・・ ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。 色々教えて頂いてありがとうございました。