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名古屋の婚礼仕度って…
今日きしめんを食べていて素朴な疑問が湧いてしまいました。 名古屋では娘3人持つと破産すると言われる程、婚礼の仕度にお金をかけると有名ですが、 (1)この風習は今現在も続いていますか? 続いているとしたら他の地域と比べてどれくらい派手なのでしょう? (2)なぜそのような風習が根付いたのか理由があるのでしょうか? 歴史的にいつ頃からの事なのでしょうか? (3)息子の場合はお金をかけないのでしょうか? 教えて下さいませ。
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こんにちは、結婚式関連の仕事を以前していました。 #2の方の回答を拝見していて思わず懐かしく思いました。 この地方の結婚式が派手だとよく言われるのですが、派手というよりも昔からの地元の風習を大切に残しているのだと思います。 名古屋を中心とするこの地方の人は普段は贅沢をせずに地道に生活をしていてイザという時にはケチケチせずに思いっきり使うような感覚です。 そのイザという時が冠婚葬祭の時になっているのだと思います。 嫁入り支度にお金が懸かるというと一見するとたいへん無駄なことをしているみたいですが、それだけこの地域の親たちは自分の娘に対して深い愛情を持っており、又、自分達の見得でもありますね。 #2の方の回答にあるように「嫁菓子」をばら蒔いて花嫁を送り出すような光景は今ではほとんど見かけないですし、トラックも普通のタイプになっていますね。 こうした地元に伝わる風習が無くなってどんどん簡略化されていくのは少し寂しい気がします。 歴史的な背景は特には無いと思いますが、#1の方が秀吉のことを仰っていましたが、秀吉は名古屋の出身ですが、天下人になってからは大阪に在住していましたので主に大阪で人気があり名古屋に影響はほとんど無いですね。 もし、派手な風習という意味での歴史的な人物でしたら、尾張徳川家七代藩主 徳川宗春を挙げておきます。 この人は当時の八代将軍 徳川吉宗が「享保の改革」を掲げて全国に質素倹約を命令していた当時、その暴れん坊将軍に対抗して名古屋に芝居を誘致したり、商人を活性化させて毎日ドンちゃん騒ぎをしていたような殿様です。 未だに「芸どころ名古屋」とかいわれるのはその頃の名残です。 当時、この殿様は庶民には大層人気があった人のようです。 ただし、最終的に宗春は怒った幕府から謹慎を言い渡され、宗春失脚以降は尾張徳川家もおとなしくなってしまいましたのでその後のこの地方に影響が残ったものかどうかは解りません。
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- ss79
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この慣習は徳川幕府の8代将軍吉宗と尾張藩主徳川宗春のじだいに始まったのではないでしょうか? 吉宗は幕府財政の建て直しの為、質素倹約を奨励し官僚的封建制度を進めましたが、宗春はこれと正反対に華美を奨励し遊芸を盛んにするなど反対の政治を行いそのため中京地区は経済活動が盛んになり、遊女や芸人が集まり全般的にバブルのような状態を呈しました。 町人の暮らしも豊かになり、華美を誇るようになったといいます。 今日の中京地区の繁栄の根元をなした時代でした。 その時に始まったのではないでしょうか?
お礼
やはりそのような時代背景がありそうですね。 だんだん中京地区への関心が高まってきました。 「名古屋の派手な結婚式」のルーツを探るべく本でも探して読んでみようかな、という気になりました。 どうもありがとうございました!
- pikakoma
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名古屋人です。 結婚式が派手という習慣は、名古屋というより岐阜県や三重県の一部を含んだ名古屋圏の風習だと思います。 (1) 今はほとんどないですね。簡単に挙式と食事会程度という地味婚も多いです。 この数年の事情だけに限れば、特に派手ということはないと思います。 (2) 理由はわからないのですが、婚礼に限らず冠婚葬祭全体にお金をかける傾向はありますね。 葬儀に参列すると必ずその場でちょっとしたお返しがありますし(香典返しとは別で)、法事でも出席者も「志」の他にお菓子など持参し、招いた側は必ずお引き物を用意します。 歴史的な背景はわかりませんが、義理堅い土地だと感じます。 (3) 古い人だと結婚式の規模にこだわる人はいました。田舎の方では結婚前に親が家を建てるというところもありました。 20年くらい前には、近所のお姉さんが結婚された時には事前に「お道具のお披露目」に呼ばれたことがあります。 お座敷に用意された婚礼家具などが並べてあって、見せていただいてお食事をいただいたりしました。 子ども心に「なんでこういう無駄なことをするの?」と疑問でした。 婚礼道具を運んだトラックは、テレビなどでも有名になった一部がガラス張りで中身が見えるものでしたね。 結婚式当日花嫁は自宅で用意して家を出ることも多く、その際には「餅投げ」や「お菓子配り」がありました。 披露宴の引き出物も「七品」が標準なんていうこともありましたが、すべて「昔の話」という感じです。 ご本人の希望というよりも、「親の見栄」で続いていた習慣のようですが、こだわりない人が増えましたし、そういう余裕のある方も少なくなったと思います。 知人のところでは、親御さんが張り切って婚礼家具を用意したものの、新居のマンションが狭くて入らずずっと実家に残されたままというところもありました。
お礼
やはり今は地味婚流行り、というのは名古屋も同じなんですね。 昔、植木等さん扮する名古屋の花嫁の父が奮闘するドラマの印象が強いものですから、今もあんな事するんだろうか~?と大いに疑問に思ったもので。 きっと当時でも特別な例だったのかも知れませんね。 でも古き日本を忍ぶ風習でよいな~と感じたりもします。 ご回答ありがとうございました!参考になりました。
- toro321
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今は旧家しかやらないです。 っても、昔も旧家だけですけどね。 昔からの商店主や、自営の人は、派手でしたが・・・。 いつ頃からなのか、多分江戸時代の尾張家の風習だと思いますが。織田信長も派手好きでしたし、秀吉に至っては、豪華絢爛が好きでしたから。 息子は貰う方ですから、結納だけです。 結納の倍を持たせるってのが一般的だったようです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 やっぱり秀吉の影響なんですかね。 名古屋に限らず地方の豪農の結婚式などは大変な規模だと聞きましたが、豪華絢爛さで名古屋が有名なんですね、きっと。
お礼
ありがとうございます。 なるほど、やはりその土地の気質、風習が形作られるには何らかの背景がありそうですね。 普段は質素で使う時に使う、という話は聞いたことがあります。 個人的に中京地区出身の知人や友人もいないので親近感がなかったのですが、いろいろわかってきました。 宗春の名は覚えておきます。勉強になりました!